最後のキスが1番甘いキスだった
もしかしたら、2人で愛を築くよりも君の心の行方を追いかける恋をしていた頃の方が幸せだったのかもしれない。
きっとそれは絵本を読み終わってしまった時の残念な気持ちに何処か似ている気がするね。
―だから僕は君にキスをして、それから、少しだけ泣こう。
「―なまえ…!」
少し意識が覚醒しだすと同時に、目が覚める合図のように身体が気だるさを纏い、ゆっくりと瞼を開く。
目を開けて1番に目に入ったのは紫色の髪で、後頭部と背中にまわされた腕の感触で、彼に抱きしめられているのだとぼんやりとした意識の中で理解する。
「…―」
口が薄く開くが、声を発する事はなく、開いた口をそのまま閉じる。
揺れるカーテンに惹かれる様に目を向ければ、窓の外に青い空と海が見える。
最後に見たのは夜空だった。その後…―。
意識が途切れる前の最後の記憶を思い出し、あぁ、と自分の身に起こった事態を理解する。
「…眠ってた…」
「そうだよ…お前が目覚めて良かった」
心配したんだ、と泣きそうに微笑むヘッドに、なまえはその少し憔悴の色の滲む目元に手を伸ばし、そっと触れる。
「…シンドウ、スガタは…」
なまえの髪を梳いていたヘッドの手がピクリ、と小さく揺れて、止まる。
「やっぱり、感じたのか…彼を…彼の力が、お前を眠りに落としたのか…?」
探る様な、怒っている様な、そんな声音で尋ねる。
「…泣きそうな、顔…」
「…なまえ…」
ちゃんと彼女の口から答えを聞きたいのに、聞いてしまったら無視する事が出来なくなりそうで、答えないでくれ、と心の中で囁く自分がいる。
そんな自分の心をなまえからも、自分自身からも隠すように握ったなまえの手の指先に軽く口付けを落とす。
―熱く溶ける様なキスをして、求める様に見つめ合ったあの一瞬だけは、俺達は確かに“恋人”だった。
だから神様が嗤ったんだ。
“いいもの見つけた”って。
「…心配性」
ベッドの横に置かれた椅子に座るヘッドに、なまえはぽつり、とぼやくように零す。
身体に何も異常はない、と診断されてもヘッドはなまえの側を離れようとしなかった。
「お前は昔から危なっかしいから、目を離せないんだ」
ヘッドはくすり、と目を軽く細めて小さく笑い、髪を撫でる。
その言葉も、微笑みも、優しく細められて注がれる眼差しも、全てが目の前の少女に向けられたものであり、全てが彼女に対してのものではなかった。
全ては、思い出の中の、彼が焦がれている“なまえ”に向けられたものだ。
「…サムの話、して…」
ふいに零した言葉に、びくり、とヘッドの肩が小さく揺れ、髪を撫でていた手が止まる。
「…」
『―サムは少女を殺した』
どうしようか、と悩んでいるのに、脳裏にはまるでビデオを再生するかの様に勝手に彼の少女の声が響く。
『眩い銀河に旅立つ為に、少女の赤い血を船のエンジンに注いだ。結局、サムが恋ししたのは少女ではなく、銀河への憧れだった―』
喉がからからに渇いて、何だか、息苦しい。
それはまるで裁判官に罪を裁かれ、判決を待つ罪人の様で、どくどく、と普段よりも、速い鼓動がやけに頭に響く。
『恋する少女は最初から、憧れの旅路を飾る花でしかなかったのだ。船はサムを乗せ、銀河へと旅立つ』
―血をエンジンに注ぐ為に、振り上げたナイフを突き刺した胸は、彼女のものだった…。
『けれどもすぐにサムは気づいた。あれほど憧れた銀河の世界…だが、それらの星々は生まれ育ったあの魚の惑星とどれほどの違いがあるのだろう…』
―あんなにもあの子の色をしていた空に、あの子の瞳の輝きを持っていた星に、あの子の姿は見えなくなった…。
『あの魚の惑星も銀河の一つ。銀河は遠い世界ではなく、サムは最初からその眩い世界に住んでいたのだ』
―欲しかったのは、君のいる世界だけなのに…。
『では何の為にサムは少女を殺したのか―』
その問いかけが、責め立てる様にぐるぐると頭の中を巡る。
「サムは、銀河の世界に旅立てた…?」
「…この話の結末は、お前には、聞かせたくない」
「どうして…?」
「…哀しい、結末だったから」
とても、と風にかき消されそうなくらいの声で続ける。
これはただのお伽話だ―あの少女が創った。
たったそれだけの事なのに、まるで罪を責め立てられる様な、この感覚は、感情は、何なのだろう…。
「それでも、少女は幸せだったのかもしれない…」
そう呟いてなまえはゆっくりと目を閉じる。
ヘッドはなまえを見る。
怪訝そうな、理解しかねると言いたげなのに、ほんの少しの希望に縋る様な、そんな瞳だった。
「…俺には、そんな寂しい恋は、出来ないな」
「寂しいから、少女は幸せだったの…」
ヘッドは困った様に小さく笑って、やっぱりお前には聞かせたくないな、と呟く。
「お前は時々哀しい事を言うから、不安になるよ…」
―どうしてかな。
夢の中の、君を殺す僕は、きっと愉しそうに笑って、泣いてる気がするんだ。
“これで君は、永遠に僕のものだ”
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