02




 起きたら元に戻っていないかなぁ、と最後の望みをかけて寝て起きても何も変わらず。
 もうほぼほぼ諦めながら、これが現実なのかと他の生徒と同じように毎日毎日並盛中学校に通う。この通学路にも慣れたものだ。
 教室に入れば既にいた何人かから「おはよう」と朝の挨拶をされ、それに挨拶を返しながら席に着く。
 転校初日に興味津々の同級生たちに囲まれる、というお約束なことはなかった。しかし困ったことや分からないことはないかと、親切に気には掛けてくれる。少し遠巻きにされているような気がしないでもないが、過ごし難いとも思わないので放っておいているのが現状だ。無駄に絡まれるよりは断然いい。

「鵲!ボクシング部に入れ!!」

 いや、無駄に絡んでくるのが一人いた。朝の挨拶もなく、登校してきた笹川了平の開口一番はここのところ毎日これだ。

「聞いているのか!?」
「聞いてる。おはよう笹川君」
「おはよう鵲!!」

 連日の事なので対応にも慣れた。断っても断っても納得してくれないので、とりあえず流している。出来れば感嘆符をひとつ減らしてから話しかけてほしい。
 そもそもわたしは女子なのでボクシング部には入れないんじゃなかったのか?本人もそうだと残念がっていたはずなのに、翌日には「ならば女子ボクシング部を作ればいいだろう!」と謎の代替案を出してきた。名案だと言わんばかりの晴れ晴れとした顔をしていたけれど、別にわたしはボクシングがしたいとは一言も言っていない。

 一度落ち着いて席に座ってくれたかと思えば再熱したようで、後ろの席のこちらを振り返り「ボクシングは素晴らしいぞ!」とまた勧誘を始める。耳タコなんだよなぁ。
 興味がないことを態度で示すべく、頬杖をついて窓の外を眺める。笹川了平がヌゥだかムゥだか唸っているが放っておいた。

「おはよう、鵲さん」
「……あぁ。おはよう、学級委員長」

 威勢のいい笹川了平の声に混じり、後方から聞こえた控えめな女子の声にそちらを振り向く。
 こげ茶色の髪を左右で三つ編みにし、大きめの赤縁眼鏡をかけた女子が立っていた。初日から何かと世話を焼いてくれる、このクラスの学級委員長。こういう子は眼鏡を外したら可愛いか美人かが定石だろうなと予想している。

「あのね、転校してきたばかりで申し訳ないんだけど、鵲さんに参加してもらわないといけないことがあるの」

 これ、と言って差し出されたのは十cm四方の白い紙だった。裏返して見ても何も書いていない。

「今、全生徒参加の生徒会選挙をしているの。その紙に書くのは、自分が生徒会長に薦める人の名前」
「なるほど、投票用紙。立候補者は廊下かどこかに貼り出されてる?」
「ううん。実は立候補者はゼロでね……。
 みんなやりたくないから、全校生徒対象で一番投票者数が多い人が生徒会長になる予定。決まった後の辞退は無しで、強制的に着任なんだって」
「生徒会長ってそこまで嫌がられる職だったかな……?」

 首を傾げて問い掛けるも、返されたのは困ったような曖昧は笑顔だけだった。何だろうその笑顔。疑問は深まるばかりだが、明確な答えはもらえず「じゃあ、よろしくね」と席を離れて行ってしまった。

「なんなんだ……」
「生徒会長選挙だな!並中のリーダーを決める、極限に燃える行事だと思わんか!!」
「あぁそうだね、よかったな」

 笹川了平はいつでも元気である。
 そんなに燃えるのなら、前向きに受け止められている彼を推薦しておこう。さっそくと投票用紙に笹川了平の名前を記入し、投票方法が分かるまで机の中のファイルにしまった。
 名前を書かれたのが嬉しかったのか、眩い笑顔で勧誘が再燃する。そんなつもりは無かったのに、しくじったなぁ。
 どうしたものかと考えて、ふと視線を向けた校庭が騒がしいことに気が付いた。登校時間もそろそろ終わるだろうに、一体何をしているのだろう。

