一年生 夏 さん


私のことなんだと思ってるんですか



 とうとう夏が始まる。負けたら終わりの一発勝負。今日はその開会式である。

「うちの選手達が一番かっこいい!」
「それはもうわかったから名前ちゃん、他校の人に睨まれてるからぁ〜」
「名前は親バカになるタイプだね」
「どこにも負けてなーい!」

 よく吠える子犬のようにキャンキャン喚いて周囲に威嚇していると、不意に頭を押さえられた。ゴツゴツした手の感触で分かる。これは──。

「当前だ。俺達が勝つ」

 視線でその手を辿るとその先には凛々しい表情をした結城先輩がいた。逆光で眩しいけれど、掌からちょっとだけ緊張感が伝わってくるような気がした。かと思えば勝気な笑みを見せて結城先輩は言った。

「王者に相応しい振る舞いで頼むぞ、マネージャー」
「は、はい…」

 結城先輩は無自覚なのか狙っているのか、飾らないのにいちいちかっこいい。ずるい。でもまさに正論で、素直に反省した。王者青道の態度ではなかったな。

「ヒャッハ、珍しくしおらしいじゃねぇか」

 結城先輩の手が離れたら続いて倉持先輩が顔を覗き込んできた。ち、近……! 頭で考える間もなく体が真っ先に反応して体温が上がったのが自分でも分かる。なんて正直な体だ。

「……。青道ウチが強いのは分かってますよ。でも他の選手達を見たら、やっぱり心底青道のみんなが好きだなって思いが抑えられなくて」
「……」

 私の周囲だけ静寂が訪れた。誰も彼も口を噤んでいる。思わず私も口を閉じた。

「倉持」

 すると静寂を破ったのは伊佐敷先輩。

「なんスか、純さん?」
「お前、まじでコイツを幸せにしてやれよ」

 何かを悟ったような穏やかな表情で倉持先輩にそう諭した伊佐敷先輩。予想外のフリだったようで倉持先輩は面白いくらい取り乱しだした。

「はぁっ!? 何言い出すんスか、純さん!?」
「照れんなって」
「ちょ、なんなんスか」

 伊佐敷先輩と倉持先輩がじゃれあっている。なんだかよく分からないけれど、楽しそうなので調子に乗って私ものっかって真似してみる。

「照れんなって」
「お前が言うな! それとタメ口きくんじゃねぇ!」

 羞恥心がふりきったのか、倉持先輩は私に手を出してきた。

「いたぁ! 伊佐敷先輩、倉持先輩がDVです!」
「おいてめ、いい加減にしろ! 誰がDVだ!」
「はいはいそこまで。痴話喧嘩は他所でやって。注目集めてるよ」
「…!」

 亮さんの指摘に倉持先輩と二人してハッとし周りを見回すと、他校の人も大勢が私達を見ていた。恥ずかしくて顔が更に熱くなってくる。倉持先輩の顔はとてもじゃないけど見れなかった。

 開会式でグラウンドに並びに行くみんなの背中を眺めながら、ああ、夏が始まるんだ、とひしひしと感じた。みんなが「終わらないで」と願う夏が、幕を開けようとしている。私も思わず両手を組んで祈った。どうか、どうかみんなの願いが野球の神様に届きますように、と。


 青道高校はシードで一回戦は無し。

初戦の相手チームの特徴と攻略の糸口について、クリス先輩がつらつらと語る戦略会議。

「そういえば名前ちゃん、なにか夢視たの?」

 会議が終わった後、春乃が思い出したように私にそう尋ねてきた。

「え? うん、まあね」

 そして私がそう答えれば、食堂中がしんと静まり返った。みんなの視線が私に集まる。な、なによ、たかが初戦になにをそんな……。

「…で?」

 此処にいる全員の意を代弁するように、御幸くんが問う。

「二回戦、三回戦、コールド勝ち」

 机上に肘を付いてその手に顎を乗せた少し失礼な態度でなんでもないことのようにあっけらかんとして答えれば、また部屋中がしんと静まり返った。

「……」
「…なに?」

 静寂に落ちた私の戸惑いの声に対してまたも御幸くんが大多数の代表かのように問い返してくる。

「…いや、初戦のことだけ訊いたつもりなんだけど?」

 問題無いだろうと判断したからついでに答えたまでだ。どうせまた訊かれるだろうし、無駄が省けるというものである。バラしたところであんな無名校にウチの選手達がプレッシャー感じるはずもないし、油断したとしても負けるわけない……はず。ていうか───。

