05
ある日の昼休み、叫び声が校内に響き渡った。
「鵲――ッッ!!」
ガシャンッ、と大きく音を立てて開けられたドアが可哀想になるくらいの勢いだった。ついでにドア付近の同級生の耳も死んだ。可哀想に。
窓際の席で比較的耳に負担の掛からなかったじぶんは、とりあえず嫌な予感に眉間に皺を寄せる。これなら、昼食後に学級委員長の集まりがあるという瑞月に無理矢理でもついて行けばよかった。今からでも恭弥から呼び出しされないだろうか。……なさそうだなぁ。
勢いよく、しかし器用に机を避けて近寄って来たのは、いつでも極限に熱い男 笹川了平。四限目が終わるなり走り去って行ったが、どんな問題事をもって帰って来たのか……。
「鵲!オレと付き合え!!」
???
何を言っているのか分からず思考が止まる。ついでに教室内も一瞬静かになった。その後のざわめきの内容はたいへん思春期である。いや、笹川了平に限ってそれはないだろう。
騒めく同級生たちと、言葉の足らない笹川了平に対して呆れから溜め息を吐く。
「いっぱい説明しなさい」
「うむ、任せろ!」
任せろと自信満々に言えるのなら、最初からそうしてほしい。
真面目に話を聞いてあげようと、読んでいた本に栞を挟んでから閉じる。これは瑞月が手作りした押し花の栞だ。オレンジ色のマリーゴールドが視覚を明るくしてくれるので気に入っている。オレンジ色なのもいい。
本を机にしまい、笹川了平に向き直ろうとして。その間に右手首を掴まれる。
「では、まずは部室に向かうぞ!」
「……まずは話だけ聞きたかった、な」
わたしの意見は届くことなく、力強く引きずられるままに教室を後にした。
途端に沸き立つ教室を後目に、肩を落とす。あれは面倒くさいぞ。あることないこと言って、面白おかしく飾り立てた話をされる予感しかしない。よく考えろ、情緒が死んでいるわたしと、色恋よりボクシングの笹川了平だぞ??百歩譲ってもないな。
「スイちゃん」
「あ」
走り続ける廊下の前方に、複数人と連れ立つ瑞月がいた。集まりが終わったらしい。
驚きに見開いた目がわたしを見、そして笹川了平を見る。その表情は、ここに来るまでにすれ違った生徒たちとよく似ていた。そりゃあ、ほぼ全速力で走る生徒がいればみんな驚くだろう。
何か伝えるべきか、と考えている内に通り過ぎ、慌てて振り返りながら声を張る。
「あとで!」
「わかった!」
これだけで通じ合えるのだから友達は素晴らしい。
惜しむらくは、おそらく彼女が戻るだろう教室ではあることないこと面白おかしく話が盛られているので、それを聞いた瑞月がその情報を鵜呑みにしてしまう可能性があることだ。
後で、あとでしっかりと説明するので、どうか耳を塞いで待っていてほしい。叶わなそうだが。
走り着いた先はボクシング部の部室だった。部室には一年生が数名と、顧問である年老いた教師がいた。白い長いひげを撫でて「ほっほっほ」と笑っている。それっぽい。
部室のスペースをほぼ占めるリングの横に、申し訳程度に用意された机が一脚とそれを挟むように置かれた折り畳み椅子が二脚。一方には顧問が座り、もう一方にはわたしが座る。
あれだけ自信満々に「任せろ!」と言った割に、説明してくれたのは顧問の教師だった。
「つまり、ボクシング部の上級生による下級生への嫌がらせをやめさせる手伝いをしてほしい、ということで合ってますか?」
「うむ、その通りじゃ」
重々しく頷く顧問に、面倒くさいことになったな、と嘆息する。
「去年の三年生が卒業したあたりからじゃろうか。今の三年生と二年生の部員が、部活動をするでもなく部室や更衣室にたむろしては荒らしてのう。
笹川の坊のおかげで多少は持ち直したんじゃが、それでもひどい状態なんじゃ」
