舌の上の赤い飴玉

「はぁ…―」

教室に、妙な色気を含んだ溜息が零される。
それは凡そ15歳の女子高生の色気とは思えぬものだった。

「―ねぇ。タクト君。貴方、人妻女子高生って、どう思う?」

授業中にも関わらず零された際どい質問に、クラス中(教師含む)の意識がそちらへ向かう。

「…イケてます…」

「イケてる?どんな風に?」

「いや…どんな風にって…」

あたり障りのない返答に、なおも追究するカナコに、前の席のタクトはあからさまに困った、と表情を歪める。
ナマエは視線だけでちらり、と彼等の席の方を見る。
平然を装っているが、ペンが止まっている時点で、気になっているのは明白である。

「私の夫はね、レオン・ワタナベっていうの。ご存じない?ほら、あのグラントネール財団の総帥」

「歳は今年で65歳なの。あの人、パリから外に出ない生活だから、私達こうして別々に暮らしてるわけ」

「―これがどういう事か、わかるかしら?」

「えっと…」

「まだ新妻の私が毎晩1人きりのベッドで何を考えてるか、タクト君にはわかる?」

際どい質問にタクトは更に困った様な顔をする。

「(べ、ベッド…)」

全く関わりのない会話なのに、聞いてるだけで何故か恥ずかしくなってくる…。
ナマエは僅かに熱を持ち始めた頬に、どうにかしてこの会話から意識を逸らそうと、全く文字の書き進められていない黒板を見る。

―は、早く終わってくれないかな…。

でなければもうちょっと小声で喋って欲しい。

「―ワタナベさん」

ナマエだけでなく、クラス中の心の声を聞き取ったかの様に、タクトの前の席の黒髪の少女―ニチ・ケイトが声をあげる。

「ん?」

「授業中は静かに―」



「―ナマエ、お昼食べよ?」

お昼休みになり、教科書を仕舞うナマエにルリとワコが声をかける。
ルリとはワコを通じて話す様になったのだが、彼女の元来の気さくな性格もあって、すぐに打ち解けた。
ナマエはうん、と頷いて鞄から弁当を取り出す。

「はぁ〜…」

タクトは重い溜息をついて机に突っ伏す。

「タクト君、お昼はー?」

ルリが声をかける。

「此の島に泳いでくる途中、今月の生活費を魚に分け与えてしまった…」

「なら、私のお弁当訳与えてあげる!」

机に置かれたお弁当の中身にタクトは目を輝かせる。

「なんなら今月のお昼は私が作ってきてあげよっか?コロッケは得意です!」

「貴女の作るコロッケ、美味しいんでしょうね」

「ん?」

振り返ると、カナコがシモーヌにヘアカットして貰っていた。

「―ワタナベさん」

「ミセス・ワタナベと呼んで」

「教室でカットしないで下さい」

「いつも固いわね、委員長」

「奥様、動かないで。もう少しですから」

「いいじゃない。ちゃんと掃除してるんだから」

「タクト君はお金でお困りなの?」

美味しそうにコロッケを頬張るタクトにカナコが声をかける。

「良かったら、私の家でバイトなさらない?」

「アルバイト?」

「えぇ。プール掃除なんですけど、人手が足りなくて困ってたの―」

「え!?ワタナベさんのお家ってあのお家!?」

ルリが興味津津で身体を乗りだす。

「ねぇ、ワタナベさんの家ってそんなに大きいの?」

興奮気味なルリに、ナマエはこそっ、とワコに聞く。

「うん。凄く」

「皆さんも一緒に来て下さると助かるわ」

「ホント!?あ。ワコとナマエも良い?」

「え…」

「私も?」

「僕も良いかな?」

「やだぁ。スガタ君も?」

「何か面白そうだし」

「勿論、大歓迎よ」

「そんなに凄いの?君の家」

「タクト君知らないの?ほら、東港に停泊してるでしょ?あの大きな―」



「デカ…」

目の前の巨大な豪華客船を見上げながらナマエは思わず零す。
放課後、5人はカナコの家のある東港へとやってきていた。

「人妻さんはこの豪華客船にホテル住まいなの?」

「じゃなくて、この船全部ワタナベさんの物なんだって。
結婚した時に、旦那さんに買って貰ったそうよ!」

「へぇ…豪華客船1隻を…」

色々と凄すぎてナマエの理解の範疇を超えている。

―恐るべしセレブ…。

タタタッ、と小さな足音と共に、ワコの頭に副部長がちょこんと乗る。

「あ。副部長君」

「あれ?来ちゃったの?しょうがないなぁ。大人しくしてるのよ?」

副部長は答える様に小さく鳴く。

「―いらっしゃい。今日はよろしくね」

5人を出迎えたカナコはプールサイドにバスローブ姿でパソコンのキーを叩いている。

「よろしくお願いしますっ!」

「よろしくー」

「―奥様、旦那様からお電話です」

シモーヌがケータイを手に話しかける。

「何かしら?」

「はい。奥様がパリに戻るのはいつかとお尋ねです。早く帰ってくるようにとも―」

「寂しがり屋さんね。後でまた連絡すると伝えておいて」

「畏まりました」

「電話、出ないの?」

スガタが尋ねる。

「家の人は日本語が苦手だし、私はフランス語が苦手なの」

「よくそれで結婚したね…」

「あら。私は若くてお色気ムンムンだし、家の人はドスケベだけど世界有数のお金持ちだし、グローバル的には特に不自然ではないカップリングよ。
私達は欲望という確実な絆で繋がってるの―」

