06




 フラッフィーと出会ってから、一週間ほどが経った。できれば出会いたくなかったけれど。
 いつも通りドラコたちと大広間に向かっていると、ちょうど出て行くところだったらしいハリー・ポッターとロン・ウィーズリーと出くわした。朝から糸騒動の予感に溜め息が出る。

「ポッター、何を持っているんだい?」
「君には関係ないだろ」

 目ざといドラコが、ハリー・ポッターの持つ大きな包みに気が付いて話し掛けるも、ハリー・ポッターの反応は冷たいものだ。毎度毎度ケンカを売られていたらこうもなる。
 空気を読んでしまったゴイルがハリー・ポッターの包みを奪い、ドラコに渡す。包みを破って中身を検める、ことまではしなかったけれど、大きさと形と手触りで中の物がなんなのか見当がついたらしい。苦々しい顔で「箒だ」と言い放ち、ハリー・ポッターに包みを投げ返した。

「今度こそおしまいだな、ポッター。一年生は箒を持っちゃいけないんだ」
「ただの箒なんかじゃないぞ。なんてったって、ニンバス2000だぜ。君、家に何持ってるって言った?コメット260かい?」
「話がすり替わってない?ドラコはブランドの話じゃなく、校則違反の話をしていたはずだけど?」

 得意そうな顔をするロン・ウィーズリーに当然の指摘をしたつもりだったが、二人からびっくりした顔で見られてしまった。いや、だって、そうじゃない??

「クロダテはマルフォイの味方なの?」
「ドラコの味方っていうか、一生徒として、校則違反じゃないかな?と疑問に思うよね。退学するほどじゃないにしても、来年まで没収とか?」

 問い掛けてきたハリー・ポッターにそう答えれば、ひどく衝撃を受けたような顔をされた。ええ……、私おかしなこと言ってなくないです??
 首を傾げる私と、肩を落とすハリー・ポッター。勝ち誇ったような顔をするドラコと、今にも食って掛かりそうなロン・ウィーズリー。クラッブとゴイルはお腹が空き過ぎたらしく、一足先に大広間に入って行った。マイペースぅ。

「君たち、言い争いじゃないだろうね?」

 ドラコの肘の辺りから、キーキー声が聞こえてきた。呪文学を受け持つフリットウィック教授だ。
 ちょうどいい所に現れた。校則で疑問を持つなら教職のひとに確認すればいいのだ。

「フリットウィック教授。ハリー・ポッターの所に箒が送られてきたそうなんですが、一年生は箒を持ってはいけない、という校則はなくなったのでしょうか?」
「いやー、いやー、そうらしいね。
 マグゴナガル先生が特別措置について話してくれたよ。ところでポッター、箒は何型かね?」
「ニンバス2000です」

 フリットウィック教授のにこやかな様子から、教職員の間では周知されたことなのだと理解した。それにしてもドラコの引き攣った顔がひどい。

「特別措置というのはなんでしょうか?」
「マグゴナガル先生が、ポッターの能力は一年生にしては飛び抜けていて選手にしないのはもったいない!ということでね。特別に一年生ながらクィディッチチームへの参加が認められたよ」
「そうなんですね」

 なるほどなるほど、と頷いて、コソコソとドラコに耳打ちする。一瞬驚いて肩が跳ねたようだけど、この程度のことで一々驚かないでほしい。

「特に試験があったようでもないし、教授の許可があれば誰でも可能そう。ドラコも寮監にお願いすればどうにかなるんじゃない?」
「……ほう?」

 ただの思い付きだけれども、特に外れてもいないだろう。聞いたドラコは、悪役らしくニヤリと笑った。似合うな悪役笑い。
 それでドラコは納得したらしく、もうハリー・ポッターもロン・ウィーズリーも用無しとばかりにフリットウィック教授にだけ挨拶をしてその場を離れた。私は元々用がないので、軽く会釈してからその場を離れる。
 ……どうしてハリー・ポッターは置いていかれる子犬みたいな顔で私を見ているんだろうね???

