一年生 秋 に


好きな人を困らせたいのは恋する乙女のサガです



 移動教室のついでに休み時間に二年B組の教室をこっそり覗くと、倉持先輩はぐっすり眠っていた。抜き足差し足忍び足で近付けば、あどけない寝顔が私の視線を釘付けにして逃さない。これはやばい。寝顔が可愛い過ぎてダメだ。人をダメにするレベルのやつだ。

「苗字、何してんだ?」

 息を乱しつつなんとか意識を保ちながら連写を繰り出していると、背後から御幸くんの声が。

「み、みっみみ、みみみみ、みみ!」
「……?」

 そうだ、御幸くんに倉持先輩の隠し撮りを依頼しよう、という発想から「御幸くん、私の代わりに倉持先輩の激写をお願いしたく!」という台詞を口にしようと試みるも、勇み過ぎて吃りまくってしまった。最初の一文字しか言えていないので、御幸くんが首を傾げるのも当然だ。

「なんだよお前、何か喋れねぇ呪いでもかけられたのか?」

 面白い発想をかましてくれる御幸くんはかくも冷静なのに私はちっとも冷静になれない。何故こんなにも私の口は回らないのだろう。落ち着け、落ち着くんだ、私。シャッターチャンスを逃すわけにはいかない。過呼吸になりかけている呼吸を整えるべく深呼吸を始めた。だが。

「お前らここで何やってんだよ?」

 そうこうしているうちに倉持先輩が起きてしまった。寝起きの眠そうな目の倉持先輩も撮りたい……! 私の中で暴れ狂うその衝動を表に出さないように、それとなくスマホを背中に隠しながら「な、何も企んでません!」なんて誤魔化したりするもやっぱり衝動は制御下に収まりそうにないほど暴れていて。結局耐えきれなくなった私は床を蹴って走り出した。

「失礼しますっ」
「……なんだあいつ?」
「さあ?」

 私に倉持先輩の耐性が付いても、それ以上のスピードでカッコ良さに磨きがかかっていくのでイタチごっこだ。しかも明らかに私のが悪い。嗚呼、神様。私はいつになったら平穏な恋が出来るでしょうか。



 学校生活は相変わらずそんな感じで面白おかしく過ぎていき、あっという間に週末の七森との試合の日がやってきた。私は泣く泣く稲実と鵜久森戦の偵察なう。

 今日の先発は降谷くんではなく沢村くんで、球場ではきっと今、倉持先輩がヘルメットとバットを持ってブルペンに向かって「投げたよな、インコース」のシーンが……ああああぁ私もそっちに行きたかったぁあああ。「打席で球筋見てやっから」と沢村くんに付き合ってあげる倉持先輩。沢村くんにインコースに投げ込まれてビックリする倉持先輩。初回いきなり出塁して盗塁して七森を唖然とさせる倉持先輩。
 とはいっても今日の主役は沢村くんだ。そう、遂に沢村くんが一皮剥ける日がきたのだ。それはこれまで血の滲むような努力を、泥水をすするような思いで前へ進みながら積み重ねてきたからこそだろう。その苦しい日々が日の目を見る時がようやくきたというわけだ。厳しく攻めることは出来なくても、イップスを克服したというだけですごいことだ。それこそ軍曹もイップスというだけで沢村くんを諦めていたぐらいなのだから。


 稲実が初回に先制点を取ってから試合は膠着状態が続いた。成宮鳴がレフトに下がっているとはいえ、稲実と投手戦を繰り広げるだけの投手が鵜久森には居る。梅宮聖一、終盤に入ってここぞというタイミングで今まで温存していたらしいパワーカーブを投げて一気に流れを変えた。空タッチしたにも関わらずアウトを取ってしまった多田野くんの罪悪感と、成宮鳴のたった一球の失投が鵜久森に勢いを与え、鵜久森が逆転した丁度その時、隣のナベ先輩の携帯が鳴った。

「えっと…試合は…スコア二対一で稲実が負けてる」

 野球の戦い方に迷いの無かった常勝チームが初めて見せた綻び。そして野球の流れというものの引き寄せ方を知っている鵜久森はそれを見逃さない。

 試合は結局鵜久森が勝利した。稲実も意地を見せたが、鵜久森は逆転したそのままの勢いで野球の女神さえも味方につけたようだった。

「苗字はこの試合、夢で視たの?」
「そうですね。スコアも勝敗も知ってました」
「え、じゃあなんで…」

 恐らくナベ先輩はこう訊きたいのだろう、「ならどうしてみんなに言わなかったんだ」と。

「言う必要無いと思ったからです」
「いや、だって重要なことじゃ…」
「どっちが勝とうと、青道ウチの目標は優勝でしょう?」
「……、」
「それに、私だって不安なんですよ。夢で視たものが予知夢だとは限らないし、予知夢だとしても本当にその通りになるかどうか分からないし」
「そう…だね。なんかごめん」
「いえ! 私なりに楽しんでるのでいいんです」
「楽しむ?」
「人生楽しんでなんぼですよ、先輩」

 なんかかっこいいこと言ってみたけど、その後私は今日の倉持先輩の勇姿が見れなかったことを道中ずっと嘆いてナベ先輩に愚痴り続け、呆れられながら帰った。だって時間は戻らない。その日その瞬間の倉持先輩をリアルタイムでこの目に焼き付けていたいのだ私は。明日は王谷の試合も偵察の必要も無いし、思う存分倉持先輩のプレー姿を堪能してやるんだから。


