04
朝。一番に目が覚めたのは私だった。
原因としては夢見の悪さと、昔から大伯父によって身に付けさせられた早起きの習慣のせいだと思う。
早朝に起きて、私有地の一部を一周するのが毎日の課題の一つだった。その一部には山も含まれるので、朝から中々の運動になる。おかげで体力があり、どれだけ歩いてもあまり疲れないのは利点だ。しかし迷子になっても歩き続けてしまうのは欠点かもしれない。疲れたから立ち止まるという選択肢がないから……。
魔法は筋肉から!!……は魔法学校違いだけど、あながち間違いじゃない。魔法族は身体面で弱い傾向にある、とは大伯父の見解だ。確かに、喧嘩になったら物理で殴るより魔法をぶつける人ばかりだものな。あとは近親婚の多さにより遺伝子的に、というのも。
習慣として起きたのはいいけれど、さすがによく知りもしない構内を走るわけにもいかないだろう。そもそも校舎内に出るための石段まで辿り着ける自信が無い。
ドラコか、クラップかゴイルに付いて来てもらわなければいけないが……。
ちらりと向けた視線の先の、枕脇に置いた置き時計を見る。今の時間に談話室に行ったところで、ドラコたちはいないだろう。いるのは早朝勉強派でもって、自室ではない場所で勉強した方が集中できる人たちくらいだ。
「(大人しく予習でもしようかな)」
ただの読書ともいうが。
二度寝もできそうになかったので、そのままソッとベッドから起き上がった。
ぴったりとカーテンが閉じられた三つ分のベッドを何とはなしに見回して、彼ら彼女らを起こさないように静かに動く。まずは目覚ましに歯磨きと洗顔。終わったら机に向かい、椅子に座る。先に着替えた方がよかったかも、と頭の隅を過ったが、面倒なのでパジャマのままで。
…………。
もぞり、とイリナのベッドから物音がした。
ふと本から顔を上げて机に移動させた置時計を見る。六時半より少し前を指していて、そろそろみんなが起き始めてもおかしくない時間だった。
「んー……、……おはよう、ヤスハ」
「おはようイリナ」
カーテンの隙間から顔を覗かせて、眠たげに目をこするイリナ。お互い挨拶すると顔が引っ込み、衣擦れの音がし始める。着替え始めたらしい。
私も着替えるべくベッドに戻り、ベッドのカーテンを閉める。
黒いタイツと、白いブラウスと、黒色のボックスプリーツスカート。それから、緑と銀の色味が加えられたネクタイを締めて、同じく色の増えたニットベストを着る。内布が緑色になったローブは部屋から出る時に羽織ればいいだろう。
ベッドから出ると、目の前のベッドのカーテンは開かれた状態で誰もいなかった。ドレッシングルームから水音がするので、そちらで顔でも洗っているのだろう。
鞄の中を検めていると、ドレッシングルームのドアが開いて準備万端のイリナが出てきた。
「あら、おはようヤスハ」
「え。……おはよう、イリナ」
「なぁに、変な顔して?」
「さっきもしたよ、朝の挨拶」
「……起きたばっかりの時って、記憶があやふやなのよねぇ」
分からなくもないけれど。
きっちりと着込まれたイリナの制服の差し色は、レイブンクローの青色と銅色。スリザリンの緑も好きだけれど、レイブンクローの青もいいなと思う。
お互いに服装に不備がないか確認し、それから私がミアを、イリナがイオンを起こしに掛かる。この二人は朝起きるのが苦手なようで、ミアは揺すっても叩いても唸るばかりで目を開けないし、向こうのベッドからはよく響く平手打ちの音が聞こえてきた。
私も見習おう。ぺちんぺちん。
「……おあようごあいあい」
「……おはよう、二人とも」
「「おはよう」」
ちょっとやり過ぎたかもしれない。こころなしか頬がぷっくらとした二人が洗顔に向かう。
着替えまで終わって全員の準備が整うと、ミアはグリフィンドールの寮へ、イリナはレイブンクローの女子寮へ、イオンは同じく男子寮へ、そして私はスリザリンの寮へとドアをくぐった。
