「また鴨でも撃つのか」
「今度は鹿とかも良いな。美味いんだよな、鹿」
「鹿か…」
鹿のあの脂身の少なさと肉肉しさは食べ応えがあって非常に美味なのだ。
力説する春臣に尾形はうん、と頷く。
「春臣が許可取るなら」
「取る取る」
あれから尾形は気まぐれではあるが、春臣を名前で呼ぶことが増えた。
この名前を気に入っているが呼んでくれる人がいない、と言った春臣の憂いを晴らそうとしてくれているのか。
人に興味関心がないような顔をして、実は律儀な一面を持つ尾形が春臣は割と好きだった。
「余分に仕留めて献上してやるか」
「さすがはお利口さん」
日頃の行いが良い春臣の頼み事となれば、どの上官に掛け合っても許可が降りないはずがない。
前回は鶴見中尉に頼んだし、今回は和田大尉に頼んでみようか。
そうして二人が狩りに思いを馳せつつ廊下を歩いていた時だった────。
「兄様!」
背後から掛けられた声に心当たりのあった春臣は姿勢を正してすぐ様振り返るとそのまま声の主へと敬礼する。
同様に、春臣程ではないが、尾形も姿勢を正して振り返り、敬礼をしながら抑揚のない声で声の主を諌めた。
「勇作殿…再三言っておりますが私を兄と呼ぶのは、…」
「失礼致しました!後ろ姿をお見掛けしてしまったら、つい」
そう言って照れ臭そうにはにかむのは花沢勇作少尉────…尾形の腹違いの弟だ。
そのどこまでも清らかな視線がこちらを向いたので春臣もにこりと微笑んで挨拶をする。
「こんにちは花沢少尉殿」
「ああ、白野上等兵殿!一緒に居られるということは兄様と仲が良いという噂は本当だったのですね」
「花沢少尉殿、私に敬語は不要ですよ」
「ですが兄様のご友人ですから!」
「白野の言う通りです、勇作殿。規律が乱れます」
「申し訳御座いません兄様!」
謝りつつも尾形を「兄様」と呼び続ける花沢少尉基、勇作殿に春臣は面白みを感じ、二人のやり取りを一歩引いて見守る事にした。
「実はですね兄様、先日外出した際に食べた大福がとても美味でして」
「そうですか。それは良かったです」
「はい!是非兄様にも召し上がって頂きたいと思うのですが、大福はお好きですか?」
「特に好きも嫌いもありません」
「承知しました!ちなみに兄様のお好きなものはなんですか?」
「はて、何でしょうな」
「うーん…ああそう言えば明日から天候が崩れるそうですよ。最近は良い天気が続いていたので残念です」
「それは残念ですね」
「はい、ですので兄様、お風邪を召しませぬよう温かくお過ごしくださいね」
「はい。勇作殿も十分お気を付けください」
「ありがとうございます!」
弟だが立場的には上官だから蔑ろに出来ない、というのもあるだろうが、律儀に返事をして会話を成立させている尾形が面白くて笑ってしまう。
すると思い出したように二人の目がこちらに向いた。
「ああ、失礼しました!白野殿が居られたというのに…」
「いえ。兄弟仲がよろしくて結構だと思います」
「そうですか!その様に見えましたか!」
それは嬉しいと喜びを噛み締めるように笑む勇作殿を尾形は無言で見つめ、そして何か言いたげに春臣へと視線を移す。
どうにかしろと言われている気がしたので「…ああ!」と何か思い出したように声を上げてやった。
「申し訳ございません花沢少尉殿。すっり忘れていましたが、これから射撃訓練を行うのでした」
「そうでしたか!こちらの方こそお二人に時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」
「勇作殿、部下である我々にその様に謝らないでください」
「はい、兄様!…お二人の射撃の腕はかねがね聞いております。是非今度ご指導頂ければ!」
「そうですね、機会があれば是非」
「ありがとうございます!それでは私はこれで失礼致します」
そう言ってペコリと綺麗なお辞儀をして去っていく勇作殿の真っ直ぐ伸びた背を見えなくなるまで見送り、尾形は長い溜息を吐いた。
「疲れた」
「勇作殿は楽しそうだったぞ」
「何が楽しいのか俺にはわからん…」
何度注意しても兄様と呼ぶし敬語を使うし、とぼそぼそ呟く尾形が可笑しくて春臣は笑ってその肩をぽんぽんと、叩く。
「頑張ったな兄様」
「糞が」
⌘
勇作殿の言った通り、あれから数日の間は天候が不安定で外出もできず射撃訓練に精を出すこともできず不完全燃焼な日々を送っていた。
そして漸く天気が安定した日に、春臣は上官からの呼び出しを受けた。
「失礼致します。白野です」
「ああ、白野上等兵殿。お呼び立てして申し訳ない」
入室をした春臣を出迎えたのは爽やかな笑顔に腰の低い物言い。
そう、鶴見中尉でもなく和田大尉でもなく、花沢勇作少尉に呼び出されたのだった。
「花沢少尉殿、先日申しましたように私に敬語は不要です。どうぞ気兼ねなく」
「ああ、いや、うん…とは言ってもですね、」
もじもじと困ったように笑う勇作殿に春臣も苦笑を零す。