「どうかしたのか?」
「いや、あの辺りが騒がしいなと思って」

 校庭の一ヶ所を注視するわたしにが気付いて、笹川了平が訊ねてくる。指を差し方向を示せば、彼も同じ場所を見た。

「喧嘩だな!」
「あー、やっぱり」

 笹川了平の断定する言葉に、視線を外さず納得する。
 最初は軽い言い合いのようだったが、見る見る内に掴み合いから殴り合いへと発展していった。その周囲を物好きな野次馬が囲い始め、囃し立てている。
 血気盛んだなぁ。殴って殴られて、体勢が崩れて倒れたかと思えばすぐに立ち上がり殴り返す。鼻血も出ているようだ。野次馬のテンションも上がっているらしく、段々と声が大きくなる。

「なっとらん!なんだあの貧弱な拳は!オレが手本を見せてやる!!」
「窓から飛び出そうとするのは止めてくれないかな」

 極限!と叫び窓から飛び降りようとする笹川了平を、慌てて服の裾を掴みその場に押し留める。
 一年の教室は二階で、たかが二階程度の高さなら落ちても平気そうに見えるかもしれないが、されど三m程度の高さはある。絶対に怪我をしないと保証できるものではない。
 目の前で人間の骨がボキボキに折れる場面なんて断固拒否だ。

「しかしだな、鵲!」
「ただでさえ暴力沙汰で問題になりそうなのに、そこに笹川君が乱入したら収拾がつかなくなる。面倒くさいので大人しくしてください」
「極限に不満だ!!」
「はいはい我慢我慢」

 何と言われても聞く気は無いので、どれだけ不満だと叫ばれても行かせるつもりは微塵もない。

──ざわざわ
「おい、あれ見てみろよ」

 じぶん達以外にも外の騒ぎに気が付いている同級生たちはいたようで、興味津々に数名が窓際に寄って喋っている。

「あれって……。うわぁ、あいつらかわいそう」
「いや周りに集まってる奴らもだろ。良かった、野次馬せずにさっさと教室来といて」

 聞こえてくるのは同情する声が多い。同じような言葉がちらちらと教室中から上がっている。
 一体何があったのかと改めて外を見遣れば、渦中に向かう軍団を見て、わずかに身を乗り出してしまった。
 ……別に参戦したくなったとかではないので、笹川君はその期待に満ちた視線と握った拳を片しなさい。

「そうだよなぁ。こんな騒ぎ起こしといて、あの人が見過ごすわけないよな」
「ひぇ〜、ご愁傷さま」
「全員運が無かったんだろ」

 校舎から校庭へと向かう、黒い服装たちの塊。
 それに気が付いた野次馬の外側から順に静まり、モーセの海割りの如く左右に分かれて道を開ける。未だに気が付いていないのは、喧嘩している二人だけ。気付いていれば、あんな馬鹿みたいに騒ぎ続けていられないだろう。
 だって彼らは、いや、彼は。

「あーあ、ほんと可哀相。あのヒバリさんが出てくるなんて」

 ああ、やっぱり彼なのか。
 先頭を歩くのは、並中の旧制服である黒い学ランを肩に羽織り、片手には愛用するトンファーを握る風紀委員長。堂々とした足取りの彼の表情は楽しそうなのかそれとも不機嫌なのか、背を向けられた校舎側にいるじぶんからは確認できない。
 それでも、その背中は何度も見ていた雲雀恭弥そのものだった。

「(見ていたのは漫画やアニメでだけど)」

 そういえば、とふと思い出す。
 いつの事だったかはすっかり忘れてしまったけれど、夢の中で彼に会ったことがあった。妙に現実味のある夢で、しかし目が覚めた後はすぐに内容のほとんどを忘れてしまった。覚えているのは雲雀恭弥が出てきたことと、目が覚めた後にツナの方が良かったなと愚痴を溢したこと。

「あ」

 一人回想に耽っているわたしを、ゴッ、という痛々しい音が現実に引き戻す。
 見れば、先ほど雲雀恭弥に殴られたらしい男子が一人地面に蹲っており、続けざまにもう一人も殴られて倒れた。その様子に周りの野次馬が小さくない悲鳴を上げる。可哀相に。一言二言、雲雀恭弥が何か言って、野次馬達は蜘蛛の子を散らすように解散した。
 一気に人数が減った校庭で、黒い軍団の中からリーゼント頭二人が出てくる。彼らは気絶したらしい男子生徒をそれぞれ引き摺り、校舎裏へと消えていった。保健室のある校舎内ではなく、人気のない校舎裏だ。
 ……何されるかは知りたくないな。

