〔〜 Liquidation〕
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ライブ会場である白骨化した海王類の肋骨の上に立ち、ステージの上でひとり歌うウタを見下ろす。
周囲に集まった観客たちは全員ウタワールドへ招かれた後で、ぐっすりと眠っていた。ぐるりと見回す中にはいくつか有名どころの顔もあって、背骨の一つのくぼみの中では数年振りに見るルフィが鼻提灯を浮かべて眠っている。
……主人公様がいるってことは、もしかしてこれは原作であった事だったり、もしくは劇場版だったりするんだろうか。
そうなると、今回の敵役は我らが歌姫になるんだろうか。
詮無いことを考えながらステージに視線を向ければ、ウタと目が合い笑顔で手を振られる。素直に振り返せば笑みを深めるけれど、さすがにここまで登ってこようとはしないらしい。
続くライブを眺めながら腰を下ろして、ぶらぶらと足を遊ばせる。見上げた空は、少し雲行きが悪いようだ。せっかくの門出なのになァ。
「……さァ、新時代を見に行こう」
俺には見えないけれど。
「私の歌でみんなを救える」「私の歌が新時代を作る」と言い始めた時の、ウタの嬉しそうな顔を覚えている。無理に期待を背負ってるんじゃないかと心配もしたが、期待されるということはそれだけ認められているのだと、満足そうに笑っていた。
……様子が変わったのはいつ頃だったろう。
多分、一年前くらいだ。ふとした瞬間に思い詰めたような顔をして、それでもファンや俺やゴードンさんの前ではいつもと変わらないように振舞って。
原因を訊ねていいものかと悩んでいる内に、今回のライブの相談をされた。世界中からファンを呼んで、来られない人たちの為に複数の映像電伝虫で中継を行うような、大々的なライブだ。今までにない取り組みだったから、ああそれが原因で思い悩んでいたのか、と納得した。
……した振りをした。それは違うだろと、なんとなく分かってはいたのだ。
話の取っ掛かりにでもなればとライブを開こうと思った切っ掛けを聞けば、ウタは隠すことなく教えてくれた。
ウタが描く『新時代』の夢。有り体に言えばぶっ飛びまくってんなと思った。これは取っ掛かりどころじゃねェ。
なんでそんな結論に至ったのか、それは本当にウタやみんなが望んでることなのか、思想が極端すぎやしないか、どうしてそうなる前に相談してくれなかったのか。色々と浮かんだが、それをひとつでも言葉にしたらウタが崩れてしまいそうで口を噤んだ。ウタの目が、そう語っていた。
「ディーンは応援してくれるよね?」
きっと今のウタが俺に必要としてるのは同調とか手助けであって、否定や諭しじゃないんだろうと分かったから。
だから、俺に出来たのはウタの手を取って絶対に離さない覚悟くらいなもんだった。
「大丈夫。俺は応援する。俺のできる限りで協力する。最後まで見守る。大丈夫だ、ウタ」
「……ありがとうディーン!」
安心したように笑うウタに、俺も努めて笑顔を返す。間違いじゃないけど、きっと正解でもなかった。
でも。
でも、だからこそ、シャンクスだったらどうしただろうかと考えた。ウタを置いて、俺も置いて行った赤髪海賊団。あの人たちだったらどうしただろう。
ぼんやり考えていただけのはずだったのに、気付けば有り金はたいて居場所を突き止めて、ファンに宛てるより先にライブのチケットを送っていた。手紙も何も同封せず、チケットを数枚だけ。
まァ、結局は間に合わなかったけど。
棺の中、色とりどりの花や宝石に囲まれて眠るウタを見下ろして、考える。俺はどうすれば良かった?どうすれば間違えずに済んだ?
あいた宝箱が、手の中でカチャンと音を立てる。
──ああ、そう。
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長く離れていた娘が眠る棺を大幹部で囲う中、一人が歩み出て棺の傍で膝をついた。その行動に誰も違和など感じず、警戒心を抱く事もない。そんな自然な行動だった。
「はァ、これはまた、幸せそうな顔して寝てんなァ」
囁くように言葉を発した男の後ろ姿をぼんやりと視界に収める。服装に見覚えがあるなと考えて、ウタがライブの始まりに着ていた上着に色と刺繍が異なるものの、よく似ているのだと思い出した。フードを目深にかぶり顔が良く見えないのも、よく似ている。
男がソッと手を伸ばし、ウタの頬に触れた。一瞬だけ動きが止まったのは、体温の無さに驚いたからか。自身の腕の中で無くなっていった温かさを思い出して、己への遣る瀬無さにシャンクスはギュッと目を瞑る。
そうして、
そして、はたと思い至る。この男は誰だ?
