一年生 夏 よん


乙女の秘密



 薬師対三高戦があった昨日から、沢村くん達三人の様子がおかしい。まあ私は理由を知っているけれど。その様子を訝しんだ先輩達にはるっちが「実は」と事情を打ち明け、それを聞いた先輩達が腹を立て打倒薬師に奮起した。市大三高と対戦出来ず意気消沈とまでは言わないが戸惑っていたところにいい感じの起爆剤が転がり込んできたわけで、青道としては願ったり叶ったりな展開なのである。



 そして準々決勝の薬師戦当日。
 私は別行動で稲実の試合の偵察に来ている。正直、倉持先輩の活躍を一つでも見逃すことが悔しくて駄々をこねたがクリス先輩に頭を下げられしぶしぶ請け負ったのだ。

「しゃす!」

 稲実とその相手チームが試合開始の挨拶をするのを眺めながら、そういえば轟くんがウチのレギュラー全員にガンつけられて冷や汗垂らしてるの見たかったなぁと肩を落とす。

 試合はあっさり終わり、順当に勝ち星を掴んだ稲実が選手出入口から出てくるのを遠目に観察した。稲実と言えば成宮鳴、日射病になりにくそうな白頭の目立ちたがり屋は「最後まで投げられたのに!」と大声で文句をたれている。それを原田雅功が宥めているのか叱咤しているのか白頭を押さえて何か言っている。そして白河勝之と神谷カルロス俊樹は我関せずとなんともマイペース。その他は…モブ扱いで差し支えなかろう。モブとはいえ、稲実は一人一人のレベルが高く、統率が取れていないように見えて恐ろしいほどに繋いでくる。何より三年間背番号を変えない絶対的エースの成宮鳴のピッチングは完璧と言わざるを得ない。

「負けるもんか…」

 今年の三年生を甲子園に。全国制覇出来るかは分からないけど、高校球児の夏は短くて、一生に一度だけ。去年譲ったその切符を、今年も譲るわけにはいかない。
 かといって稲実戦の立役者となる沢村くんが好投するのは奇跡と勢いみたいなものだし、丹波さんの怪我による不調は厳しいものがある。プレッシャーに崩れるかもしれないけど川上先輩をおいて抑え投手なんて他には居ない。ならやっぱり降谷くん……は、波が激しいしなぁ。

「はぁ〜」
「ねぇー! そこで百面相してる子ー!」
「やっぱり丹波さんが…」
「無ー視ー? ねぇーってばー! そこの青道のマネージャー!」
「え?」

 なんか今呼ばれたような気が……。周囲を見回すと、簡単に目が合った人が居た。その人は───。

「成宮鳴!」

 そう、成宮鳴だ。……んえ? なんでここに?

「そうだよ。俺が成宮鳴!」
「なんで私が青道のマネって知ってるんですか?」
「だって練習試合の時に見たし」

 ああ、丹波さんが怪我したあの練習試合か。でも私成宮鳴に顔を覚えられるほど目立った覚えは無いんだけどなぁ。監督と揉めはしたけれど。

「君ってなーんか人の目を引くんだよね。どうしてもって言うならライン交換してあげてもいーけど?」

 “は? なんだコイツ”、それが正直な感想。というかコイツ絶対ナンパ下手くそだろ。

「誰と?」
「っはぁ!? 俺とに決まってるでしょ! 話の流れで分かるじゃん!」

 あれぇ、もしかしてなんか興味とか持たれちゃってるのか私? よりにもよって成宮鳴に? ひええ、めんどくさ。勘弁してよ。

「間に合ってますので!」
「あっ逃げた!」
「フラれたな」
「ふん、自業自得だろ」
「お前ら早くバス乗れ」

 そんな会話を背に、私は猛ダッシュでその場を後にしたのだった。


 その日、青道は勿論薬師に勝った。沢村くんは轟くんにホームランを打たれたらしく、何やらへこんでいる。いやいや、一年坊主があの轟雷市にホームラン打たれない方がおかしいって。まあ沢村くんのケアは御幸くんとクリス先輩に任せよう。