「聞いてくれ苗字! 俺今日初完封勝利したんだぜ!」

 七森戦を終えた選手達の表情はとても明るかった。沢村くんは、先発で七森打線を零点に抑えて見事五回コールドしたことを私に自慢してきた。まあ何度かヒヤヒヤする場面があったことも知っているけれど、今は水を差さないでおいてあげよう。内容はともかく、イップスに苦しんでいたピッチャーが達成したとは信じられない結果であり、はっきり言って出来過ぎである。打線もちゃんと機能したようで結構なことだ。

「うん、知ってる。イップス克服したんでしょ? 本当すごい! クリス先輩にももう報告したの?」
「ああ、ラインでだけどな。でも早く、もっと成長した姿を見せてぇ」

 もう先を……いや、常に成長し続けてるのか。歩みを止められないんだな。そういう時ってあるよね。沢村くんは今、伸び盛りなんだもの。

「そういえば金丸くんも初スタメン初打席で初ヒット初打点だってね。すごいじゃん!」

 後ろで沢村くんを見ていた金丸くんも褒めてあげてみた。

「ま、まあな!」

 もっと褒めろとか思ってそうな、満更でも無さそうな顔に母性本能くすぐられちゃうなぁ。ということで注文通り褒めちぎってあげた。



 そんな浮かれた昨日の雰囲気とは正反対に、翌日の空気は……なんというかこう、ヤバかった。今からあの鵜久森と試合だというのに。

「なんか空気悪くない?」

 近くに居た金丸くんにそう言って同意を求めてみる。

「お前、気付いたのか。意外とそういうの気付くんだな。実は昨夜───」

 地味に失礼な発言だが、もう慣れっこである。金丸くんは、昨夜ゾノ先輩と御幸くんが揉めたことを話してくれた。そう、そういえばこのタイミングだったな。それで鵜久森戦で活躍し認め合う二人は少しだけ……ほんの少しだけギスギスが和らぐのだ。それでもキャプテンと副キャプテンの二人がぎくしゃくしていることでチームメイト全員が漠然とした不安を抱える中、稲実を降した鵜久森との試合は始まった。


 五回裏。ワンアウトランナー一・二塁。バッターは降谷くん。打球は打ち取った当たりで、一塁のカバーに入る相手エースを避けようとしてかベースの変な所を踏んでしまった降谷くんは───と、なるのを心配したけれど、降谷くんはちゃんと私の言った通り・・・・・左足でベースを踏んだので、多分大丈夫だと思う。多分ね、多分。だって降谷くん無表情だから分かりづらいんだもの。

「降谷くん、一塁ベースは左足で踏もうね! この試合だけじゃなく、今後の為にも左足で踏む癖を付けよう!」

 試合前、私は降谷くんに念押ししてそう忠告したのだ。

「なんで?」
「え……と、…み、みゆ…キャップ! キャップー!」
「左足でベースを踏んだ方が二塁へ走りやすい。何より、相手選手との体当たりを上手に避ける為だ。右足で一塁ベースを踏むと、怪我やアクシデントになりやすいんだよ」
「工藤先輩…!」

 とまあ、そんな感じで、降谷くんに理由を尋ねられた時は御幸くんに解説を求めテンパってしまったけれど工藤先輩がすかさずフォローしてくれたりして、降谷くんは納得したわけだ。
 そしてそのおかげか彼は例の場面で梅宮くんを避けようとしてベースを踏み外すことなく安全に左足で踏むことが出来た。これは、私の言動が初めて形となって成果として表れた出来事ではないだろうか。正直、歓喜に打ち震えている。
 そもそもこの降谷暁という男、爪を怪我したり足を挫いたり投げ過ぎで背中を痛めたり、なんというか注意不足によるうっかり故障ばかりな気がしないでもない。これは一生治らない類のやつかな。今後も注意しておこう。

 ようやく逆転した青道は着々と点差を広げていく中、降谷くんは粘り強く相手打線を抑えているが少し危なっかしいというか、ありていに言えば球がキてないような気がする。本来なら捻挫の影響で程よく力が抜けて逆にピッチングが良くなるはずだった。今は、当たり前といえばそうだけど、その勢いが無いような気がする。でも怪我有りきのピッチングなんて良くないし、実際降谷くんは球数も過去最多なのによく粘っている。細かい展開はよく思い出せないけれど、恐らくは原作と大差ない流れできたと思う。

 しかし八回表、とうとうノーアウト満塁で相手打線に最大のチャンスを与えてしまった。しかし難しい打球も倉持先輩が軽快に捌いてまずワンアウト。

「よしっ」

 今日はよく倉持先輩の守備が光る試合だ。私としては何より見応えがある点なので嬉しい。

 そしてなおも相手側チャンスで上位打線に回り、一番打者ガッちゃんの打球。二遊間抜けそうになるもなんとか飛び込んで捕球した春っちは、倉持先輩へ逸らしにくい送球をした。

「……!」

 そういえば、あった、こんなシーンが。確実に二塁でアウトを取ろうとした春っちと、ゲッツーを狙っていた倉持先輩との意識のズレ。内野陣が共通の意識を持ってゲッツーを狙おうとしていなければ、ゲッツーは取れるものではないということだ。
 倉持先輩はそれでもゲッツーを取りにいく姿勢を崩さず、遅い送球を自ら迎えに行き、着地体勢も構わず一塁へ送球した。

