林檎の木をあげる

―例えば明日、世界が滅びるのだとしても、僕は今日、林檎の木を植える。

消えゆく世界の中でも、昨日よりも少しだけ芽を出したその木を見るだけで、きっと僕はこの世界の誰よりも幸せになるんだろうな。


「げっ…シンドウ君…」

放課後、いつもの公園でぼんやりと海を見ていたナマエは、今現在一番顔を会わせたくない人物の登場に、隠す様子もなく顔を歪める。
休みが明け、スガタは憑き物が取れた様に若干ではあるが、前よりも柔らかい雰囲気を纏うようになっていた。
それに安堵したのは確かだが、先日の一件もあり、ナマエはほとんど意図的に避けていた。

「げって…流石に少し傷付くぞ」

スガタは少し呆れたように言う。
指摘されてから自分の失言に気付き、ナマエは、あ、と口に手を当てる。
突然すぎて思わず声に出してしまっていたみたいだ。

「…」
―き、気まずい…。

#nme2#は視線だけでちらり、とスガタを見る。
これは謝るべきなのだろうか…。
間違った事を言ったとは思わないが、些か言い過ぎた感は自分で言った事ながら、否めない。

「色々、考えた」

どうしようか、とぐるぐると考えていると、不意に、スガタが口を開く。

「ぅえ…?」

「タクトに色々言われて、お前にも色々言われて、色々、考えた」

「…う…うん」

スガタが懐から取り出した、時代劇に出てくるような短刀に、ナマエは驚いて目を見開き、咄嗟に数歩後退し、身構える。

「な…何…!?」

「…小さい頃からずっと、持ってる物だ。ワコを、守る為に」

「え…?ま、守る…?」

幾ら守る為でもこの時代に懐に刀を持ってるなんて、とは口にはしなかった。
握り締めた短刀を見つめるスガタの瞳が真剣で、苦しげで、大切そうに見えたからだ。
それだけで、この短刀に向けられたスガタの覚悟の様なものが、伝わってくる様な気がした。

「あの子を守る事が僕の役目で、それさえ出来れば、他の事はどうでもいいって、思ってた…いや、そう思ってるんだと、ずっと思ってた」

スガタが何を言いたいのかわからず、ナマエは困惑の表情を向ける。
ナマエの困惑を読み取ったらしいスガタは、薄く苦笑を浮かべ、一瞬、考える様な仕草をする。

「僕は、今まで僕の世界の中にいなかった…」

小さな小さな自分の掌の中に、ほんの少し、最低限必要なものだけを乗せて、でも、自分すらもそこにはいなくて、なのに、ずっと寂しいって喚いてた。
下らないお伽話みたいな、そんな世界。

―きっと、本当に寂しかったのは、僕じゃない…。

「こんな世界の中にいたくなくて、逃げてた」

「お前やタクトに言われて、やっと、気がついた…気付かされた」

世界の中に、自分という存在がいる事。
だけど、自分の世界に“自分”という存在はいなかった事。
隠し持っていたナイフで本当に守ろうとしていたのは、あの子じゃなくて、小さな小さな、自分の世界だった事。
それから、世界に、1人じゃなかったって事―。

「…」

「ごめん。それから、ありがとう」

蜂蜜色の瞳の中に自分の姿が映るのを、ナマエは何処かぼんやりしながら見ていた。
海の中に、潜っているみたいだと思った。


―小さな砂のお城には、太陽と同じ色の髪をしたお姫様が1人ぼっちで住んでいたの。
今はもう、そこにはいないけれどね。


指きりをしようか。
もう1人になったりしないよ、って、約束をして、その約束の証に指きりをしよう。
―僕の右手の小指と、左手の小指でさ。

「その、な、仲直りって、事で、いいの…?」

何だか確認するのは気恥かしくて、スガタから目を逸らし、視線を地面に向ける。
じわり、と頬がうっすら熱を持ってるみたいだ。

「あぁ。そうだな」

「仲直りだ」

スガタは薄く微笑み、肯定の意を示す。

「ちっちゃい子みたい…」

「僕達はまだ子供だ」

軽く口唇を尖らせたナマエにスガタはさらり、と言う。

「…屁理屈」

必ずクラスにこんな奴が1人はいるんだよ、とナマエは心の中で悪態をつく。
スガタは気にした様子もなく、とんとん、と隣に座れと促す様にベンチを叩く。

「そういえば、僕に嘘吐いただろう?」

「…うん?」

大人しく隣に座ったナマエはこてん、と首を傾げる。
一体何の事だろうか。

「世界はそう簡単に変えられないって、そう言っただろう?」

うん、と頷く前に、スガタはふ、と目を閉じる。
ふわり、と青い髪が潮風に軽く揺れる。
揺れる髪から覗く整った横顔が、やっぱり綺麗だぁと思う。
ナマエは思わず見とれるように、スガタの横顔を見る。
何故だか、自分の心臓の音がやけに耳に響いてる気がする。
どくり、どくり、と耳に刻みつけるような鼓動の音に、もしかしたらスガタにも聞こえているんじゃないのかと心配になる。

数秒の後、ゆっくりと閉じた瞼が開かれる。
蜂蜜色の瞳に陽の光が反射して、きらきらと輝いている様に見えた。


「前より、綺麗に見える」

「それは…良かった…」

こういう時に気の利いた事が言えない自分が嫌になる。

「ありがとう。ナマエ」

「ど…どう、いたしまして…」

ナマエはふい、と顔をそむける。
何だか、頬、というよりも顔全体の筋肉がムズムズして、力をこめてないとにやにやと笑ってしまいそうだ。
見られたら変な顔だと馬鹿にされそうだ、と思いながらも、この感覚が嫌じゃなかった。

―あぁ…まずいなぁ…。

ナマエはぐっ、と眉間に皺を刻む。
そして、同時に内心で自分自身に対して深いため息をつく。


―芽が出て、木になって、花が咲いて、いつしか実を付けて、そしたら最後には―。

恋になるんだ。

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