一人二役の眠り姫

―例えば、私達がお伽話の登場人物だとして、私がお姫様で、貴方が王子様だとして。

そうしたら、離さないように固く手を繋いで歩いて、溶けるように甘く愛してると囁いて、飽きるほどに口づけを交わせたのだろうか。

「…」

カーテンの隙間から零れる日差しはいつもと変わらず、波の音も、寝起きの気だるい身体もいつもと同じ。
目を開けたら最初に彼の寝顔が目に入るのも、いつもの事。
いつからだったか、目が覚めてこの人が隣にいるのが当たり前になった。
なまえはおもむろに手を伸ばし、今は瞼に覆われているアメジストの瞳と同じ色の髪をさらり、と軽く梳く。
綺麗な男(ひと)だと思う。

とても綺麗で、とても哀しそうに微笑う人。

泣いてしまいそうな、無意識に口許に笑みが浮かぶような、じわりと、身体中に滲むようなこの気持ちの名前は、何と言っただろう…。

―わからない…。

―違う…思い出せない。

確かにあるのに、あったはずなのに、今は何処かに行ってしまった。
過ごした日々も、景色も、覚えているのに、まるで自分じゃない誰かの物語を見ている様に、そこにあった筈の感情だけが消え失せている。
だって、この胸の中は空っぽだから。
“此処”にあるべきものは、今はもう違う場所にある。
誰にも触れられない、誰にも壊されない、特別な特別な場所に。
伝える筈だった想いも、一緒に。

だからやっぱり、わからないよ…。

そっと瞼に触れる。

目を覚ましたら、きっとこの人はいつものように、少し目を細めて幸せそうに微笑んで、それから、いつものように、哀しそうに微笑むんだ。

ねぇ、可哀想な私の王子様。

君がキスをする度に、触れる度に、この空っぽの胸に何かが降り積もって、積もって、積み重なった雪みたいになって、最後には、“心”になればいいのに…。

―でも、きっとそれは哀しい夢で、楽しい夢で、だけど、やっぱり、現実にはならないんだろうね…。


だから、私は君の眠り姫でありたい…。


君は私を永遠に追いかけ続けて、私は夢の中で、君に聞こえない場所で、君には届かない場所で、君への想いを言葉にして。

そうして物語は終わらないまま、いつまでも続いていく…。


そんな、終わりのないお伽話で―。

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