どこぞのメロドラマの煽り文句の様な言葉に思わず口許を引きつらせる。

「…ぬけぬけとそういう事をおっしゃる奥様って、私以外と好きです」

パチンッとケータイを閉じたシモーヌが言う。

「お色気ムンムンって言葉、日常会話で初めて聞いた…」

ワコが同じように顔をひきつらせながら呟く。

「―それでは皆さん、よろしくお願いしまーす!」

ナマエ達は制服の裾を捲り、デッキブラシを手に、目的の場所であるプールを見る。

「うわぁ…」

苔だらけのプールに、思わず声を零す。
そして、同時に柱の向こうにドサッと重厚な皮に覆われた緑の尾が覗く。

「「「ぅわぁっっ…!?」」」

3人は思わずスガタとタクトの背後に隠れる。

「そのプールはワニータ男爵のお家なの。大丈夫。ワニータ男爵はとても大人しいから」

「ホントにぃ…?」

タクトも怪訝そうに平然と言ってのけるカナコを振りかえる。

「南の島って普通にワニ飼ったりするんだ…」

「「違うからっ!」」

「彼女が少し特殊なんだよ」

青褪めながらポツリ、と零したナマエに、ワコとルリはぶんぶん、と首を横に振り、スガタも苦笑して訂正する。
アルバイトで雇われた以上、仕事を放棄する事も出来ず、5人は主人であるカナコの言葉を信じ、恐る恐るプール掃除に取り掛かる。

―ちらちら、と緑の尻尾が気になってしまうは仕方がない…。

「―人妻さんは、何してんのかな?」

デッキブラシでプールの底を磨きながら、タクトが尋ねる。

「きっと株の売買よ。ワタナベさんがパソコンのキーを叩く度に、小さな国の国家予算位が動いてるんですって」

タクトの質問に、ルリが答える。
手は動かしたまま、へぇ、とナマエも視線をカナコに向ける。
話を聞けば聞く程、自分と同じ歳の高校生とは思えない。

「へぇ。そんな彼女が何でこの島に来たんだろうね」

ブラシを動かす手を止め、スガタが言う。
何気なく零したみたいなのに、何処か別の意味を含んでいる様な気がして、ナマエはカナコからスガタへと視線を向ける。
キーを叩く彼女を見る蜂蜜色の瞳は、相変わらず凪いだ水面の様で、何を考えているのか全然理解できない。

「あっ…こら、副部長!」

ワコの声と共に副部長がたたたっ、と駆け回る。
ワニータ男爵に追われてプールを飛び出した副部長はカナコの方に駆けて行き、ネズミと勘違いしたカナコはこちらも悲鳴をあげ、テーブルごとひっくり返す。

「タカシ!そのネズミを片付けてっ!」

「お任せを!」

シモーヌの声にタカシはデッキブラシを手に副部長を追いかける。

「何だ?」

再びプールに戻って来た副部長は、ワコの頭に上る。
副部長の後を追ってデッキブラシを振り上げるタカシに、ナマエ達は目を瞠る。

「アゲマキさん危ない…っ!」

「ワコ…っ!」

ナマエとスガタは声を上げる。

「へっ…きゃっ…!」

ワコはギュッと目を閉じる。
躊躇なく振り下ろされたデッキブラシをタクトがワコに当たる寸前に、自分のデッキブラシで防ぐ。
ワコは思わず尻もちを付き、スガタやナマエは安堵の息を零す。

「…もう良いだろ」

タクトは厳しい声音で言う。

「どいて下さい!」

タカシは再びデッキブラシを振り下ろす。
タクトはそれを自分のデッキブラシで受け止める。
木の棒のぶつかる固い音に、ナマエは思わず不安げにデッキブラシの柄をぎゅっ、と握る。
2人のやりとりを見ていたカナコはパチパチ、と手を叩く。

「すごいわ。タクト君も心得があるようね―」

「どう?2人で試合してみない?」

「…それもバイトの一部?」

タクトの問にカナコはくすっ、と笑う。
プールの中心の柱の上でスガタをジャッジに、タクト、タカシの2人は対峙する。

「ちょっとちょっと…!防具着けないでやるの…?」

ルリが少し慌てた様に声をあげる。

「平気よね?」

「剣術の経験は?僕がやっても良いけど」

「これって時給幾ら?」

「勝ったらバイト代は2倍。後、私とガラス越しのキス。ガラス抜きで好きなだけ―」

「何それ!ダメよ、そんなの!」

「2倍かぁ…」

タクトは呟いてから、竹刀を構え、腰を落とす。

「その条件でやるの…?」

ワコが不安げな声音で言う。

「2倍はおいしいよね」

「じゃなくて…っ」

―アゲマキ、さん…?

ナマエはちらり、とワコの横顔を見遣る。

今のやりとりじゃまるで…―。

「―始め!」

スガタの声にはっ、として2人に視線を戻すと、試合が始まり、2人は竹刀を振り上げている。
試合はタカシの優勢に思えた。
タクトはタカシの竹刀を受け止めながらも、次第に後退する。
何とか体勢を持ち直すものの、攻撃に今ひとつ決め手がない様に見えた。
タクトは時折竹刀を左右の手に持ち替えるが、どうもしっくりこないといった顔をしていた。
そんなタクトの様子にナマエも内心首を傾げる。

「ツナシ君どうしたんだろ…」

「―ダメね。2人共、本気じゃないわ」

カナコは小さく溜息をつくと、踵を返し去って行く。

「止め!」

スガタが制止をかけ、試合は引き分けで終わる。

「自分でやらせておいて、気紛れね」

ルリは呆れた様に言う。

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