気が付いた瞬間、シャンクスは腰に佩いた刀を抜き、同時に船員たちも各々の武器を手に持ち男に向ける。
こいつは誰だ、いつからいた、なぜ誰も疑問を抱かず存在を受け入れた。
有り得ない現状に思わず覇気が溢れ出る。いくつもの殺気が刺さっても尚、不可思議な存在である男は気にする素振りもなく棺に凭れ掛かり、そのまま赤髪海賊団側へと振り返った。
「久し振りに会って殺気向けられるとか、ジミに傷付くね」
海風が吹いて、フードがとれる。一番に頭頂部付近の三角の耳に目が行き、次いで髪色と、ウタと揃いの瞳の色。それから、幼さが減っても見間違いようのない、十数年前に別れた息子の顔がそこにあった。
「……ディーンか?」
「うん、久し振りシャンクス。それにみんなも」
めいめい構えていた武器を下げていく真ん中で、ディーンは眉尻を下げて微かに笑う。困ったように。寂しそうに。
ああ、おれたちの息子はこんな風に笑う子どもだったろうか。思い出そうとして、浮かべる端から靄が掛かったように不鮮明になる記憶に眉間に皺が寄る。
──カチャン。
「……久し振り、だな。ディーンはウタと一緒にいたのか?いつからだ?」
「あー、まァ、大体三年前くらいかな。ウタが映像電伝虫を使い始めた最初の頃だよ」
「三年前……。どうやってエレジアまで来たんだ?フーシャ村にいたんだろう?」
「フーシャ村ねェ。あの村ならすぐに出たよ、島からもさっさと出てった。船に忍び込んで、別の島の飲食店で働いてた。
エレジアには、うん、船とかいろいろ運よく手に入ってさぁ。割と巡り合わせが良かったんだよね」
あっけらかんと喋る割に、最初以降ディーンの目はシャンクスとも誰とも合わない。視線はずっとウタへと向けられている。
……怒っているのだろうか。いや、怒っているどころの話ではないし、恨んですらいるだろう。守るためとは言えウタには嘘をついてゴードン一人に任せて置いて行ってしまったが、ディーンに対してはディーンを守るためと言うよりはウタを守るために、何も言わずフーシャ村に置いて行った。一緒にエレジアに置いて行けばウタの手を取って飛び出してしまいそうであったし、ディーンだけを連れて行くのはウタに申し訳ないと思ったからだ。
当時は確かにディーンのためにもと考えたはずなのに、改めて振り返ればどうだったか。ディーンの傍で眠るウタが視界に入ると、尚の事過去の自身たちの考えが分からなくなる。
思考が過去へと向かう中、カチャン、と小さな金属音がまた耳に届いた。
音の元を辿れば、それはディーンの手の中にある小さな宝箱だった。手の中に納まるような小さな小さなそれを、蓋を開けて閉じてと繰り返している。
「でも良かったよ、ウタが病気で亡くなる前にシャンクスたちと再会できて。おかげで誤解も解けたし」
「……?、なに言って……」
「ライブなんて体力使うもの負担にしかならないから中止しろって何回も言ったんだけど、最後までみんなの為に歌いたいってきいてくれなくてさァ。
あァ〜、それにしても大変なライブだったなァ。海賊はウタを攫おうとしてくるし?ハハ。片やガチファンで片や四皇の一角って、初っ端からインパクト派手過ぎでしょ」
「ディーン?」
「しかも天竜人は出て来るわ、世間知らずなウタの言動のせいで護衛で来てた大将は出張るわ、タイミング悪く現れたシャンクスたちとドンパチ始めるわ。……いやァ、最初で最後、思い出深いライブになったなァ」
一人納得する息子の言っていることが理解できなかった。
ウタが病気で死んだ?違う。あの子はネズキノコを食べて、毒のせいで死んだんだ。海軍大将は天竜人の護衛なんかじゃなく、ウタを捕まえる為に軍を率いて来ていた。
どうして分かり切った嘘を並べるのかを、シャンクスは考える。
しかし周囲はそうではなく、涙を浮かべ鼻を啜り、ディーンの言葉に同調していた。