 てっきり、ただちにスネイプ教授の元へ駆け込むかと思われたドラコは、思ったよりも余裕そうだった。まずはマルフォイ氏にお伺いのお手紙を送り、返答次第ではドラコからかマルフォイ氏からスネイプ教授へ話を持っていくそうだ。まぁ、あんな危険な競技を行うのなら、子どもは親の承諾を得るべきだよね。
 しかし結果は分かっているのか、ドラコは上機嫌な様子で談話室の一人用のソファに座っている。私はその向かいの一人用ソファでだらりと座っていたが、ドラコに「はしたない」と注意を受けて姿勢を正した。
 見苦しいとか無作法よりも、はしたないと言われる方が心にくるのはなんでだろう。窘められている感があるからだろうか。英語で言われているのでこちらの受け取り方次第ではあるのだけど。
 クラッブとゴイルは宿題を終えてさっさと部屋に引っ込んでしまった。

「クディッチができてそんなに嬉しいものかな……」
「おかしなことを言うな?君が出した案だろう」
「できそうだな、と思ったから言ってみただけで、是非ともやってほしいな、と思って言ったわけじゃないからなぁ」

 そもそもクディッチの選手になりたい、というのが分からない。部活のレギュラーに選ばれたい、というのに近いのだろうなと思うけれど、マグルの部活動はそんなに危険じゃあない。死亡事故ゼロではなく完全に安全とは言えないので、そんなに、だ。
 それに比べてもクディッチは危険過ぎると思う。なんだっけ、あごの骨が折れてしまった生徒もいたんだっけ。あごの骨が折れるなら頭蓋骨だって折れるでしょ。最悪死ぬ。知らないけど。

「ヤスハはクディッチをしっかりと知らないからそういう反応になるんだ。いいかい、クディッチは──」

 そこから始まるクディッチの歴史、ルール、現在の寮それぞれのチームの特色、プロチームの技術力の凄さを、話半分に流して聞いた。今日もフラッフィーに会いに行かなきゃいけないのでそれどころじゃない。

 毎日たっぷりの宿題と過ごし、毎夜をミアのふれあい動物園に付き合って過ごせば、気が付くとホグワーツに来てからもう二ヵ月も経っていた。
 冬休みまであと一ヵ月、下手したら学年末まで家に帰れない可能性があるが、二ヵ月離れただけですでに家が恋しい。……大伯父は勝手に元気に過ごしていればいいんじゃないかな。なので、思い出したかのようにたまに追加の宿題を送り付けるのをやめてほしい。私はもういっぱいいっぱいです。
 十月三十一日の朝。つまりはハロウィーンの朝、甘い匂いで目が覚めた。残念ながらそこまで甘い物が得意でもないのに。

「……ぉぇ」
「ヤスハ、大丈夫かい?」

 這い出るようにベッドから出れば、珍しく早起きだったミアに心配された。駆け寄ってきて背中まで摩ってくれる。体調不良時の小さな優しさは心に沁みるなぁ……。
 袖を無理くり伸ばして口と鼻を抑え、どうにか呼吸を行う。なにこれ、なんの匂いこれ。

「パンプキンパイの匂いねぇ。今日はハロウィーンですもの」
「はろうぃん……」

 鼻先を上に向け、くんくんと匂いを嗅ぐイリナは楽しそうに顔を綻ばせる。
 ハロウィーンか。通っていた幼稚園がカトリック系で、園内行事として体験したことがある。園児が紙にかぼちゃの絵を描いてお面にし、クラスごとに順番に廊下を練り歩いた。途中途中で待っている先生から、小さな飴やチョコを貰ってはしゃいだものだ。記憶が戻る前の純粋な頃である。
 日本だと、極端なものでは仮装して町中を練り歩いて、翌日にはゴミがいっぱいと騒いでいたイメージ。悲しい。
 確か本来の始まりは秋の収穫祭だったような。あれ、でも諸聖人の日がどうの万聖節がどうの、だったような気もする。よく理解してなくてもイベントとして楽しんでしまうってあるよね……。
 しかし、今はそんな知識の問題よりも匂いが問題だ。まさかホグワーツのハロウィンが、こんなにも匂いの強いものだったとは思いもしなかった。大伯父だって何も教えてくれなかったし。いや、あの人ああ見えて甘いもの大好きだから本人に何の問題もなくて、私がこうなるとは想定していなかっただけだな。

