02



 ちょっとデートしよー、と言われたのは、草木も眠る丑三つ時で。ついでに言えば俺だって眠りたい、そんな夜中も真夜中の午前二時だった。
 この誘いを蹴って、無理矢理に眠るということは不可能に近い。だって彼女の声はリアルに、こいつ脳に直接!?というやつなので、耳を塞ごうがキャンキャンと和らぐことない騒音が続くだけだ。そんな中で、繊細な俺が眠れるわけがない。
 なので俺の返答はイエスorはいしか存在しないのである。悲しい。

 パジャマから黒のジャージに着替えて、その上にサイズを間違えて買った、フードにファーの付いた黒いジャケットを羽織る。窓の外を見ればしんしんと雪が降っていて、灰色のマフラーと手袋、ついでに黒いこうもり傘とホッカイロの装備を付け足した。ジャケットのフードを被って外出の準備を終える。

「これで補導されたら恨みますね」
──大丈夫大丈夫、誰もいないよー。
「……なんでこんな雪の中で、しかも夜中に徘徊しなきゃいけないんだ……」
──徘徊じゃないよ、デートだよ。真夜中の雪景色なんてロマンチックねー。

 うふふー、と胡散臭いお上品な笑い方をする彼女は、いつの間にやら赤いマフラーをしていた。黒いセーラー服には赤いマフラーが似合う、とはいつ聞いたことだったか。
 吐いた白い息が、夜の黒さに消えていく。横目に見た彼女は、やはり幽霊だからか白い息を吐くこともない。
 寒さから頬と鼻の先が痛くなった頃、マンションなどの住宅が多い区画から、商業施設など低いビルの多い区画へと移動した。行き先の指定は彼女がするので、はたしてこの先にどんな用事があるのだろう。もしくは本当に深夜徘徊したいだけだったのか。

──はーい、そこ曲がってー。
 はいはい。声に出さず行動で応えて、指定された角を曲がった。ところで、俺は足を止めた。止めざるを得なかった。だって降り積もる雪の中、黒尽くめの怪しげな人がビルの外壁に寄り掛かり力なく座り込んでいたんだから。

「……誰もいないんじゃなかったんですかねぇ?」
──いないよー。私たち以外は、ね?
「私たちの中に含まれる人数がおかしくないですか?あぁ張っ倒したい」
──ふえぇ物騒だよー。

 徐にポケットからケータイを取り出し耳に当て、不機嫌そのままに彼女に話し掛ける。目の前を漂う彼女は、両の拳を顎に当てて、可愛い子ぶりっこで俺を煽るのに余念がない。俺の行き場のないこの殺意をどうにかしてくれ。

「俺に何してほしいんですか」
──出来たら助けてほしいかな。

 ただの子供に、なんて難しいことを、なんて簡単に言ってくれるだろう。
 深く深く吐きたい溜め息を我慢して、俺は座り込んだまま一向に動かない人を見下ろした。
 黒いスーツに黒いコート、流れる長い髪は積もる雪の上でも映える綺麗な銀色で、元より白い肌は今はもっと青白い。腰を下ろした辺りの雪には、赤い色が滲んで広がっていた。浅い呼吸を繰り返す彼は、さて、俺がこの至近距離にいてもなんの反応も返してこないのだけど、意識は無いんだろうか。

「お兄さん、大丈夫ですか?」

 取り敢えず、手が届かなそうな位置に下がってから声を掛けてみる。返事はない。

「ちょっと確認してくださいよ」
──どうやってー?
「小突けばいいんじゃないですか?」
──ひえぇ、なんて恐れ多いことを言うんだこの子は!全国のファンから袋叩きにあうよ!!

 なんだよ全国のファンって。知らんわ。

「ねぇお兄さん、死んでます?生きてます?」

 もう色々面倒臭くて、ざくざく近付いて隣に腰を落とした。よっ、命知らず!って、どう意味だよお姉さん。
 いくら声を掛けても反応がない。焦れた俺は、お兄さんの肩に手を伸ばして、そして視界が反転した。遅れて認識した背中が地面にぶつかる衝撃と、首への圧迫感。あぁこれはヤバイなと他人事のような感想を持つ。

「……誰だ、てめぇ……」
「ぐっ、うぅ」

 通りすがりの一般人だよ!そう叫んでやりたいが、如何せん喉を押さえ付けられてそれどころじゃない。答えが聞きたいなら、気管を押し潰してるその腕をどけていただけませんかねぇ!?
 声が出ない代わりに、両手で腕を押し返そうともがき、両足はじたばたと暴れさせる。困った、お兄さんの腕の力の強いこと強いこと。そして俺の非力なこと。
 俺、無事に帰ったら筋トレするんだ……。
 ちょっと意識がやばくなってきたな、という所で、バタつかせていた俺の足が相手のイイ所に当たったらしい。低い唸り声すら殺したのは意地だろうが、それでも思わず緩めてしまったらしい圧迫感から、俺は地面をゴロゴロ転がりながら離れた。

