一年生 夏 ろく


あなたのストーカーではありません!



 私が頭の中の整理に奮闘しているうちに、あっという間に薬師との練習試合当日になった。

「あーーーっ! お前、夏に薬師ウチに偵察に来てた、」
「げっ」

 会わないように細心の注意を払っていたのに、サナーダ氏に見つかってしまった……! 私は絶賛倉持先輩とイチャイチャしていた──ちょっかいを出していた──ところだったので、倉持先輩が不思議そうに訊いてくる。

「あ? 何だお前、薬師の真田と面識あんのかよ?」
「やだなぁ倉持先輩、顔見知り程度ですよ」
「ふーん」

 訊いておいて興味無さそうだなぁ。この分だと、おおかた先日の沢村くんへの嫉妬も私の気の所為なんだろうな。

「あんた青道のマネージャーだったのか」
「まあ…はい」
「へぇ〜」

 なんかやけにジロジロと見られるなぁ。私はパンダか? そんなに見られると、後ろめたいことなんて無いのに──あるっちゃある──視線を逸らしてしまうじゃないか。

「おい倉持ぃ、苗字が浮気してるぜ?」
「テメー御幸、死にてぇか! そもそもそういう関係じゃねぇっての」

 薬師のエースという注目度の高い人物に絡まれているせいか、私の周りに人集りが出来てきてその中の一人、御幸くんが性懲りも無く倉持先輩を揶揄いだした。

「そうだ、あのノートって今持ってる? ちょっと見せてくんない? うちの三島がさ、自分のことは何が書いてあったかってしつこく訊いてくんの」
「……」

 どこの世界に、偵察ノートを偵察対象に見せる馬鹿がいるんだ。見せるわけないでしょうが。

「まあ、俺についての情報の方が厚みあったけど。な?」

 どんな意図があったかは知らないが、その言葉に何故かカチンときた。

「っ…! 言っておきますけど私、あなたのストーカーじゃありませんからね!」
「いや誰もストーカーなんて言ってないし。…てか、え? その言い草だと、まるで誰かのストーカーではあるみたいじゃ…」
「……」

 サナーダ氏の揚げ足を取るような発言もあながち間違ってはおらず、その場に居た全員が沈黙した。いや、なんか喋れ。このままじゃ青道のマネージャーはストーカーってことになるんだぞ。いいのか? 外聞的に。

「…え、何この空気? え、マジ?」

 コクリ、とその場に居合わせた全員がナーダ氏の問い掛けに揃って頷きやがり、次いでその全ての視線が倉持先輩に集められた。

「っい゛…こっち見んな!」

 目は口ほどに物を言うと云うが、こうなるともはや事情は明るみに出てしまったようなものだ。倉持先輩のささやかな抵抗虚しく、サナーダ氏は勘づいたようで。

「え、二人って付き合ってんの?」
「付き合ってねーよ!」
「残念ながらまだ」
「“まだ”ってなんだ!」
「何とぼけてるんですか水臭いなぁ。いずれはハートを射止めて一生逃がさないっていう意味に決まってるじゃないですかぁ」
「お前いい加減シメるぞ…!」
「きゃ…喜んで…!」
「うわっ、んな嬉しそうに近寄ってくんじゃねえ! チッ、」
「…あー、ちょっとタンマ。お前ら見てると胸焼けしそうだわ俺」

 私と倉持先輩が普段の調子でやり取りをしていると外野からストップがかかった。その上ギャラリーは全員「同感」と口を揃えて同意した。ていうかそもそも見せものじゃないんだけどな。

「はぁ。んじゃ、後でな…えぇと、」

 自陣へと踵を返したサナーダ氏は一度振り向いて私を見ながら何かを言い淀み、それが意味するところが分からず私は首を傾げる。

「お前の名前訊かれてんだよ、そんぐらい察しろや」

 ああ、なるほど。流石倉持先輩だ。

「えと、苗字…です」
「苗字…、下の名前は?」
「…名前です」
「名前ちゃんか。じゃ、後でな」

 小さくなっていくサナーダ氏の背中を眺めながら倉持先輩に問う。

「…今私、ナンパされました?」
「名前訊かれただけだし、微妙なとこだな」
「倉持先輩は」
「あ?」
「嫌だなぁとか、何か思いませんでしたか? 私が名前訊かれて」
「なんでだよ。別に思わねーっつの」
「ちぇっ。まだまだ先は長いな…」
「……つーかお前、オレのストーカーなのかよ?」

 嫉妬する気配も見せない倉持先輩に肩を落としていると、そう問いただされてギクッとした。

「…黙秘で」
「んな権利、ストーカーにあるわけねぇだろが!」
「そんな! ひ、酷い」
「うるせぇ! まず俺をストーキングしてる事実を否定しろよ! 頼むから!」

 倉持先輩は私の両肩を鷲掴んで揺さぶってくる。なにやら切羽詰まったような形相で。そ、そんな必死に懇願されても、私は愛情表現を改めませんからね!