「それで、私を呼んだ要件とは」
「実は外出に際し、付き添いをお願いしたいと思いまして」
「承知致しました。外出は本日でしょうか?」
「この後なのですが、白野上等兵殿の都合が良ければ是非お願いしたい」
「問題ありません。では、すぐに装備を整えて参ります」
勇作殿からの呼び出しは初めてだった為、一体何事かと思っていたが…外出の付き添いとは。
将校ともなると仕事だろうが私用だろうが気軽に一人で外出できないらしい。
にしてもどういった人選で俺が選ばれたのか。
お慕いしている兄様や月島軍曹とかに頼んだ方が良かったのでは…
春臣は内心首を傾げつつ、装備を整える為に一度退室し自室へと急いだ。
────…
小銃、銃剣をきっちり携えた春臣を伴い、勇作が向かった先は軍刀を扱う店であった。
事前に連絡でもしていたのか、店の主人との会話は円滑に進んでいるようだった。
一般兵は支給されるものがあるが、少尉となると軍刀は自前で用意しなければならないらしい。
通された部屋では春臣も座るよう勇作と店の主人に勧められたが当然断り、小銃を肩に下げたまま勇作の傍らで控えていた。
「───ではそのように、宜しく頼みます」
暫くして、どうやら話が終わったらしい勇作が笑顔を浮かべて立ち上がる。
そのまま一言二言店主と交すと、終わった旨を伝えるように春臣に目配せを送って来たので一つ頷いて部屋の扉を開ける。
「それでは我々はこれで失礼します」
そう言って最後に会釈し、部屋を後にする勇作の数歩後ろを春臣が追う。
「立派な軍刀が出来そうですね」
「ええ。白野殿、お付き合いありがとうございました」
「いえ、お気になさらず」
「あの。もし宜しければあと一件お付き合い頂けませんか?」
「勿論です」
どこへだろうと、上官に付き従うのが部下の役目だ。
頷いてやれば勇作殿は顔を輝かせ、こちらですと道案内をする。
「実は先日お話した美味しい大福の店がこの近くなのです」
「なるほど」
「別に嫌いではないと仰っていたので、兄様に是非召し上がって頂きたくて、お土産に買って帰ろうかと思っています」
照れ臭そうに笑ってそう語る勇作に春臣は笑顔でうんうん、と頷いておく。
「時に白野殿は大福はお好きですか?」
「好き嫌いはありませんが」
「でしたら白野殿にも是非召し上がって頂きたいです」
「いえそんな、」
「本日お付き合い頂いたお礼です」
お礼も何も仕事の一環だしな、とは思いつつも、せっかくの好意だし受けとっておくべきか、と店に着いたら有難くご馳走になろうと決めた。
「では花沢少尉殿のおすすめのものを」
「わかりました」
まだ店に到着していないのに頼む気満々といった様子の勇作殿に春臣は苦笑する。
本当に、噂通りの好青年だ。
「白野殿は普段兄様とどのような話をされるのです?」
「そうですね、主に銃に関する話題が多いかと」
「なるほど、お二人は射撃の名人だと有名ですからね」
「いえ私はともかく…尾形は、確かにそうですね」
動かぬ的相手なら実力差は感じられないが、これが実戦でとなるとまた違ってくる。
以前行った狩りで、尾形が遠くの空を飛ぶ鴨を難なく撃ち落とした時は思わず拍手したものだ。
確かに射撃は得意だが、尾形と自分の腕を同列で語る程、自惚れてはいない。
「前に、名ばかりですが指導ということで射撃訓練に参加したのです。その際に見た兄様は本当に凄かった」
そう語る勇作の顔はどこか誇らしげで、兄である尾形を心より尊敬しているようだった。
「兄様は規律もとても重んじられて。私はよく諌められてしまいますが」
「そうですねぇ」
「それにとても思慮深い方なのです」
兄様はお優しいのです。
そう曇りなき眼で笑う勇作があまりにも眩しく見えて、春臣は誤魔化すようにまた苦笑を浮べる。
「…花沢少尉殿は尾形が、兄君がお好きなんですね」
「はい、たった一人の兄ですから」
例え腹違いでも兄は兄だと。
躊躇なくそう言える弟がいるなんて、さすがにそれは少し厄介だな、と尾形の立場で思う反面、春臣は羨ましくも思った。
「…どうぞこれからも、尾形を慕ってあげてください」
「勿論です!白野殿も兄様をどうぞ宜しくお願い致します」
やっぱりその笑顔は春臣には眩しかった。
「兄様!これが先日お話した大福です!」
「はあ、そうですか」
「白野殿も絶品されていたので味の保証は完璧です」
「花沢少尉殿のおすすめはとても美味でしたよ尾形上等兵殿」
「…共に出掛けたのですか」
「はい!お付き合い頂きました!さあ、兄様!どうぞ!」
「さあ兄様口を開けて」
爽やかな笑顔の勇作と猫を被った笑顔の春臣に挟まれ、逃げ場がない尾形はいつも以上に無表情を貫く。
だが両脇の二人に笑顔を向け続けられて根負けしたのか、遂には渋々と口を開け、放り込まれた大福をもちもちと咀嚼した。
そしてそのまましっかりと完食したあたり、尾形の口にも一応は合ったらしい。
それを見た勇作は大いに喜んだのだった。