「この、くそガキがぁ……っ」

 なんかスッゲェ怒ってる。
 俺は俺で空気を取り入れるのと咳とで滅茶苦茶忙しいけど、お兄さんは俺が蹴りを入れた場所、多分めっちゃ重傷だった場所を抑えて俺をデストロイしたい視線を向けていた。お兄さんの手は真っ赤です。
 やっべ、傷口広げたっぽい。

「ちょっとお姉さん、俺には無理ゲーってやつだったみたいなんですけど。このまま逃げていいですよね?」
──がんばれ♥がんばれ♥
「うわぁ、ぶん殴りたいよぉ〜」
──それは無理だよぉ〜。

 この背後霊はやく成仏すればいいのに。
 お兄さんと睨み合うこと数十秒。先に音を上げたのはお兄さんだった。なんと言っても重傷だし。積もった雪に赤が広がって綺麗だなぁと場違いな感想を抱いてみたけれど、そんな暢気なこと言っていられる状況じゃ無かったらしい。
 座ることすら出来なくなって、地面に横たわったまま動かなくなった。……お、死んだかな?
 また押し倒されるのも嫌なので、離れた場所で雪玉を作り投げ付けてみた。反応はなかった。少し近付いて、畳んだ傘の柄で肩を突っついてみた。やっぱり反応はなかった。

「手遅れだったようです」
──冗談でもそんなこと言っちゃダメだよー。お姉さん怒るよ?
「ひえぇ、ガチおこ……」

 今まで数回しか聞いたことのない低い声に、俺は戦いた。真面目にしよ。
 だからって俺に何が出来るかって話なんですけど。
 お兄さんの隣に座り、まずは呼吸を確認する。浅くて早い呼吸音。生きてる生きてる。まだ大丈夫だ問題ない。
 次いで、傷口を確認する。黒い服で場所が分かりづらい。手を当てている位置からして脇腹らしいので、遠慮なく服をたくし上げた。後ろからお姉さんの黄色い悲鳴が上がる。嬉しそうだねお姉さん。

「あ、内蔵は出てないですね。かすり傷かすり傷」
──サラッとグロいこと言うようになったね……。その血の量ではかすり傷なんて言えないと思うなー。

 呆れたような声は無視しつつ、巻いていたマフラーを外して傷口の辺りできつく縛った。俺に出来そうなことって止血くらいなものだと思うんだけど、ねぇ、やり方合ってる?大丈夫?悪化しない?すごく不安。
 出来ることも早々に終わって、俺がここに来てなんかいいことあったのかなー、と考えてみるけど何も思い浮かばなかった。逆に無駄に動かして、無駄に傷に衝撃与えて、悪化させただけじゃない?
 せめて雪が積もらないように傘を差してあげた。俺はフード被ってればどうにかなるからね。ホッカイロもあげようとしたけど、どこにやればいいか迷った末、脱いだ左の手袋の中に入れて頬に当ててみた。だって顔色がものすごく悪い。

「お兄さん、死なないでくださいね。そんなことになると、俺がお姉さんに末代まで祟られそうですからね」

 話し掛けても返事はない。

「俺がもう少しデカくて力が強いか、お兄さんが小さくて軽かったら運んであげられるんですけどね。今はどうしようもないですね」

 やっぱりお返事は、と思ったら、バイブの音が辺りに響いた。俺のじゃないから、お兄さんのケータイが鳴っているようだ。
 失礼しますねー、と断りをいれながらコートのポケットを探って、未だに震え続けるケータイを開く。表示されている名前は英語だった。誰だこれ。取り敢えず出ておこう。

「も、」
〈!ああ、良かった兄貴、無事ですかい?〉
「え、ごめんなさい、兄貴じゃないです」
〈……ガキ、か?どうしてガキがこのケータイを持っていやがる……〉
「俺は善良な一般市民のただの通行人です。ケータイの持ち主の兄貴さんは、目の前で出血多量により意識を失っています」
〈なんだと!?〉
「場所は──」

 取り敢えず近くの電柱に書いてあった現在地の住所だけ伝えて、問答無用で通話を切る。なんか向こうで喚いていたけど、俺には関係無いよね。すごく怒っていたけど、俺にはまったく関係無いよね!

