魔女の条件

少女は恋をした。
何処までも広がる青い青い海の色を持つ王様に、少女は恋をした。
でも王様は、少女じゃない、別の女の子に恋をしていたから、少女の恋は叶う事はなかった。
そして王様の恋も叶わなくて、それでも王様の事が好きだった少女は…。

いつしか、魔女になった。


「―初めまして…貴女が、“始帰の司”、なまえさんですね」

南十字総合病院の中庭の中央にある、一番大きな木の幹に背を預けて座っていたなまえに歩み寄ってきた少女に、なまえは視線だけ向ける。

「…気多の巫女…ヒョウ・マツリ」

「はい」

気多の巫女―マツリは頷き、微笑む。
夏の気配を孕んだ柔らかく吹く風に彼女の水色の髪と、なまえの藍色の髪がゆらゆらと波のように揺れる。
ほんの数秒、2人は無言でお互いを見つめ合う。
警戒、というよりは、お互いにそうしている時間が何故だか少し心地良いものに感じられた。


「―島を、出ようと思うんです」

風に揺れる水色の髪を右耳にかけ、マツリが言う。
その表情はどこか晴れ晴れとしているのに、寂しそうだった。

「“イカ刺しサム”の話、終わったんです…それで、あの人を、怒らせてしまいました」

何も言わず、表情を変えず、ただ自分を瞳に映すだけのなまえに、マツリは気にする様子もなく、ただ少しだけ目を細める。

「―サムは、王様の船を手に入れたけど、その船を動かす為には少女を殺さなければならなかった」

「だから、サムは少女を殺して、1人、銀河の世界に旅立ったんです」

「…彼は貴女の事を、サムが恋をした少女に重ねてた…」

「だから、この話の終わり方に怒ったんだと思います」

マツリはまるで人形に喋りかけている様だ、と思った。
相槌も、否定や肯定の言葉も、瞳の中に感情の色すらもない。

「…」

マツリは目を伏せる。
可哀想、だと思う。
彼女がではなく、彼が。
サムと同じ様に、彼もまたいずれ自らこの少女を殺してしまうのだろう。

―そしてそうなる事を、彼女は知っている。

マツリの淡い色の瞳が、微かに、哀しげに昏く揺れる。


「―…あの人は知らない」

静かな声に、焦りの様な、責め立てる様な、そんな色が滲む。

「貴女が今もそうして彼の傍にいる事の意味を、だから…」

「だから…」

「…」

なまえの伸ばした手がマツリの頬にそっと触れる。

「―それでも、少女は幸せだったと思う…」

マツリは一瞬はっとしたような表情をしてから、泣き出しそうにくしゃり、と表情を歪める。

「…貴女は、あの人の為に“魔女”になったんですね」
―誰よりも冷酷で、優しくて、哀しい魔女に。

「貴女は、それで、幸せなんですか…?」

なまえは何も言わず、口許に薄く笑みを浮かべる。
マツリは何かを言いかけてから、止め、そろそろフェリーが出る時間なので、と少し泣きそうな顔で微笑む。


「さようなら。お元気で、なまえさん…」

なまえは静かに少女の後ろ姿を見送る。

「―なまえちゃん、そろそろ戻らないと、彼が心配するわよ?」

声の方を向けば、看護士が風に揺れる前髪を軽く手で押さえながらやってくる。
なまえは小さく頷き、ゆっくりと立ち上がる。
もう少し此処にいたい気もするが、彼が心配する様が目に浮かんで、それは諦めた方がよさそうだと思う。

「ふふっ。髪に葉っぱがついてる」

小さく笑って、髪についた葉を取った看護師は風で軽く乱れた髪を直すように軽くなまえの頭を撫でる。

「―ホント、なまえちゃんって、私の娘にびっくりするくらいそっくりね」

なまえは視線を少し上げ、彼女を見る。
その瞳の中で僅かに星が瞬く。

「どんな、子…?」

「―ナマエっていうの。その内、会わせてあげるわね。本当にそっくりなんだから。絶対びっくりすると思うわ」

「…ナマエ…―」

茜色に染まり始めた空を見上げて目を閉じれば、風の吹く音が聞こえた。


―この世界に、私の居場所なんていらない。
君の記憶の中に私という存在を永遠に刻みつけていてくれるなら、そんなもの、簡単に捨ててあげる。

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