当然ながら部屋を出た先の廊下に三人はおらず、改めて不思議なドアの仕掛けに感心した。
談話室への階段を降りると、先にいたドラコと目が合う。
「おはようヤスハ」
「おはようドラコ。早いね」
「君が僕の助言を聞かず、さっさと寮を出て行っては困るからな。少し早めにきて待っていたんだ」
「信用がないなぁ」
片手を腰に手を当て、得意顔で言われた内容に肩を落とす。逆の意味での信頼は篤いか。
そのままドラコに先導されて大広間に向かう。前にはドラコ、後ろにクラッブとゴイル。まるで護送されているかの様子に、周囲から視線を集めた。中には妬まし気なものもあるので、きっとマルフォイ家と懇意になりたい家の子どもだろう。割合的には女の子が多い。モテモテじゃん。
廊下を進む内に徐々に人が増えて行き、大広間に入れば四寮分の子どもたちで賑わっていた。入学式の際と同じく、入って一番右側からグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの席らしい。新入生も昨日とは違い、ローブやネクタイに色が入って溶け込んでいる。
「ヤスハ。スリザリンの席へ、」
「ヤスハ―ッッ!!!」
ドラコに促されてスリザリンの席へ向かおうとすると、横合いから元気なゴールデンレトリバーに突進された。違った、さっき振りのミアだった。
勢いのままに床に倒れ込みそうになるのを、後ろにいたクラッブが支えてくれる。代わりに、ミアとクラッブに潰されて「ぐぇっ」と情けない声が出た。これが朝食後だったら大変なことになっていたに違いない。
体勢を整えてから、クラッブにお礼を言う。その間もミアは私に抱き着いたままである。これは生まれ育ちがスキンシップ多めのアメリカだからではなく、たぶん彼女の元来の性質的にそういうものなのだと思う。だって前の人生でも同性に対してスキンシップ多めだったし。
ちょっと懐かしいが、それはそれとしてそろそろ離してくれないだろうか。……とても苦しい。
「マーティン!ヤスハが嫌がっているだろう!」
ベリッと剥がしてくれたのは、呆気に取られて固まっている状態から復活したドラコだった。この五人の中で身長が一番小さいミアは簡単に離されて、一瞬きょとりとした後、不満気に頬を膨らませてドラコを睨みつける。
睨まれたドラコは怯むことなく、腕を組んで負けじとミアを睨んだ。うーん、二人の間にバチバチと火花が見えそう。
昨日まではここまでではなかったので、やっぱり所属する寮が関係しているのかもしれない。できることなら寮ではなく個人を見てあげて欲しいのだけれど。
「放っておいて席に着こう」
「朝ごはんを食べ損ねちゃうよ」
「うーん……、まぁいいか。分かった行こう」
なんとゴイルとクラッブからドラコ放置の案が出た。少し驚いたけれど、二人からしたら食事とドラコの優先順位の間には越えられない壁が存在するのかも知れない。
向かい側に二人が座り、テーブルの上の食卓を眺める。さて、ホグワーツでの初めての朝食だ。何が出されているだろう?
トースト、クロワッサン、サンドイッチは何がはさんであるか遠目では分からない。焼かれたベーコン、目玉焼き、スクランブルエッグ、たぶんハッシュドポテト、生野菜、生果物、炒められたマッシュルーム、赤っぽい液体で煮られた豆。
「あの豆なに?」
「ベイクドビーンズ。豆をトマトソースで煮込んだやつ」
「ふーん。果物食べよう」
聞いておいて食べないのか、とゴイルが視線で訴えてくるけど見なかったことにする。見慣れないものを食べるのにはちょっと勇気が必要だ。英国生活に慣れたらいつかは食べるだろう。たぶん。
「そんな量で足りるのか?」と訊ねられるが、正直足りるわけがない。私は草食動物じゃないんだぞ。でもこの中で食べ慣れてそうなのは果物くらいだ。それ以外は見慣れていても調理方法が違いそう。そして胃が負けそう。自分で作れればそんなことを考える必要もないんだけれど。……もしかして在学中、自炊を始める可能性ある?
