The Phantom of Baker Street



 背後霊じみた彼女が背後を留守にして、そろそろ一ヶ月経つ。今までも時々居なくなることはあったけど、短ければ数分、長くても一週間程度で戻ってきていたから今回で最長記録更新だ。
 もしや遂に成仏したんだろうか。白い梟は見なかったけど千年はこの世に留まるとか豪語してたんだけどな。梟と成仏しないこととの関係性とは……?
 ぼんやりと窓から空を眺めて、雲がゆったり流れていく様子を観察する。すると、青と白の風景にポツリと黒い点が見え、それが段々と大きくなり黒い何かは彼女だと分かった。
 て、え、うわ、速……。

──たっだいまー!寂しかった?ねぇ寂しかった??

 速度の割にほとんど衝撃を感じること無く、窓をすり抜けて俺にただいまのハグをかます彼女。なんだ、成仏してなかったのかよ。

「はいはい、おかえりなさいお姉さん。出来ればもう少し緩やかに帰ってきて欲しかったですけどね。ガラスぶち破ってくるかと思った」
──やだなぁ、私なんて先生のマッハ二十に遠く及ばない程度なのにー。
 お前の先生は人外かな?

 俺の静かな生活は一ヶ月で打ち止めになった。短い平穏である。
 いつになくテンションの高い彼女は、その高いテンションのまま俺を外に連れ出した。ねぇ、俺部屋着のジャージのままなんだけど?十秒で支度しろって?どこぞの婆さんより横暴だなこの浮遊霊。いいよこのままで、ジャージ楽だし。

 連れて来られたのは駅前だった。
 駅前は人通りが多く、軽く人に酔いそうになる。出来れば早く帰りたいのだが、彼女は俺をここに連れて来てどうしたいのか。何の説明もされていないのに大人しく付いて来てしまったことに、この八年で随分と調教、もとい教育されてしまったものだと悲しくなる。

「ちょっと貴方」
「え、俺ですか?」

 なんか知らない女の子に肩を掴まれた上、話しかけられた。黒く長い髪が何となく彼女に似ているけど、こっちの人の方が性格きつそう。年齢の割に美人だけど。

「貴方よね、あの悪霊の飼い主」
「……すみませんが、そういったものに興味はありませんので、」
「宗教の勧誘じゃないわよ!」

 めっちゃ怒られた。そして思い切り頭を叩かれた。痛い。

「黒いセーラー服の少女の幽霊、心当たりがあるでしょう。ああ、良いわよ否定も肯定もしなくて。私は知っているから」
「はぁ」
「素っ気の無い返事ね。まぁいいわ、私はその悪霊に頼まれたものを届けに来ただけだもの。それじゃあ、もう私の儀式の邪魔をしないよう、あの悪霊によぉく言って聞かせておいてちょうだい」
「はぁ」

 早口でまくし立てたかと思えば、長い黒髪を風に遊ばせ颯爽と立ち去る女の子。そんな女の子を、俺の後方左上でずっとぷかぷか浮いていた彼女はにこやかに手を振って見送っていた。
 悪霊だなんて失礼だよねー、と言うけれど、思い出し笑いで顔が面白いことになっているので、間違いなくそう呼ばれるくらいの何かを彼女はしでかしたんだろう。儀式がどうのと言っていたし、何だかオカルトチックな匂いがする。グルグル眼鏡かけて「ミステリぃぃぃ!」とでも叫んどこうか?
 ふぅ、とひとつ息を吐いて、ずっと意識から外していたものと向き合う。曰く、悪霊からのお届けもの、なわけだけど。

「はじめまして、さ……[[rb:和田 咲紘>わだ さきひろ]]と言います。これからお世話になります」
「百合 鴎士です、よろしくお願いします」

 お届けものは生物だった。ナマモノでありセイブツだ。しかもすごく知性が滲み出ている。
 年の頃は俺より少し下くらい。頭の出来は俺よりも大分良さそう。体力面ではどうだろう、我ながら悲しいくらいにもやしっ子だと自覚しているが、目の前の少年もなまっちろい体をしているのでおそらくイーブン。やらかすとしたら頭脳を生かして綿密に計画した上で行うだろう。知能犯とかいうやつ。その際には是非とも俺との無関係が証明できるように取り計らって、その上で盛大にやらかして頂きたい。
 つらつらと考えながら和田君に、ちょっと待ってくださいね、と断りを入れてから携帯電話を耳に当てた。