「だって先輩方みなさん最初ハナからそのつもりでしょう?」
「…!」
「ははっ! 言うじゃねーか。一年のくせにどいつもこいつも生意気なんだよ」

 伊佐敷先輩が声を張りあげて食堂の空気を変えた。流石だ。

「コールドで勝ちゃいーんだろ! てめぇら気合い入れていくぞオラァ!」
「おおおおおお」

 伊佐敷先輩のかけ声に一同が雄々しく唸った。そうこなくちゃ青道じゃない。大会を通して観戦する全ての人達に王者のプライドを見せつけてくれよと私は球児達の勢いに煽られて勝気に微笑んだ。


「クリス先輩!」

 各々明日に備えて散り始める中、私はクリス先輩に声をかける。

「なんだ、またついてくるのか?」

 一回戦では他校の偵察をするクリス先輩に引っ付いてその偵察の極意を学ばせてもらった。

「いいえ。次は一人で行ってきます。見ておきたいチームがあるんです」
「ほう。どこだ、それは?」
「薬師です」
「薬師…?」

 今大会で市大三高は薬師に敗れる。クリス先輩も、監督が変わったことを知れるくらいには薬師のことを調べるのだろうけれど、市大三高に重点を置いているので情報が足りないのではないかと思う。

「薬師は強敵ですよ。少なくとも、ウチは相性悪いと思います」

 降谷くんはともかく、沢村くんは間違いなく薬師と相性が悪い。それでも秋大では迫力のピッチングを見せてくれるんだろうと期待もしているけれど。でも薬師は奇天烈な戦略を使ってくる読めないチームだ。情報は多い方が選手も安心出来るし、自分達らしく戦えるはずだ。

「それほどか。だが、青道ウチと当たる前に薬師は市大三高と…」

 そこまで口にしたところでクリス先輩は徐ろに顔色を変えた。

「まさか、市大三高が負けるとお前は言うのか?」

 思いもよらなかったのか、クリス先輩の気迫に押されて頷くしか出来ない。

「みんなは市大三高と戦うって士気を高めてますし……」
「そうだな…」

 選手達だけでなく監督やクリス先輩も市大三高戦を山場として準備しているだろう。きっとこれを言ったところで信じてもらえない。クリス先輩も半信半疑に違いない。それなら、私だけでも見ておこうと思ったのだ。

「クリス先輩は予定通り偵察して下さい。これは私の我儘ですから」
「…分かった。お前に任せよう」
「お任せ下さい!」



 前回クリス先輩から学んだ偵察術を活かし、私は薬師高校へ来ている。試合を観戦してもやはりまだ一年生の三人は出ていなかったし、最後の大会、なるべく三年生に花を持たせようという轟監督の意向なのだろう。しかし薬師の主戦力は間違いなく轟くん、ミッシーマ、秋葉くん、そしてサナーダ先輩だ。この四人の情報収集と今の薬師の総合力の調査を怠るわけにはいかない。まあ私には前世の知識があるから、性格とかスタイルや癖は大体把握しているのだけれどね。

「でもクリス先輩みたいに、家族環境や日常生活での癖とかも知っておいた方がいいのかもしれないし、うん、きっとそうだ」

 絶対そんな情報必要無いだろうと心の中では思うものの、私は偵察隊初心者なのでとりあえずクリス先輩の真似をしておくのが無難だろう。

「ギャラリー全然居ないなぁ」

 まだ三高と戦ってないから注目されていないのは当然だけど、本当に記者の記の字も見当たらないし、青道のようにOBが応援や差し入れに日参している様子も無い。まあ、これが普通の高校の練習風景ということか。

「あ」
「…ん?」

 薬師高校に偵察に来ているのは私一人だ。ともすれば目立つ。だからといってコソコソするのも怪しいし、開き直って堂々と見学を装っていると、ランニングから帰ってきたっぽい真田俊平が現れた。背ぇ、高。高校球児って意外とみんな高身長なんだよね。さち先輩と同じく低身長の私からすれば倉持先輩でも見上げるぐらいなのに。