調理器具の持ち込みと食品の仕送りに関して考えていると、両隣の席に誰かが座った。いまだに睨み合ったままのドラコとミアだ。ミアさん、ここスリザリンの席なんですよ……。
「どうしてグリフィンドールのやつがスリザリンの席に──、」
「近くにいるのはマルフォイ家の──、」
「あの席にいるのは──、」
ひそひそと周囲がざわつき出す。当の本人は気にしていないのか、皿の上に山盛りのベーコンと申し訳程度の野菜と果物を盛って食べ始めていた。図太い精神をしている。
「どうしたんだいヤスハ。あ、もしかしてベーコン食べたかった?あげるよ、それだけじゃ足りないだろ!」
「いや、朝からはちょっと……」
「ヤスハはマーティンみたいに粗雑な舌や胃じゃあないんだ。僕に任せてくれればバランスよく食事を盛ろう」
「誰が粗雑な舌と胃だって?」
「君以外に誰がいるんだ?自分の目の前の皿を見てみるといい」
どうして私を挟んで言い合いを始めるのか。
両隣の刺々しいやり取りに、私の精神が徐々に削られている。助けを求めるべく目の前のクラッブとゴイルを見るも、二人は食事から視線を外さない。わざとなのか素なのか。どちらによるかで今後の二人に対する対応を変えざるをえない。
もうさっさと食べ終えて席を離れよう。食事のスピードを上げれば、元々少なかった朝食の皿は早々に空になった。
「ごちそうさま」
「「ヤスハ!」」
名前を呼ばれて引き止められたけど、知ったことかと席を離れて、大広間から出て行こうと扉付近へ向かう。このまま寮へ帰ってしまおうか。たぶん帰れないこともないはずだ。
確か大広間から出て右だったような、と視線をうろつかせていたからだろうか。丁度、通路の反対側から入ってきた誰かとぶつかってしまう。
「あ、すみません」
「ううん。こちらこそ、ごめんね」
軽い謝罪のやり取りの後、ふと相手の顔を見た。くしゃくしゃの黒い髪に、明るい緑色の目に丸い眼鏡をかけた小柄な男の子。着ている制服はグリフィンドールカラー。うわぁ、二度目ましてのハリー・ポッターだ。
彼の隣に立つのは同じくグリフィンドールカラーの制服で、赤毛で青目ののっぽな男の子。なるほど、彼がロン・ウィーズリー。こちらは私と目が合った途端、というか私の着ている制服の色を見た途端に顔を顰めた。
「よせよハリー。スリザリンなんて関わらない方がいい」
「でもぶつかったのは僕の方だよ?」
「大丈夫、私も余所見をしていたから。じゃあ、よい一日を」
「!、ありがとう。君もよい一日を」
気の抜けたように笑うハリー・ポッターに小さく手を振れば、やはり彼も手を振り返してくれる。横にいたロン・ウィーズリーにすぐさま下げさせられていたけれど。昨日の私も似たことされたな。
大広間に入っていく二人の後ろ姿をしばらく見ていると、有名人の登場に周囲がざわめく。もちろん有名人はハリー・ポッターだ。どこにいても注目の的のようで、本人は落ち着かないだろうなと不憫に思う。
それでも自分には関係ないことだと見切りをつけて、早足で大広間から離れる。通路を少し進んで、角を曲がったところで壁に背を当てて待った。
「……ヤスハ?」
通路側からひょこりと顔を覗かせたのはドラコだった。ミアも来るかなと思ったけれど、その疑問を察したドラコが「大広間で待たせてる」と教えてくれる。そう、別行動になるんだ。
「ドラコ、グリフィンドールに組分けられてもミアはミアだよ。昨日までは仲良くしてたじゃない」
「仲良くしてない」
「素直じゃないな。それでも昨日は今日ほど刺々しく対応してなかったでしょう?やっぱり所属している寮ってそんなに大事?」
「大事さ。グリフィンドールの連中なんて関わらない方がいい」
「さっきぶつかったグリフィンドールの子の友達も同じようなこと言ってたなぁ」
嫌な情報だったようで、ドラコは渋い顔をした。
「グリフィンドールの子には関わって欲しくないなら、レイブンクローやハッフルパフならいいんだ?」
「……まぁ」
「一番いいのはスリザリンってこと?」
「…………そういうわけでもないから困っている」
「え!?」
眉間に皺を寄せて腕を組むドラコに、驚き過ぎて声が出た。え、だってスリザリンだよ?私も君も所属してるスリザリンが駄目なら、一体どうしろって言うの??