 その後、薬師との試合に青道は惨敗した。降谷くんは好投したが、スタミナ温存の為交代した沢村くんがど真ん中に球を集めてしまい集中砲火をくらった。三年生の居た頃の強力打線はなりを潜め、相手エースの真田に手も足も出ず試合終了。



 翌日から沢村くんは修行僧モードに突入した。色んな本を読み漁り、部活中はずっと黙々と走り通し。「タイヤ要る?」と訊いても珍しく断られてしまった。ボールを触るなと言われたけど、なんか他の練習メニューとかもすればいいのになぁ。ストレッチとか筋トレとか手伝ってあげようかなぁ。そういえばクリス先輩の巻物トレーニングメニュー、今もちゃんとやってるのかなぁ。やっぱり沢村くんのバカ元気がないと調子狂うんだよなぁ。ああ、早く、早くクリス先輩の鶴の一声が欲しい!


 ということで、二学期が始まって早々、私は春っちに付き合ってもらって三年生の教室に来ている。

「クリス先輩」
「苗字、久しぶりだな。元気か?」
「はいっ! クリス先輩もお元気そうで!」
「ああ。…ところで、沢村の調子はどうだ? 金丸から大体話は訊いたが…」

 なんだ、やっぱりクリス先輩も沢村くんのこと心配してるんじゃん。

「…まさに暗中模索といった具合です。私は、今の沢村くんにはクリス先輩が必要だと思います」
「…分かった。時間が空いた時に様子を見に行ってみよう」

 よし、任務完了。記憶の中、クリス先輩に再会した時の沢村くんの表情を思い出すと微笑がこぼれる。

「沢村くん、きっと喜びます」
「沢村がこうなること、苗字は知ってたんだな」

 クリス先輩にそう言われて、表情が凍った。なんとか首を縦に落とせば、隣で聞いていた春っちはなにやらハッとして「そうか。あの時のアドバイスはそういう…」と稲実戦のことで合点がいってる様子。

「なら、沢村あいつがいずれイップスを克服するところまで知っていたんだろう?」
「…! なんで…」

 思わず顔をあげてクリス先輩の顔を真正面から見た。この人はエスパーか何かなのだろうか。一体どこまで見透かしているのだろう。

「大丈夫だ、そんなに心配するな。あいつはきっと一回り大きくなって俺達を驚かせてくれるさ」

 そう言いながら優しく頭を撫でてくれるので、泣きそうになるのを堪えながら頷いた。

 戻る道中でも春っちに迷惑をかけないように涙を堪えるのに必死だった。だけどその代わりに弱音が口からこぼれてしまった。

「ねぇ、はるっち。沢村くんは私のこと恨んでるかな」

──「……沢村くん、試合が終わっても私を……ううん、私を恨んでも構わないから、自分を責めないでね」

 あの日そう言った私を、今の沢村くんはどう思っているんだろう。私の選択が正しかったとして、沢村くんが私を恨んでいようと私にとっては重要なことではないはずなのに。私の選択が間違っていたとしても、悔やんだところでもう取り返しはつかないのに。

「もしそう思ってるなら、苗字さんは栄純くんのこと何も分かってないよ」

 春っちのその返答に自然と顔が上がって視界がひらけた。慰めの言葉なんかよりもよほど、その言葉は私を救いあげてくれる力を持っている。私は、良い友達に恵まれたなぁ。はるっちも、沢村くんも。こんな馬鹿で厄介な奴と友達でいてくれて本当にありがとう。


 後日、秋季大会のブロック予選試合が行われ始め、部活後に金丸くんと狩場くんに投げ込み練習に付き合ってもらう沢村くんを見かけた。どうやらアウトローの制球を磨いているようで、クリス先輩は沢村くんにちゃんとアドバイスしてくれたらしい。これでひとまずは安心───。

 ───といきたいところだが、運命の歯車は何もかも順調に進んでいるようで、九月二十日、予選の最終戦でボスの雷は落ちたし、部員達はここしばらくオフのトレーニングメニューだけをこなしている。

 この後の展開はきっと、結城先輩の進路相談で校長が情報漏らしてからの三年引退試合の前倒し。そしてボスが秋大を最後に辞任することを知ってそれを阻止する為に一丸となって本戦へ挑み成長していくチームと選手達、か。

「あれ…私って、もう要らなくない?」

 秋大では優勝するし、選抜で甲子園出場して、まあ巨摩大藤巻に敗れる上に春大でも悔しい想いをするけれど、夏の大会は西東京代表の座を勝ち取るわけでしょ。本郷正宗をうち崩せないのは実力が足りないからだし、春大をきっかけに沢村くんはナンバーズを完成させていく。つまり、大方順調の未来が待っているわけだ。特に何か変える必要性は無くて、そうなると私の未来視設定も必要無いし、そもそも目的自体がなくなるじゃん。……いや、待って。夏大前後には怪我人続出だし、そういえばあの時期青道は呪われてるって噂だし、降谷くんは足捻挫したり背中を痛めたりするし、なんなら秋大でも御幸くんが結構重度の怪我するじゃん。うん、試合に勝つって分かってても、怪我は無いに越したことはないはず。



「よし、やっぱり私、未来変えよう」

 三年生の引退試合で覚悟を決めたみんなの姿を眺めながら、改めて私はそう決意した。




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