「相変わらずヒバリは強いな!」

 呆れてしまうわたしとは違い、笹川了平のテンションは高い。どうやら、雲雀恭弥もボクシング部勧誘リストに含まれているようだ。どのような点がボクシングに向いているのか熱く語り、しかし誘う度に殴り断られているのだと肩を落とす。
 もう諦めればいいのにと思わなくもないけれど、彼の辞書に“諦める”や“断念”の文字は記載されていないらしい。

「ヒバリーッ!ボクシング部に入らんかーッッ!!」
「うるさ。鼓膜破れる……」
「む、こちらを見たぞ!」

 笹川了平は窓の桟に足を掛け身を乗り出し、腹から声を出し大きくで叫んだ。あまりの声量に耳鳴りがする。非難の視線を向けるもアチラは雲雀恭弥しか見ておらず、珍しく反応があったと少し喜びつつ教えて来た。
 どうせ、また勧誘か煩いな、という不機嫌顔を向けられているのだろう。
 そう予想しながら何とはなしに外を向いた。

「(は?)」

 効果音をつけるならバチンッだろうか。
 それ程バッチリと、視線が合った。距離があるのに分かってしまう、己の視力の良さが悔やまれる。
 即座に机に伏して隠れてしまいたかったが、雲雀恭弥の浮かべる表情に思考が止まり體も固まってしまった。化けネコのように化けキツネのように、笑った、ニヤリと。口角を上げ僅かに目を細めるその顔は、正しく捕食者のそれだろう。ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
 わたしから視線を外し、何事も無かったかのように校舎に戻って来る姿を、視界からいなくなるまで見送った。
 ……ああ、嫌な予感しかしない。

_ _ _
 警戒するじぶんを他所に、何事もなく授業が進む。
 どうやら朝の騒動を起こした片割れはこのクラスの人間らしく、空席が一つ増えたが何事も無い。教師からの説明もないが、他の同級生たちはそれで受け入れているらしかった。慣れが怖い。
 ついでに言えば窓際の一番後ろの席、つまりはわたしの後ろの席は毎日空いている。何故かと訊ねても作り笑いではぐらかされるし、笹川了平は自信満々に「知らん!」と叫んだ。
 まぁ不登校か長期欠席か。そこまで無理に知りたいわけでもないので放置している。

「あー、早速だがこの前のテストを返す」

 そう言って、教師が紙の束をひらひらと見せつけた。数人の生徒が小さく唸り声を上げる。目を凝らして教師の手にあるテスト用紙の内容を確認すれば、転校してからそう経たず、抜き打ちで受けさせられた数学のテストだった。
 嫌な顔をする生徒を見て満足げな表情を浮かべる陰険眼鏡教師。彼にはとても見覚えがある。誰だったかを少し考えて、たしかツナを退学させようとした学歴詐称野郎だと思い出した。興味が薄過ぎて名前は忘れたが。
 今からテストを受けるわけでもないのに皆がみんな苦い顔をするのは、返す際に必ずと言っていいほど嫌味が含まれるかららしい。親切な隣の席の同級生が教えてくれた。
 いっそこの場で学歴をバラしてしまおうか。

「それじゃあまずは、」
「失礼するよ」

 最初の犠牲は誰か、とクラス中が構える中、授業中だというのにノックも無く教室のドアが開く。付近から小声の短い悲鳴が上がった。
 視線だけそちらに向け、まさかの人物に目を見張る。……雲雀恭弥だ。
 彼はぐるりと教室内に視線を巡らし、わたしを見て止まる。今度こそ反射的に机に伏せたが、おそらく意味はないだろう。

「転校生の鵲スイに用があるんだけど」

 名前まで調べ済みとか。
 これは駄目だ。総動員して働いた防衛本能が、體を動かす。窓から逃げるかドアから逃げるか。
 視線だけ動かし選択し、無言で左隣の窓を開け桟に足を掛ける。笹川了平には危険だと止めたが、背に腹は代えられない。最悪、多少は折れても動ける自信がある。
 掛けた脚に力を込め、しかし窓枠を掴んでいた右腕を掴まれ行動を阻まれた。

「ねぇ、僕が用があるって言ってるのに、どこに行くつもりだい?」
「(速ッ、怖ッ)」

 振り返れば雲雀恭弥が至近距離にいた。さらに後方を視界に入れれば、ドアからこの席までの直線上の机が乱れている。それらの席に座っていた同級生らが一等怯えている様子から、机の上を走って寄って来たんだろうことが伺えた。
 決してじぶんの行動が遅かったわけではなく、ただただ、雲雀恭弥がおかしい程に速かったのだ。