「授業中などのオレのいない時を狙って集まっては、荒らすのを繰り返しておるのだ!」
「はあ」
言われて、部室内を視線だけで見回して納得する。散乱するゴミ、割れたガラスを補修するために貼られた段ボール箱、わざと汚された様子のリング、壊され床に転がるボクシング用品。えとせとら。
元々こういった感じなのかと思っていたら、きちんと原因がいたらしい。校内、どころか町内すら取り締まっている恭弥の目をかいくぐるとは賢しい奴がいるようだ。
「具体的にはどのような対応を望まれますか?授業をサボる、部活をサボる程度の行為であれば生徒指導の教師との話し合い、反省文などの罰則になりますが。……見たところ器物損壊も多いようですから、二週間程度の停学処分が妥当でしょうか」
「ああ、それは……」
「もちろん!男同士ならば正々堂々と拳を交わせば分かり合える!!」
「……と申しておってなぁ」
「なるほど……」
わたしと顧問の間に割って入り、主張する笹川了平はとても熱い目をしていた。現実が見えていないとも言う。こんなバカなことをしでかしている人間と拳で分かり合えるか?無理だろう。
しかし、言ったところで聞かないのが笹川了平である。「でもな」と言っても「出来る!」と即座に返されるのがオチだ。
「笹川の坊がそうしたいと言うなら、そうさせてやってもいいかと思っておってな。次期主将でもあるからのう」
「はあ」
「極限に任せろ!!」
生徒を信じている、と言えば聞こえはいいが、放任である、とも言える。顧問が顧問として責任を果たせていないのがそもそもの問題であって、それを一生徒に押し付けるのはいかがなものか。頭の痛い話だ。
「しかし、それならばじぶんには出来ることはないのでは?教室に戻らせていただいても?」
「出来ることならある!」
「聞くだけ聞こうか」
拳を握る笹川了平に先を促す。聞くは聞くが、だからと言ってするとは言っていない。面倒くさそうであれば逃げてしまおう。停学させた方が早い。
「拳を交えるにも、相手がいなくては意味がない。上級生たちを集める手伝いをしてほしいのだ」
「ああ、笹川了平は避けられているのか」
「その通りだ!」
「うーん……」
呼び出して集めるくらいなら、それほど手間ではないか。部員名簿をもらって、校内放送で放課後に呼び出せばいい。まぁ、多少の保険も必要ではあるだろうが。
その『多少の保険』が少々面倒ではある。しかし使えるものは使いたい。
了承してもいいかな、とちらりと笹川了平を見る。ついでに他の部員たちも。笹川了平以外は顔色を悪くして後退りしたのはなぜだろうか。手伝わなくていいのか??あ゛???
「頼む、鵲の力を貸してくれ!」
笹川了平が真面目な顔で頭を下げる。一拍遅れて、他の部員も頭を下げ「お願いします!」と声を張った。顧問も静かに頭を下げている。
……これで断ったら、わたしが非情な人間になってしまうなぁ。
「まぁ、たまには暴力じゃなく権力を振りかざすのもありかな」
「手伝ってくれるのだな!?」
「ここに集めることだけだけど」
「十分だ!!!」
いたく感激した様子で「極限に感謝するぞ!!」とハグしてきた笹川了平は仕方なく受け入れた。はいはいどういたしまして。彼は本当にボクシングが好きなんだなぁ。
──ピンポンパンポン。
HRが終わってすぐの放課後の校内に、軽く跳ねるような音が流れる。
ボタン一つで流せるものもあったが、隅で埃をかぶっていたディナーチャイムが置いてあったのでそちらを使用してみた。
放送室で放送機材に向かい合う私の背後には、使用方法を間違えた時のためについて来てもらった放送委員会の同級生が一人。事情を話していないので、今から何をするのだろうとちょっと不安そうな顔をしている。
