「白野上等兵殿!」
鶴見中尉にお使いを頼まれ、花園公園の串団子を買って小樽の拠点へ戻っている途中の事だ。
街中をバタバタ慌ただしく走っていた一等卒が春臣を呼び止めた。
「どうした」
「刺青の事を探っている男がいるとの事で向かったところ、その人物が不死身の杉元と思われる人物でした!」
「それで?」
「現在鶴見中尉と共に拠点へと連行中であります!」
「わかった、俺も急ぎ戻る。ありがとう」
「はっ」
敬礼する一等卒に礼を言い、春臣は団子を包んだ袋を抱え直すと急ぎ足で拠点へと向かう。
まだ杉元本人だと確定していないとは言え、まさかこの北海道にいるとは。
尾形が書いた“ふじみ”の文字────。
これはもしかすると本当に不死身の杉元の事かもしれない。
────…
「白野戻りました」
「う〜ん、実に良い時分に戻ったな白野上等兵」
春臣が拠点に戻ると既に鶴見中尉が尋問を行っているところであった。
鶴見中尉の向かいの席には軍帽を被った男が椅子に座った状態で拘束されており、その背後では二階堂兄弟が銃を突き付けている。
「甘いものは好きか?」
「え?」
「白野上等兵、団子を用意してやってくれ」
「はい」
戻って早々の仕事がお茶汲みとはなんとも。
この男が不死身の杉元本人であるのかすぐに確認したかったのだが、春臣は仕方なく鶴見中尉の命令を優先する。
入室したばかりだが一旦裏へと下がった春臣は誰かが既に沸かしてくれていた湯を使って茶を淹れ、買ってきたばかりの串団子を皿に乗せて尋問部屋へと戻る。
このような仕事は適当な一等卒にでもやらせれば良いのだが、鶴見中尉は春臣が淹れるお茶を非常に気に入っており、休憩の折にはよく頼まれていた。
正直春臣には味の違いはよく分からないが、他の上官からも評判は良かったので多分美味しいのだろう。知らないが。
「お待た致しました」
「ありがとう白野上等兵。────小樽の花園公園名物の串団子だ」
尋問部屋へ戻った春臣は慣れた動作で湯呑みを配ると、二人の中心に主役である串団子を置く。
それを見て満足そうに頷いた鶴見中尉が団子を食べるよう勧めてやれば、杉元と思わしき男は拘束された手で器用に串を一本掴むと大きな口で団子を頬張った。
「うまい。甘いものは久しぶりなんで唾液腺が弾けそうだ」
「うんうんうん。お茶も美味いぞ」
「本当だうまい。アンタが淹れたの?」
「白野はお茶淹れの名人だ」
「そのような事実はありませんが恐縮です」
これまた器用に湯呑みを持って茶を啜る男と初めて目が合う。
整った顔だが凄まじい傷跡だ。それに随分と殴られたらしく、鼻血も出ているし口も切れている。
だが怪我をしている上、銃を突き付けられているというのに平然と団子を食い茶を啜るその度胸と言ったら。…やっぱり不死身の杉元だろ、これ。
「ふじみ、ふじみ……川岸で瀕死の部下が見付かり指で文字を書いた」
「……ごちそうさま。出口は向こうかな?」
団子のタレで机に“ふじみ”と画く鶴見中尉の行動に、ピクっと眉を寄せた男は席を立ち上がる。
慌てて二階堂や他の一等卒が銃口を向けるが脅しにもなっていない。