「……今日はもう、早退するので。離していただけますか、風紀委員長さん」
「へぇ、僕のこと知ってるの」
「知らない方がおかしいでしょう」

 いや今大事なのはそこじゃない。
 一刻も早く腕を離していただきたい。そしてわたしは帰るのだ。何をもってじぶんなんかに興味を持ったか知らないが、その興味が薄れるまで登校するつもりはない。一週間でも一ヶ月でも休む覚悟だ。いま決めた。
 しかしそれをしようにも、先ずは雲雀恭弥の意識を別の何かに向けなければいけない。
 こんな時こそ、ボクシング馬鹿の笹川了平の出番ではないだろうか。こんな近くにいて、絶好の勧誘機会では?ここでひとつ、ボクシング部に入れ、いやだ、と二人が騒ぎ始めてくれれば、わたしはその隙に姿をくらませられる。
 さぁ好きなだけ騒いでくれ!と期待の眼差しで前の席を見て、……落胆して肩を落とした。

「(どうしてこんな時に限って寝てるんだ……??)」

 身勝手なことだが、あまりのことに怒りすら湧いてくる。
 どうしてこんなことに、と考えて考えて。ぐるぐると思考が回った後、ぷちりと何かが切れた気がした。

 気が付くと、雲雀恭弥を投げ飛ばしていた。

 どうしてこんなことに……。
 すぐさま頭が冷え、血の気が引く。今のわたしの顔はきっと真っ青だろう。急いで保健室のベッドに運び込んで欲しい。
 雲雀恭弥はと言えば、くるりと身軽な様子で誰かの机の上に着地していた。無事じゃないのは机の上でぐちゃぐちゃになったノートと教科書。被害に遭った一般生徒は涙目になっているが、恐くて一言も非難することが出来ないようだ。原因の一端はわたしにもある、本当に申し訳ない。
 可哀想な被害者から雲雀恭弥へ視線を移せば、驚きに目を瞠った彼と目が合う。反射的に目をそらし教室を見渡せば、マジかよと信じられないものに対するざわめきが所々で起きていた。自分でも自分が信じられない。日頃の習慣はとんでもない時に出てくるものだ。出来る限り穏便に消えたかったのに……。
 自身を殴りたい気持ちを表に出さず、そろそろと視線を雲雀恭弥に戻す。見間違いであって欲しかったが、とても愉快そうに微笑んでいた。

「君、面白いね」

 何一つとして面白くないッ。おもしれ―奴認定なんてされたくもないッ!
 雲雀恭弥は厄介な人間だ。群れていれば弱者だろうが強者だろうが暴力をふるうし、群れていなくとも強者には興味が惹かれたからと暴力をふるう。そして今、弱者か強者かも分からないだろうわたしに対しても、少し反抗しただけで興味を持ってしまった。群れない弱者でなければ無関係を築けないのに、これではもうほぼ無理な話だ。
 ああ、もう、面倒くさい。群れるのは嫌いと言う割に、自発的に他人と関わっているんじゃあないか?面倒くさく難しい人間だなぁ雲雀恭弥は。

 思考は回るが身動きは出来ず。ジッと警戒していれば、雲雀恭弥は表情を消して口を開く。

「まぁいいよ。それより、君に聞きたいことがあるんだ。廊下に出なよ」
「……今は授業中ですが」
「僕の用事より優先されることなんて無いよ」

 暴君だなぁ。
 まぁそんな感じで返されるだろうなと予想していたので、溜め息を吐き廊下に向かう。移動の最中に注目を浴びるが、教室のドアを閉めて無理矢理遮った。教室の廊下側が窓じゃなくて良かったと初めて思う。

……「それじゃあテストを返すぞー」
……「えぇー」

 ドアの向こう。心無し控えた声量で、授業が再開されている。
 目の前で大人しい生徒が怖い生徒に連行されたというのに、始めから終わりまで関わろうとしないとは教師としていかがなものか。本気で学歴詐称をバラしてやりたい。
 苛つきを抑え、改めて雲雀恭弥と対面する。腕を組んで立つ姿はとても偉そう、ではなくて威風堂々といった感じか。