《生徒会からの呼び出しです。
ボクシング部に在籍している二年生、三年生、およびその関係者で、呼び出される身に覚えが少しである生徒は今すぐボクシング部の部室まで来てください》
繰り返します、ともう一度同じ言葉を繰り返す。
複数人を呼び集めるのであれば、校内放送が最適解ではないだろうか。時間短縮にもなるし、第三者にも周知される。何より対象者が多いのだ。
部員名簿を借り、ボクシング部一年から聞き取りを行ったところ、対象者が部に在籍している生徒だけではないことが発覚した。一人ひとり名指しで呼び出しを行なったら放課後が終わってしまうのでは?と思うほどの人数だ。
恭弥の御膝下のわりに、無法者の多いことで。
しかしそんな無法者でも隠れて悪さをしている時点で、恭弥自体が怖くないわけではないのだ。
《なお、この呼び出しの対象者はリストアップし、風紀委員に配布してあります。
校内はもちろん、校庭、校門、裏門、抜け道に至るまで風紀委員が巡回し、見張っています。逃げ道はないものと思ってください。運よく校外へ出られた場合も、町内を風紀委員が巡回しています》
屋上での一件以来、風紀委員からの当たりが優しくなったのでこういった雑用も引き受けてくれる。普段の風紀委員の巡回のついでに、という体で。もちろん恭弥からも許可はもらっているので問題はない。
代わりに後で雑務か、雑務か、腕力で支払うことにはなるが。
「能力面で敵わない一年生から逃げ隠れし、悪事を行う諸先輩方。退路はありません。潔く部室へ向かうことをお勧めいたします。以上です」
──ピンポンパンポン。
始まりとは逆の音階で、始まりと同じように弾むような音で放送を〆る。
さて、これでわたしの役割である『集める』ことは問題なく終わらせられただろう。ここまでして逃げ切ることが出来たなら拍手を送ろう。けれど逃げ切られた風紀委員は恭弥から咬み殺されるかもしれない。なむ。
「…………」
放送席に座ったまま、しばし考える。本当に大丈夫だろうか。本当に?
無理矢理に集めたところで、素直に殴り合いを受け入れるだろうか。あのボクシング一直線バカの提案を、こそこそと陰湿な行いを続けてきた奴らが素直に受け入れるだろうか。そもそも拳を交わして本当に解決するのか。
考えて、のろのろとした動作で席を立つ。
面倒くさい。面倒くさいが、最後まで見届けなければどうも座りが悪くて落ち着けそうにないので。
「様子見くらいするか……、はぁ」
重い足取りでボクシング部の部室へ向かった。
_ _
生徒会長の校内放送が終わり、部活動のない好奇心旺盛な生徒はボクシング部の部室に向かった。別に呼び出しの対象者だったからではなく、面白いことが起きそうだったから。完全な野次馬根性。
件のボクシング部と言えば、昨年の三年生が卒業してから不良の吹き溜まり都と化した部活だ。新一年生の中にボクシングの強い生徒がいて、幾分マシになったという噂を耳にしていた。
そのような噂が立つボクシング部に、あの生徒会長の呼び出し。転校してきたばかりの一年生でありながら生徒会会長の役目を任されたその生徒は、日が経った今も噂に絶えない。試験はいつでも満点の秀才であるとか、ギネス記録に迫る身体能力を有しているだとか、あの風紀委員長を赤子の手をひねるが如く打ちのめしただとか。
それらの噂を事実無根だと笑い飛ばす生徒は一人もいない。あの風紀委員長も否定しないし、本人である生徒会長も否定しない。つまりは事実。なんてすごい人間が生徒会長になったのか。
そんな生徒会長による呼び出し。つまらないわけがない……!!