「尾形上等兵をやったのはお前だな。不死身の杉元」
ドンッと机を叩き鶴見中尉が注目を集めるが、何処吹く風の男は二階堂兄弟の区別が付かないから目印を付けろだのと話を逸らす。
「…人違いだな。俺は杉元なんて名前じゃねぇ」
「一度だけ不死身の杉元を旅順で見かけた。少し遠かったが、鬼神の如き壮烈な戦いぶりに目を奪われた」
あの時見たのはお前だ、と鶴見中尉が更に追い詰めるが、男は表情を変えないまま「俺は第二師団だ。旅順には行ってない」とまだシラを切る。
それに対して鶴見中尉は手持ちの団子を食べ切ると、怪しい笑みを浮かべて串を弄り、尾形が何故杉元に接近したのか自らの見解を話していく。
金塊の在処を示した刺青を杉元が持っていたからではないか、と。
「どこに隠した?」
「金塊?刺青?何を言ってるのかさっぱりだ。お前らの大将は頭大丈夫なのか?」
「脳が少し砲弾で吹き飛んでおる」
「ハハハッ」
第七師団からするとあまりにも笑えない冗談なのだが、何も知らない男が容赦なく笑った時だった。
男のその頬を団子の串が貫通した。
突然の事に、間近で見ていた春臣は内心で悲鳴を上げたが、刺された当の本人は悲鳴はおろか瞬き一つもすることは無かった。
「大した男だ。やはりお前は不死身の杉元だ」
そう確信を得た鶴見中尉は、杉元へとアイヌの金塊を軍資金にして軍事政権を樹立させる計画を話す。
そして得意の話術で誑し込み、お前のように勇猛な兵士が欲しいと杉元を勧誘するが…
「付き合ってられん」
頬から串を引き抜いた杉元は、まるで吐き捨てるように鶴見中尉の誘いをあっさり断った。
「────尾形上等兵をやったのって、お前で間違いないのか?不死身の杉元さん」
そう尋ねる春臣に、杉元は俯かせていた顔を上げる。
その頬には一度抜いた団子の串が今度は二本刺さっている。
誘いを断った腹いせにと、鶴見中尉にまた突き刺されたのだ。
その鶴見中尉は杉元をこのまま拘束しておくよう命じて部屋を後にしており、今この部屋には春臣と杉元しかいない。
「アンタらの言う尾形かどうかはわからんけど、確かに兵士とは戦った」
「…で、極寒の川に突き落とした?」
「いや突き落としたと言うか…小銃ぶん投げて当てたら落ちちゃったと言うか」
「投げた…?」
何故小銃を投げたのか疑問には思いつつ、話を聞いている限り尾形をやった犯人は杉元で間違いなさそうだ。
尾形の仇討ちをしてやりたいところだが、生憎殺すなと命じられているし、個人的に聞きたい事もある。
「そもそも、なんで尾形と杉元は戦ったんだ?」
「先に向こうが撃って来たんだよ」
「ふーん?で、何か言ってなかったか?」
「何かって?」
「…撃った理由とか」
「こっちが知りたいっつーの。…ってかお前らと同じで刺青探してたんだろ」
違うのかよ?と首を傾げる杉元に春臣は顎に手を当て考え込る素振りをする。
鶴見中尉も和田大尉も尾形の行動を把握していなかった。つまり尾形はどちらかの命令を受けていたのではなく、自分の意思で動いていたわけだ。…個人的な理由で金塊を?
