魔法使いがくれたキャンディ
夜中に、時計が鳴ったの。
私が元いた場所に帰る合図。
人が産まれて最後には必ず死ぬことが不変の事実であるように、私がそこに帰ることも、不変の事実だった。
ガラスの靴は置き忘れてしまったけれど。
「…」
あの人は、飛び込んでもいいと言った。
誰かの世界に。
反射のように頭に浮かんだその"誰か"に、嫌悪にも似た罪悪感が沸く。
その想いを抱くだけで、罪を犯してしまっているような、そんな気がする。
出来ない、な…。
あの完成された世界のどこに私が入り込めるんだか。
同じ様に、幼い頃に出会っていたら何か変わっていたのか。
最近の考え事の大部分を占めるその感情は認めるにはあまりにも不本意過ぎて、答えは出せないまま思考を打ち切る。
出たところで結局納得できる筈がないんだから。
「遠い…な…」
空か、世界か、君か。
伸ばした手が何を求めているのか、よくわからない。
全てを求める事は貪欲だと思うけど、何も選ばない事も結局は貪欲なんだと思う。
何も変わらずにそのままそこにある事を願うのは、欲張りな願いだ。
伸ばした手はパタリ、と地面に落ちる。
日差しに照らされたアスファルトは熱を持っていて、じわじわと浸蝕する。
その感覚は不快なのに、何処か心地よくて、不思議な感覚だった。
心地よい熱の浸蝕に身を預け、ただぼんやりと空を仰ぐ。
鮮やかな青は、嫌でも彼を思い出させる。
どうして、こんな気持ちを持ってしまったんだろう…。
出会った頃は、ちゃんと友達でいられた、筈だ。
苦しい想いなんて、なかった。
よくよく考えてみれば、彼の何処が好きなのか、はっきりとした理由が自分でもよくわからない。
ただ気が付けば目で追っていて、気になって、少しでも側にいたいと思うようになっていた。
始まる前から失恋決定な訳だけれども。
「…」
太陽と青空が寄り添っているように、彼の隣には彼女が寄り添っている。
そういう関係ではないみたいな事を仄めかしていたけれど、照れ隠しという事もある。
大体、あれだけ特別ですってのが見え見えなのに何もないっていう方がびっくりする。
それとも、幼馴染だからこその距離の近さみたいなものがあるのだろうか…。
「わかんないなぁ…」
蜃気楼みたいにもやもやと霞んできた思考に、イラッとする。
あーもう。何でこんなもやもやしなきゃなんないんだ。
がばっと起き上がると、ぱんぱんとスカートを軽く叩いて埃を落とすと、屋上を出る。
こういう時は写真を撮るに限る。
良い被写体探しに行こ。
太陽が眩しいふりをして目を細める。
「っ、わ…」
突然レンズの視界に映りこんだシンドウ君に、間抜けな声をあげて後ろにのけ反る。
下心は抜きにしても相変わらず心臓に悪い顔だ…。
「テスト期間なのに、余裕だな」
「びっくりした…シンドウ君も人の事言えないでしょ。部活?」
「暇つぶしに散歩してたらナマエが見えたから」
「それ、僕もやっていいか?カメラ」
「え…?あ、あぁ」
基本の操作を教えると、1、2度確認して頷いたシンドウ君は早速被写体探しを始めている。
きょろきょろと周囲を見渡して、木々を見上げて、葉の間から漏れる木洩れ日に少し眩しそうに目を細めて。
普段が言葉数も動作数も少ないだけに、やけにアクティブに見える。
「何?人の顔見てにやにやして」
何かついてる?と首を傾げるシンドウ君は、何だかいつもよりも幼く見える。
「ううん。楽しそうだなって思って」
「少しは、世界は綺麗に見える?」
少し驚いたみたいに目を瞠ったシンドウ君は、数拍おいて、あぁ、と小さく頷く。
緩く弧を描いた口許は最初に話した時の様な影を背負ってなくて、何だかほっとした。
まだそんなに長い時間一緒にいた訳じゃないけど、人より言葉や態度に出さないだけで、シンドウ君はなかなか感情が豊かだと思う。
機嫌がいい時はちゃんと笑うし、逆に悪い時は隠そうともせずに近寄るなオーラ全開だし、驚いた時はちゃんと驚いた顔をする。
流石にツナシ君やワコや他の人と比べると分かりづらいけど。
「綺麗っていうより、広く、見えるかな」
1つ1つの言葉を探しながら言葉を紡ぎ出すシンドウ君は、やっぱり出会ったばかりの頃とは何かが少し違う気がする。
「カメラ越しじゃ小さいでしょ?」
「あぁ。でも、小さい世界は小さい世界で、それを構成してるものがよく見える」
「そうだね…」
レンズ越しの小さな世界は、願望にも似てると思う。
レンズを通して見てる瞬間はそこに見えるものだけがその世界を構成してる全てで、その他のものは一切排除されてて、見なくて済む。
