絵本はまだ閉じててね
「―ほん―っと気まぐれよね、ワタナベさんって!」
帰り道、憤慨した様にルリが言う。
くるり、と振り返ると、スカートがひらりと揺れる。
「自分からさせておいて結局途中で止めさせるし!」
タクト君の顔に傷でもついたらどうするのよ!と頬を膨らませるルリに、タクト本人を含む全員が問題はそこなのか、と突っ込む。
「でも、真剣な顔するタクト君もカッコ良かったなぁ」
先程までの怒りは何処へやら、ルリは頬に手をあて、うっとり、と浸る様に溜息を零す。
ルリの隣りを歩いていたナマエは苦笑を零す。
ふと、視界の端にスガタが映り、何気なしに目を向けると、丁度ぱちり、と目が合う。
『そうじゃなくて…っ』
スガタと目が合った瞬間、思い出すのはあの試合の前の会話で…。
何一つ根拠のない推測でしかないのに、スガタと目を合わすのが何となく気まずくて、ぱっ、と目を逸らす。
あの静かな蜂蜜色の瞳は、見ていると自分の中の隠し事も全部見抜かれていそうで、こんな時は苦手だ…。
勝手に決め付けて申し訳ない様な、他人の恋愛事情に勝手に1人で悩んで恥ずかしい様な、頭の中がぐるぐると思考が巡っていて、とりあえず落ち着け、と自己暗示のように心の中で何度も呟く。
「はぁ…」
―そもそも、何で彼らの三角関係(仮)に私がこんなに悩んでるの…?
―ん…?あれ?
はて、と今更ながら気付いた様にきょとん、と顔をあげ、首を傾げる。
―何で私が悩んでんだ…??
生憎、疑問は答えではなく新たな疑問を生み、ナマエは更に混乱したように1人ぐるぐると頭を悩ませる。
視界の端で、藍色の長い髪がふわり、と柔らかく揺れる。
擦れ違っただけの、何気ないそれに、まるで意識を攫われる様にぴたり、と思考を中断したナマエは引き寄せられるように藍色の髪の人物の後ろ姿を追う。
長い長い、夜の海の様な藍色の髪。
―何、だろう…?
“何”が気になるという訳じゃない。
ただ、“何か”気になる。
目で、追いかけてしまう。
ナマエは遠くなる後ろ姿を立ち竦んだままじっと見つめる。
「…」
「ナマエ?どうしたの?」
「あの人、知り合い?」
ぼんやりしたままのナマエに、ルリやタクトが声をかける。
「ううん。違うよ」
ナマエが何でも無い、と小さく首を横に振ってから踵を返す。
―髪の色が似てたから気になったのかな?
きっとそうだ、と結論付けてナマエは3人の後を追う。
「―…ばいばい…ナマエ」
ナマエの去っていく後ろ姿を見ながら、今し方擦れ違った藍色の髪の少女はぽつり、と呟く。
「…またね―」
感情のないガラス玉の瞳を僅かに細める。
「―なまえ?」
キキーッ、と軽いブレーキ音がして車が横づけに停車し、藍色の髪の少女―なまえは声の主へと目を向ける。
「…リョウスケさん…」
「―あんまり帰りが遅いとアイツが心配するぞ」
空が藍色に染まり出し、星が光を際立たせ始める中、リョウスケは運転しながら助手席のなまえに言う。
「…」
なまえは窓の外にぼんやりと目を向け、何も答えない。
まるで親に怒られて拗ねた子供のようだが、彼女が怒っているわけでも、拗ねているわけでもない事は承知だ。
むしろ、何も感じてはいないのだろう。
それを知っているからこそ、リョウスケも怒ったりはしないし、詮索もしない。
見慣れた景色は、昔とほとんど変わらない。
あの頃も、車で彼女を見かけては拾い、この景色を見ながら家まで送り届けたりしていた。
思い出して、無意識に、ふ、と口許に穏やかな笑みが浮かぶ。
―楽しかった、と言える時間だった。
少なくとも、真実を知るまでは…。
「ちゃんと食事は取ってるのか?」
ん、という短い返事と、視界の端でこくり、と頭が頷くのが見え、そうか、と返す。
本当に変わってしまった、と今更ながら思う。
―自分も彼も、取り巻く世界も、彼女も。
あの頃の、夏の夜風の様な、自分が羨ましいと思った笑顔を浮かべていた彼女は、もういない。
「…零時間の封印が解かれれば、アイツはお前を取り戻せると思ってる」
海岸沿いの緩いカーブを曲がりながら、ふいに零す。
止まっていた計画が進みだした。
それと同時に、ずっと持っていた一つの疑問。
「―お前のその“呪い”は、本当に零時間の封印を破れば解けるのか?」
「…これは、“呪い”…?」
首を傾げて、そう問う様は純粋な疑問を口にする小さな子供を思わせた。
「少なくとも、あいつにとっては、そうだろうな…―」
リョウスケは、憐みを含む視線をなまえに向ける。
―他の誰よりも、この世界中で彼女を愛しているあの男にとっては、これは耐え難い苦しみと痛みを伴う、哀しい悲しい呪いなのだろう…。
そしてそう思うと必ず、心の片隅で、もう1人の自分が酷く小さい声で囁くのだ。
―これは“罰”だ、と。
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