ただひとつの星
なまえは剣道場を後にし、夕焼けに染まる道を歩く。
「っ…?」
突然、ふっ…、と身体から力が抜け、糸の切れた人形の様に身体が前傾く。
だが、膝が地面につく寸前に、ぐいっと腕を掴まれた。
「…何してんだ?お前」
「…ツキ先輩」
顔を上げると、ツキヒコが呆れ顔で覗き込んでいる。
ツキヒコは掴んでいた腕を引き上げ、なまえを立たせる。
「…ありがと」
なまえは黙って歩き出したツキヒコを追い、数歩後ろを歩く。
「…マイアンも、ザメクと同じでアプリボワゼにはリスクが伴うんだよな?」
「…」
「お前は、どうなる?」
足を止めたなまえに、ツキヒコも足を止め、振り返る。
「…何が、言いたいんですか」
「知るかよ。けど、“何か”があるから、お前は焦ってんじゃねぇのか。グラウクローネ」
なまえの左手の指先がピクッと小さく揺れる。
「…もしかして、さっきのも…」
「っ…」
なまえは伸ばされたツキヒコの手をほとんど反射的に叩き落とす。
なまえは手負いの動物の様に、警戒の色を浮かべながらツキヒコを睨み付ける。
ツキヒコは驚いたように小さく目を見開いた。
「お前…」
「…本当に欲しいものを手に入れる為には、何かを捨てなきゃいけない」
なまえはポツリと呟く。
「…お前は何が欲しいんだ?何を捨てる?」
なまえはふっ、と小さく笑う。
「…どうしたんですか。そんな事聞くの、ツキ先輩らしくないですね」
「…話逸らすなよ」
鋭い眼差しで問い詰めるツキヒコに、なまえは少し困った様に小さく息を吐く。
「…世界が欲しい、から…世界を捨てる…」
風が、吐き出されたなまえの言葉を攫う。
「“世界”、か…」
伸ばされたツキヒコの指先がなまえの前髪を軽く掠める。
なまえは嫌がる様子も見せず、ただ真っ直ぐにツキヒコを見据える。
「それ、呪文みたいだな」
ツキヒコはふっ、と笑みを浮かべる。
「―お前の“世界”って、何だ?」
「…!」
「“旅立ちの日”を迎えて、お前が望むその“世界”とやらにあるのは…」
「…」
なまえの表情を見たツキヒコは思わず言葉を切ると、ふっと諦めた様に小さく笑みを零す。
「深入り、だな。これは」
柄にもねェ事して悪かったな、と零すと、ツキヒコはなまえに背を向けて再び歩き出す。
「…そう、ですよ。深入りなんて、しないで下さい…」
ツキヒコは足を止めたが、空を眺めるだけで後ろを振り返ろうとはしなかった。
「私の空には、星は1つで良い」
少しだけ震える声でそう呟いたなまえの表情をツキヒコは見ようとはせず、そうしたいとも思わなかった。
それはなまえの零した言葉が紛れもない事実であり、自分に向けられた彼女の優しさである事がわかってしまったから…―。
「ふっ…つくづくつれねぇ女だな、お前は」
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