カチャン、とまた金属音が鳴る。
「そうだよな……。ディーンの手紙でウタが病気だって知った時には驚いたが、あんなに元気に歌ってる姿を久し振りに見れて、……最期に見られて、良かったよ」
「……治療法を見つけてやりたかったなァ……」
「う゛ぅッ、いいライブだった!」
「ああ、さすがはおれたち赤髪海賊団の音楽家だ!赤髪海賊団の娘だ!」
何を言ってるんだと、当然の疑問も言葉に出来ずシャンクスは当惑する。中途半端に上げた右腕は意味もなく宙を彷徨うだけだ。
いつの間にか全船員たちが泣き喚きすすり泣く甲板の上で、シャンクスだけが取り残された気分になる。自身の記憶の方が間違えているのかと、ありえもしない可能性が頭を擡げるが、それこそありえないことだ。ウタの身に起こった事も、ウタがしてしまった事も、それをさせてしまった自分たちの至らなさも、覚えていることに間違いはない。
ならばどうして、なぜ、と考えて、棺に寄り添う息子へと強く視線を向ける。俯けていた視線が上がり、ようやく合った目は随分と静かだった。
「ディーン、お前の仕業だな……?」
シャンクスの問い掛けに、ディーンは答えない。ただ困ったように笑って、手の中の小さな宝箱をもてあそんでいる。
カチャン、カチャンと何度か音を鳴らして、状況が変わらないらしいと察したディーンは少し驚いた様子で、後ろ頭を掻きながら仕方なさげに口を開いた。
「おっかしいなァ。……ま、悪魔の実も万能じゃないし仕方がない、か」
「悪魔の実の能力を使ったのか?何のために、何をした?」
「そんな怖い顔しないでよ。ウタを世界の歌姫のままにするために、ちょっと変えただけなんだから」
変えた、という言葉にシャンクスの眉間に皺が寄る。つい先ほど、そして今も尚、自身の記憶とは違う顛末で泣く船員たちの姿はいやでも視界に入ってきていた。
変えたのは赤髪海賊団の記憶だろうか。底の知れない悪魔の実の能力であるなら、そんなことが出来てもおかしくはないだろう。しかしそれをしたところで、ライブに来ていた民衆も海賊も海軍も、映像電伝虫で観ていた世界各国の人々もウタのしたことを知っている。ウタを『世界の』歌姫のままにするのであれば、同じことを、そんな数え切れないほどの人々に施さなければ意味はない。
悪魔の実の能力とは言え、そこまでのことが出来るのだろうか。
いや、出来ると確信しているからこそ、しようとしているのだろう。ディーンはそういうやつだった。
カチャン、と最後に蓋を閉じて、小さな宝箱はサイドポケットに仕舞われる。きっとあれが能力使用の要なのだろうと推測したが、それにはちらりと視線を遣っただけで、すぐにディーンへと向き直った。
視線が合うだけでもシャンクスから威圧を感じるだろうに、太々しくもへらりともにんまりとも形容できる笑みを浮かべたディーンは跳ねるように立ち上がり、軽い足取りで甲板を移動する。
ウタの傍、船尾側から船首側へと慣れた足取りで。
それを追うのはシャンクス以外にはおらず、まるでディーンがその場にいないかのようだった。
ふと思い出すのは、子ども二人がまだこの船に乗っていた頃。
ディーンを鍛えるのだと張り切っていた船員がいくら探しても見付けられないと言い出し、その数分後には探していたことすら忘れて、終いにディーンの存在すら分からない様子で「ディーン?新入りですか?」と冗談でなく言っていたことがあった。あの時は大事になる前にディーンが現れて、忘れていたはずの船員がすぐさま思い出し追いかけ回し始めて有耶無耶になったが……。
今思えば、あれも悪魔の実の能力のひとつだったんだろう。
そこまで考えても、しかし、とシャンクスは自身の知識のせいで確かな答えを出せない。ディーンが食べたのはネコネコの実で、動物系のはずで。はたして動物系の実に、記憶や意識に作用するような能力が存在するだろうか?
