なんて戯言を

―初めてあの子を見た時、潮風に揺れる少し癖のある藍色の髪が波みたいだと思った。
島の地図が書かれたパンフレットをくるくると回しながら此処でもない此処でもないと困った様に呟く少女の様子が少しおかしくて、何だか道に迷う子犬を放っておけない様な気持になって、声をかけた。

『此処まで案内してくれてありがとうございます、リョウスケさん…!』

ふわり、と取り繕わない笑顔に、一瞬、言葉が出なかった。
太陽の様に輝く様な明るさでもなければ、花のように儚気でもない。
例えるなら、夏の夜の風。
涼しくて、心地の良い、そんな笑顔。

そして、そんな笑顔を浮かべる彼女を、羨ましいと思った。


「―…なまえ…?」

視界の端で揺れた藍色の髪に、リョウスケは本気で時間が戻ったのかと思うほど驚き、思わず足を止め、声を零す。

「へ?…っわっ…!」

声をかけられた少女―ナマエは少し目を丸くしてリョウスケに目を向けたと同時に、地面が揺れる。
突然の地面の揺れにぐらり、とナマエの身体が揺れる。
砂浜の砂に足が取られ、普通の地面以上にバランスが取れずに、ゆらゆらと前後に身体を揺らしていたナマエは揺れに堪え切れずに前屈みに倒れ込む。

「っぅわぁ…っと…!」

「っと…大丈夫か?」

咄嗟に駆け寄り、倒れそうな身体を支えたリョウスケは心配そうにナマエを覗き込む。

「え、と…すみません…ありがとうございました」

顔を上げたナマエはぱちり、ぱちり、と少し驚いた様に目を瞬いてから申し訳なさそうにぺこ、と小さく頭を下げる。

「最近地震が多いから浜辺にはあまり近付かない方がいいぞ」

「そうします…」

ナマエはほっと小さく息を吐いてからリョウスケから離れる。
カチャ、とポケットからジッポを取り出し、咥えた煙草に火をつける。
ふと、ちらちら、と横から自分に向けられる視線に、リョウスケは小さく首を傾げる。

「何だ?」

「その煙草、お父さんが吸ってるのと同じ匂いだなぁと思って」

「珍しいな。癖があるからあまり人気のない銘柄なんだが」

くすり、と笑って、お父さんもそう言ってました、と懐かしむように目を細めるナマエに、自然とリョウスケも表情を緩める。

「あ。そういえば、さっき、私の事誰かと間違えませんでした?知り合いに似てたんですか?」

「…あぁ、まぁな。古い友人、かな。彼女とよく似てたから、少しびっくりしたんだ」

―それこそ、本人かと思うほど…。

「君は、この島の生まれか?」

「え?あ、はい。育ったのは本土ですけど」

「そうか…」

一瞬、脳裏を掠めた可能性を否定するように目を閉じ、ゆっくり開いてナマエに向き直る。

「引きとめて悪かった。もう帰った方がいい。地震が収まるまでしばらくは海には近付くんじゃないぞ?」

「気をつけます。助けてくれてありがとうございました。えっと…名前、聞いても良いですか?」

「リョウスケだ。カタシロ・リョウスケ。君は?」

「あ。アケノ・ナマエっていいます。ありがとうございました、リョウスケさん!」

もう1度ぺこっ、と小さく頭を下げてからナマエは浜辺を去っていく。
リョウスケは小さくなる後ろ姿を少し目を細めて見送る。

「ナマエ、か…―」

藍色の髪と目も、容姿も、笑った顔も、纏う雰囲気も、何もかもがあまりに似過ぎていて、懐かしくて、寂しくて、無性に泣きたい気分になる。


―過去に戻れはしないけれど、あの幸せだった時間に焦がれるのをやめる事は、多分一生、できないだろうから…。

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