lip noise
始まりは気分転換、だった。
余りの退屈を紛らすために現世にひとりで出た。
本当なら、コクトーも一緒なんだろうけど今回はひとりこっそりと。
奇跡的にも地獄の番人にも出くわさず、現世にひょっこりと出掛けた。
(勿論コクトーに言われたことを守ってフードを被って素顔を隠している)
そんな中、あるお店に女の子達が群がるようにいたのに気がついた。
少し降りてみると、何故女の子達がいたのかわかった。
バレンタインと書かれていた文字。
「‥‥‥あ。」
バレンタイン。女性が好きな男性に贈り物を贈る日。
今はちょうどその当日らしく、多くの女の子が可愛らしい店に集まっている。
この場にいる白雅もまた、そんな好きな人がいたりした女の子だった。
尤も、生前の頃は。
「バレンタイン、か‥。でも‥。」
咎人は現世のものには触れられない。
かといって、地獄の世界で贈り物など出来るはずがない。
「ふー‥どうしよ、」
「やっと見つけたぜ。」
聞き覚えのある声がして、くるりと振り向くと、彼は空を降りてきた。
遥か上を見上げれば地獄に亀裂を付けていた。
勿論現世では猛毒な地獄の瘴気が漏れないように不可視の結界を張って。
「何勝手に現世に出てんだ。クシャナーダに見つかったらどうすんだ。」
「ごめんね。気分転換にって思って出てみたかったの。」
『ちゃんと言われた通りにフード被ってるし』とちらりと目を見せた。
ただの隠れ蓑であるフードだが、地獄ですら見つかったら喰われるのに現世だと見つかったら最期。
ただの隠れ蓑だが、ある意味貴重な命綱の役割でもあるのだ。
コクトーもまた、左目以外を黒い布で覆っていた。そんな彼を、ただじっと見つめていた。
「‥‥。」
「あ?‥どうかしたか?」
「何でもないよー。」
なんやかんやでお世話にはなっているし、そのお礼の意味で贈れば問題はない。
‥が、私は咎人。そんで彼も咎人。
咎人にバレンタインは、ない。
「お。こっちはバレンタインか。」
「!」
流石に視線で気付いたのか、ポンと声をあげた。
その時にぐさりと白雅の内側が刺さり、急にへこんだ表情になった。
「あ、あの、さ‥。コクトー‥。」
「あ?」
「ごめんね、ホントだったら…バレンタインに何か贈りたいんだけど‥。私たち、ホラ。咎人だし。」
と枷のついた腕を軽く揺らす。
その時にちゃらんと赤錆色の鎖の音が鳴った。
コクトーは白雅の意図を察したか、髪をぐしゃっと困ったように掻く。
そろそろ戻るぞ、とコクトーが言うと、彼女は小さく頷いては立ち上がって出てきた場所に戻る。
不可視の結界を斬り、開けばその中に入り現世と地獄を繋げた亀裂を閉じればフードを外した。
やっぱり、私たち咎人にはこっちの世界がお似合いなんだと思い知る。
そんな中。不意にコクトーから声がかかった。
「あぁ、あー。白雅。」
「?」
「俺は、お前ェがいれば何にも要らないぜ?」
「!で、でも‥それじゃ私が納得出来ないの!」
少し頬を赤らめた。
嬉しい気持ちがある半面、白雅は咎人とは思えないほど一途であると同時に、真面目な性格だった。
この地獄では、非常に珍しいタイプ。
というより、彼女のようなタイプで何故この地獄に居るのかが不思議なぐらいだ。
彼女が生前だったことの記憶の刺激を受けているからか、その執念もまた強くて。
「だったら、な‥。」
「?」
「白雅からのキスで構わねェよ。」
「!!」
少し赤らめていた頬が一気にボンと真っ赤になる。
真面目な性分ではあるもののこの手のものは慣れていないからか、白雅は非常にわたわたしていた。
それを知っていたかのようにくつくつと面白そうに笑うこの男。
「なっ、何、言って‥!!」
「白雅からなんて滅多にねェからな。」
「っ!それを、判って‥!」
カラカラと笑う声にどうしようかと激しく動揺した。
思わず視線を反らすと、体をくいっと屈折しては彼女の顔に近づける。
鼻同士がすれすれになるほどの至近距離で。
恥ずかしさで倒れそうになるぐらいになっているが、彼は距離を離すつもりなどない。
「なぁ?くれよ。アンタの。」
『キス』と声に出さず唇だけ動かし、同時に指で白雅の唇をなぞった。
その時に動いた唇が妙に艶めいてて、ぞくりと震えた。
整った顔立ちに、鮮やかな紫色の瞳。
その視線で絡み付かれたかのように動けなくて。
どきどきと鼓動が止まらなくて、寧ろ壊れてしまうんじゃないかってぐらい。
いつまでもこのままでは解放してくれないため。
意を決して顔を真っ赤にさせたまま、彼女はほんの少しの背伸びをしてキスをした。
ちゅ、と聞こえないぐらいに小さなリップノイズ。
柔らかい感触を唇に感じて、余計に頬を紅潮させたのだった。
「ごちそうさん。」
軽く唇を舐めては逆に今度は柔らかい感触が受け身になった。
その直後、そう簡単に解放されなかったのは、言うまでもないことである。
lip noise
(なぁ、白雅。)
(な、何よ…。またキスしたいとか言うんじゃないでしょうね?)
(キスじゃ足りねェ。白雅が喰いたい。)
(は…っ?!何、言って…!)
(俺にくれんだろ?だったら大人しく喰われろよ。)