「宮内先輩ー!」
「おいっ、何やってんだお前!!」
「暇なので宮内先輩に抱き着いてます。え、駄目でした?」

 そう、私は今のうちに三年生の包容力を堪能するべくよく宮内先輩に甘えにいっている。クリス先輩は偵察や沢村くんの指導で忙しそうだし。宮内先輩も最近は私が飛び付いても慣れたように受け止めてくれるし、何か問題でもあるのだろうかという顔で伊佐敷先輩に問い返した。

「駄目に決まってんだろーが!」
「だって宮内先輩はゲーだからいいかなって」
「いいわけねぇだろ! って、え、お前、ゲーなの?」
「なんのことだ」
「だって川上先輩のアソコ握ってたから」
「……」

 数秒の沈黙。おっと? これは誤解だったみたい。やっぱり男子のノリとか価値観はいつまで経っても分からないや。とりあえず今度から抱き着くのは自重することにしよう。倉持先輩に勘違いでもされたらたまったもんじゃないからね。

「てゆーかお前、最近宮内に懐き過ぎじゃね?」
「なんかお兄ちゃんみたいで、甘えたくなるので、つい」
「おい宮内、満更でも無さそうな顔すんなコラ! 苗字! 俺にも甘えていいんだぜ」

 そう言って自らを親指で自信ありげに指差す伊佐敷先輩には悪いけれど、包容力ではどちらかというと宮内先輩に軍配が上がる。

「んー…、考えておきます!」
「遠回しに断ってんじゃねー! チクショー! 俺にも甘えろーーっ!」
「純さん…」



 七月二十九日。仙泉との準決勝戦。
 試合に出られないメンバーが盛ってくれたマウンドから監督が投げる球でバッティング練習。投手陣のミーティング。やれることはやった。増子先輩はやはりアタッチメントを付け忘れたけれど、これはこれでいいのだ、うん。

 確かこの試合で亮さんが足を怪我するはず。なんとかしなきゃ。私が。今度こそ……!

「亮さん亮さん、ちょっといいですか?」

 試合の前に、呼び止めた亮さんの両足の脛に柔らかいサポーターを分厚めに巻いた。

「ちょっと。走りにくいじゃん。外して」

 文句を言われたって譲るわけにはいかない。セカンドが機能しなくなったら稲実戦に希望は持てないのだから。ああ、いやだな、私も勝敗で物事を判断しがちになってしまっている。でも、三年生が一番勝ちたいはず。なら私は悪者にだって鬼にだって喜んでなろうじゃないか。

「却下です! 後から後悔するのは亮さんなんですからね! お願いですからランナーの時だけは絶対にこれを付けておいて下さい!」
「……」


 とまあ、一応手は打ったけど不安だな。ああ、都合よく特殊能力とか目覚めたりしないかな? しないよね。現実は甘くない。さて、試合が始まった後は私に何が出来るか。相手ベンチに忍び込んであの監督を脅す? いや、後々問題になるから駄目だ。せめてキャッチャーに一言申しておきたいけどそれも難しい。気が強い亮さんなら私が何を言ってもあの一点を取りに行くだろう。ならばもう私に出来ることはほとんど無さそうだ。

 試合の途中で、私は自陣の席を離れて若菜ちゃんを探した。そしてすぐ見つけたのだが、逆ハー状態の彼女に声をかけるのはかなり勇気を要した。予想以上にめちゃくちゃ可愛いし。

「わ、若菜ちゃん!」
「え…?」
「連絡先教えて!」
「…え!?」
「お願い!!」
「えっと、どうして私の名前を?」
「おっとこれは失礼! 申し遅れました私、沢村くんのクラスメイトで青道高校野球部マネージャーの苗字名前です。若菜ちゃんのことは沢村くんからよく聞いてます」
「そうなんだ、栄純の…。いいよ、連絡先交換しよう」

 倉持先輩が沢村くんのケータイ使って自撮り写メとか送らないかどうか確認したいし、もし送ったらその写メ欲しいし、ってゆーかそれよりも───!

