一年生 回想 さん
お覚悟召されよ
同室の沢村が二軍入りを果たす切欠となった紅白戦の次の日の放課後。
「倉持先輩!」
「ん?」
部活終わり、新一年生の女子マネに呼び止められた。コイツは入学式の日に見学に来て監督に啖呵きってたやつだ。そんでこないだの大会で空気を読まず俺の応援ばっかしてた変なやつ。
「あの、自主練するんですよね? 何か手伝えることありませんか?」
「あ? 手伝いって…マネはマネでやることあんだろ? いーよ別に」
「いえいえ! マネはもう帰るだけですから! 素振りのカウント係でも筋トレの重り役でも、何なりとこき使って下さい!」
いや、素振りのカウントぐらい自分で数えられるし、なんだよ筋トレの重り役って。腕立て伏せで背中に乗る役ってことか? 野球部はウェイト室あるから腕立て伏せとかあんましねーよ。
「そーゆーことはマネの先輩に訊け」
「ええ、そんな…待っ…倉持先ぱ〜〜〜いカムバ〜〜〜ック」
わざとらしくか細くなっていく声を置き去りにして場所を移動する。痛いほど背中に感じる視線を無視して歩いていると、先程のやり取りを聞かれていたようで、御幸が後ろを見やりながら近づいてきた。
「ククク、あの子面白ぇな。倉持のこと好きなんじゃねぇの?」
「チッ、るせっ」
揶揄ってくる御幸を睨んで黙らせた。
その後しばらく絡みは無かったが、アイツは毎日しっかり部に貢献していて、同じ新入生のドジばっかの女子より頼りにされているようだった。特別器用そうな風でも無いが、どうしても新入生同士で見比べてしまうし、比べる対象がアレ──ハプニング製造機──なのでとても優秀そうに見えてしまう。
「おお苗字! 今日も俺の相棒を連れて来てくれたのか! イイ奴だな、お前!」
それから沢村のタイヤを率先して運ぶ姿が少し印象的で。もはや公認の沢村係みたいになっていた。ほら見ろ。俺じゃなくて沢村のこと好きなんじゃねーの、あいつ? ……てか、沢村だと!? あいつ、一年の癖にもうモテてやがんのか? 調子乗んねぇように今夜しっかりシメとかねぇとな。
◇◇◇
「御幸くん、お疲れさまです。これスコアです」
「サンキュ。ってかお前、俺先輩だそ? 御幸くんはねぇだろ。御幸先輩て呼べよ」
貴子先輩に頼まれてこないだの大会のスコアを御幸くんに渡しに行ったら、呼び方について文句を頂いた。
「えーでも、今までずっとそう呼んできたし」
ただし前世で。
「何言ってんだ、ほぼ初めましてだろ」
「なんか、そんな感じしないんですよね。まあ、秋になれば敬った呼び方に変えてあげてもいいですよ」
キャプテンに君付けは流石にね。そうなったら私もキャップって呼ぼうかなあ。
「上から目線だな…。ま、今だけ多めに見てやる」
「寛大な心痛み入ります」といえば、「はいはい」なんてあしらわれてしまったが、お詫びに一つ助言でもしておこう。
「御幸くん、今のうちにリーダー達の背中をよーく見ておいた方がいいですよ」
「リーダー? 哲さんのことか…?」
私はふふ、と意味深に笑ってその場を後にした。
マネージャーの活動に慣れてきたある日。沢村くんの相棒であるタイヤを移動させる為に転がしていると、バスケットボールを弄ぶ男子の集団と鉢合わせた。
「ねえなにしてんの?」
「なんでタイヤ?」
「野球部だろ」
「へぇ、じゃあマネージャー? けっこうかわいいくね?」
その人達は、男子高校生のノリと雰囲気を伴って話しかけてきた。それでもうちの野球部とは違ってチャラチャラしてるしなんだか嫌な感じだ。無視する選択肢もあったけど、野球部と知られた上でそんなことをすれば野球部の評判や印象が悪くなってしまう。私だって野球部の一員なのだから、責任が伴うのだ。
「えっと…タイヤ引いて走る頑張り屋さんがいるので」
不本意だけど、先輩かもしれないから一応タメ口を控えて答えた。
「まじかよスパルタ過ぎ!」
苦笑いだか嘲笑だか判断しにくいがとにかく笑い混じりにそう言われてムッとした。
「それは否めませんが、部員達は頑張らずにいられない病なんです」
確かにうちの監督はスパルタかもしれない。でもうちは歴史ある強豪としての看板を背負ってるし、みんな全国で頂点に立つという高い目標を達成する為に朝も昼も夜もバット振ってるんだ。他の部活の人に笑われる筋合いは無い。お前らとは違ってなという思いを込めて睨み上げるが相手は何処吹く風で笑い飛ばした。
「はは、君面白いね。うちの部のマネージャーにならない?」
「お、それいいな! なあ、どう? うちらバスケ部なら野球部ほどハードじゃないし日焼けもしないぜ」
「はは、そりゃそうだろ。あいつら休みねーって聞くじゃん」
「ぶっちゃけキツくない? 女子は日焼けするの嫌でしょ?」
「…私は野球部です」
「まあまあ。まだ一学期じゃん。一年ならこの時期部活変える奴けっこういるよ?」
馴れ馴れしく肩に手を置かれて肌が粟立った。
「だから、私はっ」
「わりぃけど、ソイツは野球部に必要な奴だから」
タチの悪いしつこい勧誘にいい加減堪忍袋の緒がキレそうになったところで、今一番聞きたかったかもしれない声が聞こえた。その声の持ち主は男子バスケ部の面々と私の視線を一身に受け止めながら近寄ってきて、やがて私と彼らの間の位置で立ち止まった。
「他あたれよ」
「…く、倉持、」
男子バスケ部の誰かが、私の視界を遮っている人物の名前を口にした。倉持先輩が睨んだのか、怯んだ彼らは「行こうぜ」と呼びかけ合って去っていった。それを皮切りに新鮮な空気に入れ替わるように風が吹き抜けたことでなんだか呆気なく感じてしまい彼らを見送ったあと、倉持先輩と対峙する。
「倉持先輩…なんでここに…?」
「別に。…あいつらに何もされてねーか?」
真っ先にそう心配してくれる倉持先輩と目が合って、嬉しくてたまらなかった。私は頷くので精一杯で。ていうかなにこの少女漫画みたいな状況。本当に何なの? なんでこんなご褒美みたいな展開になってるの? 訳が分からない! 好きになってもいいですか? いや前から好きだったんですけども!