「お姉さん、お世話になるってどういうことですか」
──行くとこないから匿ってあげて欲しいな☆
「いや、まぁそれくらい良いですけど。もう少し細かい経緯とか、事前に言っておいてくれてもいいと思うんですけどね」
──ありがとー!君なら何も言わなくても受け入れてくれると思ってたよー。
「確かに断るつもりは初めからありませんよ。それでもホウレンソウはして欲しいんですよね、布団足りないじゃないですか」
──じゃあ仲良くショッピングと洒落込もうZE☆
「……テンション高ぇなぁ」

 良い笑顔でサムズアップする彼女に、俺は疲れた顔を返した。詳細を教える気はない、と。へぇ、あぁ、そうですか。別にいいですよ。どうせ俺ですから。
 一旦携帯電話をしまって、改めて和田君を見る。ヒロ君って呼ぼうよ!て、はぁ?なんで?初対面であだ名呼びとかハードルめちゃ高ですよお姉さん。

「えーと、ヒロ君って呼んでいいですか?お姉さんがそう呼べって言うので」
「はい、ボクもそう呼んでもらえると嬉しいです。ボクはお兄さんのこと、なんて呼んだらいいですか?」
「俺のことは好きに呼んでもらって構いませんよ。年もさほど変わらないようですし、お兄さんと呼ばれるほどでもないでしょう」

 呼び名に関してこだわりは無い。彼女からは君って言われるし、後はボウズとかオイとお前とか。ろくに固有名詞使われてないな。流石に学校では名前で呼ばれるけどね、朝の出欠確認の時だけだけど。

「じゃあ、鴎士さんって呼ばせていただきますね!」
「分かりました、それでお願いします。それに、無理に敬語じゃなくても別にいいですよ」
「いえ、そこは鴎士さんも敬語ですし……」
「俺のは癖みたいなものですから。ヒロ君はそんなことないでしょう?」
「……うん。それじゃあお言葉に甘えて、これからよろしく、鴎士さん」

 ヒロ君のはにかみ笑顔ぎゃんかわ!!って視界がうるさいんで転がるの止めて頂けますかお姉さん。

_ _ _
 思えば二年前のその時から、実は彼女にはショタコンのケが有るのでは?と疑い始めていた。最近は確信すらし始めている。
 ちょっとー、現実逃避に私の性癖バラすの止めていただけますぅ!?ってマジでショタコンかよ確固足る事実になった。半径一メートル以内に近付かないでくださーい。は?俺は守備範囲外?俺なら何言っても傷付かないと思うんじゃねーぞお姉さん。喜びしかないが。

「口を開けてると舌を噛んじゃうから、ちゃんと閉じててね鴎士さん!」
「さー、いえっさー」

 ヒロ君の声に、無理矢理現実に引き戻される。いや、現実って言うか仮想現実の世界なんだけども。
 そんな俺は現在、爆走する車の助手席に座らされている。運転はもちろんヒロ君。こいつ、ハンドル持つと性格が変わる奴だったみたいなんだ……。いつもの穏やかで知性溢れる好青年、好少年?はどこに落としてきたんだよ……。

 なにがどうしてこうなったかと言えば、新しいゲーム機“コクーン”の披露パーティーに参加したら、人工頭脳に乗っ取られて死のゲームが開始されちゃったってだけの話。お姉さん曰く、劇場版だってさ。なんてったってこんな世の中、人工頭脳が殺人を企てるとかあるあるー。
 いや、ねーよ。
 はぁ、こんなところ来るんじゃなかった。
 俺への点数稼ぎなのか知らないが、新型ゲームの貴重な体験者バッジを二つも用意して、会いに来るでもなく郵送してきた親は何を考えているんだろう。お蔭であんたらの息子はこうして命懸けのゲームに関わってますけど。バッジ受け取った時に彼女もヒロ君も喜んでたから、まぁ、面と向かっては責めないでおいてやろう。

 そんなこんなで参加した命懸けのゲーム。
 人工頭脳の“ノアズ・アーク”の指示に従い、五つのゲームの中から選んだのはさっきも言った通り、カーレースの“パリ・ダカールラリー”。選択したのはヒロ君で、俺は問答無用で引っ張り込まれただけなんだよな。命懸けなら別のもっと平和的なゲームを、いや、無かったわ選択肢に平和的なゲーム。
 他の選択肢は海賊との殺し合い(意訳)、ローマ帝国での見世物としての殺し合い(意訳)、遺跡と墓荒らしとの殺し合い(意訳)、連続殺人犯との殺し合い(意訳)。これだったら、まだ超長距離のカーレースの方が平和かな?死因が殺人で括られないだけの違いだけど。
 え、レース中に人の手で殺される可能性もあったの?このゲームの開発者心病んでない?大丈夫?