「ヤスハは」
「うん?」
考えながら話しているようで、私の名前を呼んだところで言葉が途切れた。気は長い方なので大人しく続きを待つ。
「ヤスハは、自身の家のことについて知っているのか?」
「……私の家って何か知らないといけないことあった?え、全体的に?伯父単体じゃなくて?」
「うーん……」
思いもよらない内容に、今度は私が考え込む。特殊なのってあの大伯父だけじゃないの。
私の答えはある程度予想していたのか、ドラコはやっぱりそうかと呟いてから言葉を探していた。大伯父もマルフォイ氏も教えていない事柄を、ドラコが教えていいものか悩んでいるようだ。
「まず」
「はい」
「ヤスハの家は、日本で長く続く魔法族の家系なんだが」
「へぇ」
「他人事だな。まぁまず、その時点で魔法界では重宝される血筋であるわけだ」
ふぅん。気の無い返事がまた漏れる。
まぁ、純血主義のマルフォイ家からマイナス感情を向けられていない時点でそうかなとは思っていたので。曾祖父の遺品にもたまに不思議な物が含まれていたけど、あれは魔法関連の道具だったのかもしれない。それより昔のご先祖様はよく分からないな。
ぼんやり考えたのがいけなかったのか、ドラコに溜め息を吐かれる。ちょっと傷付いた。
「君が自身の価値をしっかり理解してくれないと、スリザリンでの立ち位置が危ういんだ」
「ハブられる、じゃなくてえぇと、排除されるってこと?」
「……逆に担ぎ上げられるか、結婚相手として強硬に迫られるか、攫われるか……」
「わけがわからないよ???」
何がどうしてそうなる???
目を白黒させる私に、「可能性はゼロじゃないんだ」と頭が痛そうにドラコは言う。だからと言ってもっと詳しくとお願いしても「僕からはこれ以上教えられない」と拒否されてしまって、私の頭の中の疑問符を減らすことができなかった。
えー。うーん。担ぎ上げるの意味はやっぱりよく分からないけれど、貞操の危機があるのは理解した。イギリス内の純血同士で結婚を繰り返して血が濃くなり過ぎたから国外の純血で薄めてみよう、みたいな感じかな。そんな簡単な話ではないだろうと思うけど。
「それでグリフィンドールは何が駄目で関わらない方がいいの?」
「君の価値を知ったダンブルドアが、子飼いのグリフィンドール生を使って君に何もしないとも限らないだろう!??」
「グリフィンドールと言うかダンブルドアの信用度の問題か」
大伯父もダンブルドアには苦い思い(分厚いオブラートに包んだ表現)をさせられたって言っていたものなぁ。スリザリンに対して逆贔屓しているのは嘘じゃないんだな。
「その点で考えるなら、ミアは大丈夫じゃない?ダンブルドアの言葉より私の言葉を選ぶよ」
「どこからその自信が湧いてくるんだ……」
「それはまぁ、お友達なので?」
「…………」
得意げな表情で返したら、ドラコはむっすりと不満そうな顔で私を睨んだ。何か気に喰わないこと言ったかな?
