忘れてはならない、これは命令だ。
思いだしてはならない、これは願いだ。
時折、頭の中でノイズが響き渡る。気味が悪く、そして不快感すら感じる。
これが果たして何の意味を持つのかは未だにわからない。
いや、分からない方がいいのかもしれない。
宿屋の一晩。いつものように宿をとって、休めるうちに休んでおこう。
今はその休まるときだ。
この時は緊張することもない……はずだった。
夜につい目が覚めて、水分を取りに部屋を出る。
部屋を出て、一杯だけ水を飲むと、ふと思い返した。
思い返したのは業魔・ロクロウのことだった。
彼は至って、危険人物にみえない感じなのに、奥底に垣間見た漠然とした恐怖に、あることを思い出してしまったから。
「……何を、思いだしたんだっけ……?」
…はて、思いだしたことはなんだろうか。
なんだろう、思いだしてはいけない気がしてきた。
思い浮かべたことが泡のように消えて、思いだそうとしても手掛かりがない。
仕方なく、別のことを考えようか。
ちゃんと聞いた話だと、業魔というのは人間らしい感情はなくなっていくらしい。
人間にあった異形の姿に変貌し、感情がなくなり、感性がなくなり、やがて理性を失う正真正銘の怪物になるという。
今ではこんなことは一般常識なんだから、それはわかっている。
でも、こうして一緒に旅という形で一緒にいると、うっかりと忘れてしまいそうになる。
それでも、警戒しなければならない。
業魔は人間が怪物になってしまったもの。
いくら言葉を交わせても、怪物だということは忘れてはならない。
その、忠告はわすれてはならない。
忘れてはならない、あの出来事を忘れたのか。
目をそらしていたけども、杞憂だと誤魔化しつづけていたけど、あの時に少しだけ表面化した。
彼は、ロクロウは、人間ではないのだと。
「……ふぁ…。……ん?」
軽く欠伸をして戻ろうとすると、聞き覚えのある声がする。
こんな静寂に包まれた夜に、気合いがはいるような声。
まるで、その場を制圧するかのような、張る声。
「勢ッ!破ッ!勢ッ!!」
「……ロクロウ…?こんな夜遅くに……?」
傍から見ると、まるで一人稽古をするようだった。
無心に、刀を振るう。
もちろん本物ではないけど、その真っ直ぐすぎる姿は傍目から見れば立派なことだった。
その姿は剣士そのものだ。…ただし、それは人間の剣士での話。
彼は業魔だ。人間ではない。それは彼もよく知っている。
だから、立派だと思うことは思ってはならないのかもしれない。
彼の業魔は夜叉だと話していた。
戦うことをよしとする業魔で、戦いを行う血族からすればそれは当然のことなんだと。
だから、時折わからなくなる。それと同時に、恐ろしくも感じる。
「…ん、ニコラか?」
「!!」
隠れたつもりなのに一発でバレた…!!
うっ…やっぱり侮れないななんて思っては、諦めたように目の前に現れた。
勿論警戒するための武装なんてしてないから、このまま何かあったんじゃ対応なんて出来ない。
「…こんな夜中に、何してるの?……稽古?」
「応、これが日課でな。」
普段の戦闘は二刀小太刀なのに、今回は両手で素振りするタイプのものだった。
そして、稽古の真っ最中なのか、上半身は裸だった。
(くっ…!め、目のやり場に困る……!!)
思わず顔をそらすと、ロクロウが何故か近づくので思わず離れた。
これはきっと、元々の男嫌いの所為だ。
だが歩幅もあちらの方が広いのは当たり前なので、すぐに突き詰められ、気づけば壁まで追い込まれていた。
逃げる場所は、どこにもなかった。
「そういや…、前に聞きそびれてたな?」
「…!な、何を……?」
「お前、俺が嫌いなのか?」
「べ、別に……私は、男が……嫌いで…。」
思わず言葉をあげようとするも、そこで警告が鳴り響いた。
また頭の中で声が鳴り響く。
思いだすな、あの出来事を。
思いだすな、あの悪夢の日を。
どこからか声がする。頭の中から警鐘が響く。
機械人形のような時が止まった日常を送っていた悪夢を、私は忘れてはならない。
時が止まる、あの冷たい時間を、思いだすな。そして、忘れるな。
「お前、大丈夫か?」
「…………あ。」
嫌なことを思い出しすぎたのか、頭の中の映像にノイズがかかる。
かかりすぎて煩い。煩すぎて、気づけばその場から意識を失っていた。
ぶつりと、糸が切れたような。悪夢だった。
悪夢のノイズ
(私の頭を支配する音の正体は、なんなのだろうか。)