尾形が入院をしてからほぼ毎日、春臣はどうしても外せぬ用事がある日以外は欠かさず病院を訪れ、ベッドに横たわる尾形の様子を静かに眺めていた。
医師や看護師の話によると何度か意識は戻っいるようだが、未だ春臣はその瞬間に立ち会えておらず、もう暫くの間尾形と会話が出来ていなかった。
まあ例え意識が戻ろうとも、砕けた顎の手術を受けたばかりでは話すことは出来ないだろうが。

「…」

そう言えば、と春臣はある事を思い出す。
鶴見中尉の話では、川から引き上げられた際に、尾形は“ふじみ”と指で文字を書いたそうだ。
ふじみ────不死身…?

その異名を持つ男の存在はまだ記憶に新しい。
第一師団の不死身の杉元。
彼が尾形をこんな有様にしたのだろうか。

包帯で覆われた尾形の横顔を眺め思案していると、何やら軽快な足音が近付いて来た。…間違っても病院関係者ではなさそうだ。

「白野上等兵殿〜」
「…宇佐美上等兵殿」

軽快に廊下を歩き、病室の入口から顔出したのはどこかご機嫌そうな宇佐美であった。
つい反射的に眉根を寄せそうになるが、笑顔を浮かべることでなんとか誤魔化す。

「ご機嫌そうですね」
「百之助のこんな様を見られるなんて中々ないからね〜」
「左様ですか」
「って言うかまだ意識戻ってないの?いつまで寝てるんだか」
「重症ですよ、尾形」

ベッドに近付いて来た宇佐美は腰に手を当て、尾形の顔を覗き込むとフーンと鼻を鳴らした。

「そう言えばまたその口調に戻ってるのね」
「…あの時は戦時下でしたので」
「へえ〜何それ。随分面倒くさい事言いますねえ」
「……俺に、用があったのでは?」

宇佐美とのやり取りこそが面倒くさいと、密かに為息を吐いた春臣は口調を少し変え、自分から話題を切り出す。
病室に顔を出した際、宇佐美はまず白野上等兵殿、と自身の名を呼んでいた。その事から、尾形ではなく此方に用事があって病室を訪れたのではと春臣は考えたのだ。

「ああ、そうだった。玉井伍長たちが山で行方知らずになったらしいよ」
「伍長の他に誰が?」
「野間に岡田、それから谷垣」
「それはおかしい。谷垣はマタギだから山の歩き方は知っている筈…」

そもそも四人とも山は初めてではないし、谷垣が同行しているなら尚更山で遭難する事などそう無いと思うが……何か不測の事態でも起きたのか。

「これから捜索に出るらしいから君も準備しなよ。ちなみに!鶴見中尉殿も捜索に加わるって!」
「鶴見中尉殿が?……わかった」

頷いた春臣はベッド脇の椅子から立ち上がり尾形の顔を数秒程眺めると、楽しそうに笑う宇佐美と共に病室を後にした。







防寒具を纏っていても寒いものは寒い。
吐き出した息は真っ白だ。

「…」

山に入って何度か空を仰ぐも、雪雲に覆われた空は太陽さえもずっと見えないままで、気が付けば辺りは随分と薄暗くなっていた。
深々と降り続く雪で辺りは霞み、静寂に包まれた山には自分たち以外の人間の気配はない。
このままでは此方側からも遭難者が出てしまうかもしれない。

「鶴見中尉殿、この雪ではこれ以上の捜索は困難です」
「四人とも山が初めてではない。谷垣においてはマタギの生まれだ。遭難したとは考えにくい」

やはり鶴見中尉と春臣の考えは同じだった。
だとするなら、四人の身に何かあったと考えるのが妥当だが…───一体何が?
顎に手を当て春臣が静かに思案していると、馬の嘶きが聞こえ、次いで鶴見中尉を呼ぶ怒声が山に木霊した。

「鶴見!貴様、私の部下たちを勝手に引き連れてどういうつもりだ!」
「これはこれは、和田大尉」

鼻息荒くズンズンと鶴見中尉に迫って来たのは和田大尉だ。
その後ろには大尉と共に馬に乗って来たらしい月島軍曹が付き添っている。

「一名が重体!四名が行方知れず!おまけに旭川から武器弾薬をごっそり持ち出してきたそうではないか!」

ただでは済まさんぞ鶴見!と唾を飛ばして怒鳴る和田大尉に対し、鶴見中尉は何処吹く風で額から垂れてきた脳汁を布で拭き取っている。

「ああ、失礼。奉天会戦での砲弾の破片が前頭部の頭蓋骨を吹き飛ばしまして。たまに漏れ出すのです」
「そもそも!そんな有様で中尉が務まるか!鶴見!貴様が陸軍に戻る場所は最早ないと思え!」

鶴見中尉を突き刺さんばかりに人差し指を向けて怒鳴り散らす和田大尉を、春臣は呆れたように眺める。
上官だからといって、そう部下を指差すものではない。


「ッ!?」

口に出してはいないが、ほら言わんこっちゃないと鼻で笑う。
向けられた指先にくわっと目を見開いた鶴見中尉はまるで獣のように、ガブッと和田大尉の指に噛み付くとそのまま頭を振って指を噛みちぎってしまったのだ。
ペッと吐き出された指先がこつんと和田大尉にあたって雪に沈む。

「前頭葉も少し損傷してまして、それ以来カッとなりやすくなりましてね。それ以外は至って健康です」
「ッ…!?」
「向かい傷は武人の勲章。益々男前になったと思いませんか?」

そう言って軍帽を押上げ、前頭部を覆った額当てを見せ付ける鶴見中尉に和田大尉は「正気ではないな!?」と血の気の引いた顔でわなわなと震え、背後に控える月島軍曹へと声を投げる。

「…ッ撃て月島軍曹!!」
「はい」

命令に従った月島軍曹が小銃を発砲し、白銀の世界に血飛沫が舞い上がる。
そして銃声が上がると共に崩れ落ちたのは鶴見中尉ではなく、和田大尉の方であった。
完全に人選を間違えている。どうして和田大尉は月島軍曹を付き添わせたのか。
月島軍曹なんてどう見ても鶴見中尉の腹心ではないか。

「服を脱がして埋めておけ。戦友は今でも満州の荒れた冷たい石の下だ」

傍から見れば完全に軍に対する造反であるが、誰一人として鶴見中尉や月島軍曹に銃を向ける者はいない。

「我々の戦争はまだ終わっていない」

ここにいる第七師団兵は皆鶴見中尉の息のかかった者たちなのだ。
鶴見中尉の言葉に無言で頷いた男たちは命令通りに和田大尉の軍服を脱がせると、なんの躊躇もなく上官の亡骸を埋めていく。

さようなら、和田大尉。
それ程嫌いでは無かったですよ。

こんもり盛られた土はあっという間に白い雪に覆われる。
鶴見中尉から次の命令が下るまでの間、春臣たちは冷たい目でそれを眺めていた。






|