「それなら、家のことについては教えないでくれ。マーティンだけじゃなく、誰に対しても」
「んー……、善処します。私自身がよく分かっていないから、完璧にとはどうしても難しいよ」
「……そうだな。ただ、気を付けてくれるだけでも構わない」
真剣な顔で詰め寄られるも、嘘でも分かったとは言えなくてあいまいな返答になってしまったが、理由もあるのでドラコの方が譲歩してくれた。
「あれ?それならあまりドラコとも関わらない方が良いのでは?あのマルフォイ家と懇意と言うだけでも狙いどころにされそう」
ふと思い至ったことを呟けば、ドラコは苦い顔をした。突かれたくない話だったらしい。
いやでも大事なことだと思うし……。
「……僕もヤスハの友達なのだから大丈夫だろう」
「!、んふふ。それもそうだね」
さっきのマーティンに対する台詞に対抗したんだろうか?彼女とドラコでは諸々の事情が違うけれど、目の前で血色の良くなっているドラコの顔を見てはそう指摘もできない。なにより、私もドラコと友人関係を続けていきたいし。
「ヤスハ、マルフォイ。そろそろ一度寮に戻らないと授業に間に合わないぞ!」
「分かった」
「教えてくれてありがとう、ミア」
数分前のドラコのように、ミアが通路側からひょこりと顔を覗かせて声を掛けてきた。時間が経ち過ぎて大広間で待てがし切れなかったらしい。
その後ろにはクラップとゴイルもいる。待たせてしまって申し訳ない。
三人の所へ向かい、ミアの前に立つとそわそわと落ち着かない様子で足元を見ていた。ちょっぴり尖らされた唇で「ヤスハ……」と不安げに名前を呼ばれて、柄にもなく優しい気持ちになる。
「なぁに?」
「オレはヤスハと一緒にいてもいいよね……?」
「んふふふふ」
上目遣いで私を見、隣にいるドラコをちらりと見遣って、もう一度私に視線を戻す。ミアもミアで、周囲からの視線だとか雰囲気だとかこそこそとした話し声だとかをちゃんと気にしていたらしい。頭の上にしょげた三角耳が見えた。かわいそかわいい。
横に立つドラコを見る。諦めたような覚悟を決めたような顔で溜め息を吐き、こくりと一つ頷いた。これでドラコも公認だ。ミアもそれを察したようで、一気に表情が明るくなった。
「私もミアと仲良くしていたいからね。ドラコも一緒にいたいって」
「だっ!?ぼ、僕はそんなこと言っていない!」
「オレも!寮が違くてもヤスハとマルフォイとクラッブとゴイルと仲良くしていたい!!」
寮が違くても。その言葉の原因であるドラコの様子を見る。まぁ、組分けされる前までは普通に会話できていたのだから、急につんけんされたらそのたねは寮が異なることだとミアでも気付くだろう。
水の膜が張ったヘーゼルアイがドラコに向けられた。これに対する返答はドラコがすべきだろうと私を黙って様子見する。
私からの手助けがないと分かりドラコは少々慌てたものの、すぐに諦めてミアの目を見つめ返す。
「はぁ……。僕も、寮が違くともマーティンと友人でありたい」
「オレもー!!!」
「よせ!抱き着こうとするな!淑女としての慎みをもて!!」
「仲良いなぁ〜」
「うん!!!」
「頷く前に離れろ!」
あ。仲が良いこと、もう否定しないんだ。
わちゃわちゃとじゃれ合う小さな子ども二人ににこにこしてしまう。仲良きことは素晴らしきかな。いつまでも見ていたい。
「……そろそろ本気で遅刻するんじゃないか?」
冷静なゴイルの一言の後、予鈴の音と同時に一斉に走り出した。
_ _
周囲から向けられる視線が煩わしいな、と思う。
ドラコから忠告を受けていなければ、アジア人が珍しいんだろうかと考える程度だったろうが、しかしそれだけではないと知っているので殊更居心地が悪い。特に結婚相手として値踏みされているというのが一番嫌だ。こちとら一般家庭出身だぞ。
近くにクラップやゴイルがいる時は二人を壁にしてしのぎ、いない時は極力知らん顔をして慣れない学校生活を送っている。