「倉持先輩…!」

 ランナーと衝突した倉持先輩の怪我を思わず心配した直後、「セーフ」と一塁の塁審が告げた。そこからも、強い運命力が働いているかのように原作の展開をなぞっていく現実。ホーム送球も間に合わず追加点を許し、球場の鵜久森贔屓に拍車がかかり鵜久森コールがいつしか響き始める。

「フハハハ」

 そんな球場の異様な空気をも切り裂いたのは沢村くんのバカデカい口上だった。観客も、鵜久森の選手も、各高校の偵察隊も、球場に居る誰もが、こいつ一体何を言っているんだとばかりに耳を澄ましている。私は他人事のように、やっぱりこの主人公大物だわとついつい感心してしまった。

「エースナンバー背負ってんならあとアウト一つきっちり取ってベンチ戻ってこい!」

 口上の最後に珍しくとてもとても良いことを言った沢村くんに静かに感激した私はなんだか目に涙が滲んできたし、拍手も送りたくなった。なんだろう、この、どうしようもなく親目線になってしまう心境は。
 沢村くんのげきにより再び奮起した降谷くんは、同点目前まで迫られたものの後続を断ち堂々とベンチへ戻ってきた。

 しかし最終回の守備、ボスはやはりここで継投を選択した。リリーフは勿論、初回から絶えず準備してきたし攻めの姿勢を体現したようなこの男、沢村栄純だ。
 未だ鳴り止まない鵜久森コールが轟く中、ランナーを一塁に置き四番梅宮くんを打者に迎える。

「打ち取れるよーっ、やっちゃえ沢村くーん!」

 大丈夫。大丈夫。そう自分に言い聞かせながら叫びまくっていないと不安でおかしくなりそうだ。あんなに未来を変えるのは難しいと思い知ったはずなのに、それだけ揺るぎない運命があるのだと理解したはずなのに、沢村くんは三者できっちり零点に抑えて青道の勝利が待ち構えているはずだと知っているのに。どこか一つでも、どんなに小さなネジでも欠ければ途端にひっくり返りそうに思えてしまうほど、世界が残酷なことも知っているような気がして。


「おーしおしおし」

 数分後、球場に我ここにありとばかりに元気よく通る雄叫びの声は聞き慣れた沢村くんのものだった。あの勝負強くて異様な才能に溢れている梅宮くんを見事ゲッツーに打ち取って一イニングを守り抜いた沢村くんを称える拍手が、球場のそこかしこで聞こえた。


 秋大三回戦、青道が鵜久森を降したその夜。食堂で浮かれまくっている沢村くんとは別の一角で二年生達が今日の試合の振り返りをしている。

「次に繋がらんかったら意味が無い」
「…ま、今までのことを考えたらな」

 うっわ、めっちゃよそよしい。とか今心の声でハモってるんだろうな、みんな。
 そして御幸くんとゾノ先輩のギスギスムードをよそに、なんだかんだあって沢村くんを至近距離でガンつけている倉持先輩。いや近い近い近いよ。

「ちょっ…! 近過ぎます倉持先輩! 沢村くんばっかりズルいです! 私にもキス待ち顔して下さいよぉ」

 服の袖をクイクイッと引っ張って拗ねるように抗議すればそのままのキレ顔をぐるんとこちらに向けられる。

「っあ゛あ゛!? なに言ってんだお前、男にんなことするわけねぇだろが! 気持ち悪ぃこと言うんじゃねぇよ!」
「え…じゃあ女の子には皆の前でもしちゃうんですか?」
「そういう意味じゃねえっての!」
「まあ私なら大衆の面前でも構いませんけどねー。うふふ。倉持先輩の唇は誰にも譲る気ないんで!」
「…今の、告白か?」

 勝手に妄想して浮かれながら、ニヤける口元を押さえて上機嫌にいつも通りの軽口を叩けば、いつもとは違った調子の台詞が返ってきて些か狼狽した。いつもの軽口、そう、軽口なのに。まあ九分九厘本気の、だけれど。

「え、…ええー今更?」
「は?」

 すぐいつも通りの調子に戻って軽く質問を躱してから、黙って席を外して退室し扉を閉め、大きく息を吸い込んで───。

「倉持洋一にときめいた回数なら、誰にも負けないんだからーーーっ」

夕空に向かって思い切り叫んだ。室内まではっきりと聞こえるその宣言に、部屋中静然となった。ガラッと再び扉を開ければ、注目の的となる。その中の視線の一つを気合いを込めて見つめ返し、満面の笑みで言い放ってやる。

「告白はしません! 今日はお疲れ様でした!」

 パタ、と扉を閉めて帰路に着く。夜の帳が降りている地平線を見据えることもしないまま、通学路に沿う。いつもと同じ気分にとはいかず、下を向いて歩いた。上を向いて歩こうなんて歌があるけれど、とてもそんな気分にはなれそうにない。