「車の運転って面白いね、鴎士さん!」
「それは良かったですね!けど、こんな運転現実でやったら即逮捕ですから!!今だけだからっ!」
「分かってるよ!」

 荒い道なき道をゴトゴト跳ねるように走行しながら、声を張って会話する。
 本当に分かってんのかなこの子。満面の笑顔が嘘臭ぇ。
 こういう子に限って、大人になってから高いスポーツカーで首都高かっ飛ばしたり峠を攻めたりし出すんだよな。困ったもんだよまったく。改造スケボーで道路も歩道も走りまくる眼鏡少年よりはマシー、て誰それ怖い。その子供はもっと自分の命を大事にすべき。

「痛゙っ、舌噛んだ!」
「だから口閉じててって言ったのに」
「話し掛けてきたのヒロ君からですよね?」
「あっ、ゴールだ!やったー、ボクの勝ちだね!!」

 俺の主張は無視された。いいさ慣れたさ、どうせ俺はモブだもの。
 頭上ではGOALとYOU WIN!の文字がデカデカとキラキラと浮かび、発生源の分からない紙吹雪が辺りを舞う。誰だか知らない人たちが歓声をあげた。俺も出来れば歓声をあげる群集の一人になりたい、切実に。
 人気の無くなった辺りで停車し、降りてから両手を上げて身体を伸ばす。少し遅れてもう一台、俺たちの近くで停車した。

「あーあ、負けちゃった」
──「いやー、面白いねぇ、カーレースって」

 降りてきたのは、少し幼いヒロ君といつも通りな彼女。正しくはヒロ君の十歳の姿を借りたノアズ・アークと、この仮想現実世界でのみ姿を持ったお姉さんの二人だ。
 服装と年は違うが同じ造形の人間が二人いるのは不思議な感じがするし、浮いてない彼女はなんだか異様に思う。お姉さんは浮くもの、これは十年来の常識だから仕方が無い。ちなみにお姉さんの声は変わらず脳にも直接届いている。

 わちゃわちゃはしゃぐ三人を眺めながら、俺はとても申し訳ない気分になっていた。
 ごめん、他の命懸けで頑張る子供たち。なんだかんだ言ったけど、俺たち四人はただただ楽しくゲームをしています。パリ・ダカールラリーって言うより、ちょっと本格的なゴーカート。俺はヒロ君の運転で死にそうな目に遭ってはいるけど、本気で死ぬ危険性はありません。でも四輪車でウィリーは初めての経験だった死ぬかと思った。

「鴎士さん、もう一回乗りましょう!」
「次はボクが勝つからね!なんなら鴎士さん、次はこっちの助手席に乗る?」
──「じゃあ私はヒロ君の隣に乗ーろお」
「あ゙ー、わちゃわちゃ寄って来ないでください寄って来ないでください」

 えー、て何だこいつら仲良しか。
 そうなんだよ、滅茶苦茶に仲良しなんだよ。

 カーレースを始める前。今明かされる衝撃の真実!と勿体振る彼女に受けた説明で、俺は深く考えず受け入れることに決めた。包容力って大事。スルースキルも重要。
 つまり人工頭脳“ノアズ・アーク”の製作者が和田咲紘くんこと、本名サワダヒロキ君で、なんか色々考えがあって自殺しようと考えるくらい追い込まれてたら、セキュリティ万々のヒロ君のパソコンにお姉さんがハッキングしてきて交流して仲良くなって、やっぱり人生楽しもうぜと自殺するのをやめて、あの性格きつそうな女の子とか諸々の手を借りて規模のでか過ぎる家出をした、のが二年前。
 父親の承諾は諸々経由で得ているらしいので、家出と言うか早めの独り立ちというか。
 今回の乗っ取りの件は、ダメな大人とその子供をとっちめてやろーぜ!(意訳)と三人+αで企てたことらしい。首謀者はお姉さんだそうだ。だと思った。

 もっと難しいことも言っていた気がするが、俺はただの中学生だからよく分からなかった。分かりたくなかったし、知りたくなかったというのもある。俺は深い所では万事に無関係でありたい。
 ただ一つ身に染みて分かったのは、思った通りお姉さんはチートだってことだ。否定は認めない。

「あ、そろそろ“オールドタイムロンドン”を選んだ子がクリアしそうだよ」

 こんな姿でもノア君はゲームを管理する人工頭脳。カーレースを楽しむだけじゃなく、ちゃんと他の四ヶ所にも気を配っていたようだ。中空を見詰めるノア君は、俺たちには見えないがオールドタイムロンドンのゲーム状況を見ているのだろう。

