「やあ、尾形上等兵殿」
「…」

あくる日。
すっかりまた猫を被った白野 春臣はにこやかな顔で射撃の自主訓練中の尾形に声を掛けた。

「…なんだ猫被り上等兵殿」
「おい」
「俺が貸しにしたのは“そっち”ではないぞ」

上官殴打の件は貸しにしたが、猫被りの方はそうではない。
尾形がそう伝えると白野は目を瞬かせ、「確かに」と納得したように頷いた。

「まあいいや。───ご一緒しても?」
「…好きにしろ」
「どうも」

どの道拒否されても尾形の隣を陣取るつもりだったが。尾形から正式な了承を得た為、白野は堂々と隣で射撃の準備を始める。
その様子を横目で眺めていた尾形は先日の会話を思い出す。

「マタギではないと言っていたな」
「ん、ああそうだな。マタギの爺さんに撃ち方を教わりはしたが」
「…それをマタギとは言わんのか」
「言わん。元より俺は軍人になるつもりだったからな」

銃の扱いに長けていれば軍では有利だろ、と続けた白野は準備を終えた小銃をスッと構え、よく慣れた手つきでボルトを操作して弾を撃つ。
放たれた弾はやはり的の中心を捉えていた。

「動かない的は面白くないな。鴨でも撃ちたい」
「鶴見中尉殿に狩りの許可でも取ったらどうだ」
「良い考えだな、そうしよう。…その時は誘うから尾形も付き合えよ」
「なぜ」
「純粋に尾形の狙撃が見たいんだよ」
「…」

何か狙いがあるのか、はたまた本心なのか。
整った顔で柔く笑む白野に特に返事をせず、尾形は自身の小銃の引き金を引いた。










それからの二人は顔を合わせれば会話をしたり、食事を共に取ったりなど、ある程度の仲になっていた。
件の鴨撃ちも、後日本当に許可を取ってきた白野に当初は呆れていたものの、渋々同行して山に入ってしまえば尾形自身もそれなりに楽しんで鴨を撃っていた。
白野も自身で撃つことは然る事乍ら、飛んでいる鴨を易々と撃ち落とす尾形を見て「すごいな」と大いに喜んだ。


「腹が減ったな。尾形、飯行こう」
「ああ」

周りに人がいようが最早面倒臭いらしく、尾形と隣にいる際は猫を被ることを辞めた白野の変わり様に、周りの者たちは大変驚いていた。
あの品行方正の化身である白野 春臣が尾形と気さくに話しているのだ。
白野の本性を見抜けぬ者たちは一体何がどうなってそうなったと異色の組み合わせに憶測を言い合う。

最近兵営で流れる噂は専らこの二人のことであった。
噂されることには互いに慣れているし何を言われようと興味もない為、大して気にせず過ごしていたが…

「尾形、聞きたいことがあるんだが」

遂に本人に噂の真偽を尋ねる者が現れた。
だが尋ねると言っても白野と尾形、どちらも近寄り難く声を掛けるには些か躊躇してしまうが…軍の男たちは好奇心を抑えられなかったらしい。
二人を天秤にかけた結果、品行方正で清すぎる存在の白野よりもまだ話し掛けやすいだろうと、尾形と同室の男たちに白羽の矢が立ったのだ。

「最近白野殿と随分仲が良いみたいだが何か理由があるのか?」
「ねえよ別に」
「仲良いことは否定しないんだな」
「いやでも、お前たち性格があまりにも正反対だろ。何もなければ関わることすらなくないか?」
「互いに射撃が得意だからか?それだけで?」

そう言ってうーん、と唸る男たちを尾形は鼻で笑う。
そりゃお前たちは白野の本性を知らないのだからな。
話は終わりだと居心地の悪い部屋から去ろうとした時、同室の男が放った言葉に思わず尾形の足が止まる。

「あれか、やはり妾の子同士、何か思うところがあるのか」

妾の子、そんな男の言葉に胸がざわつく。
尾形は無言で振り返るも、男たちの興味は既に目の前の尾形から白野の話に移っており、興味津々に続きを促す。

「最近噂で聞いたんだがな?あくまで噂だぞ?…どうやら白野殿はとある将校の妾の子らしい」
「とある将校って誰だよ」
「さあ、噂だからな…第一師団にいるとか中央のお偉いさんだとか」
「そう言えば、白野殿は確か元は第一師団所属だったな」
「優秀だということで鶴見中尉殿が直々に引っ張って来たらしいが…それは表向きの理由だろうな」
「父君は一体誰だろう」
「あの麗しい顔は芸者の母親似だろうか」
「違いない」

飛び交う憶測。
尾形はここで初めて白野に関する良いとは言えない噂を耳にした。

それからも男たちはああだこうだと憶測を立てることに熱中し、尾形が退室した事に気付くことはなかった。




────…


「尾形?」

不意に声を掛けられ、視線をそちらへ向けると今胸中を締めている人物がそこにいた。

「……白野」
「どうしたこんなところで。お前も上官殿からの呼び出しか?」
「いや、…」
「珍しくぼーっとしてるな。大丈夫か」

言われて気付くが、どうやら尾形は無意識に上官のいる兵舎へと足を向けていたようだ。
何かと耳聡い鶴見中尉に噂の真偽でも尋ねようとしたのだろうか。
それにしてもまさかそこでばったりと白野に出会すとは。

「お前は鶴見中尉殿に呼ばれていたのか」
「まあ。……良くない噂が出回ってるようだが大丈夫かってな」
「……その噂というのはお前の父親のことか」
「そうだけど…もうそんなに出回ってるのか?」

まさか尾形の耳にまで届いてるとは、と白野は少しバツが悪そうに頬を掻く。
その反応からすると噂は本当のようだ。
白野 春臣も尾形と同じ、妾の子。
なら、自分と白野に違いはあるのか。

「…今更どこから漏洩したのかは知らないが、まあ別にそう珍しい話じゃない」
「…」
「尾形は、俺の身の上話を聞く気はあるか?」
「……聞いてやる」
「なら、例の物置部屋にでも行こう」

そう言って尾形を手招きで誘うと、白野は足早に上官兵舎を後にする。
尾形は無言でその背を追った。



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