「倉持先輩のばーーか」

 振り返って寮の方角に向かってそう呟き、それから踵を返して駅まで走った。



 翌日の天気は快晴。二限目の授業中、窓からグラウンドを見下ろすと倉持先輩が居た。ジャージを着ているので体育の授業らしい。そうと分かる前に真っ先に倉持先輩を認識してしまう私って一体どれほど倉持先輩のことが好きなんだろう。普通ならその順番は逆だろうに。今、倉持先輩のクラスは体育。ということは……倉持先輩の生着替えを覗くチャンスでは!? 教室の時計を見ると時限終了まであと五分。

「こうしちゃいられない…!」

 私は急いで板書を終わらせ、脱いでいた上履きを履き直した。
 チャイムが鳴り、号令を言い終える前に立ち上がって教室を飛び出した。向かう先は二年B組。

「あらら、はりきって早く来すぎちゃった」

 着いたその教室はもぬけの殻。しかし運良く女子の更衣室の方が別室らしく、男子の着替えだけが散乱していた。

「倉持先輩の…」

 倉持先輩の席に置いてある制服を確認すると、倉持と記された名札が付いていた。

「ビンゴ」

 当初は倉持先輩の生着替えを覗く目的だったのだが、私はふと倉持先輩が脱ぎ散らかした制服が気になった。本能的に、身に付けたいと思った。もはや思考回路がストーカーじみていることに私が気付くことはない。迷いなく目の前のセーターに手を伸ばし、腕を通した。途端にフワリと香る彼の匂い。

「……うわ、これ、やばいかも」

 やばいとは、理性の話である。しかしもう少しこれを堪能していたい。私はセーターを借りることにして、ついでにとジャケットから名札を取って私のものと付け替えた。胸元が示す“倉持”の文字にニヤニヤを禁じ得ない。今回の悪戯に対する“苗字名前見参”の意味を兼ねて、代わりに私の名札を倉持先輩の制服の上にポンと置き、私はがらんどうの教室を出て悠々と自分のクラスに戻ったのだった。

「どうしたの? 名前ちゃん」
「顔面ゆるゆるだな」

 かすかにセーターから香る倉持先輩の匂いにニヤケが止まらない。それを春乃と金丸くんが指摘してくる。

「気にしないで。幸せを噛み締めてるの」


 次の休み時間にはもしかしたら倉持先輩が怒鳴り込んで来るかも思ったが、とうとう来なかった。そして昼休み。

「こんにちは! 倉持先輩いますか?」
「いるよー。今日も元気だね名前ちゃん」
「ありがとうございます! 先輩は今日もお綺麗ですね!」

 倉持先輩は珍しく自分の席に大人しく座って何やら思案顔だった。

「倉持先輩、会いたかったです! 二限目の体育見てましたよ。カッコ良かったです!」
「おい、くっつくな! 毎日毎日我が物顔で入って来やがって。自分のクラスで食えよ。まさか友達いねぇのか?」
「まさか! 御幸くんと倉持先輩じゃあるまいし。私は友達の数なら誰にも負けませんよ!」
「ケッ、そうかよ」

 私がお弁当箱を開けながらふと御幸くんを探してキョロキョロしたのを目ざとく察したのか、倉持先輩が先回りして口を開いた。

「御幸ならいねぇぞ」
「へぇー…」

 生返事をしながら思い馳せる。そういえば、昨日が鵜久森戦だから、今日は先輩達に報告する日だ。それから御幸くんは確か結城先輩に相談して、ゾノ先輩は伊佐敷先輩に副キャプテンの心得を諭される流れ。

「んだよ、知った風な顔して」
「え? …まあ。えへへ」
「視たってか? ったく、どこまで知ってんだか」
「別に御幸くん目当てで来てるわけじゃないので、居ないなら居ないでいいんですよ。倉持先輩が居れば、私はそれだけで幸せですから」
「…お前、呼吸するように口説いてくんのやめろ」
「……え、……なんで、ですか?」

 それって、意識してくれてるってこと? 私のこと、もっと意識しちゃいそうになるから惑わせないで欲しいって、つまりそういうこと? だって、私は知ってるんだ。誰かに純粋な好意を向けられて嬉しくない人なんて居ないって。

「……」

 答えが返って来なかったから、ふと頭を過ぎったことを口にしてみる。

「そういえば、昨日のことですけど…」
「っ…」
「倉持先輩さえ良ければ、私は毎日でも愛を伝えますよ?」

 まあ今でも好きな時に愛を叫んでいるわけだけど。

「それは……勘弁しろ」
「迷惑…ですか?」
「…お前、後輩のくせにそういうとこまじでかわいくねぇ」

 確かに今の訊き方をした私はズルいのだろう。案の定、倉持先輩にはかわいくないとまで言われてしまった。自業自得だけれど、好きな人にそんなことを言われては、正直胸が痛い。

「えへ、まあ、自覚はあります」

 だけど、答えられないということは、迷惑ではないからだと思っていても良いだろうか。自分に都合の良い方で勝手に思い込んでいなくては、この恋は続かない。上も下も制限されて、行き場の無い恋だから。狭苦しい天井と床の間を跳ね続けて、いつ横からはみ出るか分からない恋だから。

「でも、好きな人を困らせたいのが乙女のサガなんですよね〜」
「…コレもそれか?」

 彼は私の苗字が記された名札を指してそう言った。さっきから倉持先輩の机上に置いてある。まあ、「あなたの大切なもの頂きました」と言う怪盗の犯行宣言よろしく堂々と代わりに自分の名札をド真ん中に置いて去ったのだから気付かないわけがないのだ。しかし取り戻しにも来なかったし、今の今まで何の指摘も無かった。彼は、私がセーターと名札を持ち去ったことを敢えて見逃していたということになる。

「とても充実した二時間を過ごせました。毎日借りたいなぁ」
「貸した覚えは無ぇよ」

 言葉とは裏腹に、私の犯行を咎める声音は含まれていない。

「あれ、もしかして困らせ失敗ですか?」
「……」

 何だろう、やけにまじまじと見てくるなぁ。そんなに見つめられると私だって照れちゃうってもんですよ。

「うう、穴が空きそうです。そんなに見つめないでくださいよ。流石に恥ずかしい」
「…! わり、」

 なんかいつもと様子が違うな、倉持先輩。勢いが無いというか、なんか調子悪いのかな?