「…せ、精が出ますね」
「……」

 近所に住んでるおばあちゃんの家に遊びに来た女の子が気まぐれに顔を出した風を演じたのだが、コレじゃなかったか
ーーー! 彼は私を無表情で見つめてくる。不審がられているのだろうか。どうしよう。

「えぇと…私は…、あっー!」
「…ふ〜ん、なになに、とどろき雷蔵らいぞう、監督業に就いて間もないが奇抜な作戦で相手チームを翻弄する…、とどろき雷市らいち、怪物スラッガー、三島みしま優太ゆうた、オールラウンダー、…へぇ、まじでスゲーなコレ。好物まで…お、俺のことも書いてんじゃん」

 狼狽えていると隙をついて持っていた偵察ノートを奪い取られてしまい、挙句内容をつらつらと読み上げられてしまう始末。これは非常にまずい。なんたる失態、こんなお粗末では情けなくてクリス先輩に顔向け出来ない。今すぐノートを取り返したいが、彼は背が高くて手を伸ばされてしまったらきっと跳び跳ねても届かない。どうにか隙をついて光の速さで奪い返すしかない。そう決意して隙を窺っていると、私を見る彼の目が変わった。

「……?」
「何これ。口癖まで…? え、俺とお前初対面だよな?」

 あ、これ、絶対ストーカーだと思われた。違うのに。私がストーキングしたいのは倉持先輩だけだし!

───シュバッ

「あ、」

 あらぬ疑いの目を向けられて腹が立ち、そのおかげか私は見事ノート奪還に成功した。

「なあ、お前、どこの高校? ウチの高校じゃないよな? 見たことない顔だし」
「こ、個人情報ですから」
「ふーん、じゃあそのノートに書かれてることは? それも個人情報ってやつだよな?」
「〜〜〜っ、しつこいなぁもう! ランニング終わったんですか!? どうせまたサボってたんでしょう!?」
「……え?」

 あ、しまった、つい。うわあ、サナーダ先輩固まってるじゃん。これはもう完全に取り繕えないやつだ。

「っ…、」
「…えっ、おい、待っ…」

 私は危機的状況に耐えきれず猛ダッシュで逃げ出したのだった。


「ほう、よくこれだけの情報を集めてこれたな」

 青道に帰ってきてノートを見せると、クリス先輩はそう言って私を褒めた。

「それは…まあ、はい」

 ノートに書いたものは殆どが前世の知識だ、なんて言えない。私は結局偵察らしい偵察は出来なかった。挙句の果てには標的チームの実質的エースに怪しまれ、あまつさえ人間性まで軽蔑されてしまったはずだ。もう二度と薬師とは顔を合わせられない。夏大後の練習試合どうしよう、そればかりが懸念事項だった。



 私の偵察での失態とは関係無しに、青道は初戦と三回戦ともに無事五回コールドで相手チームを下し、四回戦進出を決めた。

 そして今、その四回戦であたる相手が決まる試合をみんなで観戦している。

「次回から、沢村くんの出番予想とかしてみても面白いかも。ね?」
「今日は出番無かったしね、栄純くん」
「俺はいつでもいけるように準備を怠らぬ男! 出番があろうとなかろうと出番に備えるべし!」
「じゃあ、はるっちの代打予想してあげよっか?」
「そうだなぁ…、いや、俺もいいかな。(自分の出番が分かってたら、常に真剣には試合を見れなくなりそうだし)」
「ちぇー、つまんない」

 試合は秋川が制した。

◇◇◇

 秋川が四回戦の対戦相手となったことを見届けて、球場を後にするとき。点呼確認の場でようやく気付いた。

「(あ、あれ…?)」

 名前ちゃんの姿が見えなくなっていることに。

「全員揃ってるな?」
「あの、実は名前ちゃんがまだ…」
「またアイツか!!」

 監督の確認に異を唱えれば、先輩達数人が同時に叫んだ。そう、実はこれは一度目では無い。初戦の日も、そしてさっきお昼の時間にも彼女は迷子になったのだ。

「倉持、お前探して来い。お前まで迷子になるなよ」
「ちょ、純さん! なんで俺なんスか!」
「お前が行けばアイツが嗅ぎ付けてひょっこり出てくるかもしんねぇだろうが」
「俺は餌っスか!?」
「つべこべ言わずにとっとと探して来い! 待っててやるからよ」