いくらかの勉学の知識は大伯父によって叩き込まれているが、ここは学校自体が不可思議に溢れていて頭がこんがらがりそうだ。階段はたくさんあるし、動くし、部屋も扉も多くて場所を覚えるのも一苦労なのに、目印になりそうな肖像画は度々中の人が変わる。大人しく自分の額縁の中にいてほしい。勉学よりも大変なのは学内の地図を覚えることじゃないだろうか。大伯父、学内の案内図を作っていたりしないかな……。
その点、管理人アーガス・フィルチ先生の飼い猫であるミセス・ノリスは優秀だ。灰色の毛をした、爛々と輝く金目の猫。私が一人で迷っているとどこからともなく現れて、目的地まで案内してくれる。なんて賢く優しい猫だろう。助けてもらった後のお礼のおやつを渡すのを忘れてはいけない。もちろんフィルチ先生の許可は頂き済である。
授業はそれなりに面白い。得意不得意、好き嫌いがあるのでそれなりだ。
真夜中に望遠鏡で夜空を観察する『天文学』は好きだ。星の動きを学ぶのは今一つだが、名前を覚えるのは楽しい。どこかで聞いた覚えがあるものもいくつかあった。
「ドラコって『りゅう座』からきてるの?」
「ああ。星や星座、神話から名前をもらう子どもは多いんだ。僕の母上は神話からだな」
「ふーん。なんとなく格好良いことは分かる」
浅い感想を言えば、ドラコから呆れたような冷めた視線を送られた。ひどくない?自分でも、ないな、とは思ったけれども。
城の裏にある温室で『薬草学』を学ぶのも嫌いじゃない。ややこしい名前のものが多いけれど、大伯父の手伝いをしていたので植物を育てるのは慣れている。マンドレイクの鳴き声にはちょっとどころでなく興味があるが、気絶するのが分かっているのだから実行に移せない。あの鳴き声を無効化する術があればいいのに。
嫌いではないけれど、退屈過ぎるのは『魔法史』だ。ゴーストが教授をしている唯一の科目、と言う点は面白いが内容は退屈も退屈。元々歴史の授業が得意ではないのもある。
『妖精の呪文学』は楽しいので好きだ。杖を振って呪文を言う、すごく魔法使いしているなと思う。
その点で言えば『変身術』の授業も魔法使いらしい。すぐさま実践、とはいかず、先に理論を教え込むところから始まるのも私の性格に合っていた。説明書は一応読んでから次に進みたい派なので。時と場合によっては感覚で突き進むけれど。
最初の授業で、担当であるマクゴナガル教授は教卓を豚に変え、元に戻してみせた。すごい。しかし生徒たちがさせてもらえたのは、マッチ棒を針に変えることだった。さすがにひよっこですらない魔法使いが、無機物を有機物に変えることはさせてもらえないらしい。それでも十分に難しいらしく、授業が終わるまでにマッチを針に変えられたのは片手に足る人数だった。もちろん私も含まれる。できなければ大伯父が笑顔で膨大な課題を課してくるから死ぬ気でやった。
苦手な授業の中には、『闇の魔術に対する防衛術』がある。これは授業内容がと言うよりも、教室に漂うにんにくの強い匂いが嫌いだった。ドラコも顔を顰めていたので彼もそうなのだと思う。
全体的な学習度合いとして、私はどうやら進んでいる方らしかった。まぁ、数年かけて大伯父から叩き込まれたのに、遅れていたら大目玉どころの話じゃあない。
寮ごとでみると、レイブンクローが最も進んでいて、次にスリザリン。グリフィンドールとハッフルパフはどっこいどっこいだろうか。レイブンクローは性質上、スリザリンは家系上、学ぶ機会はあっただろうし必要性もあったのだろう。あとの二寮はマグル出身者が多いからだと思う。統計を取ったわけではなく所見なので確かではない。
そうして、金曜日になった。
明日の休みをどう過ごそうか、と考えながら朝食をとる。最近では果物の他にサンドイッチを食べるようになって、食事時のドラコからの視線があまり恐くない。
最後のひとかけまで食べ終わった頃、頭上で数百の羽音が鳴り渡った。朝のふくろう郵便の時間だ。