「倉持先輩にメールアドレス教えちゃ駄目だからね!」
「ええっ? くらもち先輩? 誰?」
「沢村くんの寮の同室の先輩だよ! 若菜ちゃんのこと気になってるみたいなの。ことあるごとに沢村くんに若菜ちゃんのメアド訊いてるみたいで」
「…もしかして、その先輩のこと好きなの?」
「っ!」

 さすがは女の子同士というべきか、それともこれだけ情報開示すれば当然というべきか、バレてしまった。私は観念して正直に頷く。若菜ちゃんはニコリと笑って「そっか」とだけ言った。うう、なんかこの会話だけで何らかの歴然たる差を思い知らされた気がする。

 試合が終わったら、倉持先輩は若菜ちゃんに邂逅するのだろう。それは立派なボーイミーツガール。見惚れる倉持先輩を見るの辛いだろうな。若菜ちゃんのことを考える倉持先輩なんて見たくない。だけど明日の夜あたり、きっと倉持先輩は部屋に集まる先輩達や沢村くんと若菜ちゃんの話題で盛り上がって、若菜ちゃんのメアドを沢村くんに訊いたりして、寝る前に若菜ちゃんのことをちょっとでも考えたりするんだろうと思うと私は暴れ出したくなるほど心が荒ぶる。


「名前ちゃん、一人でどこ行ってたの? 迷わなかった?」
「うん、奇跡的に」

 試合状況はというと、一点リードを許したまま、六回表。亮さんが出塁した。打線は繋がり、増子先輩の打席に亮さんは三塁に居る。

「っここだ」

 増子先輩が打ったサードゴロで亮さんがホームへ突っ込んだ。

「お願い…!」

 こうなってはもはや祈るしか出来ることは無かった。目を瞑って、審判のコールに耳を澄ます。

「セーフ」

 それは知っていた。私が祈ったのは別のこと。客席の歓声と共に勢いよく顔を上げて、亮さんの様子を注視したけれど、やはりよく分からない。ポーカーフェイスにもほどがあるよ。

 仙泉との試合は、後半からは青道のペースで、最終的には青道がスコア以上の圧倒的な力を見せつけて勝利を収めた。


 試合の後、待ち伏せして亮さんを捕まえた。ユニフォームを掴めば、「俺は倉持じゃないけど」なんて誤魔化そうとするのでますます怪しい。

「亮さん、足見せて下さい」
「やだよ」
「…どいつもこいつも強がりばっか」
「なにか言ったー?」
「いいえ何も。とにかくこっちに座って下さい」
「何する気?」
「取って食いやしませんから、大人しく足を私に明け渡して下さい」
「言い方…」
「周りに心配かけたくないのも試合出たいのも分かりますから、今から少しでも長く湿布貼ってて下さい。こういう処置は早ければ早いほど良いんです」
「……」
「血が出てるんですか? とにかく見せて下さい。お願いします」
「…はぁ。誰にも言うなよ」
「誰にも絶対に言いませんから」

 まあ倉持先輩は自力で気付きますけど。とは言わないでおいた。
 試合前に私が厚めに巻いたサポーターはどこぞへ消え失せていたので思わず睨み上げたけれど飄々と躱される。まあ、一枚だけ付けてたから少しはマシかな。という予想とは裏腹に───。

「うわ、いった〜い」

 傷を見て思わず出た言葉に亮さんがすかさずツッコミを入れる。

「痛いのはオレなんだけど」
「それはそうなんですけど。だって見てるだけで痛そうですもんコレ」
「まあ見た目ほど痛くないよ」
「嘘! まだアドレナリン出てるっていうんですか? もう痛いはずですよ」

