壁越しに秘密の話をしよう
小さい頃、喧嘩をしたり、嫌な事があると、お父さんの部屋に行って、壁に飾られてる沢山の写真に囲まれて泣いた。
それは人だったり、動物だったり建物だったり、風景だったり、色々だったけど、何も聞こえなくても伝わってくる明るい雰囲気とか、笑い声とか、柔らかい雰囲気とか、そんな空気が好きだった。
だからきっと、安心できたんだと思う。
でも、あの日から、あの部屋に行くと少しだけ哀しくなるから、あまり行かなくなった。
そしてその代わりみたいに自分でカメラを取って、自分で写真を撮る様になった。
レンズ越しの世界は、小さい頃のあの部屋みたいに、嫌な事を忘れさせてくれる。
「サボり?」
ナマエはびくり、と身体を揺らして振り返る。
「びっくりしたー…シンドウ君か…」
「先生と思った?」
こくり、と頷けば、スガタはくすり、と小さく笑って隣に腰を下ろす。
「だって自習とか暇だし、課題は次の時間までだし」
てかシンドウ君もサボってる、と言えば課題は終わったとしれっと答える。
優等生め、と心の中で小さく毒づき、ごろんと、屋上の床に仰向けに横たわり、レンズを空に向ける。
どんよりとした鈍色の厚い雲の隙間から零れる日差しが綺麗で、シャッターを切ってからもう1度、良いなぁ、と心の中で満足気に呟く。
「本当に写真ばっか撮ってるんだな」
んー、と気の抜けた声を漏らせば、スガタは同じ様にナマエの隣にごろんと横になり、同じ様に空を見上げる。
「まるで、写真越しにじゃないと、世界を見れないみたいだ…」
「…―」
ぎくり、と身体のどこかが音を上げた様な気がした。
一瞬だけ心臓が震える。
ナマエは僅かに眉を顰める。
それはスガタの言葉にであり、そんな言葉で簡単に揺れる自分自身に対してだった。
「写真は特別だよ…」
「目で見るよりも、世界を少しだけ、綺麗に見せてくれる…」
今はこのレンズ越しの世界が、あの部屋の代わり。
だから、笑っていられる。
哀しい事に押しつぶされないで、いられる。
「そう…」
スガタはおもむろに右手を伸ばし、空に翳す。
「レンズ越しになら、僕にも、世界は綺麗に見えるのか…?」
ナマエはレンズから横のスガタにちらり、と視線を向けてから、くすり、と小さく笑う。
「見えるかもね。入部希望なら大歓迎だよ」
スガタは目を閉じてくすり、と笑い、考えとく、と返す。
しばらくして、授業終了のチャイムの音が屋上にも充分すぎるくらい聞こえる。
頭を揺らすような音に、毎度の事ながら目覚まし時計で朝起こされるみたいだ、と思う。
「そろそろ戻ろう。次は移動教室だ」
先に起き上がったスガタに倣い、ナマエも起き上がる。
―例えるなら、朝、目覚めて、夢が終わってしまった事に少しがっかりする様な、そんな気分。
だとしたら、君と過ごす時間は私にとって夢と同じなのかもね。
ドラマの様な恋がしたいとは言わない。
運命の出会いとか、運命の相手とか、そんなのがそう身近にあるとも思わない。
ただ、その人の事を考えると幸せになれるような恋をして、その人を想って、できれば、その人に想われる自分でありたい。
そんな、特別でもない、でも何よりも特別な恋がしたい。
―なんて。
「うわー…見事なまでに注目の的だよ…」
放課後、中庭で準備体操をしている演劇部の面々を一目見ようと、窓と言う窓から男女問わず生徒達が顔を覗かせている。
ナマエとルリもそんな生徒達に混じって中庭を覗く。
準備体操をしているだけなのに、反った時に肌が見えただけで黄色い悲鳴がそこらじゅうから聞こえる。
それだけでもいかに演劇部の人気が高いかが伺える。
「やーん!今の見た!?スガタ君の引きしまったお腹がっ…!絶対腹筋割れてた…!」
タクト君の乱れた髪がっ!と隣でも黄色い悲鳴をあげているルリにナマエは若干顔を引きつらせる。
準備体操でこの騒ぎとは…―。
行事予定にあった学園祭ではきっと更に騒ぎになるに違いない…。
「…」
―遠い、な…。
こうして見ていると、さっきまで普通に喋ってた友人とは思えない。
学校中の注目を集める彼等と、ただの一般生徒の自分。
「で?どうなの?」
「何が?」
にやにや顔のルリにナマエはこてん、と首を傾げる。
「気になってんじゃないの?スガタ君の事!」
「はぁ?何でよ」
「だって今日も自習の時2人共いなかった一緒に戻ってきたし!一緒にいたんでしょー?どうなのナマエー?」
「い、一緒にいたけど…別に何もないよ。ちょっとお喋りしてただけだし」
「2人っきりでー?」
「…2人だったけど何も無かったよ」
「スガタ君と2人でサボって何もないわけがないでしょ!」
「白状しなさい!」
「えぇ!?だから違うって!」
「良いじゃん、教えてよ!ワコには内緒にしとくし!」
「だから違うんだって!もうっ…ルリはすぐそっち方向に持ってこうとするんだからさー」
ナマエはうんざりと言う。
「それに、シンドウ君はワコの許嫁なんだよ?好きになるわけないじゃん」
「許嫁ってだけで別に恋人って訳じゃないんだし、好きになるだけなら自由じゃん。
ワコだってタクト君に気があるみたいだし。好きになるだけなら良いんじゃない?」
そう言われてしまうと反論できないが、それでも彼への好意はあくまで友達としてであって、決してそういう意味じゃない。
「好きには、ならないよ」
「「っわ…!」」
突然ぐらり、と揺れた床に、2人はゆらゆらと身体を揺らし、咄嗟に壁にしがみつく。
「びっくりしたー…地震?こんな大きいのって珍しい…」
「うん…」
安堵の息を吐いたナマエはふと、中庭に目を向け、3人で談笑する光景に、薄く目を細める。
「やっぱり、好きにはならないな…」
―君への想いに“恋”なんて言葉は当てはまらない。
だって君は、あの子のもので、その他の誰のものにもなる筈がないんだから。
―あの蜂蜜色の瞳があんなに優しく見つめる女の子は今までも、これからも、きっと彼女だけ。
わかりきっていた事なのに、それが何だか苦しい、なんて。
おかしいな…。
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