「お兄さん、お兄さん。もう少しで誰か迎えに来てくれますよ、頑張ってくださいね」

 残念、やっぱり返事はない。

_ _ _
 なんてことが、小学三年生くらいの時にあったなぁ、とぼんやり思い出す。今から六年くらい前のことである。
 目の前で爛々とした視線を向けてくる子供たちには「大怪我をしている大人を助けたことがある」程度に話をぼやかして武勇をお伝えした。

「その後!その後はどうしたんですか!!」
「えー、その後ですか?もちろん帰りましたよ、危ない目には遭いたくないですからね」
「なんだよ。電話の相手まってたら、お礼にうな重たらふく食わせてもらえたかもしれねーのに!」
「俺は食より平穏に暮らしたいんですよ」
「えー!そんなのつまんないよー!!」
「いいんです、つまらなくても」

 やいのやいのと吠えるちびっこ共に、俺は耳を塞ぎ目を閉じて口をつぐんだ。
 ちくしょー。同じ敬語キャラで親近感を抱いていた光彦くんに頼まれたから“今までにあった非日常的なこと”の一つをマイルドにお伝えしたと言うのに、なんて結果だ。俺は君たちみたいに事件に遭遇したり首を突っ込んだり、そんなワイルドなこととは縁遠くありたいんだよ。
 こんなことになるなら、暇だからって散歩に出掛けるんじゃなかった。どおりでお姉さんがいやに乗り気で早く行こうとせっつくはずだ。

「ねぇ、鴎士兄ちゃん」
「はいはい、なんですかコナンくん」
──フゥ〜ウ、コナンくんのあざとい上目遣い、頂きましたー!

 うるせぇ。急にテンションの上がった彼女は無視の方向でお願いします。

「その怪我したお兄さんって、銀髪だったんだよね?」
「ええ、そうですね。綺麗な銀色の長髪でしたよ」
「全体的に黒い服装だったんでしょ?」
「まぁ、大体はそうでしたね。夜間の外出には向かない格好でした」
「怪我がどんなだったか覚えてる?」
「怪我ですか?……うーん、脇腹で、前から後ろに一直線に抉れていたような?でも、血が多くてあまりよく見えませんでしたから、違うかもしれませんね」
「……そっかー!ありがとう、鴎士兄ちゃん!!」
「いえいえ」

 なんか尋問された気分。あざと笑顔も頂きましたー!て喧しいわ。

「どう思う?灰原」
「話に出てきた黒服の銀髪は、おそらくジンでしょうね。でも彼が組織の関係者という線は薄いと思うわ。話の通り、本当に偶然助けただけね」
「灰原もそう思うか。……でもなぁ」

 内緒話がよく聞こえるなう。え、これ本当に内緒話だよね?と確認したくなる勢いでよく聞こえるんだけど。俺は悪くないのに心臓がどきどきする。動悸?
 思わず耳を塞いだけれど、なおも聞こえてくる内緒話。こいつ、脳に直接?!てそのネタはもういい。あ、お姉さん経由で聞こえてるの?て言うか問答無用で聞かせてくるんですけどこの幽霊。そんな無駄な能力持っててほしくなかった。

「納得がいかない?」
「あぁ。けど、何に対して納得がいかねーのかも分からねぇ」
「…………そういえば」
「??どうした?」
「いえ、これは組織にいた頃に聞いた噂話なのだけど」

 今あの子、組織にいた頃とか言った?
 子供ならそこまでエグいこと無さそう、と気を許してずるずるお付き合いを続けていたのは間違いだったらしい。子供だろうが米花町民、犯罪とはいつでも隣り合わせ、分かってた。

「一時期、ジンが人を探しているっていう話があったわ。確か……、そうね、彼の話と同じ六年前の冬頃だったかしら」
「!……時期的には合うな。そこから組織に入ったって線はないか?」
「ないわね。そもそも、その子供の捜索自体、始めて早々にやめたらしいもの」
「やめた?どうして……」
「ジンが覚えていたのは、相手が子供であることと、ずっと誰かと連絡を取っていたこと、その相手を“お姉さん”と呼んでいたこと。
 彼は最初、幹部の誰かが余計な手出しをしたと思ったみたい。その中で、子供に“お姉さん”だなんて呼ばせそうな人間、一人しか思い付かなくて彼女に話を聞きに行ったらしいのだけど……」
「だけど?」

 ごくり。コナンくんが緊張から唾を飲み込む。

「それ以降探すのをやめたのよ」
「は?予想が当たって相手が見つかったってことか?」
「いいえ、そんな話は聞かなかったから、きっと見つからないまま終わったわね」
「はぁ?」

 コナンくん、顔、顔がひどいっ。

「この話を広めた噂好きで口の軽い下っ端は早々に始末されて、どうして捜索を止めたのか、それはもう当人たちしか預かり知らないことになったの。
 末路が分かっていて、好き好んで虎の尾を踏む馬鹿はその時以来いなくなったわ」
「くっそ〜っ、余計にわけわかんねぇ〜」

 哀さんは短く息を吐くと、話は終わりよと肩を竦めた。うがーっ!と頭を掻き回すコナンくんは急にピタリと動きを止めて、ギロリと俺を睨む。無言で睨むな小学生。
 コナンくんは何なの?情緒不安定なの?

──ひゅう〜、怪しまれてるぅ〜。

 嬉しそうなお姉さんの声が頭に響く。他人事だと思ってずいぶんと楽しそうだなぁ、おい。
 取り敢えず「おめぇの正体はオレが突き止めてやるぜ!」と睨んでくる小坊には、何で睨まれてるのか分からないけどちっちゃい子供可愛いね、という気持ちで首を傾げておいた。断じてショタではない。



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