 ほんと、まるで弱みを見せたら死んでしまうのかってほど強がりな男ばっかなんだから。応急処置をしながら思わず溜め息を吐いた。

「倉持先輩には、ちゃんと話しておいて下さいね」
「なんで?」
「なんでだと思いますか?」
「…ふーん」

 ふーんって何だ、ふーんって。会話になってないし、掴みどころ無いなぁ。

「ねえ、なんでそんなに倉持にゾッコンなわけ?」
「へっ?」

 まさかこのタイミングと状況で恋バナを持ち出されるとは思いもしなくて変な声が出てしまった。恐らく私は鳩が豆鉄砲喰らったような表情をしていることだろう。

「だってさ、最初からだったじゃん。いつそんなに好きになったのさ?」
「それは、一目惚れと、…」
「『と』?」

 一目惚れしたのは本当だ。だけど前世の記憶が無かったら、初めて遠目に見ただけの人をこんなに好きになっていたかどうか分からない。持っているものをもし持っていなかったらなんて想像するのは、難しい。だから、今のままの私で良いんだ。

「……やっぱり乙女の秘密です」
「生意気」
「あいてっ」

 いつものチョップは心無しかあまり痛くなかった。



「ここどこ〜」

 その後一緒に戻るつもりだったのに気付いたら亮さんに置いていかれていて、私は今日も絶賛迷子です。周りに人も見当たらなくてをあげそうになった時、携帯電話が鳴った。倉持先輩だ。思わずニヤけてしまうが電話ではバレないはずなので存分に相好を崩す。倉持先輩が私に電話してくれるのは、私がこうして迷子になったのを探しに来てくれる時だけだ。それが私にとっては宝物のように大切で貴重なのだ。

──お前今どこ?

「私が訊きたいです」

──…はぁ。じっとしてろよ。

「ふへ」

◇◇◇

 パタンと携帯を閉じた後もその携帯を見つめて内心でツッコミを入れる。「ふへ」って何だよ。

「ったく、しょーがねーなー」

 口をついて出る言葉とは裏腹に足は軽快に歩みを進めていく。どこにいるかも分からない奴の元へと。


「あ! 倉持先輩〜」

 そいつは球場の外に居た。どうも通行禁止の道を通って外へ出たらしい。方向音痴というかもはや常識を疑うぜ。ベソをかきながら俺に抱きつこうとする苗字をとりあえず受け止めてから両手を突っ張って突き放す。

「若菜ちゃんと倉持先輩の邂逅イベント、もしかしてもう終わっちゃいましたか」
「げ。なんでお前が知ってんだよ」

 予想通り、突き放されても意に介さなかったのに、俺の返答には「私の見ていないところで……そんなぁ」なんて言いながらメソメソとしょげている。予想外の挙動を繰り返すので見ていて飽きないけど、俺はコイツの一体どこが気に入っていて放っておけないのか。それだけがいつまでも謎だ。

「行くぞ」

 手を差し出せば、一瞬呆けた顔をしてから嬉しそうに俺の手を取る苗字。これはアレだな、妹みてぇなもんか。庇護欲ってやつ。向けられる直球な恋愛感情に対して庇護欲で接するのはなんだか不誠実な気がしなくもないが、まあとりあえずはまだ今のままでいいよな。


 みんなのところへ合流した時には、稲実と桜沢の試合は既に始まっていた。桜沢の投手はナックルボーラーらしく、流石の稲実打線も苦戦を強いられているようだ。そう状況に理解が追い付いたところで、御幸が問う。

