一年生 春 さん


日常に溶け込む作戦です



 昼休みは毎日のように学食へ行って、倉持先輩を秒で見つけ出し、当然のように隣を陣取るのが私のルーティンだ。そして今日は沢村くんも一緒だ。

「先輩方、お疲れ様です! 失礼します!」

 元気よく挨拶する沢村くん。確かにこれはうざがられるけれど、同時に可愛がられるだろうなと納得する後輩っぷりである。

「キャップ、何見てるんですか?」

 スコアらしきものを広げていた御幸くんが沢村くんに席を譲っているのを見ながらそう尋ねた。しかし私はうっかりしていた。

「『キャップ』?」

 そうだった。まだ御幸くんはキャプテンではないのだ。私は慌てて誤魔化そうとした。

「あ…! いえ、御幸…先輩!」
「どうしたんだよお前? 俺のこと先輩なんて呼んだの初めてじゃん」

 しかし普段「御幸くん」呼びなので無理があったようだ。

「そうなのか、苗字? 先輩は敬わないと失礼だろ!」

 お前が言うな! という私の心の声と御幸くんの声がハモった。

沢村おまえが言うな、お前が!」
「ヒャッハ、御幸、お前めちゃくちゃ後輩にナメられてんじゃん」
「まあ御幸くんは尊敬されるタイプじゃないし」

 楽しそうに笑う倉持先輩に乗っかって、私は調子に乗って御幸くんを軽くディスる。

「いやいや、俺は尊敬してますよ、ちゃんと! …ムカつくけど」
「ヒャッハハ! で、沢村? 俺のことは尊敬してんのかよ?」

 テンションが上がった倉持先輩が机越しに向かいに座る沢村くんにヘッドロックもどきをかけて揶揄い出した。

「し…してますとも!」
「ほー、例えば?」

 しかし案の定、「足速いし」の次が続かない沢村くんが更に技をキメられるだろうことは沢村くんが倉持先輩に肩を組まれた時点から目に見えていた。

「だって御幸くんの凄いところは試合でこそ発揮されるってゆーか、普段はただの性格悪い人ですよね。それじゃあライバル視はされても尊敬なんてされませんよ」

 そんな騒然とした様子を横目にしつつ御幸くんは「お前、言っていいことと悪いことがあんだろ」と私を窘めてきたのでそう返答した。 

「…お前も友達いねぇんじゃねーの?」
「残念でーしたー。私は全校生徒のほぼ半分と仲良しですから」
「いや、それは嘘だろ」
「いやほんと」
「なんでそんな顔広いんだよ」
「私、吹奏楽部やチア部にもちょくちょく顔出してますし、他にも塾とか同中とか友達の友達や部員の友達と話したりするんで別のクラスでも同学年の八割くらいと話したことありますし、上の学年合わせても野球部と吹奏楽部とチア部って一番人数多いから──」
「あー、もういい、分かった」
「…へそ曲げてます?」

 私の人脈を語り聞かせると、御幸くんは何故か肩を落として窓の外を眺め出した。

「いや、話したことあるだけで友達だと認識出来るお前とはそもそも生きる世界が違ったんだなって」

 なるほど。確かにそれはそうかもしれない。私は数度会話を交わせばそれはもう友達だと脳が認識するけれど、御幸くんは自分が定める友達というカテゴリーに振り分ける人間の選別基準が厳しいのだろう。

「同じ野球部なのに友達じゃないんですか?」
「友達っつーか、仲間?」

 仲間と友達は違うのか。じゃあ仲良いのはどっちのカテゴリーの方なのだろう。

「なるほど、男子ってよく分かんない」
「だろうな」

 男女の価値観の違いを共有しながらも、御幸くんにはついでにスコアについて教えて貰ったりした。




 それはある日の部活動中、唐突にさち先輩の口から出た私への疑問。

「告んないの?」
「幸先輩…」
「御幸の方が人気度高いし、三年の先輩のかっこいい人は競争率高いかもだけど倉持ならチョロいんじゃない? てか御幸とかどうなの?」
「チョロいって…。御幸くんかぁ…、うーん…うーーん…うううーーーん…」
「そ…そんなに悩むこと?」
「幸先輩こそどうなんですか?」
「あたしは彼氏にするならあんな野球バカ共じゃなくて、もっと話の合う人がいいわ」
「なるほど一理ある…」

