嗤う道化

「はっ…はっ…!」


なまえは苛立たしげに木刀を振るう。

―カイロスが破られたのは、彼のリビドーの方が勝ってるって事…?

不意に、柄を握る手に僅かに更に力を加えると、くるり、と身体を反転させ、気配もなく入って来た人物の首元に突き付ける。

「…避けないの?」

「一発位は覚悟してたからね。良いよ」

「…」

なまえはあからさまに不愉快そうに顔を歪めると、木刀を下ろし、ヘッドに背を向けて歩き出す。

「…あのまま戦っても平気だった」

水場の蛇口を捻ると、勢い良く溢れ出す水に顔を浸す。

「“あの時は”、だろう?」

なまえはキュッ、と蛇口を捻って水を止めると、半ば睨み付けるようにヘッドを見上げる。

「なまえ」

ヘッドは少しだけ困った様に微笑むと、小さな子を宥める様な声音で名前を呼び、なまえの頬に両手を伸ばす。
濡れたままの髪から伝った雫が、なまえの頬を滑り、服や地面に小さな染みを作る。

「俺は君の覚悟を見くびっている訳じゃない。
だけど、君も知っている筈だ。マイアンの能力は、ドライバーを“壊す”」

俺はそうなる事を恐れたんだ、とヘッドは言う。

「なまえのいない世界は、俺の欲しい“世界”じゃない」

「…余計な心配しなくても、私はもう壊れない」

「…けれど、かつて1度、君は壊れかけた」

なまえは思わず目を見開く。

「“彼”がいなければ、君はこの島に戻ってくる事も、今こうして俺の前にいる事もなかっただろう…」

「…」

なまえはふいっ、と顔を逸らすと、ヘッドから身体を離し、かけてあったタオルに顔を埋める。
ヘッドは何も言わずに微笑みを浮かべると、ふと水場の上に目を留める。

「こんな所に置きっぱなしは良くない」

道化の仮面を手に、シンドウ・スガタにでも見られたらどうするんだい?と問うヘッドになまえは目を伏せる。

「…今夜は誰も来ないよ。スガタもワコも」

上を見れば、相変わらず満天の星空が広がっている。
まるで、青い光の柱が島を貫いた、あの日の様に…。
星空を見上げるなまえの表情は酷く哀しげで、恋しげだった。

「…」

ヘッドは仮面を手にしたまま、水場の手摺に軽く腰掛けると、なまえと仮面を交互に見て、ふっ、と柔らかい笑みを浮かべる。

―変わらないな…君は。

「―なまえ」

ヘッドは仮面を持っていない方の手でなまえの左手を掴み、引き寄せる。

「わっ…?」

大して力の入っていなかったなまえの身体は簡単に傾き、引き寄せられるまま、ヘッドの胸に倒れ込む。

「な、に…どうしたの?」

なまえは目を丸くしてヘッドを見る。
ヘッドは黙ったまま微笑むと、指先でなまえの張り付いた前髪を軽く避ける。
蜂蜜色の瞳は、相変わらずきょとん、とヘッドを見ている。

先程まで、彼女が灰色だと言った世界を映していた瞳に、今度は自分という“色”が映る。
世界に失望しながら、誰よりも世界を渇望して、大切なものの為に大切なものを裏切る道を選ぶ―そんな矛盾を抱えた彼女を愛おしいと想うようになったのは、いつからだっただろう…?


「側にいるよ、なまえ。俺が」

「え…?」

「側にいる…」
―だから…。

「俺を見て」

なまえは真っ直ぐにヘッドを見ると、両手をヘッドの頬に伸ばす。
ヘッドが腰掛けている為に、いつもとは違い、2人の視線は同じ高さで交錯する。

「今夜は何時にも増して我が儘だね…レイジ」

なまえは言葉を切ると、目を細めて微笑む。

「君との約束は忘れてない…」

「そう…良かった」


掌の道化が嘲笑うのは裏切りの少女か、愚かな絵描きか…或いは…。

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