 伊佐敷先輩に恫喝され、非常に不本意そうな顔で倉持先輩はバスを降りて行く。

「あの、倉持先輩だけじゃ時間がかかるんじゃ…」

 前回は数人がかりで探し回って大事おおごとだったのに、たった一人で探したんじゃ時間がかかり過ぎるのでは? そう思って私が不安げに問えば、ゆい先輩は鷹揚に答えた。

「心配いらないよ。倉持くんも鼻が利く方だから」
「鼻が利くって…」

 その物言いに苦笑いしてしまったが、その後たった十分足らずで二人揃って戻ってきたので、鼻が利くという表現に思わず納得してしまった。ひょっとしたら伊佐敷先輩の言う通り、鼻が利くのは名前ちゃんの方かもしれないけれど。

「皆さん、大変ご迷惑おかけしました」

 倉持先輩に手を引かれて顔を赤く染めていた名前ちゃんはお昼と同じようにお手洗を探してまた迷っていたのだと自供し、頭を下げた。その瞬間部内では、試合や遠征の際には名前ちゃんを一人でうろつかせてはならないという共通認識が確立したのです。

◇◇◇


 今日は四回戦。
 台湾からの留学生、よう舜臣しゅんしん。通称、精密機械。けれど意外とこの男が熱い人間であることが分かるのがこの試合だ。降谷くんの制球が定まらないことを突かれて先制点を取られ、降谷くん降板を引き継いだのは誰も予想していなかったであろう沢村くん。沢村くんはその変則フォームとナチュラルなムービングボールとインコース攻めの強気なピッチングで見事に相手を抑え込んだ。試合のテンポが上がり、沢村くんのピッチングに勢い付いた青道は同点に追いついて勝負は後半戦に突入していく。
 そして七回裏の攻撃、バント職人こと沢村くんがはるっちを二塁へ送り、監督がゴロで叩きつけるように指示をして倉持先輩が見事に指示通りのバッティングを見せ、この試合で初めての出塁。更に倉持先輩はノーリードで盗塁しランナーは二・三塁。

「うっわあ! この三人がグラウンドに居るの、ヤバい。何も起こらないわけがないよ」

 これから起こるだろう青道の攻撃的走塁劇に胸が踊らずにいられない。そして二番バッターの亮さんのバントの構えを合図に試合は大きく動いた。
 楊くんはギリギリで球の軌道を変え、亮さんが小さい体を目一杯伸ばして見事にスクイズを成功させる。スタートをきっていたはるっちはしっかり帰ってくる。そしてここから。

「バックホーム!」

 はるっちの帰還阻止が間に合わなかった為、楊くんは一塁へ送球するが、その動作開始と同時に倉持先輩がホームベースを目指して走り出す。本当に目が離せない展開である。瞬きさえ惜しい。私は倉持先輩に釘付けだったので見ていないけれど、楊くんが投げたボールを捕った一塁手は焦って一塁ベースを踏んでいないのだろう。そしてボールはホームへ跳んでくる。しかしなんたって俊足の倉持先輩である。我らがチーター様である。華麗にスライディングを決め、見事二点差をもぎ取った。

「キャーーーっ! 倉持せんぱーーーい! 倉持せんぱーーーい! サイコーーーッ! カッコイーーーッ!!」

 私は倉持先輩に釘付けだったので見ていなかったけれど、相手のミスでアウトにならなかった亮さんはちゃっかり二塁へ進んでいた。どうだ、これが青道ウチの二遊間トリオだ。

「これが青道の野球だぁーーーっ!」
「名前ちゃーんっ」
「春乃ーーーっ」
「イエーーイっ」

 私と春乃ははしゃいでハイタッチした。爽快感があるほどに相手チームを翻弄したプレイに、スタンドも大盛り上がりである。そしてこの勢いを受け、青道打線が繋がり、この回五点差を付け秋川を降した。


「倉持先輩、今日の試合も一番カッコよかったですよ! 二遊間を守る三人がグラウンドをかき回したあの時の興奮はやばかったです」
「ヒャハッ、あん時は流れがこっちにきてたからな。狙ったんだよ」
「流石倉持先輩ですね!」