「極限に!これは主将の座を賭けた男と男の真剣勝負だ!オレが勝ったなら、この神聖な部室をもう二度と荒らさないことも誓ってもらうぞ!!」
部室内には二、三年生が五十人ほど押し込められ、真ん中のリングの上にいる白い坊主頭の一年生が、グローブをはめた拳を彼らに突き付けて何やら宣言していた。野次馬たちは部室の外から、ドアや窓から覗き込み騒動が起こるのを今か今かと心待ちにしている。
「オマエが勝ったら、だろ?この大人数相手に一人で勝てるつもりかよ」
ボクシング部員であり、不良のリーダー格でもある男子生徒が、リング上の一年生、笹川了平を馬鹿にしたように笑いながら応える。その自信は人数差もあるが、彼らに手に握られた凶器のおかげもあるだろう。
にやにやと嘲るような笑みを浮かべる不良たち。しかし笹川了平は気にもかけず「もちろんだ!」と力強く頷いた。
面白く思わない不良のリーダーが舌打ちを一つ。
「ボクシング部の伝統でなぁ、主将になるには五十人抜きを達成しなきゃなんねーんだよ。相手は武器あり。ボクシング部のオマエは、もちろんグローブだけだがなぁ」
不良たちの間からバカみたいな笑い声が上がる。
周囲の野次馬は言うまでもなく嘘だと分かっていた。隅に隠れるように集まっている一年の部員たちも嘘だと察した。けれど、笹川了平だけが大きく頷いて見せた。
「そうか!伝統ならば受け入れよう!さぁ、かかってこんかッッ!!」
「「「はあッ!!??」」」
驚きに思わず叫んでしまったのは不良たちだけではない。笹川了平以外のほぼ全員が声を上げた。
不良たちとしては、いくら才能のある男でも武器を持った五十人相手では泣いて許しを請うだろう、ぐらいに思っていたのだ。それが蓋を開けてみれば、泣いて震える男などおらず、逆にやる気に満ち満ちた目を輝かせているじゃないか。頭がおかしいのかコイツ。
「……いやな予感がすると思えば」
深い溜息とともに吐かれた言葉に、全員の視線がそちらへ向かう。生徒会長だ。部室のドアの前にその姿を認め、不良たちはザッと道をあけた。
「停学でも退学でもなく、話し合いを選んだというのに傷害事件を起こそうとは……。高校入試前に正気ですか、先輩方」
「うるせぇ!話し合いで済ませるつもりなんざ最初からねーんだよ!!」
「困ったな……」
そう言う割に困った風ではない生徒会長は不良たちの波を抜け、リングに上がる。その姿格好が周りによく見えた。男子生徒と同じくスラックスを穿いた姿に何人かが首を傾げるも、違和感がなかったために流される。うーん、最初からこうだったかもしれない。
隣立った笹川了平も何も疑問に思わなかったようで、普通に話しかけた。
「む、鵲ではないか。見届け人として来てくれたのだな!」
「こんな状況でも元気だな」
喜び「気が利くではないか!」と肩を組もうとする笹川了平に、平素通りの生徒会長はうっとおしげにその腕を払いのけた。「冷たいやつだな!」と憤慨されてもどこ吹く風だ。
改めて不良たちに向き直り、視線だけで人数を数える。
「ちょうど五十人か。よく見れば他校生もいるし、よく集めたもので」
「なにぃ!?つまり無関係の人間がまぎれ込んでいるということか!!?」
「いや、どちらかと言うと以前から他校生が不法侵入していたってことじゃないかな。どう頑張っても風紀委員は恭弥に咬み殺されるしかないらしい」
「どういうことだ!?」
「笹川は、遠慮なく全員殴ればいいって話だよ」
「極限に了解した!!」
会話の切りがついたのか、笹川了平がファイティングポーズをとる。生徒会長の手には、いつの間にかゴングが持たれていた。
「はじめ」
カーンッ、とゴングが鳴ると同時に、笹川了平はリングから飛び降り不良たちへと向かう。一人二人と殴り飛ばされてから、遅れて武器を構え抵抗する不良たち。それでも、一方的な戦いだった。
拳を振るう笹川了平。
抵抗むなしく倒れ伏す不良たち。
観客たちは笹川了平に声援を送り、不良たちへは野次を飛ばす。
抜きん出てボクシングの才能に秀でた一年生が入部した噂はほぼ全生徒が知っていた。それが笹川了平であることも。しかしここまでとは。武器を持った五十人を相手に、無傷。人外の強さだ。
「ラストひとり」
いつの間にかリングを下りていた生徒会長が、またゴングを鳴らす。