「悪魔の実についてなんて、真面目に考えるだけ無駄だろ?」
思考に耽るシャンクスの耳に、ディーンの静かな声が届く。
下げていた顔を上げれば、前を進んでいたディーンはいつの間にか船縁の上に立っていた。海に落ちるんじゃないかと一瞬心配するも、危なげないその姿にすぐに思い直す。ディーンにも「もう落ちねェよ」と笑われて、上げかけた腕は元のサーベルの位置に置き、無意識の内に拳を握った。
「悪魔の実なんて、能力のもとが分かれば後は本人の想像力や発想次第。出来ると思えば大体なんだって出来るようになる。
俺が食べたのはネコネコの実。でもただの動物系じゃない。どちらかと言うと超人系?かな?よく分かんねェけど。
俺がしたことは『置き換えた』だけ。『そうだったかもしれない』ことを『そうだった』ことにしただけ。『有り得た可能性』を『本当にした』、たったそれだけ」
両手を広げ得意げな笑みを浮かべ、さも当たり前のことかのように語るディーンとは反対に、シャンクスは眉間の皺を深くして難しい顔で唸る。
「世界を改変したのか……」
「いや、そんなハデなもんじゃ……、いやそんなハデなもんだな」
個人的には切ってくっつけただけの気分だったが、言われてみれば確かにこれは世界の改変。すげェことをやらかしたな、とディーンは腕組み、顎に右手を添えて他人事のように独り言ちる。
事の重大さを分かっているのか、いないのか。シャンクスの握っている拳がギチリと軋む。
ああ、どうしておれの子どもたちはこうも厄介なものばかり背負わされるのか。
……どうして、おれの大事なものばかり失くさなければいけないのか。
「なァ、おまえはこれからどうする?」
それは、シャンクスとしては答えを一つとした上での問い掛けだった。
エレジアにいた理由がウタにあるなら、ウタが亡くなってしまった今、ディーンがエレジアに戻る理由はない。最初から乗っていたのか途中で乗ったのかは知らないが、レッド・フォース号の周囲に乗り付けてきた舟が繋いである様子もないので、どちらにせよ一人でどこかへ行く手段もないだろう。
疑問符に役割を与えないようなシャンクスの言葉に、ディーンは察して苦笑を返した。
「どうするってきいてる割に、顔が有無を言わせてねェんだよなァ」
「おれたちと一緒に行くだろう?」
「ほらもう、選択肢一つに絞ってきたもん……」
そういうところは変わらねェなァ、と呆れた顔で言われて、思い当たる節にシャンクスは少しばかりたじろぐ。
今なにを言っても言い訳にしかならないだろうと口を噤むシャンクスに、どうせ言い訳にしかならないとかそんなことを考えてるんだろうなとディーンは気の抜けたように笑いかけた。言い訳だろうが何だろうが、言葉にしなけりゃ伝わらねェのに。ああ、本当に変わらない。
「でも、俺はこの船に残らない」
「…………、なんでだ!?」
想定外の返答だった。思わず呆けて反応が遅れたシャンクスに、ディーンは噴き出すように小さく笑う。真面目な話だと諫められて、ようやく笑うのをやめた。
「ディーン。おまえの能力は、おまえが思っている以上に世界にとって脅威だ。政府にでもバレれば、その時はおまえもウタのように狙われるぞ」
「大丈夫だって」
「楽観視できるような問題じゃねェんだぞ」
「大丈夫なんだって。バレなきゃいいんだろ?隠れるのも隠すのもこの能力の得意分野だ。
俺はどこにもいないしどこにでもいる。この世界のどこにも、どこにでも。……意識の中にも記憶の中でも」
セリフと同時に目の前にいたはずのディーンがパッと姿を消して、「こっちこっち」と掛けられた声に仰げばメインマストにかかるシュラウドに登っていた。いつの間に移動したのかと考える間もなくまた姿が消えて、今度は船首の頭に現れる。
左腕は肩の高さまで上げ、右手の平で自身の胸あたりを示し軽く腰を曲げ頭を下げる、少々慇懃無礼な道化じみた動作。姿勢を元に戻してにんまり笑顔と両手でピースサインを送る姿からは、過剰なおふざけが感じ取れた。
「テレポーテーション、なんてね」
どこにもいないしどこにでもいる。簡単に言えば望む場所から望む場所への移動が一瞬で可能なのだと、ディーンはシャンクスへ実演して見せた。「こんな短距離だけじゃなく、海を渡るくらいの長距離もいける」という言葉にも嘘は見えない。
「意識だとか記憶だとかも実際にして見せた方が早いんだろうけど、なんでかさっきから、シャンクスだけは能力の範囲外になるんだよなァ。……覇気のせいかな?」