以前話していた“目的”に関係するのだろうか。
……これはもしかすると、もっと上の人物からの指示なのかもしれない。
「なあ、お茶汲みさん」
「お茶汲みじゃねぇよ」
「これ抜いてくれない?」
喋りにくいんだけど、と思考に耽る春臣に声を掛け、その意識を現実へと引き戻した杉元は顎をしゃくらせて串を指す。
確かに串が二本も頬を貫通していたら喋りにくいだろう。というか物凄く痛いに決まっている。
「鶴見中尉殿から何もするなと命じられている」
「一番まともそうに見えたのに、所詮はアンタもあの鶴見中尉とか言う奴の犬かよ」
「まとも?俺が?……お前も従軍していたならわかるだろう。上官の命令は絶対ってな」
「俺は気に入らねぇ上官はぶん殴って来た」
「ハハッ」
そう言う杉元の目を見る限り、それは嘘でも冗談でもないのだろう。あれは本気の目だ。そして、春臣たちと同じ人殺しの目でもある。
杉元の戦場での戦いぶりはまだ記憶に新しい。距離があればまだ何とかなるが、このように接近した状態で暴れられてはまず勝てないだろう。つくづく思うが、拘束されていて良かった。
「……俺はもう行く。これ以上痛い目にあいたくないないならさっさと刺青の隠し場所を吐くんだな」
「…」
無言で睨みをきかせる杉元から数歩後退って距離をとり、それから漸く春臣は踵を返して部屋を出て行った。
⌘
夜更け過ぎ。仮眠をとっていた春臣は騒々しさに「またか」と目を覚ます。今日はこれで二度目だ。
一度目は物凄い音に慌てて駆け付けたところ、皆の目を盗んで杉元に暴行を加えていたらしい二階堂兄弟が逆に返り討ちにあっているところであった。
命令違反の挙句、拘束されていて身体の自由が利かない相手にやられるなんてどうしようも無い奴らだ、と思う反面、さすがは不死身の杉元と関心してしまったものだ。
さて、今度は何事だろうか。
少し伸びた前髪を掻き上げて軍帽を被り、溜息を吐き出しながら騒ぎの元へと急ぐ。
どうやらまた杉元のところらしい。
「何だ、こんな時間に騒々しい」
「ああ、白野上等兵殿…。実は二階堂が…。我々が駆け付けた時には既に…」
一等卒の言葉にやや呆れながら騒ぎの中心へと歩を進めると、泣き叫んで暴れる二階堂を何人かの兵が必死に止めており、その視線は杉元が拘禁されている部屋に向けられている。
漂う血の臭いに眉を顰めながら部屋を覗くと、目を見開いて事切れている二階堂の片割れと、血塗れの杉元が床に座り込んでいた。
荒い呼吸を繰り返して腹を押える杉元の手元からは赤いはらわたが溢れており、さすがの不死身の男も年貢の納め時が来たらしいと悟る。
「鶴見中尉殿」
遅れて到着した鶴見中尉が春臣同様、中の様子を覗き込むとニイと口角を上げた。
「まさに風口の蝋燭だな杉元」
「助け、ろ…刺青人皮でも何でも、くれてやる」
その言葉が聞きたかったと言わんばかりに笑った鶴見中尉は、馬橇を用意して杉元を街で一番の医者に連れて行くよう部下に命じる。
「最善は尽くす。お前もそれに報いろ。今際の際を悟ったら刺青人皮の場所を伝えろ。いいな?」
「俺は、絶対死なん…!」
馬橇に乗せるべく担架で運ばれる杉元にそう囁くと、鶴見中尉は今度は傍に控える春臣へと耳打ちする。
「私も後を追うから杉元に声を掛け続けろ。死ぬ前に在処を聞き出せ」
「はい。────…行こう」
頷いた春臣は一等卒と共に外に出ると、既に馬橇に乗せられている息絶え絶えな杉元を一瞥してから自らも乗り込む。
「頑張れよ杉元。良い病院に連れて行ってやるから」
そうして命令通りに声掛けると、馬の手綱を振って橇を走らせ徐々に速度を上げていく。
手網を握る春臣に変わり、今は連れの一等卒が杉元に声を掛け続けているが風を切る音が邪魔をして内容まではよく聞き取れない。
「……寒、」
冬の北海道、加えて今は深夜だ。顔を叩く風は恐ろしく冷たい。
元々寒いのが得意でない春臣は、杉元を病院に運んだら風呂にでも入って温まるかと手網を握ったまま思考に耽ける。
────その時だった。
背後で人が動く気配がし、何か鈍い音がした。
「……は、」
嫌な予感に恐る恐る振り返ると、同乗していた一等卒の姿がどこにもなく、代わりに瀕死であるはずの杉元がそこに立っていた。
「…っ、冗談だろ!」
咄嗟に傍らの小銃へと手を伸ばすと、杉元が手で押えていたはらわたを投げ付けて来る。
それを片手で払い除け、すぐさまボルトを操作して発砲するが、一気に距離を詰めてきた杉元の掌底によって銃口は逸らされ、弾はあらぬ方向へと飛んで行った。
ならばと、春臣は小銃をくるり回し銃床で杉元を殴り付けるも、怯むことなく伸びてきた手が小銃を掴む。
そして掴んだ小銃を物凄い力で振り回し、堪らず手を離した春臣を橇の後方へ吹っ飛ばしてしまった。
「っ…!」
なんとか橇上に着地をしたものの、小銃を奪われてしまった春臣は腰の銃剣を引き抜いて前で構える。
溢れたはらわたは偽装だったが、手負いである事には間違いない。それでもこの強さ。
不死身の杉元…!