「倉持先輩、もしかして熱でもありますか?」
「は? …っ!」

 もしかしたらと心配になって倉持先輩のおでこに手を伸ばした。反対の手で自分のおでこに触れて体温を比べるが、正直なところよく分からない。首を傾げながらうーんうーんと唸っているうちに手を払い除けられてしまった。

「あの、寒いんだったらコレ返しますから着てください」
「あ? 寒くねぇよ。お前が着てろ」
「えっ、いいんですか!? やったあ!」
「…はぁ、」
「溜め息吐くと幸せ逃げちゃいますよ」
「誰のせいだよ」
「私なにかしました?」
「むしろ何もしなかったことがあったか?」
「えへへ」
「照れるとこじゃねーだろ」
「だって、好きな人を困らせてる実感!」
「っ、だからそれやめろっての!」
「あはは、だって倉持先輩がそんなに顔赤くしてくれるの珍しいから! 嬉しい」
「〜〜っ、くそっ。お前っ! 今日は別のとこで食え」
「えー、いやです! モグモグする倉持先輩を眺めるのが私の大事な日課であり趣味なんですから!」

 食い下がれば、倉持先輩はとうとう舌打ちして教室を出て行ってしまった。「いいか、ついてくんじゃねーぞ」と律儀な捨て台詞まで残して。
 ムスーッとむくれていると、二年B組の先輩方が慰めてくれる。

「今日はちょっと攻め過ぎたね」
「どんまい、名前ちゃん」
「倉持の気持ちも分かってやれ。今日のは正直キツいって」

 先輩達の優しさが沁みる。だけど、「キツい」とは具体的にどういうことだろうか。尋ねようとしたところに、御幸くんが帰ってきた。連日の試合明けの月曜日、恐らく今日御幸くんが結城先輩に相談するはず。いや、今丁度してきたところだろうか。

「キャプテンとしての悩みは解消出来ましたか?」
「……(もうツッコむ気も起きねぇわ)、てか倉持は?」
「それが、かくかくしかじかで」
「それで伝わるのは二次元だけだろ。ちゃんと説明して」

 お決まりの台詞で誤魔化したところで二次元補正は無く、いちいち初めからことの次第を説明させられることになった。

「なるほどな」
「私、後を追っていいと思いますか?」
「お前って本当、無駄に積極的だよな。今はそっとしといてやれよ」
「やっぱりそっちですか…。でも、どこかで迷子になってるかもしれませんし」
「お前じゃねーんだから! 早々自分の学校で迷子になんねーよ」

 失礼な。私だって自分の学校では迷子になんてならない。移動教室は友達と一緒だし、倉持先輩のクラスまでは目を瞑ってでも辿り着ける程度には通い慣れた道だ。
 私は仕方無しに御幸くんと寂しく二人で食事を取ることにした。

「おい、ため息漏れてんぞ。失礼なヤツだな。心の中に留めておくもんだろそーゆーのは」

 あ、そーだ。せっかくだからこれ言っとかなきゃ。

「次の相手の王谷ですけど、降谷くんの怪我気付かれてますよ」
「は…? 怪我?」
「え? ……あ、」

 そうだった。降谷くんは捻挫しなかったんだった。やばい、初めて予知夢設定のボロらしいがボロが出てしまったな。

「いやあの、今のは…」
「今のは?」

 何と説明したものだろうか。

「ええっと…、実は、予知夢じゃない夢を視て……」
「……」
「……」
「お前さ、嘘が下手だな」
「ぅっ…」

 どうやら私は嘘が下手……な時もあるようだ。

「で、怪我って?」
「昨日の試合中、降谷くんが一塁ベースを踏み外して…捻挫を…」
「…マジ?」
「してない! してないですから!」
「……」
「そんなに心配なら病院に連れてったらどうですか? 降谷くんポーカーフェイスだから私だって百パーセント断言出来るわけじゃないですし」
「ふーん。お前の予知夢も外れることあるんだな。…ま、試合で普通に投げてたし、大丈夫だろう」

 あれ、なんだろう今の、悪寒が走ったような違和感。

「ようやくエースとしての自覚が出始めてきたみたいだし、王谷戦、どうなるか分からないけど、いけるとこまでいかせるつもりだ」

 そうか、降谷くんが捻挫で安静にする必要が無いということは、王谷戦でエースである降谷くんが投げる可能性が高くなるのか。そしてその試合展開は、原作とは大きく逸れることになる。あ、また、さっきと同じ悪寒が走った。それでも漠然と嫌な予感がするだけで、私はその見逃せる程度の違和感から目を逸らすことにした。