顎に手を当て首を傾げ、こぼす仮定にそうかもしれないと考える。きっとこの場で気を抜けば、シャンクスも他の船員と同じようにディーンを認識できなくなるだろう。あの幹部たちですらそうなのだから。
「……ちょっと待て、記憶って言ったか?」
「言った言った。正直、今頃はみんなの記憶から俺のこときれいさっぱり無かったことにして、何も言わずに出て行く予定だったし」
たぶんベックマンたちはもう俺のこと覚えてないと思うよ。そんなことを軽い調子で言われて、シャンクスは返す言葉が見付からなかった。どう返すことが正しいのか分からなかった。
船尾側を振り返れば、変わらず娘を囲う船員たちがそこにいる。変化などなく見えるのに、けれど彼らの中では息子の存在は無かったことになっていると言う。
「……酷ェことするなァ」
「俺としては優しさのつもりだったんだけど……?」
どこが優しさなものか。
くしゃりと顔を歪ませたシャンクスが、文句の一つでも言ってやらなければとディーンへと視線を戻す。船首にいたはずのディーンはいつの間にかシャンクスの目の前に立っており、心底分からないという顔で首を傾げていた。
その表情を見てシャンクスの眉尻が下がるも、そんな情けない顔を息子に見せたくなくて右手で顔を覆う。
なぜ分からないのか。家族のことを忘れることが優しさだなどと、どうして思える。
しかしディーンからすれば、後腐れのない別れ方として選んだ最善の手段のつもりだった。
一応大事にされていた自覚もあり、今回のウタの件から変に紐づけて心配されたり、負担にされる可能性を考えた。考えて、それは嫌だなと思った。ウタのことを思い出して悲しむなら、純粋にウタのことだけ思い出して悲しんでほしい。負い目を感じるのもウタに対してだけで十分だ。そこに無駄に自分を紐づけてほしくはない。
それを言葉にしてお願いしたところで、理解不能なくらい前向きで、変なところで繊細で、海賊らしくなく優しくて、海の男らしく情に厚い赤髪海賊団には無理な話だろう。
ならばいっそ、無かったことにしてしまおう。丁度いい能力もあることだし。そう結論づけての行動だった。
相互の認識のずれが大きすぎて修正の仕様もない。
とりあえずディーンは、よく分からないがあのシャンクスが頭を抱える程のことであるらしい、とは理解した。頭を抱えているのではなく顔を覆っているだけなのだが。
理解したと思っても、だからと何を言えばいいかもわからず、オロオロと両手を彷徨わせる。これがウタ相手であれば頭を撫でて謝るか慰めるかするところ、しかし相手がシャンクスとなるとその手の行き場も分からない。いや、だって、大の男の頭撫でるって、なァ??
行き場のない手をそのままに、図らずとも猫のポーズのような格好でディーンはシャンクスの顔をそっと覗き込んだ。瞬間、掴まれた手首に驚き引こうとするも、力が強過ぎてビクともしない。
抗議しようとシャンクスの顔を睨みつけ、思っていたよりも真っ直ぐに見てくる瞳の底知れなさにディーンの気勢が殺がれた。頭上の耳も情けなく伏せられる。同様に尻尾も足の間に丸まっていた。
ディーンの表情はスンとしているものの、耳と尻尾から怯えられていると察したシャンクスは慌てて手を放した。が、一歩二歩とゆっくり後退するディーンの耳と尻尾は変わらず垂れたままだ。
じりじりと距離を置いたまま、先にシャンクスが口を開く。
「……どうあっても、おれたちと一緒に来ちゃくれねェか?」
「食い下がるなァ。俺はもうこの船には乗らないよ。ウタがいないこの船にはもう乗らない」
「なァ、ディーン」
「くどい。乗らねェったら乗らねェ」
笑みを浮かべつつも真剣な目のシャンクスと、呆れた顔のディーン。腕組みし、そっぽを向くディーンの動作は少し幼く感じられた。
しばらく同じ問答を繰り返して、ディーンは埒が明かねェと顔を顰める。シャンクスはさっきまでの様子の鳴りを潜ませて、カラカラと笑っていた。言い続ければいつか折れると思っていそうなシャンクスに、隠そうともせずディーンは大きく溜め息を吐く。
「俺はさ、俺にしかできないことをしようと思ってる」
「おまえにしか出来ないこと?」
首の後ろを掻きつつ渋々話し始めれば、シャンクスはきょとりと僅かに目を丸くする。ああ、まったく、能力さえ効いてくれれば話さずに済んだのに。
「俺は、ウタが作り上げたものが見たい」
「新時代の話か?だが、あれは……」