「悪いが降りろよ、お茶汲みさん」
「お茶汲みじゃないって言ってんだろ」
銃剣を構えて距離を詰める春臣に杉元が小銃を構えるも、その銃身にボルトはない。
咄嗟であったが、吹っ飛ばされる際に取り外して置いたのだ。
「ったく、手が早ぇ…ッ!何なんだよお前ら!」
そう吐き捨てながら小銃を捨てた杉元は、突き出される銃剣を屈んで躱すと、そのまま抱きつくように飛び付いて春臣の体を橇へと押し倒す。
「ぐっ」
背中を打ち付けた痛みに一瞬顔を顰めるも、春臣はすぐさま銃剣を杉元の肩目掛けて振り下ろす────が、腕ごと振り払われ、その衝撃で銃剣までも手から離れてしまった。
ならば殴るしかない。
「このッ…!」
「くっ…!」
ぐるんと身体を回して体勢を入れ替え、今度は春臣が杉元に馬乗りになる。
そうして何度か顔面を殴り付けるも、意識を飛ばすどころか、杉元の目は殺意に満ち溢れている。
その狂気を垣間見たせいか思わず笑いが溢れ、春臣は口角を上げたまま再度拳を振り下ろす。
「っ」
だがすんでのところで拳を受け止められ、それを軸にして杉元が体勢を入れ替えようと体を捻った。
負けじと春臣も体を捻れば、二人の体はごろごろと不安定な橇の上を転げ回る。
「、!?」
「うおっ…!?」
と、雪上で何かを踏んだのか、御者のいない馬橇はガタンと大きく揺れ、その衝撃で取っ組みあっていた二人は共に雪の上へと投げ出されてしまう。
反射的に二人は受け身を摂る為互いを掴んでいた手を離すが、走っている橇から落ちた勢いは簡単には殺せず、ゴロゴロと雪上を転がる。
「俺は、不死身の杉元だ…!」
「っ、待て杉元…!!」
そう叫ぶ不死身の男はどうやら運も良いらしい。
杉元が転がり落ちたところには丁度良く馬橇から伸びて引き摺られていた縄があり、杉元はそれをガッと掴むと腕の力だけで橇へと這い上がって行く。
そうして春臣の体が漸く静止する頃には馬橇に乗った杉元はかなり遠ざかっていた。
小銃でもあれば話は違うが、これでは何も出来ない。
くそ、と苛立ちに拳を地に叩き付けるも衝撃はなく、ただ雪に埋もれるだけであった。
「────避けろ白野!」
「、…!」
遠ざかる馬橇を苦い思いで見ていると、雪を蹴る音が背後から聞こえ、次いで鶴見中尉の命令が飛ぶ。
咄嗟に転がって横に避けると、春臣がいた場所を馬に乗った鶴見中尉が駆け抜けて行った。
橇から落ちた時点で春臣はこれ以上杉元を追うつもりはなかったが、上官が単身で駆けて行ったのだから部下である春臣が追わないわけにいかない。
くそ、とまたぼやいて立ち上がった春臣は雪を蹴って鶴見中尉の後を追った。