「……それで、ご用件は」
「君に聞きたいことがあってね」
「はぁ」

 わざわざここまでしておいて、用件は聞きたいことがあるだけとは。気の抜けた返事をしてしまっても仕方がない。
 雲雀恭弥はわたしの顔をジロジロと見ている。探るような、何かと照らし合わせているような、そんな視線だ。居心地がいいとは言えないその行動に、思わず眉間に皺が寄る。そもそも見られることがあまり好きではない。逆に誰かの顔を見るのもあまり好きではないので、人の顔を覚えるのが苦手だったりする。
 思考が逸れた。
 ただ見られているのも落ち着かないので、視線は合わないようにこちらからも観察し返してやろう。……身長はあちらの方が高いようだが、高校生のじぶんであれば彼より少し高いくらいだった。見た目よりも筋力がありそうなので、力押しで勝つのは難しそうだ。瞬発力ならいい勝負だろうか。脚力ならじぶんの方が勝っていると思う。持久力は、どうだろう。疲弊している雲雀恭弥が思い浮かべられない。

「君には兄か、もしくは姉はいる?」
「……兄か姉?いえ、どちらもいません」
「ふぅん」

 予想していなかった質問に一拍返答が遅れたが、正直な返答に対する一切信じていないような「ふぅん」に比べたら全然マシじゃないだろうか。
 尚もジロジロと見てくるが、いい加減授業に戻りたい。今更中一の授業など習う必要などないけれど、この現状から離れられるなら喜んで授業を受ける。
 テストも返し終わっただろうかとすぐ横のドアを見て、その行動に後悔した。ドアの小さなガラス部分には陰険眼鏡教師がへばり付いていたし、わずかに開いたドアの隙間にも同じようにこちらをのぞき見る同級生たちがいた。
 端的に言って怖い。これはドン引いてしまうのも仕方がない。

「……授業は?」
「「「まぁまぁまぁまぁ」」」

 まぁまぁ、じゃないんだよな。それで納得するわけがない。
 興味がないのか無言で思案している雲雀恭弥をそのままに、窺い見ていた数人と小声でやり取りをする。「心配だったからさ」と言うが、その目は興味津々と輝いていたので嘘だろう。

「……、少し前の話だけど」
「あ、はい」

 ようやく考えがまとまったらしい雲雀恭弥へと姿勢を正す。
 おかしいな。少し目を離しただけなのに、雲雀恭弥の両手にトンファーが握られている。武器を構えられるような言動をした覚えはないのだけれど。少しの間でも気を逸らしたのが行けなかったのかな……?
 これは絶対面倒くさいことになるなぁ、と浮かぶ間にも、一閃。

「(うわ、危な)」

 上体を後方に反らすと、わたしの頭があった位置をトンファーが通り過ぎた。空振りしたそれは勢いそのままに窓にぶつかり、盛大にガラス片をぶち撒ける。
 あれがじぶんの頭に向けられていたのかと思うとゾッとする。手加減なしの一振りだ。頭蓋骨陥没骨折とか冗談じゃないんだが?手加減を知らないのかこの風紀委員長は。
 次はどこから来るのかと神経を尖らせるも、彼は先ほどの言葉の続きを口にする。

「そう、少し前の話だけど、変な人に会ったんだ。君と似た顔で、今の君と同じ動きをしていたよ」
「?、すごい偶然ですね?」
「……はぐらかさないでくれる?」
「別にはぐらかしているわけではないんですが」

 睨みつけてくる雲雀恭弥に飄々とやり取りを続けるも、わたしの心は荒れに荒れている。
 いや、だって、まさかね?あの夢の出来事が頭を過るが、けれどあれは所詮夢であって現実ではないので。まぁそんなことを言ったら、現状も夢のようなものだが。しかしそれを言い始めたらキリがない。
 だけれど、雲雀恭弥が言っている“少し前に会ったわたしと似た顔の同じ動きをする人物”はその時のことを言っているんじゃないだろうか。断じて“変な人”ではないが。

「ふーん……。君、何か知ってるね?」

 疑問符が疑問符の役割をしていない。わたしが何か知っていることを前提としている問い掛けだ。

「何を言っても信じてもらえなさそう」
「それを判断するのは僕だよ」
「……わたしは何も知りません」
「くだらない嘘に付き合う暇は無いんだ」
「じぶんも暇ではないのだけれど」