「違う違う。オカシラがウタに言ったんだろ?あいつの歌は、世界中のみんなを幸せにしてやれるって。だから俺は、ウタの代わりにそれらを見ておきたいんだ。まぁ、代わりにって言うのも変な話だけど」
簡単なことのように言うそれは、つまりはこの世界を渡り歩くつもりであるという事。海ばかりで、危険生物と異常気象ばかりのこの世界を渡り歩く。
普通の人であれば相応以上の技術と運が無ければ難しいが、ディーンは悪魔の実の能力を使えば難しくないことだ。
「海軍が言う、世界転覆計画?そんなん元から一切無かったし、掠りもしない、ウタの最初で最後の命懸けのライブが成功した後の世界。
……俺が能力を使うのはそこまで。世界の歌姫になれてるかはウタ次第だし、世界中のみんなを幸せに出来てるかもウタ次第だけど、まァ、間違いなく陸も海もウタのファンだらけだろ!」
そんなファンの笑顔も、声援も、直接受け取れないウタの代わりに俺が見ておきたい。
そう言うディーンは水平線より遠いどこかを、真っ直ぐ見詰めていた。海と空の色を反射して、ウタと揃いの紫色の瞳が鮮やかにきらめく。
「じゃあ、世界中を見て回ったら、この船に戻って来い」
一大決心の別れのセリフを吐いたつもりだというのに、変わらぬ言葉を繰り返すシャンクスに対してディーンは不満を隠さず視線を遣った。視線の意味を言葉にすれば、俺の話聞いてた?である。
世界は広い。能力を使ったとして、見て回り終えるまでどれだけかかるか。そもそもウタは世代も時代も越えて愛される歌姫なので、おそらく一生涯かけても終わらない予定だったのだ。
──というのは半分冗談で。
「ありがたいけど、それが終わったら次にしたいこともあるから。赤髪海賊団とは今日でお別れだ」
右手の平をシャンクスの眼前に突き出して、ディーンは断固拒否の言葉を吐く。それでもシャンクスの表情は変わらない。これだけ言ってもまだどうにかなると、怖いほど前向きな思考をしているのだろう。
シャンクスの右手がディーンの右手へと伸びて、それをディーンの左手がやんわりと止めた。動作に比べて強い視線で目の前の男を睨みつける。
「間違っても、俺を捕まえようとか、そういうこと考えないでくれよ?海賊らしく欲しいものはァ〜、とか言い出したら本気出して消えるからな?」
「……そんなつれないこと言うなよ、ディーン」
「俺は!」
言葉を遮るように発した言葉は思ったよりも大きかった。
「──……俺は、オカシラを、赤髪海賊団のみんなに対して怒ってないし恨んでもない。そりゃあ、置いてかれたばっかりの時はムカついてはいたけど。
今の俺は、いろんな可能性が見えてる。あのままウタを連れて行ったらどうなったか、俺だけ連れて行ったらどうなったか、二人そろって置いて行ったらどうなってたか。……はは、今も含めてどれがマシかって結果ばっかりだ。
だから、まァ、ウタのことは地味に長くジワジワと気にし続けてほしいけどさ。──俺に関しては気にしなくていいよ」
いいわけあるか、と零れそうな言葉をシャンクスは飲み込んだ。
これは別に親としての責任感だとか、娘を死なせてしまった罪悪感だとか、そういった綺麗なものじゃない。これ以上、おれのものが自身の知らない内に零れ落ちるのが嫌なだけだ。娘の死でよくわかった。手離した方があいつの為だとか、大人として子どもの為にだとか、そんなことを考えたところで意味はないのだ。大切なものなら、手離してはいけない。目の届くところで、自分の懐にでも隠しておかなければ、奪われるだけだ。
だから、だから……。
大海賊団の大頭らしくもなく、子を持つ親らしい顔でもない。途方に暮れたと言うには剣呑な光の宿る目に見詰められて、ディーンは困ったような顔で小さく笑う。
少し視線が迷った後、右手の拳を柔い強さでシャンクスの胸に打つけた。
「嫌いだから側にいないんじゃない。大事だし、好きだけど、それ以上に俺にはしたいことがある」
どちらも同じくらい大事でも、同時に行えないなら優先順位を付けなきゃいけない。申し訳ないけど、揺りかご代わりの宝箱から一緒のウタの方が、ディーンにとっては優先順位が上だった。
おれの、おれたちの息子。……今ではおれだけの息子。きっとこれが、本当に最後の別れなのだろう。
「さよなら父さん」
背中に回された力強い両腕と、己より頭一つ分ほど低い位置にあるつむじ。もう抱え上げる背丈でない息子へ、返せる腕が一つしかないのが今だけは惜しかった。
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