「本当につらそうね?この匂い苦手なの?」
「程度によるけど、これはちょっと強過ぎるかも」
「あらぁ。今後の魔法薬学が不安ねぇ」
「……ここまで甘ったるい匂いの薬あるの?」
「恋の妙薬関係とか?」
「私も教授も縁がなさそうだからいいや……」

 とりあえず寮監の担当科目で苦しむ目には合わずに済みそうだ。

 ホグワーツの建物内は、それはもう甘い匂いが立ち込めていて心休まる場所がない。外に出ればマシだが、外で行う授業なんて飛行訓練くらいなもので、どちらの地獄を選ぶかという話だ。
 お昼頃になると、鼻は馬鹿になったが代わりに頭が痛くなってきた。顔色も悪いらしく、ドラコどころかミアまで付きっきりで世話をしようとしてくる。寮が違うと受ける授業も違うので、合同でない限りは大人しく自身の受ける授業に向かってもらうのに毎度苦労した。
 そうして授業が終わる度に、数ヵ月振りに再会した飼い主と飼い犬のごとく迎えていたのだが、昼食のために向かった大広間に先にいたミアは様子が違った。

「どうしたの、もしかして怒ってる?」
「すごく怒ってるんだぞ!」
「……絵に描いたような怒り方だな……」

 当然のようにスリザリンのテーブルに着くミアは、腕を組んで頬を膨らまし、眉根を寄せ、眉尻をつり上げていた。ドラコの言う通り、絵に描いたような怒り方だ。
 自分たちも席に着きつつ、何があったの、と訊ねようとして、それよりも先にドラコが噴き出すように笑い始めて出鼻をくじかれた。

「急に笑い出してどうしたの」
「す、すまない。ポッターとウィーズリーが愉快な顔になっているものだから、つい」
「愉快な顔??」

 興味が引かれる言葉に、ついついミアからドラコの見ていた方向に顔を向けてしまう。
 グリフィンドールの席。そこに肩をすぼめて座る件の二人の顔には、立派な紅葉もみじができ上がっていた。ハリー・ポッターは左頬に、ロン・ウィーズリーにいたっては両頬だ。まぁ、確かに面白いほどに真っ赤っかではある。
 ふと、ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが顔を上げて目が合った。途端に恥ずかしそうに俯くハリー・ポッターと、敵愾心丸出しで唸っているロン・ウィーズリー。ロン・ウィーズリーの視線の先にはミアがいて、こちらもガルガルと今にも噛み付きそうな勢いだ。どうどう。

「ミアの不機嫌はあの二人が原因?」
「ああ!だってあいつら最低さ!!女の子の陰口なんてするチキンだ!!!」

 どんどんと大きくなるミアの声は、反対側のグリフィンドールの席まで届いたらしい。怒りに顔を赤らめたロン・ウィーズリーが立ち上がり、こちらに向けて大声で吠えてきた。

「何が最低だよ!そっちなんて暴力を振るう乱暴者じゃないか!野蛮人!!」
「言葉の暴力で人が傷付かないとでも思っているのか!?君だってじゅうぶん乱暴者さ!!」
「な……ッ!?」

 返す言葉が浮かばず口籠るロン・ウィーズリー。それでも負けじと次の言葉を吐いて、ミアも負けじと応戦する。
 白熱する舌戦を、ドラコはそれはそれは楽しそうに眺めているんだろうな、と横目に見るも、育ちのいいお坊ちゃまには大声での罵り合いは刺激が強過ぎたらしい。口を半開きにして目が二人の間を行ったり来たりしている。
 どこを見ても面白いな、と観戦する心地でいたのだが、遅れて来たマクゴナガル教授の登場によって中断されてしまった。ああ、ここからがいいところだったのに。
 興奮冷めやらぬ肩で息をするミアの背を撫でつつ、ここでようやく詳細を訊ねることにした。