「えぇ〜、もう?もっと君と遊びたかったのに……」
──「あそこには名探偵が行ってたからねー。このゲームをクリア出来るとしたら、彼しかいないよねー」
「ああ、例の“コナン君”だね。お姉さんの言う通りの結果になったみたいだよ」

 そういえばパーティー中に遠目で見たなぁ、コナンくんとその仲間たち。頭の良いあの彼なら、なるほど、どんな難解ゲームでもクリア出来て納得だった。

 そうこうしている内に、周りの風景が変わっていく。
 組み替えられていく風景を眺めながら、見たことのないどこかの部屋が出来上がって首を傾げた。パソコンの機器が所狭しと沢山置いてあって、重々しく寒々しい空気に居心地がすこぶる悪い。

「ねぇ鴎士さん」

 名前を呼ばれて、周囲を見回していた視線をノア君に向ける。知らない間に、この場には俺とノア君の二人きりになっていた。雰囲気から、お別れの時間なのだと察する。このゲームが終わる時、ノアズ・アークに組み込まれている自壊プログラムが作動すると聞いていた。難しいことはよく分からないが、それがノア君にとっての死なのだということは分かる。
 目の前に立つノア君は、三十cm程の身長差のある俺をジッと見上げていた。首が辛そうだったので視線を合わせるために片膝を着けば、今度は俺を見下ろすことになったノア君がちょっと目を丸くした後、にっこり嬉しそうに笑って言葉の続きを口にする。

「お姉さんと鴎士さんに会えて本当に良かった。二年間待ちに待った今日も、すごくすごく楽しかったんだ。……これからもヒロキ君のこと、よろしくね」

 俺もヒロ君とノア君と会えて良かった。俺も何だかんだ言いながら今日をとても楽しんだ。ヒロ君のことは、まぁモブの俺に何が出来るか分からないが出来る限りは任されようと思う。
 そう返そうとしたけれど、額への体温のない柔らかな感触に驚いて言葉を飲み込んでしまった。

「数時間だけだったけど、友達になれて嬉しかったよ。ありがとう、バイバイ、鴎士さん」

 優しい笑みを浮かべながら手を振って、ノア君も俺も、空しさと機械に溢れる部屋も、全部が光に包まれていく。どうやら、もう目が覚めてしまうらしい。

 ──空気の抜けるような音と共に、コクーンの蓋が開く。視界に入ってきたゲームの試験会場に、知らず肩の力が抜けた。お疲れー、といつも通りの浮遊する彼女に、お姉さんもお疲れ様でしたと労う。二年も前から、本当にお疲れ様です。
 隣から小さく鼻を啜る音が聞こえたが、俺は知らない振りをした。周りが感動の対面でざわついていて、低機能な俺の耳はちゃんと働いてくれなかったんだ。ホントだよ。

「ばいばい、ノア君」

 ああ、ろくにお別れも言えなかったなぁ。

_ _ _
 なんて、ちょっとセンチになったんだけども、さ。

「ねぇヒロ君、またパソコンの数増えてません?」
「数だけじゃないよ!色んな人に助言をもらって、改良に改良を重ねて自作したから、見た目以上にスペックも相当なものになっているんだ!」
《そのおかげで、ボクもここに移れたってわけさ!》
「ギフテッド少年っょぃ……」

 二年前にヒロ君にあげた都内某所のマンションの一室。そこはもう、なんか俺の家の一室なの?ホントに?と聞きたくなるほど凄いことになっている。どんなかって言えば、とにかく凄い。正義でも悪でも良いけど、科学的な秘密基地ってきっと多分こんな感じ。
 部屋の奥に置いてあるあれは、いやまさか、俺はスパコンなんて見たことないから判断しかねる。だからって確認しようとも思わないけど。
 そんなパソコンの中、もしくはコンピューターの中?それともネットワークの中と言うべきか。詳しいことはさっぱり分からないけれど、そこにはてっきり自壊したと思っていたノア君が住んでいたりする。流石に姿は無いけれど、機械越しに聞こえてきた声はヒロ君をベースにしているが、確かにノア君のものだ。

《ヒロ君共々、これからよろしくね、鴎士さん》
「はいはい、よろしくノア君」
──私もよろしくーっ!!

 何台ものパソコン画面によろしくの四文字がびっしりと浮かぶ様は、宛らホラー映画よう。ついでに俺の脳内では、大音量の彼女の元気な声が響き渡った。
 お姉さんにまたセキュリティ越えられちゃった、てヒロ君、それは笑って言える話なの?


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