それは恋だと口説いてみせて
想像してみる。
私が普通の女で、彼も普通の男で。
FBIも公安も組織も、無関係で。
汚い裏側なんて知らないまま、日常を生きていたら。
そうしたら、私達は普通に出会って、普通の恋人同士になれたのか。
答えはNoだ。
私達は出会う事もなく、お互いの存在も知らないまま生きていくのだろう。
つまらない世界で。
だけど幸福に。
ふるふると軽く頭を振って水気を飛ばす様は、髪色も相まってゴールデンレトリバーを彷彿とさせる。
何処へ向かうのか、なんて愚問だ。
耳元にBluetoothイヤホンをつけて、何も言わず時折視線をやる。
つまり、コナン君の会話に聞き耳を立てているのだろう。
しばらく走らせた車は、人気の無い路地裏に停まる。
妃弁護士の事務所から程遠くない。
コナン君は今そこにいるらしい。
「…いつから気づいてた?彼に仕掛けた盗聴器に」
「君と警視庁で会った後、充電の減りがいつもより早いって言ってたから」
盗聴盗撮アプリはアイコンが表示されないが、異常なバッテリー消費をする。
念の為にと確認したら案の定だ。
「何で彼に言わなかった」
「必要だったんでしょう?彼の情報が」
零は頬杖をついたまま、相当拗ねてるな、と苦笑する。
当たり前だ。
「…私は、役立たず?」
伸びる手が、スローモーションに見えた。
ぐっ、と褐色の手が黙れとばかりに私の口元を押さえつけて、その勢いのままシートに押し付けられる。
うぐっ、と漏れそうだった声は掌に吸い込まれてくぐもった音だけが小さく溢れた。
押し付けられた掌はまだ少し湿っていて、雨と、排気ガスの混じった匂いがする。
「…お前が…、」
私は、酷い人間だ。
「お前は…どういう意味で、それを俺に聞くんだ…」
この人が幸せの中にあればいい。
そう思うのに、悲痛に歪められた顔を目の当たりにした途端に幸福感にも満足感にも似たものが満たされて行くのを感じる。
君の中に痛みを残す事に自分の存在を見出すなんて、笑えるくらい子供染みてる。
「役立たずかって?ふざけるな…っ」
ああ。これは執着だ。
そうだよ。
私の為に怒って。
私の為に笑って。
私の為に、君は哀しめばいい。
「…俺への当て付けで情報を転がせといて、よく言う」
舞白。
そう呼ぶ声音は優しいのに、鈍くぎらつく瞳は鋭利なナイフを思わせた。
「…お前は、本当に有能な駒だよ」
ーこの上なくな。
嘲笑うように吐き捨てた言葉は、私を傷つける事もしない。
私を睨め付けるグレーブルーは雨空と同じように陰る。
そうやって濁った君のグレーブルーの瞳を愛しく思うんだ、なんて。
「…サミット会場の爆発の後、真っ先にお前の顔が浮かんだ」
「お前を使えば、この緊急事態を早急に収められる…そう思った」
お前を危険に晒したく無い俺が、誰よりもお前を危険に晒したがってる。
お前を使えば、俺はきっといつか俺自身に溺れて、お前を殺してしまう。
だから、お前を使う訳にはいかなかった。
身体中の毒を吐き出すように晒した言葉は私にじゃなくて、彼自身に向けられているようだと思った。
馬鹿だね君は。
私を傷つけようとして、自分を傷付けてる。
優しい人だ。
悲しいくらいに。
私の口元を覆う手から顔を逸らして抜け出せば簡単に手は降ろされた。
君を哀しませる話をしよう。
「利用すれば良い。私を」
傷付いた。
そう言いたげに端正な顔が歪む。
当然だ。
私は彼が示した優しさも、苦悩も葛藤も踏みにじった。
だけどそれが私達だ。
私達の関係は優しさだけでは成立しない。
角砂糖を溶かしすぎた甘ったるい紅茶の様な恋は、最初から私達の為のものではなかった。
それを彼が知らない筈が無いのに。
そおっと手を伸ばす。
私の手よりずっと大きな零の手に重ねる。
男の人にしては綺麗な手はそれでも厚くて、武骨で、ちゃんと男の人の手だ。
雨で頬に張り付いたミルクティーブロンドを指で除ける。
眉間に深く刻まれた皺も、痛みを耐える様な表情も、哀しいと叫ぶグレーブルーの瞳も、彼の優しさだ。
愚かだと思う。
だけど、愛おしいと思う。
ねぇ、零。
もうこんな風に誰かを想うのはやめた筈だったんだよ。
「気にくわない時は逃げるし君を騙すし君の思い通りになんてなってあげない」
酷い女だな…。
そういう女を好きになったんだよ。
お互い様か…。
君は私を利用しようとするくせに遠ざけようとする。
そうだな…。
お願い。
どうか、私を宝箱の中の人形にしないで。
「…なる気もないくせに」
そうだね。
ぐしゃり、と泣きそうに歪む顔をして、私を抱き寄せる。
本当に…。
そうくぐもった小さな声が耳を撫でる。
「…お前みたいな女、出会わなければ良かった…」
最高の口説き文句だね。
小さくそう笑って、私の腕じゃ足りない大きな背中に腕を回す。
哀しい話をしよう。
君を哀しませる話をしよう。
私の幸福の話だ。
5.1 P.M.
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