「それで?何があったの」
「……ウィーズリーが女の子を泣かせたんだ。授業でその子がウィーズリーの間違いを指摘したんだけど、何が気に喰わないのかその後に陰口言ってて。それを女の子が聞いちゃったみたいで……」
「あー……、なるほどね。ハリー・ポッターは?」
「止めなかったんだから同罪だろ?」
「わかるー」

 言っていません、聞いていただけですは通じないよね。
 ミアは「追いかけたけど、追いつく前にまかれちゃったんだ……」とすごく悲しそうだ。これってあれだよね、レビオサー、のやつ。どこかの女子トイレにこもってるんだっけ?詳細までは流石に思い出せないな。

「夕食までには元気になってくれるといいけど」

 うーん、無理なんだよなぁ。

 夕食の時間。大広間にはハロウィーンの飾りが施されていた。
 千匹ほどのこうもりが壁や天井で羽をばたつかせ、もう千匹ほどのこうもりが部屋中を飛び交う。くり抜かれたかぼちゃの中では蝋燭の炎をちらつかせた。本物のジャック・オー・ランタンだ。
 視界は楽しい。体調は最悪だけれど。

「どうした、ヤスハ。席に着かないのか?」
「……ごめん、先に楽しんで。ちょっとお手洗いに行ってくる」
「今日で一番顔色が悪いな。無理せず寮に帰ろうか?」
「いいよ、大丈夫。楽しんで」

 大丈夫じゃなく吐きそうだけど。心配げに眉尻を下げるドラコにそんなことを伝えられるわけもなく、私は足早に大広間を後にした。

 トイレ、トイレ、トイレ。
 今にも吐きそうな口元を覆って、足早に通路を歩きトイレを探す。こんな時にも発揮される迷子に今にもキレ散らかしてしまいそうだ。
 左右に忙しく視線を走らせ、ようやく見つけた女子用トイレに色の悪い顔を輝かせて駆け込む。食事前で何も入っていない胃からは、胃液しか出なかった。そうでしょうね。

「……ねぇ、大丈夫?」
「ああ、ごめん、汚くて。大丈夫。」
「いえ、ぐすっ、いいのよ。気分が悪いなら仕方のないことだわ」
「ありがとう、優しいね。……うぇ」

 どうやら先客がいたらしい。声はすぐ隣の個室からだった。

「うぅ、……きみは大広間に行かないの?すごい飾り付けだったよ」
「……行きたくないわ。ううん、行けないの」
「何か嫌なものがあるの?同じの寮の子どもが苦手とか、教員席が怖いとか、ハロウィーンが好きじゃないとか」
「…………」
「不躾にごめん。知らない人間に言いたいことじゃないよね」

 ちょっと知りたがりが過ぎたらしい。口を閉ざしたお隣さんに謝ればまた数拍の無言の後に「いいえ、ただお友達がいないだけなの」の涙混じりの声が返ってきた。

「私おせっかいが過ぎるみたいなの。正しいと思うとそれを人に押し付けちゃうし、お願いされてもいないのに間違ってたら口を出しちゃう。……悪夢みたいなんですって」

 あー……、どこかで聞いた話!すごいデジャヴ。この子は何マイオニーちゃんなんだ???

「あなたも、そんな子と友達になんてなりたくないでしょう?」
「いや、そんなことないけど……」
「嘘よ、誰だって友達になってくれないわ」

 こうもかぶせ気味に否定されてしまっては、それ以上何を言っても聞く耳を持ってもらえないだろう。いや、でも本当に友達になっても構わないんだけどな……。

「ちょっと正義感が強くて、ちょっと親切心が強いだけでしょ?ただのグリフィンドール生じゃん。
 この年の男の子の、ちょっと悪いことした方がカッコいい、みたいな考えと反対をいってるだけで、なんの問題もないと思うけど」
「…………」
「特に今の年齢がだめなんだよ。異性の差が精神的にも身体的にも大きくなる頃だし」
「……そうなの?」
「たぶん?思春期ってそんなものじゃない?
 あとは相性とか。きみみたいにグイグイ引っ張っていける子は、ちょっと頼りなさげな子はすごく頼りにすると思う」
「ネビルとかかしら?」
「あの子はそんな感じするよね。
 あとはバカ素直な子もいいよ。元気で素直なちょっとおバカな子。女の子だけどミア・マーティンとかおすすめ」
「知ってるわ、あのふわふわしたブロンドの女の子よね。……私のために怒ってくれた子だわ」