大広間のいたる所を飛び回り荷物や手紙を置いていくふくろうたちを見て、食事をしている場所でこれは不衛生じゃないんだろうか、と毎日のように疑問に思う。それとも魔法的な何かでどうにかしているんだろうか。魔法界って不思議だな。
私への郵便は、入学した翌日に大伯父から手紙が届いて以降はない。他のふくろうに比べて一際大きく、雪のように真白いミネルが飛ぶ姿はとても優雅だったのに。
「いたっ」
ぼんやり思い出に耽っていると、額に何かがぶつかってきた。そのままぽとりとテーブルの上に落ちた物を見れば、紙で折られたふくろうだ。昨日の夜に同室三人に教えた、羽ばたく姿で見た目は格好いいが折る手順が多くてちょっと難しいやつ。ミアはぐちゃぐちゃの紙の固まりを量産するばかりで、覚えられたのはルプの二人だけ。
見当をつけてレイブンクローの席を見れば、やはりイオンとイリナがこちらに小さく手を振っていたので当たりらしい。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
隣のドラコから気遣わし気な視線を受けつつ、折り紙のふくろうを広げる。小学生でもやっていた、隣の席やちょっと離れた席の友達とのお手紙交換の魔法界版だ。
『魔法薬学の感想を聞かせてね。』
たった一文。とても簡素なそれにどういうことかと遠くの二人を見れば、なんだか楽しそうな笑顔を浮かべている。
……なんだかとっても嫌な予感がした。
魔法薬学の授業を受けるために、ドラコたちと一緒に地下牢に来た。
ホグワーツ『城』と城なのだから地下牢があっても全く不思議ではない。のだろうか?けれど通っている学校に地下牢があるってすごく嫌だな。学校が元墓地だった、並みに嫌。
……この地下牢って使用済なんだろうか。教授の誰かに訊ねれば答えてくれそうだけれど、知りたくないので止しておこう。
初の魔法薬学の授業は、スリザリンとグリフィンドールの合同授業だ。別にこの二寮の合同授業は初めてではないけれど、ここに魔法薬学の教授、つまりスリザリンの寮監が加わるとどうなるか……。
「ポッター!アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じた物を加えると何になるか?」
「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」
「ポッター。モンクスフードとウルフスベーンとの違いはなんだね?」
ハリー・ポッターへの集中砲火が始まるんだね。
普通の子どもがこんな対応をされれば泣き出してもおかしくないだろうが、そこはハリー・ポッター、精神が強い。負けじとセブルス・スネイプ教授の目を見返して「ハーマイオニーが分かっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」と言い返している。ああ、スネイプ教授の不機嫌さが増した。
関わらずにいよう、と筆記用具を手に持つ。確か次にスネイプ教授が答えを教えてくれたはずだ。
はずだったのだ。
「クロダテ!」
「……はい?」
「先ほどの三つの質問に対する答えは?」
どうしてそこで私に白羽の矢が立つのか???
状況を受け入れたくなくて一旦思考停止し、横からドラコに脇腹を小突かれて再起動した。脇腹って痛いな。
「えっと、アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じた物を加えると眠り薬になります。
ベゾアール石は、あー、羊、じゃないな山羊の胃から取り出せる石です。
モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物なので、呼び名が違うだけです。確かとりかぶとのことだったと思います」
大伯父とのお勉強会でそんなことを習ったような、と頭を捻りつつ答える。
どうでしょう、とスネイプ教授の顔を窺うと、小さく鼻を鳴らした後に「正解だ」とたいへん不満そうに仰った。正解したのに??私あなたに何かしましたっけ???
