- 新世界 とある海底 -



「本当にひとりで行ってしまうの?」

ビー玉のようにまるい目を涙でにじませたシロに、ローは思わず眉を寄せる。シロの泣き顔は相変わらず苦手だ。
いまにも泣き出しそうなシロを直視できない代わりに、机に広げた航海図に視線を落とす。

「ねえ、わたしの話聞いてるの、」
「聞いてる。さっき言った通り、おまえたちはゾウへ行け」
「それがキャプテンの命令なら、そうするけど、」
「あァ、それでいい」
「必ず戻ってくるとは、言ってくれないんだね」

小さな手のひらが縋るようにローのコートをつかんだ。その指先は微かに震えている。

「……泣くんじゃねェよ」
「泣いてない」
「そうか」
「キャプテン」
「なんだ」
「……は……しょ……て」
「あ?なに?」
「ッ今日はいっしょに寝て!」
「……は?」

キッ、と涙目で見上げられ思わず固まった。シロは追い討ちをかけるようにもう一度繰り返す。

「いっしょに寝るの。みんなでいっしょに!」
「オイ、待て…ちょっと待て」
「どうして。昔はいっしょに寝てたのに!」
「それはガキの頃の話だろーが」
「あの頃みたいに、ベポと、ペンギンと、シャチと、いっしょに寝たい。ううん、ぜったいに寝る!」
「おれに命令するな」
「命令じゃない。おねがい!」

ローは困り果てた。こうなったシロを言い包める方法はない、というよりは知らない。シロがこうやって駄々をこねるのは一緒に偉大なる航路へ行くと泣き喚いて以来、2回目だった。

「……仕方ねェな」

何を言っても諦める気がしないので渋々それを受け入れれば、シロは顔を輝かせローに飛びつく。

「ありがとう!ベポたち誘ってくるね!」

ドタバタ走り去っていった小さな背中を見送り、やれやれとばかりにため息をつく。

「仕方がないヤツだ」

呆れ気味に呟きつつも口元は微かに緩んでいた。

出会ってから約13年。その間、数え切れないほどシロに甘いと言われまくっているが、その自覚はちゃんとある。

出会ったばかりの頃に、シロが話した暗い過去。
父は殺され、兄は自分を庇って亡くなった。
生まれ育った島は、民ごと燃やされた。
憎悪と復讐に囚われてもおかしくない残酷な体験をしたというのに、シロは一生懸命に、強く、ひたむきに生きようとしていた。

他人の痛みが分かる優しい子だ。そんな子を甘やかして何が悪いのだ。と、もはや開き直る勢いである。

それにもしかしたら……最期かもしれないから。



「キャプテン入りますよー。4人で寝るってマジっすか?」
「シロには本当甘いっすよねェ」

ニヤニヤしながら船長室に入ってきたペンギンとシャチを一瞥し、俯き気味のまま静かに名前を呼ぶ。

「ペンギン、シャチ――シロを頼む」

そう呟くローの表情は帽子の鍔に隠れよく見えないが妙に重苦しい雰囲気を放っており、本気で言ってるんだと2人は察し、顔を見合わせる。

“シロを頼む”
それは船長命令でもない、“昔馴染み”であり“シロの保護者”としてのローからの頼みだった。13年間共に歩んできたペンギンとシャチだから、大切なシロを任せた。なんならこの2人にしか任せられないと思った。だがしかし――

「イヤです」
「ペンギンに同じく。おれもイヤっす」
「……あ?」

なぜか、2人してキッパリと断った。ローの想いは伝わってなかったのか。言葉にせずともこの2人なら分かってくれていると思っていたのに。
思わず顔をあげ眼光を鋭くするローだが、ペンギンとシャチも譲らないとばかりに声を荒げる。

「ムリムリ!アンタにしか面倒見れねェよあんなじゃじゃ馬娘!てかアイツ、キャプテンの言うことしか聞かねェし!なァシャチ!」
「マジでそれ!ブチ切れたシロ止められんのキャプテンだけだし!おれらには扱いきれねェよ!」
「シロにはキャプテンが必要なんすよ!!もちろんおれらもそうだけど!!」

そんぐらい分かれよ!と叫ぶペンギンに、シャチも無責任だと叫んだ。普段だったらバラされてもおかしくないような言われ様だったが、ローは全てを受け入れた。

「そりゃあ、頼まれなくたって面倒は見るけどよ……!でもやっぱりおれらには、シロにはキャプテンが必要なんだ……だから!ちゃんと帰ってきてくださいよ!」

そう言い切ったペンギンの声は珍しく震えていた。それに頷くシャチも肩を震わせていて、続くようにシロの泣き顔が脳裏を過ぎる。揃いも揃って、似たような面しやがって……。2人から視線を外し、帽子の鍔を下げたローはいつものように呟いた。

おれに命令するな、と。


そして船長室の外――
全てを聞いていたシロは、涙をぼろぼろ流しながらも、ローたちにバレぬよう必死に泣き声を押し殺した。そんなシロを慰めるようにベポが大きな手でそっと頭を撫でる。

分かっていたはすだ、いつかはこうなると。
この人は必ずどこかで自分たちを置いていき、1人で行ってしまうのだと、わかっていたはずなのに。
けれど、一緒に時を過ごしすぎた。あまりにも大きく、大切になりすぎた。失いたくなんかない。でも――止められられるはずもない。

だから、無事に帰ってくることを祈ることしかできない。信じて待つことしかできない。

敬愛する船長で、愛すべき家族のような存在。

帰ってこなきゃ許してやらないんだから。



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