追いつくまではもう少し


「夕食には間に合うように帰すと書いたつもりだったのが・・・どうやら待ちきれなかったらしい」
「うちのが粗相をする前に回収しにきただけだ」
「なるほど・・・何はともあれ我が家へようこそ、我が君」
「それはやめろと何回言わせれば気が済むんだ」

先生はコツコツと靴を鳴らしながらわたしの後ろに回ったかと思ったら、なんと勢い良くわたしの首根を引っ張りあげた。喉がいきなりしめられた衝撃で、ぐええっという情けなくなるほどかわいくない呻き声が、手入れの行き届いた荘厳な庭に響き渡る。一体なんの羞恥プレイだ。

「何だ今のは。カエルでも踏み潰したかと思ったぞ」
「じゃあ引っ張らんでくださいよ!」
「躾の一環だ」
「は、はあ〜?」
「なんだその口の聞き方は。ああ、もっと強くやられたいのか」

「うそうそうそ!くそお・・・手頃なハンカチがあったら今すぐ噛みちぎってやるとこだぞ・・・」

慌てて先生から距離をとって(けどこわいので、両手をあげて降伏のポーズは維持だ)つぶやいた恨み言は、アブラクサスの耳にしっかり届いていたらしい。ふはっ、と大きく息が漏れて彼はくつくつと笑いだした。失礼、と口では言いながらも止まる気配もなくしばらく揺れ続けるプラチナブロンドの長い髪。

それを見てわたしとリドル先生は、しばらくふたりで顔を見合わせてしまった。こんなにこのひと、笑いの沸点が低かっただろうか。




その後マルフォイ邸からリドル先生に付き添い姿現しをしてもらって、わたしはやっとホグワーツに帰ってきた。1日も間は空いていないのに、とっても久しぶりな感触。わたしはやっぱりここがいちばん好きだ。

湖が夕陽を浴びてギラギラと油膜みたいに光るのを眺めながら校庭を歩く。付添い姿現しで思いのほか酔ってしまった(自分が中心じゃないからだろうか)ので、進むたびに奇妙な浮遊感がする。少し先を歩くリドル先生が揺れているように見えた。


「あーあ、考えようによっちゃ貴族の紅茶と貴族のケーキが食べれるチャンスだったのになあ」
「どうせお前は食べても味の違いなんか分からないだろう」
「し、失礼な!わかりますよそれくらい」
「ゾンコの菓子を何でもうまいうまいと食べてる癖にか」
「・・・まあ確かに百味ビーンズの草味とかおいしかったですけど・・・」
「ほらな」
「うっ・・・・・あ、それにしても!あのひと友達だったんですねぇ」
「まぁな」
「そういや、なんだっけ・・・ほら、我がきみ、」

けれど前触れなくわたしたちの間を吹き抜けた突風に、言葉は先生に届かず吸い込まれていってしまった。

マイ・ロード。その言葉が舌先から離れていったその瞬間。心臓あたりがざわついて少し苦しくなった。直接当たる夕陽に照らされて熱かった体が、急激に冷えてゆくのを感じる。今、吹き荒れる風のせいで髪の毛の下に隠されたリドル先生の顔はどんな表情をしているんだろう。

「リツ」

けれど聞こえてきたのは、思いのほかやさしい声だった。それだけで、胸を巣食っていた不安はまたたく間に消えていく。なんだ、きっとなんでもなかったのだ。

「・・・ケーキはないが、セブルスがアイスを買って来てたぞ」
「うそ!やったー!!そうと決まれば急がないと!」

浮遊感はいつの間にか治まっていた。ちゃんと、帰ってきたのだ。軽くなった心と体で、わたしは先生を追いかける。


しかし走って帰ったその先で、危うくアイスが全部おじゃんになるほどの長い長いお説教――心配したセブルスと、ついでに羽まみれの自室に気付いたリドル先生の2連続――を食らうのを、浮かれたこのときのわたしはまだ知らないのだった。




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