融けない雪
彼女は今も、春を待つ雪だ。
初恋の甘やかさも、下心の無い優しさも、それがどれほど得難い幸福で、どれだけ時間を重ねても色褪せず体の奥底に根を張るか。
俺自身が身を以て知っている。
マシュー・リード。
舞白の元恋人で、故人。
死んで尚彼女をFBIに繋ぐ鎖。
会った事は無いが、きっとあの少年に似ているのだろう。
彼女があの少年を見る時の眼差しには興味とは別に、過去を振り返って懐かしむような、寂しさと愛おしさの混じる色が滲む。
そう思うとあの小さな探偵にすら嫉妬してしまうのだから男とは本当に仕方の無い生き物だ。
春なんて、来なくていい。
「…全く…嫌になるよ…」
自分の臆病さに。
彼女の強さに。
俺達の交わらなさに。
サミット会場のガス栓に不正アクセスする際に使われていたIPアドレス暗号化ソフト−Norやその追跡システムがNAZUにあるという一連の情報はまるで誰かがネット上に捨てていったかのように簡単に手元に転がり込んで来た。
まるで見つけてくれと言わんばかりに。
ハッキングの痕跡など微塵も無く、わざと目につく場所に。
だけど無関係な者には決して見つけられない場所に。
そんな事を誰がやったかなんて考えずとも、1人しか思い付かない。
きっと今頃それ見たことかとしたり顔をしている事だろう。
『この件には関わるな。彼にも』
『ー…いいな』
ただの当て付けだった。
サミット会場が爆破されて、事故で片付けられてしまう可能性を潰すにはどうするべきかと頭を回して彼女を使えばいいんじゃないかと真っ先に思い浮かんだ自分に吐き気がした。
危険に晒したくないと、どの口が言う。
俺自身が彼女を危険に晒したがってる。
自分が優位に動く為の駒として。
目的の為に。
江戸川コナンとはまた違う。
俺はきっと、彼女を利用して、使い潰して、殺してしまう。
そして彼女はそれを拒絶しないだろう。
例え俺のせいで死ぬ事になっても。
それが何より怖かった。
"吉野雪が探偵事務所にいます。どうしますか?"
だから風見からの報告を見て目眩がした。
彼女に試されているのか、と。
こちらで何とかする、とだけ風見に返信し、舞白にポアロにいるようメッセージを送る。
彼女が毛利小五郎の冤罪にもサミット会場の件にも然程関心は無い事は聞くまでも無くわかっている。
杜舞白という女の世界は小さい。
幾つかの大切なものを詰め込んだだけのスノードームと変わらない。
そんな子供の様な世界しか守りたいとも思っていないくせに。
きっと、彼女は大人しくしてられないだろうな。
俺の為に。
嬉しく無いと言えば嘘だ。
想うのと同じくらい想われてると実感する瞬間は甘やかで、幸福で、だけど比例する様に怖くなる。
彼女を殺そうとする自分自身に。
俺に殺されるだろう彼女に。
「そういえば、NAZUの件といいNorの件といい、流石ですね。我々では辿り着け無かった…」
ちらり、と横目で風見の差す黒い無地の傘を見遣る。
「ああ…」
本当に。流石だよ。あの女は。
心の中でそう返す。
雨は良い。
話し声を掻き消してくれる。
密談には最適だ。
そういえば、彼女は雨が好きだと言っていた。
雨の音が好きだ、と。
髪の毛先から落ちる雫をぼんやりと追う。
どうか彼女を隠して欲しい。
利用しようとする俺から。
僕は冬を終わらせない為に、悪い魔法使いになろう。
5.1 P.M.
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