「うちが王谷に勝ってる点は練習量です。最大の対策は、少しでも大きく成長して王谷の予想を越えた力を見せつけて動揺させてやることですよ」
「へぇ、なかなか良いこと言うじゃん」
「今までの試合の反省から各々足りないものを手に入れましょう。大丈夫です、これからチーム一丸となれば出来ますよ。私が保証します」
「そりゃあ心強ぇわ」

 軽薄なノリ。“予知夢を見るらしい苗字名前の保証”を、御幸くんは重く捉えない。だけどそれでいい。その方が気が楽だから。

「王谷との試合は、お互いが相手の裏をかこうとして選手全員が頭を使った、野球漫画好きにはたまらない頭脳プレーになると思うので、私も楽しみなんです」
「観客目線かよ」

 御幸くんは早速王谷戦に向けて策士の顔付きになっていた。

「頭脳プレーねぇ…。ならなおさら、事前準備は欠かせねぇな」



 部活終わりに倉持先輩にセーターを返そうかと思ったけれど、偶然見かけた倉持先輩に声をかけるもなかなか目が合わない。

「倉持先輩ー? 倉持先輩ー!」

 距離があるとはいえ、気付かれてないというよりこれは無視されている? あれ、もしかして私達って今気まずい感じなの!? 私は全然そんなつもり無かったんだけど。おかしいな。とうとう私に背中を向けて遠ざかっていく倉持先輩。完全に避けられてるっぽいな、これ。うわぁ、ヘコむ。

「うう…」

 セーター、ほぼ一日中私が着ていたわけだし、うちで洗濯して返すべきと思い直して踵を返した。明日になったら、いつも通りに戻ってますように。


 帰宅する前に食堂に顔を出すと、ナベ先輩が、いつの間にか撮っていた王谷の試合のビデオを鉛筆片手にハンターの目で見ていた。

「何かお手伝い出来ることありませんか?」
「うーん、じゃあ、一緒に見る?」

 というわけで私は居残りしてナベ先輩と王谷の試合ビデオをチェックしているわけだが。

「……」
「……」

 暇である。時折自分のタイミングで巻き戻しをするナベ先輩は集中している様子で、私が隣に居ることさえ意識の外なのではないかと思う。ああ、そういえば最近倉持先輩もなんだか私に素っ気ない気がするんだよなぁ。───と、私は気付いたらナベ先輩に相談していた。

「なんで僕に言うの?」
「んー、なんか先輩って相談のってくれそうな雰囲気あるし、聞き上手そうだし。あ、でも先輩も悩んでたんでしたっけ?」
「…とりあえず、苗字はもう少し自重するべきじゃないかと思うよ」
「…はぁ、また自重ですか。具体的にはどういう?」
「え…、だから、行き過ぎた言動とか」
「行き過ぎた…?」
「え…(まさか無自覚?)」

 そのうち工藤先輩と東野先輩が食堂に入ってきた。三人ともついこの間まで部活を辞めようとしていたのに、未だに悩んでるはずなのに、それでもチームの為に能動的に行動している。王谷のビデオを見ながらみんなで対策について話し合う。

「でも向こうは降谷を想定してるだろうから、沢村か川上ノリが投げてきたら戸惑うかもね」

 ナベ先輩が言ったことを聞いて、まるで光明が差したようだった。

「それでいきましょう!」
「え? うん…」

 降谷くんは本来なら捻挫で登板は見送りになるはずだったし、捻挫が無くなったからって連投させるのもどうなのよ。というか正直、原作と違う流れになったら私の心臓がもたないのよ。


◇◇◇

 今日の俺はどうも調子がおかしい。苗字を見ていると思考が鈍るし、やけにフワフワする。風邪だろうか。けど寒気も無いし熱も……くそ、思い出しちまったじゃねぇか。

 頭の中で時間を遡って思い出してみる。───確か、一時限の後まではいつも通りで冷静だったはずだ。

「宮内先輩ー!…うぉっとと。…クリス先輩ー! …ぉっとと、」

 その短めの休み時間を使って先輩達の階に行って試合結果の報告していたのだが、何故かその場に苗字が居て、宮内先輩とクリス先輩の交互に抱き着いては引き剥がされていた。そしてそれを俺は何故か複雑な思いで眺めて───っていや待て、おかしい。普通に眺めていただけだし、そもそもコイツの部員に対する距離感がやっぱおかしいだろ。

「御幸、倉持」

 そう考えたところで、苗字が現在進行形で迷惑をかけている二人に呼ばれた。

「俺達はもう面倒見てやれないんだぞ。コイツの手網はお前らがしっかり取れ」
「はあ…」

 生返事をしてしまったのは、そう言われたところでコイツの手網の所在が分からないからだ。

「心配するな。お前らの言う事なら聞くさ。倉持は言わずもがな、御幸はキャプテンだからな。そうだろう、苗字?」
「え? んーまあ、そうですね。なんせキャプテンですから」

 クリス先輩に引き剥がされない程度の塩梅を模索しながらどうにかして先輩の庇護の恩恵にあやかろうと甘えている後輩の図……なのだろうが、傍から見ると男に抱き着く節操無し女にしか見えない野球部の問題児マネージャー。共通の問題を抱え、俺と御幸はその時自然とお互い目配せをして頷き合った。