言葉の通り最後に残った一人は、最初に啖呵を切った不良のリーダー格の男で、ボクシング部の現主将だった。
次期主将である笹川了平と、現主将である男子生徒が向かい合う。笹川了平はグローブをはめた拳を握り直して、男子生徒は握る木刀を構え直した。木刀を握る手は震えている。
「〜〜クソがァッ!調子に乗るんじゃねェッ!!」
自棄になったように叫び、木刀を振り上げる。
しかし向かった先は笹川了平ではなく、その奥。リングに背を預けて立つ生徒会長だった。
横をすり抜けていく男子生徒に、笹川了平が驚き目を見開く。腐ってもボクシング部主将である。野次馬の誰かが「危ない!」と叫ぶも当の本人は興味がない様子で、口元を手で隠し欠伸をかみころしてよそ見をしていた。
「いい気になってんじゃねーぞ!たかが一年のガキがッ!!」
木刀が生徒会長の頭上に振り下ろされる。一切の容赦のない暴力に、大半の生徒が悲鳴を上げ、惨状を見たくはないと目を瞑る。
それでも全く視線を外さない数人が、見た。
視線もくれず、木刀を避けるその姿を。
足を払われ尻もちをついた男子生徒の胸部を足蹴にし、無表情のまま目下ろす生徒会長を。
「最後ぐらい、正々堂々と戦えばよかったのに」
ひどく可哀想なものを見るように、言葉を零した生徒会長を。
_ _
やはり面倒くさい事態になっていた。
呼び出す予定の人数以上に先輩方がいるし、武器は持っているし、なんなら他校生もまぎれているし。体格的に数人ほど高校生もまぎれてないか。
しかもあのボクシング馬鹿は、五十対一の試合を受け入れてしまっている。凶器を所有した加減を知らない五十人対、グローブをしているとはいえ拳のみの笹川了平一人。
普通に考えれば受けないものだが、普通ではないので受けてしまった。そして余裕をもっての四十九人抜き。
恭弥といい、笹川了平といい、この中学校には規格外が多過ぎる。
そして最後の一人となったわけだが。
「いい気になってんじゃねーぞ!たかが一年のガキがッ!!」
まさかこちらにとばっちりがくるとは。
木刀を振りかざす姿はただのチンピラだが、笹川了平の横をすり抜ける際の体運びはボクシングの経験者のものだった。あの笹川了平が抜かれたくらいなのだから、部活動をしていた頃はそれなりの腕をもっていただろうに。
野次馬の誰かが「危ない!」と叫ぶが、そこまでの危機感は覚えなかった。木刀を握る手は震えているし、構えた体制は軸がぶれている。よそ見をしていても避けられる。実際に、見なくても避けれてしまった。
「うわッ!?」
「足元がお留守ですよ」
男子生徒の後ろ足首から軽く足を払えば、面白いほどきれいに素っ転び尻もちをつく。木刀を振り下ろして前方へ傾いでいたおかげで、後ろに転んでも後頭部を打つことはない。
何が起こったのかと目を白黒しているところに、胸部を踏みつけ床へと縫い付けた。どうにかどかそうともがいて、醜態を晒している。
「最後ぐらい、正々堂々と戦えばよかったのに」
ほんとうに、無様だなぁ。
途端に羞恥で顔を赤らめ、眉尻を吊り上げ睨みつけてくる男子生徒。ああ、みっともない自覚はあるんだ。遅いけれど。
脚に込める力が強まりそうになって、慌てて足をどけた。加減が出来るうちはいいけれど、出来なくなると今の身体能力ではどこまでやり過ぎてしまうか分からない。
「おい!鵲!」
「……ああ」
笹川了平に名前を呼ばれ、そういえば五十人抜きの途中だったことを思い出した。足元で胸を押さえて咳き込む男子生徒を見遣り、その襟首を掴んで無理矢理立ち上がらせる。
「はい」
「うむ!」
「え……?うわ、ちょ、」
男子生徒の背を押して笹川了平に差し出せば、心得たとばかりに元気な返事のあと、狼狽え制止する声を無視して右手を下から上へと振り抜いた。
きれいなアッパーカットだ。
野次馬からも同意とばかりに拍手が送られる。誰が見ても素晴らしいアッパーカットだったらしい。
グローブの拳を両手とも上げて拍手に答える笹川了平。うっすらと汗を掻き、やり切った顔で輝かんばかりの笑顔を浮かべる彼は、誰がどう見ても完璧な勝者だ。
「以上!五十人抜きの達成をもって、現時点からボクシング部の主将は笹川了平となる!」
〆の言葉を述べれば、拍手は歓声に変わった。誰一人として否やはない。批判を述べそうな連中は、みんな仲良く床でおねんねだ。