「戻るぞ」
呆けたように倉持先輩に見惚れた私にそう声をかけて倉持先輩が先導してくれて、私はタイヤを転がしながら後に続く。きっとタイヤがなければ手を引いてくれたかもしれない、なんて妄想をしながら。グラウンドへ戻る道中で倉持先輩は私の歩調に合わせて歩いてくれるでもなく、タイヤを転がす私との距離は徐々に開いていく。それが焦燥を生み背中を押したのか、私は思わず大声で叫んでいた。
「倉持先輩! ありがとうございました!」
先輩は角度をつけて振り向き──いちいち仕草がヤンキーだ。そこが良い──ニッと口角を上げた。
「もう絡まれんなよ」
野球部に必要とされている、実際どうなのか分からないけれど、倉持先輩がお世辞でもそう思ってくれていることが何よりも誇らしかった。そしてこの出来事が、私に大きな勇気と自信をくれた切欠になったのだった。
「おい倉持、呼ばれてんぜ」
「あ? 誰に…」
「ーせんぱ〜いっ! 倉持先ぱ〜いっ! 倉持洋一先ぱ〜い!! キャーっ」
一軍のグラウンドへ飲み物を運びに行った際、練習中の倉持先輩を目にした私は人目を憚らずラブコールを送った。
「…え、俺?」
「倉持洋一はお前しかいないじゃん」
「呼んでんのか、アレ?」
「さあ? まあ行ってくれば?」
「…」
エールを送っただけなのに、何を思ったのかキツネに摘まれたような顔で倉持先輩が走り寄ってきた。
「呼んだか?」
「えっ…、ちょ、何で来ちゃうんですか!? 練習してて下さいよ!」
「はああ゛!? おめーが呼んだから来てやったんじゃねぇか!」
「っ…!」
ちょ、私今あの倉持に目の前ででキレられてる……! やば、最高……!
「ん…おい、大丈夫かよお前?」
「はぁ、はぁ、過剰供給…刺激が強い…でも、幸せ…」
「…(何言ってんだコイツ?)…用がねぇなら俺はもう戻るぞ」
「はあぁん、素っ気ない倉持先輩も良い…」
「…」
「あああ待って倉持先輩!」
「……なんだよ」
「黄色い声援で名前呼ばれても、私以外の女の子のところへこうやって今みたいに寄って来ちゃ駄目ですからね!!」
「……はぁ?」
ああ、訳が分からないって表情の倉持先輩も素敵。こんなカッコイイ人、モテるに決まってる。私の目の届かないところで誑かされでもしたらと思うと気が気ではないのだ。
「絶対、駄目ったら駄目ですからね! 私がマネージャーとして監視してますからね」
「意味分かんねぇ。お前、なんなんだよ?」
「あ…、申し遅れました! 私、苗字名前と申します! 未来の倉持洋一の妻になる女!」
「いやマネージャーの名前ぐらい知ってるけどよ。そういうことじゃなくて…っおい待て、妻ってなんだよ!?」
「ぶっ、ははっははっはっ」
私と倉持先輩の問答に、突如御幸くんの笑い声が割って入った。
「御幸! てめーなんでこっち来てんだよ!」
「面白そうだなと思って。ってか、お前らの声デケェし、どこに居ようが関係ねぇだろ。未来の妻が盛大に公言されて決まったな。証人、俺。おめでとう。ニシシシシ」
「うるせぇよっ! 勝手に決めんなっ!」
「ハッ、確かに、決めつけるのはよくありませんね。訂正します。…私、苗字名前は、未来の倉持洋一の妻を目指す女! 以後、どうかお覚悟下さい!」
「はははははははっ」
「笑い過ぎだ御幸この野郎!」
そんなこんなで、倉持先輩にも堂々と宣戦布告をして、この日から私は日常的に求愛行動を取るようになったのだった。