 知ってたんだ。誰かに聞いたのか、その場面まではその場にいたのかは知らないけれど、好感触のようで何よりである。ちょいちょい介入してしまっているため、もしも原作通り三人組ができ上がらなかった場合は、是非ともうちのミアと仲良くしてもらいたいものだ。
 思いつきだけど悪くはないんじゃないだろうか。ネビル・ロングボトムとハーマイオニー・グレンジャーとミア・マーティンで三人組作ればいいよ。性格のバランス的にもいい感じ。

「ミアもきみのこと気にしてたから、ここから出たら、よかったら声掛けてみてよ」
「……分かったわ」

 丁度よい落としどころに持ってこれた気がする。隣の子、改めハーマイオニー・グレンジャーの声もちょっと上向きになったようだし。
 満足気に胸を張れたところで、また異臭を感じて吐き気を催した。おえー。

「……ねぇ、何か変な臭いがしない?」
「私が吐いてるからじゃなくて?」
「吐瀉物の匂いじゃなくて──」

 ハーマイオニー・グレンジャーの言葉が中途半端なところで切られる。耳を澄まさずとも聞こえる、大きなものを引きずるような音と、低い唸り声が聞こえたからだ。それに伴って、確かに吐瀉物とは別の異臭も強く漂ってきた。さっきの吐き気の原因はこれか。
 ズリズリと引きずるようでいて、時折ズシンと重たげな音が規則的に聞こえる。これは足音だ。足を引きずるように歩く、大きな何かの足音。

「何かしら……」
「何にしてもいいものではないだろうね」

 足音が女子トイレの前で止まった。
 入ってくるのだろうか。通り過ぎてくれるのだろうか。……入ってくるよね、知ってた。
 大きな何かが入ってきて、その後にドアが閉まる音と鍵のかかる音も聞こえてくる。やられた。
 大きな何かは咆哮を上げ、その巨体に見合った巨大な棍棒でバキバキとトイレの小部屋の壁をぶち壊す。壁が壊れたことで、その大きな何かがトロールであることを知った。四メートルほどの巨体は岩石のようにゴツゴツとしていて、肌は墓石のような鈍い灰色、禿げた頭はココナッツのように小さくちょこんと置かれているようだ。

「キャァァァッ!!」

 ハーマイオニー・グレンジャーの悲鳴が上がる。黙っていろと言う方が無理な話だが、そのせいでトロールの意識が完全にこちらへ向いてしまった。
 トロールが棍棒を振りかぶる。振り下ろすその先はハーマイオニー・グレンジャーのいる個室だ。壊れて役割を果たさない足元まで低くなった壁を飛び越えて、ハーマイオニー・グレンジャーに体当たりをする。間一髪、棍棒は私の鼻先すれすれに振り下ろされた。顔面平ら族の日本人でよかったと感謝する日が来るとはね。

「クロダテ!?」
「ハリー!こっちに引きつけろ!」

 トイレの入り口から、主人公様たちの声が聞こえてきた。そちらを見れば、ハリー・ポッターが壊れて落ちていた蛇口を拾って力いっぱい壁に投げつけたところだ。
 トロールは動きを止め、音がした方へと顔を向ける。のろのろとした動きで壁と、ぶつかって落ちた蛇口を見遣り、投げたハリー・ポッターを捉えた。一瞬迷ったようだったが、今度はハリー・ポッターに向けて棍棒を振り上げ近付いていく。

「やーい、ウスノロ!」

 ロン・ウィーズリーが反対側から叫んで、金属パイプを投げつけた。トロールはパイプが肩に当たっても特に痛くもないようだったが、それでも叫び声は聞こえていたらしく、また立ち止まって今度はロン・ウィーズリーへ顔を向ける。
 その隙をついて、ハリー・ポッターは壁際でしゃがみ込むハーマイオニー・グレンジャーへと駆け寄った。