「苗字の機嫌悪くね? お前何かしたの?」

 確かに、俺が迎えに行ったことでだいぶ機嫌は回復したようだがそれでもまだジェラシー的なオーラが横から漂ってきていることは否めない。

「……別に」

 心当たりはなくもない。差し詰め俺が若菜に会ったことを気にしているのだろう。

「…ふーん?」
「んだよ。俺は何もしてねーよ」

 嘘じゃない。若菜に会ったのだって不可抗力だった。まあ、若菜に話しかけたことに関しちゃ下心が全く無かったとは言えないが。

「べつに〜?」
「目が口ほどにものを言ってんだよ、クソ眼鏡!」

◇◇◇


 試合はいつの間にか稲実のペースになっていた。

「それほどのプレッシャーを、マウンドからかけ続けているんだ」
「でもそれってつまり強がってるだけですよね」

 クリス先輩の解説に思わず口を挟んでしまった。
 成宮鳴らしいといえばらしいけど、桜沢も成宮鳴がこの調子で九回まで投げ続けられるとは思ってないはず。頭では分かっていても、焦ってしまうんだ。それは、精神の未熟さ。どっちみち実力不足なんだ。だけど───。

青道ウチだったら気持ちで負けたりしないもん!」
「そうだ! 青道はプレッシャーに屈しない! ウチが勝ーーーつ!」
「沢村ぁ! キャンキャン吠えてんじゃねぇ」

 私に乗じて咆哮する沢村くんに青道のスピッツこと伊佐敷先輩が窘め、不貞腐れた顔の私を倉持先輩が「お前もな」と流し目で制した。そんな美しい仕草で釘を刺されたら従順なワンコになるしかないじゃないですか。

「試合終了ー!」

 プレッシャーに崩れた桜沢は自滅し、結局コールドで稲実の勝利となり、明後日決勝戦の対戦カードが決定した。

 一年生ベンチメンバー三人のお花摘みに引率した御幸くんを追うと、案の定白い集団が現れた。相変わらずキャラが濃い面子だ。そういえば御幸くんってピッチャーの扱いと心のケアが上手すぎるって思ってたけど、成宮鳴の制御はひと際大変そうだな。流石マサさん。東京地区のキャッチャーってみんな本当に高校生なのかな? 優秀過ぎて怖い。

「あー! 君、この間偵察に来てた子!」
「あー…、その節はどーも」

 遠目に見ていたのに目ざとく私を見付けた成宮鳴をなんとなく警戒して、御幸くんの影にさっと隠れた。本当はこんな男を壁にしたくはないのだけども。
 成宮鳴による勧誘の招集以来というこのメンバーで、弾んでいるのかいないのか微妙なギスギスした会話。多勢に無勢の御幸くんにちょっと、ほんのちょっとだけ同情した。

「じゃあね、一也」

 そう言って去る成宮鳴の後に続く白河くんがすれ違いざまにボソボソと呪いの言葉を呟くので、思わずその背中を見送ってしまう。なんとまあ陰湿で根暗なこと。嫌いじゃないけど。

「白河くんは、御幸くんと野球やりたかったのかな」
「お前と沢村はほんと悩みとか無さそうでいいよな〜」

 私が白河くんについての考察をポツリとこぼすと、悪口が返ってきた。しかし沢村くん達がトイレから出てきて御幸くんのその発言を丁度耳にしたらしく、ついでに侮辱された沢村くんと一緒になって私は「失礼な!」と性悪眼鏡に抗議したのだった。



 翌日。

「貴子先輩ー、ドリンク終わりました…あ! メタボリ……あずま先輩!」

 ドリンクを作り終えて先輩達に合流すると、そこにはマネの先輩達をこき使うメタボリック先輩こと東清国が居た。

「おぅマネージャー、もうちょっと手伝ってや…って、お前ぇ! 今メタボ言うたか?」
「ま、まさか! あはは〜」

 明日は甲子園出場を賭けた大一番、差し入れの量も普段の比ではない。それにしてもこの人も母校思いなところがあるんだよなぁ。また秋も春も来年も来て欲しいな。ふんぞり返らなきゃ良い先輩なんだよ、うん。伊佐敷先輩の尊敬する人らしいし。

