鶴見中尉から信頼という名の脅迫を受けてから幾日が経った。
尾形とは相変わらず射撃訓練や食事を共にしたりと少なくは無い関わりを持っているが、それは鶴見中尉の命令があるからではない。
只々尾形と共にいるのは春臣にとって楽であったのだ。

猫を被る必要も無いし、階級も同じだから気を遣わない。
そして尾形は優秀で頭の回転も早い為、こういう状況ではこうするなど、露西亜との戦争を見越した見解を聞くのが純粋に楽しい。
特に精密射撃を得意とする部隊を作るべきでは、という意見には春臣も大きく頷いて同意した。これは後で上官に進言しておこうと思う。


「どうなんだよ百之助ぇ───…」
「別に───……」

兵営を歩いていると聞き慣れた声が聞こえて来た。
片方は尾形で、もう一方は恐らく…鶴見中尉を信奉している宇佐美上等兵だ。
彼も同じ上等兵ではあるが、これまで関わったことがない上、変わり者という噂もよく耳にするので寄らぬが吉だとは思う。
しかし、宇佐美に詰め寄られて尾形が面倒臭そうにしているので、仕方なく助け舟でも出してやるか、と割って入ることにした。
春臣はにこっと笑顔を作り二人の元へとゆっくりと近付いて行った。

「こんにちは宇佐美上等兵殿。尾形と何をお話ですか?」
「んー?…これはこれは白野上等兵殿!ちょうど貴方の話をしていたんですよ!」
「俺の?」

まさかだった。まさか春臣自身の話をしているとは、割って入った本人も予想しておらず、目を丸くして驚いてしまった。

「ほら百之助と仲が良いって噂!」
「ああ、まあ…」
「それと妾の子だって噂!どこぞの将校の子供なんでしょう?…ああ、だから妾の子同士ってことで仲が良いのかな?」
「ううん、どうなんですかねぇ」
「百之助に何か知ってるか聞いても別に、って全然答えになってないし」
「俺に聞いたところで知らんものは知らん」

はあコイツ本気で嫌、みたいな顔をしている尾形に笑いそうになるも、得意のにっこり笑顔でなんとか乗り切る。
どうやら尾形は春臣の生い立ちを知らないていで話をしているようだった。
それに比べ宇佐美上等兵はあれだな、配慮というものが無いようだ。面倒だから話を変えてしまおう。

「名前で呼んでますし、宇佐美上等兵殿の方が尾形と親しそうですけどね」
「僕が?こいつと?」
「やめろ気色悪い」
「うん気持ち悪い」
「ええ……」
「っていうか仲が良いなら呼んであげたら?百之助って」
「…そうですね機会があれば」

そう言ってにっこりと微笑めば、宇佐美もフフと笑ってみせる。
だがすぐさま何かを思い出したように目をかっ開いてこちらに迫って来たので一瞬で笑顔が引き攣った。何こいつ怖。

「そういえば!白野殿はよく鶴見中尉殿に呼び出されてるって聞いたけど、それ本当??」
「ええまあ、良くお使いを頼まれるので」
「お使いぃ?はあ?鶴見中尉殿から直々に?僕ですら滅多にないのに?」
「うーん」
「そうやって良い子ぶって鶴見中尉殿に気に入られようって?ちょこっと顔が良いだけのただの駒のくせにむかつくんだけど!」
「ええ……」

急に怒り出す宇佐美にさすがの白野もたじろぐ。
情緒が不安定すぎる。そもそも良い子ぶってるのはその鶴見中尉の命令故なのだが。
知る由もない宇佐美は尚も怒りを募らせている。
一方で尾形は完全に空気と一体化していた。

助け舟のつもりで割り込んた事を春臣は激しく後悔したが後の祭りだ。

「…宇佐美上等兵殿は鶴見中尉殿からの信頼がとても厚いので、与えられる任務はとても重要なものなのでしょう。とても重要な任務はそう頻繁にはないですものね」

とてもを強調してそう言えば、怒り狂っていた宇佐美がピタッと大人しくなる。

「俺が頼まれるのは団子を買って来てくれとか、一等卒でも、二等卒でもいやいや子供でも出来るような可愛いお使いですよ」
「そうなの?」
「きっと宇佐美上等兵殿くらい信頼されていないと重要な任務はお任せ頂けないんでしょうねぇ。私など所詮安い捨て駒ですし。…あ、そうだ今度近くに行く機会があったらお土産にどうですか?花園公園の団子とか」
「ああそう、今度買ってみるよ」
「宇佐美上等兵殿から贈られたとなれば、きっと喜びますよ鶴見中尉殿」
「わかったありがとう。白野殿は思っていたよりもずっと良い人だねぇ。立場も弁えてるみたいだし」
「いえいえ」
「じゃあ僕は用事があるから、またね」
「はい、また」

そうして笑顔で去っていく宇佐美に春臣も同じく笑顔で手を振り見送る。
そして姿が見えなくなると同時にこれでもか、というくらい盛大な溜息を吐いた。

「何アイツめちゃくちゃやばいんだが」
「あの宇佐美相手に良く乗りきったな。気が気ではなかったぞ」
「嘘付け笑ってた癖に」

漸く空気でなくなった尾形は薄ら笑みを浮かべて白野の肩にぽん、と手を乗せる。とてもわざとらしい。

「尾形が絡まれて困ってそうだったから助け舟出したのに…酷い目にあった」
「ははぁ、親切心が仇となったな」

笑って軍帽を撫で付ける尾形をじと目で見つめ、以前にも数回見たその動作が尾形の癖なんだなぁと内心で思う。
────それにしても、

「…百之助か」
「……あ?」
「いや。いい名前だなぁって」
「…意味がわからん」
「知らないの?百って良い字だよ」
「知らんしどうでも良い。…お前は春臣だったか」
「なんなら春臣って呼んでも良いぞ」
「なんで」
「割と気に入ってる名前なんだよ。まあ呼んでくれる人はいないけど」
「…へえ」
「俺もたまに百之助って呼ぶから」
「…」

暫く黙り込んだ後、たまに?と鼻を鳴らして問う尾形に「そう、たまに」と笑ってやる。

百は多くの、という意味を持つ。
多くの幸せが得られるように、そんな想いを込めて付けられた名前なのではないだろうか。
本人はきっとその意味を知らないだろうけど。

その名を呼ぶ時はせめて大切に呼んでやろうと春臣は思った。






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