「早く、走れ。走るんだ!」
「む、無理よ。腰が抜けて立てないの!」

 ハリー・ポッターはハーマイオニー・グレンジャーに向かって叫びながらドアの方へと引っ張って行こうとしたが、ハーマイオニー・グレンジャーは恐怖に引き攣る声で怒鳴るように答えるも動くことはできないようだ。
 私とハリー・ポッターとで左右から支えればどうにかなるかと駆け寄ったその時、また棍棒が振り下ろされて床に穴をあける。「ロン!?」と青い顔でハーマイオニー・グレンジャーが叫ぶも、床に埋もれる棍棒のすぐ横に転んだ状態のロン・ウィーズリーがおり「大丈夫……」と弱々しい返事が返ってきて胸を撫で下ろした。

「いまだ!」

 何が今なのか。何か考えがあるらしいハリー・ポッターが走り出し、棍棒を振り下ろした体勢のまま腰を折って低くなっていたトロールの首へとしがみついた。ぎゅうぎゅうに巻き付いても苦しそうな様子ひとつ見せなかったが、ハリー・ポッターが手に持っていた杖を鼻の穴に刺したことで堪らず苦しそうに咆哮を上げる。棍棒を滅茶苦茶に振り回し、今にもハリー・ポッターを叩き落してしまいそうだ。
 隣のハーマイオニー・グレンジャーの背を支えながら、ハラハラとした心地で様子を見守るがもう我慢がならない。次の行動ってこんなに遅かったっけ!??

「ロン・ウィーズリー!呪文を!」
「呪文ってなんの!?」
「ビューン、ヒョイ、よ!」

 ハーマイオニー・グレンジャーの一言で察したらしく、覚悟を決めた顔で杖を構える。

「ウィンガーディアム レヴィオーサ!」

 トロールの棍棒が手から飛び出し、空中を高く高く上がって、ゆっくり一回転してから落ちた。ポクッといやな音を立てて持ち主の頭の上へと。トロールはふらふらと二三歩ふらついた後、ドスンッと大きな音を立てて俯せに伸びてしまった。倒れた時の衝撃で床からお尻が浮いたのは余談だ。
 ハリー・ポッターはトロールの上から、ぷるぷると震え息も絶え絶えの状態で床に降り立った。ロン・ウィーズリーは杖を振り上げたまま突っ立って、自身のしたことをぼーっと見ている。
 最初に正気に戻ったハーマイオニー・グレンジャーが口を開いた。

「これ……、死んだの?」
「いや、脳震盪で倒れただけだと思う」

 二人がまだぼんやりしているようなので代わりに答えたけど、どうだろう。
 ようやく動き出したハリー・ポッターが屈み込んで、トロールの鼻から自身の杖を引っ張り出した。灰色の糊の塊のような物がべっとりと付いていて、思わず顔を顰めてしまった。ばっちぃ。
 ハリー・ポッターはそれをトロールのズボンで拭き取った。
 人心地付いていると、急にバタンとドアの開く音がして、次いでバタバタと足音が聞こえて四人で顔を上げた。あ、と思った時には遅かった。
 駆け込んできたのはマクゴナガル教授と、そのすぐ後にスネイプ教授、最後にクィレル教授だった。その顔はどれも強張っている。そりゃあ、どったんばったん大きな破壊音と唸り声と咆哮と、最後の締めに転倒の大きな音と大きな揺れがあれば、ねぇ。
 クィレル教授は気絶するトロールを一目見た途端、過呼吸のような状態になり、胸を押さえて座り込んでしまった。
 そんなクィレル教授を後目に、スネイプ教授はトロールを覗き込み、マクゴナガル教授はハリー・ポッターとロン・ウィーズリーを見すえる。こちらを見ていなくても分かるほど、怒気に溢れていた。思わず胸元で十字を切る。

「一体全体あなた方はどういうつもりなんですか」

 一見冷静だが、怒りに満ちた声だ。ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーは互いを見、縮こまりながらマクゴナガル教授に向き直った。