 試合後、スタンドを抜け出して倉持先輩の元へ行き、ちゃっかり一緒に観戦する体勢を取る。が、そうは問屋が卸さなかった。

「で、向こうの薬師ってチームは?」

 はるっちと市大三高について話していた沢村くんがそう言うと、クリス先輩が私を見た。お前が説明しろ、ということだろうか。

「苗字」

 仕方なく懐から偵察ノートを取り出そうとしたところでクリス先輩が私をせかすのでしぶしぶ立ち上がって後ろを向いた。

「はーい。ええと、もともと楽しく野球出来ればそれでいいというチーム方針でしたが、去年に監督が変わってから甲子園を目指すようになり、めきめきと力を付けているチームです。“練習は厳しく正しく真面目に! 試合じゃとことん野球を楽しみ尽くす!”が監督のモットーで、奇抜な戦略が持ち味の攻撃的姿勢、バントの指示を出すことはなく、基本的には選手自身の判断に任せるスタイルです。更に今年一年生から即戦力が三人ベンチ入りしています。これまでスタメンは上級生中心でしたが、この三高戦ではその三人、出てきますよ。ほら、クリーンナップで」
「…んん? あれ、なんて読むんだ?」

 「くるまが三つ」とか「しゃ」とか呟いている沢村くんが「三輪車」とか馬鹿なことを言い出さないうちに話を続ける。

「中でも四番のとどろき雷市は毎打席歩かせてもいいくらいの大型スラッガー。結城先輩だと思っても差異はないでしょう」
「…て、はあっ!? そいつまだ一年だろ!?」
「まあこの試合見れば、私なんかより皆さんの方が分かるはずですよ。轟くんのヤバさは。ただ、弱点は経験の無さです。父親である轟監督が借金を抱え貧乏のあまり、これまでどの野球チームにも所属させてこなかったから、守備のミスが目立つしチームプレイもなっていない。そうですね、守備の荒さは沢村くんだと思えば…」
「ちょっと待て! それはどういう意味だ!?」
「それから──」
「おい、無視するなー!」
「背番号は十八ですが実質エースなのは二年生の真田俊平。薬師の切り札と言えます。どこか冷めている印象もありますが、後輩の面倒見も良くムードメーカー、実はアツい勝負を好む、ギャップとカリスマ性を秘めた選手です。間違いなくこのチームのキーマンですよ」

 よし、仕事を全うしたぞ。

「ベタ褒めだな」
「へえ、浮気?」
「なっ…」

 珍しく自分以外の男を褒めちぎる私が珍しいようで、倉持先輩が目を丸くして私を見てきた。それに乗っかるように亮さんが揶揄ってくるので私は取り乱してしまう。万が一、倉持先輩に浮気な女なんて思われたりしたら私は立ち直れない。

「十分だ、苗字。あとはこの試合を全員でしっかり見届けよう」

 私の心情を察してか否か、この場を上手くまとめてくれたクリス先輩に感謝した。


「…!」

 試合が始まり、初回から三高打線が爆発し誰もが自らの予想を確信したかと思われた一回裏。表の守備で暴投をやらかした轟くんのライナーホームランに全員──それこそ青道に限らず球場全体──が絶句した。すごい、あんな速い打球があんな角度で場外に消えた……。この目で生で見ると規格外な選手だってことを肌で感じられる。そして試合は乱打戦へ突入していった。


「改めて見ても、スコアすごいね」
「うん、どっちも二桁だし」

 試合が終わった後、壮観なスコアに溜め息をもらせばはるっちが同意してくれる。やはりここまでの打撃戦はそうそう無いのだろう。

「まさか市大三高が薬師に負けるとはな」
「苗字の予言通りじゃねーか。俺、ちょっと寒気を覚えちまったぜ」

 クリス先輩がしみじみと呟けば、沢村くんが私を話題にあげて明るく笑う。

「まあ、そうだね」
「…苗字、ちょっといいか」

 そのまま沢村くん達について行こうと思ったのだが、クリス先輩に呼び止められてしまった。沢村くん達はこの後轟親子を発見して面白そうだと思ったからついて行きたかったんだけどなぁ。

「はい」

 人気ひとけの無い場所へ連れ出されて、まさか告白? なんて疑問が生じたけれどそんな雰囲気ではないし、クリス先輩に限ってそれは有り得ないとすぐさま疑念をかき消した。なら、何の話だろうか。

