いつかの肖像

目を閉じると、今までの事が全部悪い夢だったみたいに君との日々を鮮やかに思い出せる。
目を開けたら、そこにいつもと変わらずに君がいる日々を、僕は取り戻せる。

そこが、僕の居場所だったから。


「…」

ゆっくりと、微睡みの中に沈む様に、目を閉じる。
近づいてくる足音は、場所も、時間も、何もかもが違うのに、近づいてくるたびにじわじわとあの日々と同じ胸の熱さを感じさせた。
あの日々に似た、甘い疼きが切なさと共に身体を浸食していく。


「―ミヤビさん?」

「やぁ。ナマエちゃん」

がらり、と開いたドアから覗くその姿を振り返り、すう、と目を細める。
少しだけ、目の奥が熱く感じた。

この錯覚の世界は、こんなにも鮮やかだ。
砂で城を形作る様に、徐々に確かな形を持っていくこの世界は偽物だとわかっていても、心を引き留めるには十分過ぎるほどの色を持っていた。
だからこそ自ら溺れる様に形だけで意味を持たないこの世界の中に浸かっているのだろう。


「何か描いてたんですか?」

指摘されたキャンバスは真っ白で、まだ線の一つも描かれてはいない。

きっとそこが、本当の世界だ。
彼女と一緒に失ってしまったもの。
色も、景色も、匂いも熱も、何もない、真っ白なキャンバスの様な世界。
それが今の自分の世界。

「いや…描きたくなるかもしれないと思って準備したは良いんだけど、朝から何も思い浮かばなくてね」

キャンバスを見つめ、ふ、と口許を緩める。

「え、もしかして、1日中此処にいたんですか?」

驚いたようなナマエちゃんの声に軽く頷く。

「しばらく休暇を取ったんだ。少し、ゆっくりしたくて」

休息を求めた事に特に理由らしい理由はない。
ただ何となく、そうしたかった。
それだけだ。

「でも君との約束を思い出して、此処に来たんだ」

「賭けは俺の勝ち、だよね?」

「リョウスケさんに聞いたんですね?」

「勘さ。でもその様子だと間違ってないだろう?」

にこり、と微笑めば、ナマエちゃんの表情はあからさまに引き攣る。

「はい…ミヤビさんの勝ちです」

「うん。じゃあ、約束通り、相談してくれる?」

「あの…ホント、大した事じゃないんです…全然…」

申し訳なさそうにぽりぽりと頬をかくナマエちゃんはどうにかして逃げ道を探そうとしてるのか視線を彷徨わせる。

「うん。良いよ。俺が勝手に気になってるたけだからね」

「―だから、聞かせて?君が寂しい想いをしているのは、どうしてなのか」


「え…?」

驚いたように目を丸くする表情が、質問が間違っていなかったという証拠だった。

「迷子の子供みたいな、心細いって顔してるよ」

「…心細い、のかな…」

「自分でも、よくわからないんです…少し寂しいような気もするけど、何でそんな風に思うのかとか、どうしたいのかとか、わからなくて…」

「誰かに恋をしているの?」

一瞬の沈黙の後、ナマエちゃんの顔がぶわっと赤く染まる。

「へ…っ?ち、違います…!そういうんじゃなくて、何ていうか…っ」

言葉を探して小さく呻くその姿に思わず笑みが零れた。

「―大切なんだね」

「え?」

「君は自分の感情のままに誰かの世界に飛び込んで、掻き乱してしまうのが嫌なんじゃないかな?」

「感情の、まま…?」

「そう。自分の気持ちを押し込めて、一歩引いて世界を見ようとするから、時々少し寂しく感じるんじゃないかな」

指で額縁を作ってその中に収めたナマエちゃんと目が合って目を細める。

「俺も昔、そういう風な気持ちになった事があるよ」

指で作った額の中に写る姿は、まさしくそれだった。
額縁の向こうの世界が酷く遠くて、それでもその中にその姿を写しているだけで心は満たされた。
少しの孤独と、言いようのないもどかしさを代償に、誰よりも彼女の近くにいられたから。

「…俺も、大切だったんだ」

ほとんど無意識に零れた言葉は、雨粒が土に浸み込む様に、空気に融けた。

「ミヤビさんは、どうしたんですか?」

「―俺はそのままでいるつもりだったけれど、逆に向こうが飛び込んできてしまったんだ…」

あぁ。まただ…。
記憶の中の、彼女の呼ぶ声がする…。
本当、いつまでもお前は俺の事なんてお構いなしに踏み込んで、浸食して…。

「人が折角大切にしてるのにずかずか入ってきて。結局、俺がしてた事に意味はなかったよ」

「でも、嬉しかった…」

彼女から与えられる全てが幸福だった。

手を下ろして、額縁越しにではなく、直接ナマエちゃんを見る。

「君が決める事だけれど、俺は飛び込んでもいいと思うよ。誰かの世界の中に―」


遠い場所にいる君へ。
僕はまだ、君の世界の中にいますか…?

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