 ということがあったが、この時はまだ……概ねいつも通りの俺だったと言える。

 それから二限目の体育の後だ。教室に戻ってみれば俺の制服の上に苗字の名札が置いてあった。嫌な予感がして制服を探ると俺の名札が無くなっていた。それどころかセーターも無くなっていた。なんて奴だ。白昼堂々と盗みを働きやがった。しかもこの俺に。いや、俺のだからか。あの変態ストーカーめ。
 取り返しに行くという選択肢は確かに存在していた。だけど足が向かなかったのは、不思議なことにそうする必要性を俺はそこまで感じなかったせいだ。次の休み時間も、苗字の名札を手に眺めているだけで終わってしまった。ひょっとすると、この時から既に俺はおかしかったのだろうか。

 そして俺の調子が本格的におかしくなったのは、そう、昼休みからだ。

 昼休みのチャイムが鳴ると、御幸はフラフラと何処かへ姿を消し、苗字はぬけぬけと教室に現れやがった。だがいつもの俺なら「よくも盗みやがったな返しやがれ」と怒鳴っているだろうに、今日の俺にはどうにもその気が湧いてこなくて。

「別に御幸くん目当てで来てるわけじゃないので、居ないなら居ないでいいんですよ。倉持先輩が居れば、私はそれだけで幸せですから」

 なんとかいつも通りを装って会話出来ていたが、そう言われて一瞬体の動きも思考も忘れてしまった。いつもの……そう、いつもの苗字の軽口だ。それなのに妙に引っかかるのだ。更に苗字が昨日のことを掘り返してきて、胸がザワついた。まただ。こいつが俺への好意を口にする度、どうにも平静で居られなくなりそうになってしまう。そもそも昨日のアレだって普段の俺ならさらりと受け流せたはずだ。……おい、ちょっと待て。昨日? 俺は一体いつから────。

「コレもそれか?」

 俺を困らせたくてセーターを盗んで名札を取り替えたのか、そういう意味で尋ねると苗字はご機嫌な顔を更に蕩けさせて肯定した。俺は、またわけの分からない感情におそわれて苗字の思惑通り困惑していた。そして頭の中はごちゃごちゃしているのに視線だけは苗字から逸らすことが出来ない。俺のセーターを着て俺の名札を付けているコイツを眺めているとどこか満たされる気がするのは───いや、単なる気の迷いだ。そうに違いない。額に触れてきたのだって、あんなことをされたら男ならみんな意識しちまうもんだ。そうだ、俺は正常だ。苗字に振り回されてうんざりするのにご機嫌な苗字を見ていると悪い気がしないどころか「好き」と言われると鼓動が高まる。いやいや、異性に好きとか言われたらこういう反応ぐらいするだろう。俺は正常だ。ただ、コイツと一緒に食事を平然と取れるほど平静にはなれそうになかった。

 今日の会話はそれっきりだ。部活中もその後も何故だか目を合わせられなかった。寝る前に、そういえばセーターを貸したままだと気付く。まあ厳密には盗まれたのだが。まあ、明日返してもらえばいいか。



 そして明朝、苗字は朝一番でセーターを返しに……は来なかった。なんでも、洗濯中らしい。別にそのまま返してくれても良かったのだが、洗濯してしまったものは仕方がない。ん、何か忘れてないか。

「名札返せよ」

 洗濯しているからセーターを返すのが遅れる旨を伝えに来た苗字の胸元を飾るそれを見て思い出したように上から言えば、渋々といった風に取り外した俺の名札を差し出してきた。つーか、そっちは返さねぇつもりだったのかよ。

「付けてあげますね」

 そう言っていそいそと俺の胸元に名札を付ける苗字をついまじまじと見てしまう。妙に顔が近い。なんか気恥ずかしいけど、それだけじゃなくて───。

「あ、降谷くん、沢村くん、おはよう」

 自分の中に漂う感情の正体について考えていると一年が追い付いて来たらしい。幼稚に張り合いながら登校する主力投手二人に挨拶をした苗字はその男達へと腕を伸ばした。俺は無意識にそれを目で追う。

「あはは、降谷くんまた寝癖付いてるよ。沢村くんはシャツ出てる」
「…おい、」

 躊躇なく沢村のシャツの裾を掴んだり、背伸びして──それでも届かないので降谷がかがんでいる──降谷の寝癖を整える苗字を見て思わず咎めるような声が出た。

「え?」

 三人同時に振り返りながら聞き返され、後からしまったと思うもののもう遅い。しかし誤魔化せないこともないだろう。

「いや…なんでもねぇ」

 マネージャーで同じクラスだと、そのぐらいの距離感にはなるものかもしれない。と、その時はその場で自分を納得させたのだった。


◇◇◇

「あ、キャップ」

 部活中、後ろから服を鷲掴み引っ張られて仰け反った。犯人は苗字だ。

「おわっ、…苗字お前、…もうちょっとマシな呼び止め方あるだろ。服鷲掴むなよ」

 一個下のマネージャーの暴挙を指摘すると何故か瞬きを数回してキョトンとした彼女。その反応に「え」とこちらが戸惑ってしまう。

「じゃあ、どうすれば?」
「は? いや、普通に呼び止めれば良くね?」
「なるほどそれもそうか」
「お前さ、せめてもう少し女子らしく服の裾引っ張るとか出来なかったわけ?」