「お前は、真中まなかが怪我をすることを予知していたんじゃないのか」

 少し驚いたけれど、クリス先輩には市大三高が負けるという話もしたので、冷静に考えれば予知夢の話を切り出されることに不思議は無かった。でも、どうして怪我のことなんだろうか。

「…流石クリス先輩。そうですよ。私は夢で見て知ってました」
「何故黙っていた?」
「薬師が勝つことは話したじゃないですか。それに真中さんが負傷退場しなくても、流れは──」
「違う」
「え?」
「丹波の怪我も、お前は知っていた。違うか?」
「……!」

 思わず口を閉ざしても、クリス先輩は確信したように話を進めていく。

「お前が正夢を見ると噂になり始めたのは丹波の怪我の後だ。しかもあの練習試合の直前にお前は丹波の降板を監督に直訴していたな。…お前は何を、どこまで先まで知っているんだ?」

 沈黙が場を満たして、風が吹き抜けた。噂を流したのは他でもない自分だけど、私にとっては一番恐い話題だ。背筋に嫌な汗がつたう。

「私が、気持ち悪いですか?」
「なに?」
「それとも、恐いですか? 私だって恐いですよ。夜も眠れなくなる時があります。私だけが知っていて、私の言動に大きな大きな責任が伴ってきて、でも結局私はまだ何一つ変えることが出来てない」
「苗字…」
「私だって! 変えたいんです! 誰も怪我しないで欲しいし、負けても勝っても良い試合だったってみんな楽しく野球して欲しい。野球してるみんなが大好きなんです…っ、」

 視界が滲んでいく。そう気付いた途端、涙が零れ落ちた。

「クリス先輩の怪我のことも、知ってます」
「…!」
「沢村くんから訊いたんじゃないんですよ。私が夢に見るのは未来だけじゃないんです」
「…」
「クリス先輩はこれ、何の為の能力だと思いますか? 私には手に余り過ぎだと思いません?」

 前世の知識が蘇ったおかげで、私は倉持先輩に真っ先に会いに行くことが出来た。それは感謝してる。だけど、それにしても代価と責任が重すぎるんだ。

「いつからだ?」
「…青道に入学した日です」
「つい最近だな…」
「はい」
「…、辛い時は頼っていいから、あまり一人で思い詰めるなよ」
「…へ?」

 急に優しい言葉が返ってきて、一瞬何を言われたのか理解出来ず瞠目した。

「お前は俺たちのことを考えて悩んでくれてたんだな」
「クリス先輩…!」

 この瞬間から私は単純にも、沢村くんに負けない程クリス先輩を尊敬するようになったのだった。


「全員揃ったかー?」
「沢村くんと降谷くんと春市くんがいませーん!」

 帰りのバスでの点呼を取る太田部長に元気よく教えてあげれば、車内がどよめいた。

「おわっ、苗字が居んぞ!」
「まじだ! お前、トイレはちゃんと行ったか? 途中で漏らすなよ?」
「今夜雨降るんじゃねぇか?」
「ちょっと、何なんですか失礼な。みなさん私のことなんだと思ってるんですか?」

 まあ偉そうに言っているが実はクリス先輩に送ってもらわなければ多分また迷っていただろう。

「お前は毎回迷惑かけ過ぎなんだよ! 少しは反省しろ、この! …つーかアイツら一年の癖に先輩待たせやがって!」

 確かに倉持先輩が毎回のように探しに来てくれている。一番迷惑をかけていると言っても過言ではない。しかしこんな役得、味をしめてしまってやめられるわけがないのだ。まあ迷おうとして迷子になっているつもりは無いのだけど、一人で行動して放浪していれば好きな人が迎えに来てくれるだなんてなんとおいしいシチュエーションか。善処などするはずがない。

「私が迎えに行って来ましょうか?」
「お前は大人しくしてろ!」
「お前は動くな!」
「じっとしてろ!」
「…ふぁ〜い」

 せめてもの罪滅ぼしにと気を利かせて立ち上がれば、すごい勢いで怒鳴られまくってしまい、縮こまるようにして口を尖らせ、大人しく、動かず、じっとして、三人が帰って来るのを待った。




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