 確かに心当たりはあるけれど、だからと言って「それはわたしです」と言ったところで素気無くきり捨てられるオチが見える。なんなら、物理的に殴り捨てられるだろう。
 面倒だし逃げるが勝ちかな、と逃走経路を確認するため意識を背後に向けた。その思考を咎めるように、雲雀恭弥が殴り掛かってくる。素手で武器の対処をするのは疲れるから嫌だけれど、そんなことも言っていられない。ひび割れた壁と同じ目には遭いたくないので、死ぬ気で避ける。
 右に、左に、屈んで、往なして。往なすのが一番嫌だな、痛くて。
 こちらが防戦を選んでいるというのに、雲雀恭弥は段々と楽しそうに口元を歪めていく。性格の悪い彼は、わざわざ往なすしかない打撃を増やしているようだ。

「そろそろ口を割ったら?」
「生憎、割る口も無いもの、でっ」

 避け切れず肩に当たる。

「逃げ回られるのにも飽きてきたよ」
「あ゛―、折れてたら治療費請求していいですか?」
「負け惜しみかな」

 痛みに怯む隙も与えてもらえず、続けざまにもう一撃きたのは間一髪で避けた。……ああ、もう我慢の限界だ。
攻勢に出ないわたしに油断している雲雀恭弥との間を詰めて、顎に向けて右掌底を打つ。まぁ軽々と避けられてしまうが。打ち出した手を右半身ごと後ろへ引き、左足で下段払い、と見せかけて武器を持つ右手を蹴り上げる。
 衝撃で手を離してしまったトンファーが、ガシャンと重い音を立てて床に落ちた。

 ……思った以上に綺麗に決まって驚いている。
 てっきり、何度か繰り返して漸く、となると思っていたのに一度目のフェイントで終わるとは思ってもいなかった。
 上がっていた脚をそろそろと元の位置に戻す。無言のままの雲雀恭弥の顔が見られず、落ちたトンファーを拾うも返すことが出来ない。

 今までも売られた喧嘩は買い、鍛えてくれた先生の顔に泥は塗れないのでそれなりの結果は残してきた。負けなし、は言い過ぎだけれど勝ち数は圧倒的に多い。
 でもあの雲雀恭弥に一発当てるなんて……。
 まさかとは思うが、二次創作で度々見かける最強設定がじぶんに付与された、なんてことはないだろうな?いや流石にないか。きっと雲雀恭弥が珍しくとても疲れていたに違いない。どうかそうであってくれ。

「え。ちょっと、え、受け入れ切れてないんだけど」
「安心しろよ、きっと全員同じだから」
「え、あのヒバリさんに一発入れたのってマジ?夢?」
「マジだろ。現実だよ」
「は?もしかして転校生って、……強い?」

 現状を受け止め切れないのはわたしだけでなく、成り行きを見守っていた同級生たちもそうらしい。徐々に話し声が増えていき、最後の一言でしんと静まる。
 やめてくれと心中願ったところで聞いてもらえるわけも無く、途端にワッと騒ぎ始めた。

「……やらかした」

 顔を伏せたまま、後悔混じりに言い捨てる。
 そんなにあのヒバリさんに一発入れたことが凄い事だろうか。十分凄い事だな。わたしもあちら側なら惜しまず拍手を送っていたに違いない。
 しかしそれはそれ。ますます雲雀恭弥の顔が見られないので、出来れば今すぐ全員黙ってほしい。やられっぱなしが癪に障っただけなのにと、思わずトンファーを握る手に力が入る。強く握り過ぎたようで、ミシリと嫌な音がした。待ってそんなに握力は強くなかったはず。

「おれ、鵲さん生徒会長に推そっかな……」

 ぽつりと聞こえた言葉に、トンファーに向けていた視線を教室のドアに溜まる同級生たちへと向ける。

「あ、そっか。鵲さんなら適任じゃない?」
「前の生徒会長は弱過ぎて、ヒバリさんの圧に負けて辞めちゃったもんな」
「その点、鵲さんなら問題なしってこと?」
「まぁケンカ強いみたいだし、滅多なことじゃ動じなさそうだし?おれも一票入れとこっかな」
「じゃ、あたしも一票!」
「え、でも鵲さん転校して来たばっかりだし、それに私たちと同じ一年生だよ?」
「いけるいける。おれ先輩達に話付けとくわ」
「私も部活の先輩にオススメしとこー」