「殺されなかっただけ運がよかった。寮にいるべきあなた方が、どうしてここにいるんですか?」

 純粋な疑問だろう。それに比べて、彼女の奥から射殺さんばかりの視線を向けるスネイプ教授は、頭っからハリー・ポッターの行動を疑っているようだ。目立ちたがりによる、無謀な化け物退治なのだと。
 その時、私の隣から声が上がった。

「マクゴナガル先生、聞いてください。──二人とも私を探しに来ただけなんです」
「ミス・グレンジャー!ミス・クロダテも……?」

 ハーマイオニー・グレンジャーにより、視線がこちらに向けられる。ああ、スネイプ教授と目が合ってしまった。なぜ貴様がここに、と視線だけで問い詰めてくるのはやめてほしい。言葉にして問い詰めるのもやめてほしいが。

「私がトロールを探しに来たんです。私……、私一人でやっつけられると思いました……。あの、本で読んでトロールについてはいろんなことを知っていたので」

 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが手に持っていた杖を床に落とした。二人そろって驚愕の顔をしている。あのハーマイオニー・グレンジャーが教師に対して真っ赤な嘘をついているからだ。

「もし二人が見つけてくれなかったら、私、今ごろ死んでいました。二人とも、誰かを呼びに行く時間がなかったんです。二人が来てくれた時には、私、もう殺される寸前で……」

 マクゴナガル教授がハリー・ポッターとロン・ウィーズリーを見る。二人は、そのとおりです、という顔で何度も頷いた。大嘘つきたちだなぁ。

「まぁ、そういうことでしたら……。
 ミス・グレンジャー、なんと愚かしいことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようだなんて、そんなことをどうして考えたのですか?」

 ハーマイオニー・グレンジャーは反論はせず、ただただ項垂れた。その様子にマクゴナガル教授は一つ溜め息を吐いた。

「ミス・グレンジャー、グリフィンドールから五点減点です。あなたには失望しました。
 怪我がないならグリフィンドール塔に帰った方がよいでしょう。生徒たちが、さっき中断したパーティーの続きを寮でやっています」

 厳しい顔のまま、マクゴナガル教授はハリー・ポッターとロン・ウィーズリーに向き直る。

「先ほども言いましたが、あなた方は運がよかった。でも大人の野生トロールと対決できる一年生はそうざらにはいません。
 一人五点ずつあげましょう。ダンブルドア先生に報告しておきます。帰ってよろしい」

 言葉の意味を理解して、三人は一瞬だけ盛り上がった後、それ以上怒られる前に駆け足で寮へと帰って行った。……私を置いて。いや確かに寮は違うけどさぁ。

「ではミス・クロダテはなぜここに?」

 一件落着したマクゴナガル教授とは違い、今まで視線を向けるばかりで無言だったスネイプ教授が私に問い掛ける。問い詰めないでほしいって言ったのに。視線で。

「具合が悪くて吐いてました。大広間に入る前に、ドラコに一言伝えてあります」
「医務室には行かなかったのかね?」
「……甘い匂いに負けて具合悪くなった、なんて理由で医務室に行けないでしょう……」

 正直に言ったはずなのに、呆れた顔を向けられてしまった。哀れみの表情を浮かべるマクゴナガル教授を見習ってほしい。それはそれで心にくるけれど。

「ミス・クロダテは急ぎ寮に戻るように。スリザリンも同じく中断した夕食の続きを行っているので、自室へ駆け込むことをお勧めするがね」
「ご心配いただきありがとうございますぅー」

 得心がいかないながらも、このままここにいてもいいことはないだろうと教師三人に礼をしてからその場を離れた。
 当たり前に迷子になった。
 ミセス・ノリスに先導されて辿り着いたスリザリンの談話室には、パーティーが終わったというのにドラコとクラッブとゴイルが待っていてくれた。私の夕食分として、少しだけれどサンドイッチを残しておいてくれたらしい。あの、食べるのが大好きなクラッブとゴイルが。
 クラップとゴイルに挟まれ圧をかけられた状態で、ドラコからはお小言を頂きながらだったけれど、美味しい夕食だった。


***
20250127



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