新主将となった笹川了平が、他の一年の部員に祝われながら、顧問からの祝いの言葉を受けている。
これで一件落着。わたしの仕事は完遂だ。あとは足元の不良たちだが、部室の外に待機していた風紀委員に目配せして片付けさせる。どうにか自分たちの責任が軽くなるよう頑張るといい。
絡まれる前に帰宅しようと、働く風紀委員にまぎれて退室を試みる。
「鵲!」
……失敗に終わった。
無視して帰っても面倒くさいことが後に残るだけなので、仕方がなしに声を掛けてきた笹川了平を見る。なにやら期待に満ちた視線を送られているが・あいにく彼の期待には一切応える気がないのでやめてほしい。
「鵲、いや、スイ!」
「唐突な名前呼び……」
ガシリと握られた両手も気になるが、名前呼びになったのも気になる。周囲から黄色い悲鳴が上がったのも気になるし、その中に野太いものも含まれるのも気になる。気になることが多過ぎてぜんぶ投げ出したい。
「その力強さ!反射神経の良さ!そして冷静さ!すべてがボクシングを始めろと言っている!!」
「言ってないと思う……」
「スイは足による攻撃も多いからな、キックボクシングという手もある!」
「ないと思う……」
「生徒会長なぞやめて、ともに格闘技を磨こうではないか!!!!」
「そんな理由でやめられないと思う……」
鼻息荒く、爛々と輝く目で語る彼に、こちらの言葉は耳に入っていないようだ。一つの面倒事がどうにか片付いたのに、次の面倒事が押し寄せてきた。面倒くさい、面倒くさいぞ。
いっそ嘘でも頷いてしまおうか。
「生徒会長」
首を縦に振ろうとして、背後から呼ばれて動きを止めた。視界の端にかすめる特徴的な髪型からして風紀委員だ。
わたしが振り返るのを待って、風紀委員は腰を九十度に折った。これは恭弥関係だな。
「委員長が、用件が終わり次第図書室に来るようにとのことです」
「わかった」
思った通り、恭弥からの言伝だった。
呼び集める件で風紀委員を借りる際「きみも風紀委員の手伝いをしてくれるんだろうね」とは言われたけれど、こんなにすぐだとは。今は助かったので良しとする。
笹川了平の両手を振って落とし、踵を返して部室を出る。
後ろから「まだ話は終わっとらんぞ!」と叫ばれたけれど、そもそも始まってもいないので。そりゃあ始まっていないものは終わらないよなぁ。
翌日。先に教室にいた瑞月が、わたしが教室に入ったと同時に駆け寄ってきて、腕を組んで彼女の席へと引っ張る。あとで、って言ったものな。
「……えー、これこれしかじかで……」
「大丈夫!私も昨日の放課後ボクシング部見に行ったから!笹川くんもスイちゃんも、本当に強いよね」
「女の子に暴力沙汰は見てほしくなかったな……」
はぐらかそうとしたけれど知られていたらしい。
スポーツとしてならまだしも、ただの乱闘は観戦対象として刺激が強過ぎないだろうか。笹川了平が無傷、相手も各々一発の殴打のみで、お互い血が流れてないだけマシだろうか。
「でも残念だなぁ」
「なにが?」
机に頬杖をつき、言葉の通り残念そうな顔をされる。なにか残念なことがあっただろうか。不良たちのおつむとか?
「教室のみんなから、笹川くんとスイちゃんのラブロマンスが始まったって言われてたのに……」
「プロローグすら始まってないんじゃない」
「笹川くんのボクシングの勧誘が、実は遠回しな愛の告白だったとか」
「想像力が豊かだなぁ」
「スイちゃんの素っ気ない態度も愛情表現だとか」
「マゾの人しか喜ばないねぇ」
「嘘だったのかぁ……」と肩を落とす瑞月。
彼女に要らないことを吹き込む輩しかいないのか、この教室は。犯人は教室の隅に固まってビクビクしている男女五人組に違いない。眼光鋭く向ければ、面白い程に震え始めた。最初から言わなければいいのに。
「そういえばスイちゃん」
「うん?」
「似合ってるね!」
なんのことかは、確かめるまでもない。昨日の放課後から引き続き着用している、並盛中学校男子用制服のスラックスだ。
「こちらの方が動きやすいからね。昨日部室に行く前に保健室から借りたんだ」
「返さなくていいの?」
「恭弥が『そのままでいいんじゃない』って言うから、いいんじゃないかな……?」
養護教諭にはあちらから話を通してくれてると思っていたけれど、わたしも許可をもらいに行った方がいいのだろうか。恭弥が許可している時点で、返事はイエスかはいしかないと思うが。念のため昼休憩にでも行っておこう。