 そう言った直後、軽蔑の視線を向けられた。「それお前がして欲しいだけだろ」と顔に描いてある。非常に不本意だ。

「キモ」
「おまっ…、仮にも俺はキャプテンなんだ…ぞ…」

 キャプテン、そこまで言いかけて何か引っかかったので尻切れとんぼになってしまった。そういえばまだ夏に入る前の頃、コイツは俺に言ったのだ。“秋になれば呼び方を変える”と。そして新チームが始動し、俺は新キャプテンになった。「キャップ」と、まず一番最初に呼び始めたのは沢村だ。それを真似て、コイツも俺をそう呼びだした──今でもまだ「御幸くん」呼びの頻度の方が高ぇけど──。だがここで忘れてはならないのは、コイツは予知夢を視るらしいということ。あの頃の時点でそれを視ていた可能性に辿り着いた。あの時は確か、哲さん達をよく見とけとかなんとか言われたっけ。

「そういやお前、夏前にはもう、俺がキャプテンになるって知ってたのか?」

 確信を持ってそう尋ねれば、苗字はニィッと意味深に笑んだ後、わざとらしくすっとぼけた。

「さあ? 私は沢村くんの真似して呼んでるだけですからぁ。それより王谷のことですけど、守備位………いえ、ナベ先輩がもうすぐ王谷の癖をビデオから見付けると思うので、一応キャップに伝えておこうと思って」

 コイツの予知夢は、正直めちゃくちゃ当たる。でもどこか出し惜しみしているように感じる時もあるから、コイツ自身も取捨選択をしているようだ。俺としてはそれに頼りたいとは思わないけれど、まあこういう情報なら偵察で得る情報と同等に扱えるから都合が良い。というか、俺も苗字に言うべきことがある。

「それよりお前さ、頼むからちょっと自重してくれねぇ?」

 最近のコイツの言動は目に余るものがある。藪から棒だが遂にそう切り出せば、「自重……」と苗字は途端に眉根を寄せて嫌悪感をあらわにした。自重するのがそんなに嫌なのかよ。でもしてもらわなきゃ困る。

「俺もそうだけど、倉持も副キャプテンだしチームのことで手一杯でお前なんかに構う余裕ぇんだよ」

 倉持も意識しまくっているみてぇだし正直今はこれ以上倉持を刺激して欲しくない。大事な大会中だし、倉持は青道のリードオフマンで遊撃手、調子でも崩されたらたまったものじゃないからな。

「ふんだ、御幸くんだって。キャプテンに向いてないとか今更過ぎること悩んでも仕方ないと思いますよ」
「っ…お前なあ」

 ひとが気にしていることをさらっと言いやがって。

「あと言っておきますけど、私、倉持先輩以外に思わせぶりな態度とったりしない主義ですから! 服の裾を摘んで上目遣いなんてしたら、チョロい男子だったらコロッと落ちるって知ってるんですからね!」

 失礼しちゃうわプンプン、といった様子の憤慨の仕方で去っていく苗字。えらそうにああ言っていたが、あいつは結構色んな部員に無防備に触れてくるし人懐っこい分勘違いする奴も……倉持への大々的なアプローチが無ければ、複数居たように思う。あいつはそれを無意識でやっているんだろうから、少なからず思わせぶりなところはある。倉持本人はどう感じてるのかは知らないが、変態でも仮にも女子。あんな風に言い寄られる倉持を羨ましがる男子は多い。ましてや日常的に目の前でやられるのは精神的負担もある程度は───。

「…ったく。天然の上に鈍感かよ、何か手を打たねーとこっちも炎上しちまいそうだな」


 その日の夜、定期的に開催されることが決定した定例二年生会議にて、“苗字名前の身の振り方について”という議題があがり、過半数どころか満場一致で苗字名前の野球部員接触禁止令が発令されることが決定した。



 そして翌日。新チームが始動し先輩達がいなくなってさながら放し飼い状態の苗字は朝練後、お約束の如く自然かつ堂々と倉持に抱き着こうとしていた。

「倉持先輩ーー、おはようござい…、ぅおおっと危ない」
「苗字」

 毎朝の恒例と成り果てた抱きつきながらの挨拶をするべく俺達二年生の居る方へ駆け寄ってきた苗字の進路をゾノが倉持の前に立ちはだかり塞いだ。それにいち早く反応し急ブレーキをかけることには流石だと舌を巻く他ない。勢い余ってゾノに抱き着いてしまったリアクションも正直見てみたかったけど。

「お前は今日から倉持タッチ禁止や」

 ゾノが顔面の圧を強めてそう告げた。昨夜二年生会議で決めた、接触禁止令である。それを聞いた苗字は徐ろにわなわなと体を震わせ始め、気が動転しているからか何故か関西弁で受け答えをした。

「んなっ…、なんでや!」
「関西弁うつっとる! …なんでやちゃうわ、お前もマネージャーやったら選手のメンタル崩すようなことすんなや」
「え…」
「そういうわけや、もし指一本でも触ったら倉持にはシカトさすからな」
「…!」
「…まあそういうことだから。抱き着いてくんなよ」

 トドメとばかりに倉持本人に言い放たれた言葉に衝撃を受けて分かりやすく絶望している苗字のまるでこの世の終わりとでも言うような顔が面白くて笑える。声を抑えたつもりだったが、隣から倉持に「やっぱお前性格悪いな」と言われた。別に、そんなの今更だろ。





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