一体いつから掃除をしていないのか。
白野が窓枠をふぅと吹けば溜まった埃が盛大に舞った。
「さて何から話そうか」
「…まず、あの噂は事実なのか」
「事実だ。とある将校と妾の間に生まれた子供が俺」
記憶は無いが、母曰く。どうやら父上には母子共々可愛がって貰っていたらしい。
だが父とその正妻との間に子供が出来たら、妾の母は身を引く他なかった。
迷惑をかけぬ様、俺を連れてひっそり実家へと帰ったそうだ。
「母は毎日、お前の父は陸軍将校で立派な人だと俺に言って聞かせた。…妾と子を作る時点で立派かどうかは知らんが」
「……」
尾形の身の上を知ってか知らずか。
いや、恐らく知った上で敢えてそう語る白野は、尾形の反応を気にすることなく話を続ける。
「それから十年、母と二人でひっそり田舎で暮らした。流行病で母が死ぬまで、結局一度も文が届くこともなく葬式にすら父上は来なかった」
まるでどこかで聞いたことのある話だ、と尾形は眉を寄せる。
「世間知らずでおめでたい奴だった俺は、父上は母が死んだのをご存知ないのだと。これは知らせねばと、葬式が終わってすぐに俺は一人で東京へと発った」
生前の母から聞いた情報を頼りに、迷惑をかけぬ様身分を明かさぬまま第一師団を訪ねたが…まあ当然会わせては貰えなかった。
「そもそも父と母が別れてから十年経っている。父上がまだそこいたのかどうかすら怪しかったな」
「馬鹿か」
「馬鹿だったな。で、行きの金しか持っていなかったから、そのまま路頭に迷った」
「後先を考えろ」
「あー耳の痛い話だ」
尾形の辛辣な言葉にくつくつと笑い、白野は話を続ける。
「宛もなくふらふらしていたら街に獲物を売りに来ていたマタギと会ってな。聞かれるままに身の上を話したら爺さんは随分と人が良くて俺を家に招いてくれた」
「それが例のマタギの爺さんか」
これまでの話で、てっきりそのマタギは白野の身内かと尾形は思っていたのだが、違うらしい。
それにしても見知らぬ子供を招いて面倒を見ようなどと、そのマタギは人が良いにも程があるのではないか。
「どうすることもできず爺さんに相談したんだ。どうやったら父上に会えるか。…軍人になって出世したらどうだと言われた」
なるほど一理あると納得した俺は、それなら銃の撃ち方を教えてくれと爺さんに頼んだ。
徴兵検査までまだ数年あったし、その間に出来ることはしようと思ったんだ。
「爺さんは何度か金をくれて俺を家に帰らせようしたが…結局一度も帰らず、ずっと爺さんの後を追って山を歩いた」
そして俺が爺さんの元で暮らして数年経ったある日、爺さんが殺された。
二人で狩りをしていた時だった。
俺は容姿が整っていたから、どうやら前々から人攫いに目を付けられていたらしい。
邪魔な爺さんを先に殺してあとは俺を、と。
「…で、どうしたんだ」
「猟銃撃って人攫いを二人殺した」
「……」
「こっちは爺さんも殺されて攫われるところだったって言ってるのに、周りはやれ残酷だ、やれ鬼の子だの」
話にならねえと大人しく拘置所で捕まっていたら、どこで俺の噂を聞き付けたのか、鶴見中尉殿が面会に来たわけだ。
曰く、以前に俺が父上を訪ねたことが発端となり、どうやら妾の子がいる、妾の子が訪ねて来たと一部で噂されていたらしい。
その真偽を確かめる為に鶴見中尉殿は何年も妾の子である俺を探していたそうだ。
「なぜ鶴見中尉が真偽を気にする?」
「口では何か上手いことを言っていたが、実際のところ父上の弱みでも欲しかったんじゃないか」
その後は鶴見中尉殿の口利きで俺は殺人の正当性が認められて無罪放免。
「数年後、無事入営。その後は鶴見中尉殿に引っ張られ第七師団へ転属。というわけだ」
「……肝心のお父上には会ったのか」
尾形の問いに白野は眉根を寄せて首を横に振る。
「もう子供じゃないからな、わかる。父上は母が死んだことはご存知だった。知っていて葬式に来なかった。俺と母は捨てられたんだ」
「…」
尾形が、ぐっと拳を握った。
一通りを話し終え、伏し目がちにそれを見ていた白野はハアと長いため息を吐く。
「……なあ。笑えるくらい、よくある話だろ」
「…」
「尾形は、お父上に会いたいか。認められたいか」
「……」
「俺はもう良い。何も期待しない。……ただ、見返してやれたら良いなとは思う」
だから“お利口”に。
行けるところまで昇進して、それでも届かないなら俺自身が父上の弱みとなって、その地位を揺さぶってやろうか。
「鶴見中尉に従っているのはその為か」
「向こうだって俺を利用するのだから、俺が利用したとて別に文句は言えないだろう」
フンと鼻を鳴らした白野は一拍置いた後、「よし」と言って控えめに手を叩く。
「以上で俺の身の上話は終わりだ。つまらん話を聞かせて悪かったな尾形」
「……」
「…俺はな、尾形。お前の噂を耳にした時から、…本当に勝手だが、お前に親近感を持ってる」
俺とお前はよく似ているだろう。
白野のその言葉に尾形は何も答えることはなかった。