 当人を置いてとんとん拍子に進んでいく会話に、口を挟む隙がない。
 生徒会長に推す?あの全校生徒の誰一人としてやりたくないというあの生徒会長に、推すと言ってる??前向きなのは笹川了平くらいのようだけど???
 ほぼ全員が賛同する中、止めようとしてくれたのは学級委員長だけだった。それ以外はいそいそと投票用紙にわたしの名前を記入している。あの紙全部燃えてくれないかなぁ。
 そこに追い討ちをかけられる。

「鵲なら私たち教師陣も安心だな」

 中学生の若い声の中に、すっかり存在を忘れていた教師の声が混ざる。その手には、一枚のテスト用紙がひらひらと遊ばれていた。氏名の欄に記入されているのはじぶんの名前で、いくつもの赤い丸に相応しく右上の点数欄に書かれているのはいちいちまる。
 まぁ、要は満点と採点されたわたしのテスト用紙が晒されているわけだが。

「すっげ、満点じゃん」
「あのテストくそ難しかったのに!?ってか、そもそも習う前だったんですけど!??」
「あの先生さっさとクビになんないかな」

 安心してください。来年の今頃には学歴詐称により懲戒解雇されているはずである。
 なんなら、今すぐにでも暴露して辞めさせてもいい。こんな生徒の個人情報の一つすら守れない五流以下教師なんて。

「鵲スイ」
「……はい」

 ずっと黙っていた雲雀恭弥が、騒ぎ立てる周囲を完全に無視してじぶんの名前を呼んだ。
 返事をしつつ彼の方へ向き直れば、こちらへと一歩踏み出してくる。第二戦目か、と習慣的に構えるも、されたことと言えば空いた左手を差し出すことのみ。少し考えて、拾っていた彼のトンファーをその左手に握らせる。

「ねぇ、歪んでるんだけど」
「落とした時に歪んだのでは?」
「……いい度胸してるね」

 お褒めに預かり光栄です。
 納得していない様子を見せたものの、わたしがそれ以上口を開かないと分かれば溜め息を一つ。クルクルと両手のトンファーを回し、流れるような動作で腰元へしまい込み踵を返す。
 やっと帰ってくれそうだと、體から力を抜いたところで雲雀恭弥が「ああ、そうだ」と何か思い出したかのように口を開いた。

「君にはまだ聞きたいこともあるから、明日、楽しみにしてなよ。──またね、スイ」

 ……、…………???
 一瞬脳が停止している間に、雲雀恭弥は靴音を鳴らし学ランを翻しながら颯爽とその場を去って行った。いや、ちょっと待って、今、いや聞き間違いの可能性が大きいな。きっとそう、疲れたし。
 そう、たいへん疲れた。ので、

「……帰ろう」

 とりあえず一刻も早く家に帰ろう。そして布団に飛び込んで全部忘れてしまおう。雲雀恭弥に目をつけられたらしいことも、あの夢が過去に実際にあったらしいことも、お約束とばかりに身体能力が上がっていることも、諸々全部ぜんぶ。
 無遠慮に教室のドアを開け、群がっていた同級生たちの間を荒い歩みで進み、机の横の鞄を引っ掴んで、ついでにこの騒ぎの中ずっと寝ていた笹川了平の頭を小突いてから問答無用で早退した。
 学歴詐称の五流教師が何か喚いていたが知ったことじゃない。わたしは体調不良なので帰ります。

_ _ _
 翌日。
 門を通り過ぎたあたりから、主に朝練をおこなっている生徒からの視線がとても痛かった。ジロジロ見てくる上に、ヒソヒソと何か囁き合っているのだから気分のいいものじゃない。
 原因として思い至るのは、昨日の雲雀恭弥との一連のやり取り。まさか昨日の今日で噂になったのか?そういえば誰かが先輩や部活関係者に話すとかなんとか言ってたものな。
 吐き気がする。このままUターンして帰りたい。

 鬱々としながら生徒玄関に入り、視界に入ったものを理解して動きが止まる。生徒用玄関の真正面に“生徒会就任:生徒会長 鵲スイ”と達筆で大きく書かれた紙が貼られていた。
 感情のままについ近くにあった靴箱の壁を殴ってしまったが、その場で暴れ出さなかっただけ褒めてほしい。大人しく立っているだけわたしは偉い。
 周りが気を遣って距離を置く中、ちょうど登校したらしい笹川了平だけが背中を叩き「スゴいではないか!」と話し掛けてきた。

 ……この状況でそう言える君の方が凄いよ。


***00-02
20240831



4/13
- / / -
- Main / Top -
ALICE+