瑞月の席から自身の席へ移動し、机の中の整理をする。壁に貼られた時間割表を確認して、忘れ物がないことに一つ頷いた。
SHRが始まるまで本でも読んでいようかな、という考えは、朝から元気な叫びに無理だと悟った。
「スイ――ッッ!!!」
叫ばないと登場できない病気なのかな。
昨日と同じく力いっぱい開けられたドアが、今日も可哀想な悲鳴を上げている。いつか壊れたなら原因の大半は笹川了平に違いない。
笹賀川良平は一直線にわたしの机の前まで来て、バンッ、と力強く両手をついた。
「おはよう、スイ!」
「おはよう、笹川くん。今日も朝から元気だね」
「もちろんだ!!」
朝から太陽に負けず劣らずな笑顔で、よいお返事をされる。わたしにはちょっと眩し過ぎるので光量を減らしてもらえると助かる。
ついでに隅っこの男女五人組がにわかに色めき立ったが、別に彼はそういう意味を含んで駆け寄ってきたわけではない。「ワンコ系……」ではない。「ネコ系……」はもしかしてわたしのことだろうか?とにかく違う。
「見ろ!この晴れ渡る青空を!極限にボクシング日和だと思わんか!!」
「思わんなぁ」
「毎度つれない奴め!」
釣れてたまるか。
またいつものボクシング勧誘が始まるのかな、と辟易していれば「まぁいい」と一旦熱を引っ込めて落ち着いた。珍しい。
「昨夜、オレは考えていたのだ。スイがなぜそこまで頑なにボクシングをしないのかを」
「興味がないからかな……」
「オレは失念していた!スイは曲がりなりにも女子だったということを!!」
「誰が曲がりなりにも女子だ」
「女子は男子部に入部できんとは……ッッ」
なんて失礼なことを真剣に悔やんでくれるのだろう。「くぅ……ッ、すまんスイ!!」の謝罪は、もちろん曲がりなりにもと言った失礼に対する謝罪ではない。並盛中学校に男子ボクシング部しかないことに対する謝罪だ。なくていい。
まぁ、それでもこれでしつこい勧誘がなくなるのなら大目にみよう。
「だがしかしッ!昨日の件も含めてなんの礼もせずにいるなぞ、それではオレはオレが許せん!!」
「……まるでボクシングへの勧誘がお礼みたいに聞こえるな」
「そこでオレは考え付いた!!」
もう何も考えないでほしい。聞きたくなくて塞いだ両耳も、無駄に通る笹川了平の声を止めてはくれない。
「スイはボクシング部のマネージャーになればいいのだ!!」
ずいっと顔を近付けて、名案だろうと自信満々な表情を向けられる。うーん、褒められ待ちの犬に似ているなぁ。
しかし何も褒める点がなかったため、近い笹川了平の額を手の平で押し返す。パーソナルスペースは保っていきたい。……おい反発するな、大人しく離れろ。
「マネージャーとして入部し、しかし部活動には他の部員と同じく参加すればいいのだ!いいアイデアだろう!!」
「よくないよくない」
「そうと決まれば顧問から入部届を貰ってこなければな!」
何も決まっていないので落ち着いて欲しい。今にも走り出しそうな笹川了平のワイシャツの裾を掴み、待ったをかける。心底不思議そうな表情をこちらに向けるな。
しかし、言ったところで聞いてくれないのはすでに知っている。なんと言って止めるべきかを考えていると、笹川了平は得心がいったとばかりに力強く頷いた。……嫌な予感しかしない。もう何も聞きたくないし喋らないでほしい。
「オレに手間をかけさせると思って遠慮しているのだな!極限に気にするな、
!!!オレとお前の仲だろう!!!」
百点満点の善意の笑顔から放たれた言葉に、わたしの表情はスンッと抜け落ちた。
教室内では「ついに」だとか「やはり」だとか、勝手な言葉がざわざわと発せられては消えていく。ついもやはりも何もない。いい加減にしてくれ。瑞月も、頬を紅潮させて期待に満ちた視線を向けてくるんじゃない。
「……もう頼むから黙ってくれ……」
この事態の収拾は誰がするんだ?わたしなのか?
とりあえず、まずは余計なことしか言わない笹川了平の額に拳をめり込ませることから始めようか。
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20250220
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