「付け加えるのであれば、この眠り薬はあまりに強力なため『生ける屍の水薬』と言われている。ベゾアール石はたいていの薬の解毒剤となるものだ。とりかぶとには他にもアコナイトという別名もある。
……諸君、なぜ今の答えを全部ノートに書き取らんのだ?」
一斉に羽根ペンと羊皮紙を取り出す音がして、私もそれに倣う。その音とかぶせるようにスネイプ教授が口を開いた。
「ポッター、君の無礼な態度で、グリフィンドールは一点減点。
クロダテ、回答に正確性が欠ける。スリザリンに一点のみ与える」
評価が辛いな……。まぁ加点されただけ凄いことらしく、隣のドラコとミアから小声で褒められた。ミアさん、あなたの在籍する寮は減点されてるんですけどいいんですか。
その後は、二人一組になっておできを治す簡単な薬を調合した。
私が組んだのはミアだ。だって他にグリフィンドール生と組めるスリザリン生がいない。ミアがグリフィンドールのグループへ行けば解決する話ではあるが、あっちはあっちで組み終わっていたので仕方がない。余ったドラコは他のスリザリン生と組んでもらった。
干しイラクサを計り、ヘビの牙を砕き、角ナメクジを茹でる。黒いマントを翻しながら見回るスネイプ教授は、ドラコの完璧に茹でられた角ナメクジを褒めていた。わぁ、すごいねぇ。
途端、地下牢いっぱいに強烈な緑色の煙が上がった。シューシュー大きな音をを辿れば、グリフィンドール生の一組の鍋がでろでろに溶け、小さな固まりになっている。こぼれた薬は石の床を伝って広がり、周囲の生徒たちの靴底に焼け焦げた穴をあけていた。たちまちグリフィンドール生たちは椅子の上へと避難する。
……あーあーあー。ありましたありました。確かに序盤でこんなことがありました。十何年前の記憶だし忘れてしまっても仕方がないじゃん。
今の気持ちは忘れていたことを悔やむでもなく、グリフィンドール側の席にいなくて良かった、だ。
「バカ者!」
スネイプの叱責が生徒に飛ぶ。それと同時に杖を振ると、こぼれた薬が取り除かれる。無言呪文だ、さすがだなぁ。
「おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに、山嵐の針を入れたんだな?」
叱られている生徒は鼻あたりまで真っ赤なおできが広がっている。おできを治す薬を失敗するとおできができるのか。これはこれで一つの学びかな。
おできができた生徒を別の生徒が医務室へ連れて行くのを眺めていると、視界の隅で何かが落ちるのが見えた。
視線を向ければ、騒めくグリフィンドール側に意識を向けているミアの手から山嵐の針がぽちゃりと落ちたところだ。落ちた先は調合中の鍋の中。
……もちろん、火から降ろしてなんていない。
「ミアーーッッッ!!??」
「え。……うわッ、ごめんこれは拾えない!」
さっきも見た緑色の強烈な煙と、シューシューと大きな音が自分の担当していた鍋から発せられる。おできは嫌だおできは嫌だ!
「退避退避!」と慌てて声を上げれば、事態に気が付いたスリザリン生が蜘蛛の子を散らすようにミアの鍋から離れていく。私の鍋でもあるが認めたくないのでミアの鍋だ。
小さくなっていく鍋、石の床を広がっていくこぼれた薬。再上映かな?ここまで来たら次に何があるかなんて分かり切ったことである。
「バカ者が!!!」
スネイプ教授の大音量の叱責だ。知ってた。
これまたリバイバル。こぼれ広がった薬はスネイプ教授の杖一振りで消えたが、授業後の私とミアにはお説教が待っていた。私悪くないのにね???
グリフィンドールもスリザリンもどっちも所属する寮生が怒られているので、片方が片方を煽る、馬鹿にする、嘲るなどが無かったことだけが救いだろう。そうとでも思わなければ、私のせいではないのに怒られている現状を受け入れられそうにない。
ミアは後で覚えておけ。
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20241226
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