 幸先輩、慧眼だなあ。良い人見付けそう。

「倉持なら彼女欲しがりそうじゃん」

 言われて、私はグラウンドの倉持先輩に目を移した。

「…確かにそうだと思います。思春期の健全な男子高校生ならみんなそうでしょうし球児ってみんな口に出さないだけで『彼女欲しい』が頭のどこかで木霊してそうですし」
「あんた意外と達観してるね」
「でも私、最初こそ倉持先輩目当てでマネージャー始めちゃいましたけど、この短期間でまんまと野球する彼らのファンになっちゃったんです。色ボケてる倉持先輩より、野球に一喜一憂する倉持先輩でいて欲しいと思ってます。もっともっと青道野球部がどこの野球部よりも輝けるように、みんながもっと野球を楽しめるように、誇れるように、力になりたいんです。私が、それを見たいから! だから、告白するつもりはありません」

 闘志は時に伝染する。試合の次の日なんて特に想いが一丸となった彼らの熱心な様子は周りを惹き付ける力がある。そしてそれは私達マネージャーも、例外ではないのだ。熱に浮かされたように、野球に夢中になっていくのは、球児達だけではない。監督も、コーチも、部長や副部長、OBの人達もみんな、野球に夢中になって、野球をしている球児達のファンになる。

「もちろん、倉持先輩が誰よりも一番かっこいいですがね!」

 それでも恋心だけは、持ち続ける。それが私の誇りでもあるから。

「あ、マネさん達! お疲れッス!」

 と、そこへ沢村くんが現れた。冷蔵庫を開けて飲み物を取るその姿のある部分を見て、気付いたら私は沢村くんの背後へ来ていた。

「う〜〜〜ん」
「な、なんだよ苗字…」

 私は今、至近距離で沢村栄純のお尻をあらゆる角度から観察している。

「沢村くんのお尻の研究。…ねぇ、今度合宿の時お風呂で生尻見せてく…ぶふっ」

 最後まで言う前に右手で顔面を押し返された。

「なに言ってんだ! この変態っ! お前マジで変態だな! 金輪際俺に近寄るな! 俺を見るなー!」
「失礼ね。こっちは真剣なのに。私は倉持先輩が蹴りたくなるようなお尻を目指してるだけで、あんたに興味あるわけじゃないんだからね!」
「はあぁあ!?」
「おい」
「ぎゃあああああ」

 そこへ倉持先輩の声が割って入ってきたのは私からしたらまさに青天の霹靂で。私と沢村くんは驚き、声を揃えて飛び上がった。

「てめぇら! 俺のことで誤解を生むような言い合いしてんじゃねぇよ!」
「お、俺はしてません! コイツだけですって! まあ、倉持先輩が乱暴なのは揺るぎない事実ですが!」

 私と沢村くんの言い合いは、倉持先輩が割って入ったことで倉持先輩と沢村くんの言い合いへと擦り変わってしまっていた。ほら。大体私は蚊帳の外。意気消沈してため息を零しながらマネージャーのみんなの元へと戻ると、唯先輩が聞き捨てならないことを言った。

「沢村くんとなら、お似合いなんだけどな」

 それはつまり私と沢村くんが恋人に見えるということを意味している。そしてその言葉を肯定した人物がいた。

「ああそうだな、お前と苗字、馬鹿同士似合いじゃねーか。ヒャハハ」

 他でもない、私の想い人から出された発言へのあまりの衝撃に、私の脳の大半がダメージを受けてろくに働きを見せない。

「おい、涼んでんじゃねー! 戻んぞ、沢村!」

 しかし倉持先輩はそんな私を気にもとめず、いつものようにお尻を蹴って叱咤し沢村くんを外へ連れ戻して行った。

「……」
「……」

 まるで嵐が過ぎ去ったようだと、誰もが思った。やがて口を閉ざしていた春乃が言った。

「名前ちゃん、いつかきっと届くよ、名前ちゃんの気持ち! 私応援してるよ!」
「…!」

 そのあまりの眩しい笑顔に戦慄した。この子は天使だと天啓が射し込んでくる。その後涙を流しながら春乃を拝み始めた私をどう扱うか決めあぐねている先輩達と狼狽する春乃を視界の隅に捉えながら密かに誓った。絶対に振り向かせてみせるぞと。

 野球に勝とうなんて思わない。ただ、貴方が私を少しでも意識してくれたら。その目が私を探すことがあったら。そんな、遠慮がちで頑固で救いようもなくて浅ましい願いだけが私を突き動かしていくことになる。




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