「じゃあブルペンの様子も見てくるかの」

 後輩に一通り顔見せも終えたらしいメタボリック先輩がそう言ってブルペンへ向かおうとするので私もついていった。

「なんやお前、ついて来るんか?」
「はい。ミーハーなもんで」
「お前倉持のこと狙ってるらしいな」
「ちょっ…! 誰から!?」
「アホぅ! この俺を誰や思てんねん! 野球部の情報は全部俺に集まってくるんや」
「でも狙ってるって言っても、彼女狙ってるわけじゃなくてお嫁さんの座を狙ってるんで問題ありませんよね?」
「っはああ!? いやおま、それ本気で言ってんやったら頭おかしいで」
「よく言われます」
「……ほーか」

 私に対して色々諦めたらしい東先輩についていくと、沢村くんのおかげでまあなんとも愉快な展開になり、笑いを禁じ得なかった。というか、御幸くんてなんであんなに東先輩に喧嘩売りがちなんだろう。昔何かされたのかな? むしろ沢村くんが巻き込まれていると言っても過言ではない気がする。とばっちりでは?

「メタボ先輩、どんどん投げていーっスか!? 今の感覚忘れないうちに」
「どあほう! まずは謝らんかい! 今度メタボ言うたら殺すぞ!」

 んーまあ、沢村くんもノリ気みたいだからいいんだけどさ。むしろとばっちりは東先輩か。


 東先輩は一通り付き合ってくれた後、沢村くんと川上先輩に激励の言葉を残して帰って行った。ダイエット成功して一軍入り出来るといいなあ。

 グラウンドではボスによる試合前ノックが始まった。亮さんの足が気がかりで後ろ髪を引かれつつマネージャーの役目に戻る。


「え、出前…本当に取るんですか?」
「そうよ! 甲子園行きを決めた選手達にハクをつけてもらわなきゃ」

 明日の決勝戦の祝勝用に豪華な出前を頼むらしい。知ってたけど。悪いことじゃないのに、小骨が喉に刺さったように居た堪れない不快感が尾を引いた。

「…でも、その、………もし、負けたら?」
「え…」

 沈黙の眼差しが一身に向けられ、視線が刺さってとても気まずい。分かってる、士気を下げかねない発言だってことくらい。だから選手達の前では言わないよ。でも、負ける可能性はどうしても存在するんだからちゃんと考えないと駄目だと思うの。でないと───。

「負けたら、それを目の前にした三年生はより辛い思いをしないでしょうか」
「…」

 みんな何かに絶望したような表情をした。誰よりも私が一番言ってはいけない発言だったかもしれない。未来の可能性を高めてしまう私の発言の重さの責任。それでも私は、あの見るに耐えない光景を見たくない。

「心配要らないわ! きっと勝つわよ。大丈夫。信じましょう?」
「でも…、でも…、っ…」
「名前…?」

 私は知っている。明日の結果も、豪華な夕食を見て悲痛に歪むみんなの顔も、二度と取り戻せない夏を背に進み出せない三年生のことも。涙が滲んできた。でも、夕飯のメニューを変えたところで三年生は口に出来ないだろうことも分かってる。私がこんなに弱気でいてはいけないことも。意を決して顔を上げた。

「分かりました! 注文しましょう! 明日はきっと勝ちます!」

 私が覚悟を決めたように強がってなんとかそれだけ言うと、みんなは安心したように笑顔をこぼした。それを見てズキンと痛む私の胸。難儀だな、と思った。


 明日だ。明日、この夏の西東京代表が決まる。三年生は、人生で最後のチャンス。明日負ければ、もう一生甲子園という舞台には立てない。一・二年生も三年生の夏を終わらせないように力を振り絞ってくれるだろう。不作の年と言われた代の三年生が甲子園へ行く姿を私自身も見たいのだ。運命、変えてもいいよね?
 「変えられるならね」と、誰かが答えた気がした。




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