言うなれば小さな理想郷だ。
そこは悩みとか、苦しみとか、余計なものは一切なくて、必要なくて、綺麗なものだけがそこにはある。
あぁ。だから、好きなんだ…。
「だから、抜け出せないんだ…」
レンズ越しに見る世界が。
そこは、私が絶対に傷つかない場所だから。
「―レンズ越しじゃない世界はどう見える?」
「へ…」
「お前には」
真っ直ぐに見据えてくる青い瞳に、吸い込まれて、溺れそうになる。
深い深い場所で、まるで水面に映る自分の姿を覗き込んでるみたいに、見ないようにしていた部分を否応なしに見せつけられてるみたいだ。
「私、は…」
「…向き合えないから、これに頼ってるんだよ」
今も、昔も。
この重みが、レンズ越しに見える世界が、波に飲み込まれそうな私自身をどうにか留める碇なんだ。
それがないと、きっと私は嵐で漂流する船みたいにふらふらと彷徨ってしまう。
そしていずれは、壊れてしまう。
「?、どういう意味?」
「向き合わないといけない問題から、目を逸らしたくて、カメラを取ったの。
最初は、その時だけの気晴らしのつもりだったのが、結局こんな感じになっちゃってるって訳」
「解決しない問題?」
「解決したくない問題」
「解決したら、それこそ世界と向き合えなくなる」
木の幹に背を預けて腰を下ろしたシンドウ君は相変わらず口許に緩く弧を描いていて、こんな訳のわからない問答にもあまり気にいないみたいだ。
「僕には偉そうに言っておいて、お前も似たようなものじゃないか」
「違うよ」
違うよ。シンドウ君。
似てなんか、ないよ。
「シンドウ君は向き合ってなかったから1人だった訳で」
「私は、向き合ったら1人ぼっちになるから、向き合えないんだよ…」
寂しいと言葉にしたら、認めたら、その瞬間に、世界は壊れる。
本当に、1人ぼっちになってしまう…。
だから、レンズ越しの世界を見て、見ないふりをすることにした。
「1人は、嫌だから…」
死ぬまでそうしていれば、死ぬまでこの嘘を隠し通せたら、嘘は真実(ほんとう)になりますか…?
流れ星に願いをかけても願いは叶わない。
だって、流れ落ちるまでに3回心の中で願いを唱えるなんてそもそも無理だし、星が願いを叶えるなんて、馬鹿げてる。
だから、きっと、星に願いをかけるのは心の中だけでも願いを自分に言い聞かせる為なんだ。
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「…」
世界は1人だと思ってた。
側に人はいて、話をして、一緒に食事をして、でも、1人だった。
同じじゃないんだと思った。ワコでさえ、僕とは違うんだと思った―。
同じ時間、同じ世界を生きる人間なんていないような気がしてた。
「それは気持ち的な意味で?物理的な意味で?」
聞いたのは、興味本位。
深い意味なんて何もない。
誕生日の一件でそれなりに関わるようになった彼女だけれど、考えてみれば、いつもカメラを持って徘徊してるイメージで、何を考えているかなんてあまり気にした事はなかった。
それは彼女に限らず、その他大勢にも言える事だけれど―。
だから、少しだけ、興味を持った。
タクトにも通じるところがあると思えるくらいキラキラとした瞳(め)をしてるのに、時々、今みたいに、僕と同じくらい、世界に絶望してるみたいな色を瞳に滲ませる。
彼女は世界に向き合えば、1人になると言った。
その言葉にどんな意味があるのか、知りたいと思った。
「どっちも」
無理やり作られた笑みはやっぱり影を纏っている。
それがどういう意味を持ってるかなんて僕に推し量れる訳がなくて、そもそもどうにかできるものじゃない事なんて百も承知だ。
その瞳は、僕とよく似ているから。
中途半端に首を突っ込んで掻き乱すだけなんて、何の救いにもならない。
寧ろ余計にやるせなさが降り積もって、他人にも自分にも、世界にも、苛々が募るだけだ。
「誰かとつるんでいたいって意味じゃなくて、繋がり、みたいなもの」
「それがないと死ぬとか、何が起こるって訳でもないんだけど、凄く、怖かった」
「今でも、怖い…」
言ってる真意はわからない。
人にはそれぞれ抱えているものがあって、背負ってるものがあって、他人の全てを理解する事は出来ない。
「だからそれに?」
「うん」
陽の光に照らされて軽くレンズが反射する。
するり、と指の腹でカメラの輪郭をなぞる。
無機質な感触がやけに冷たく感じる。
膝に乗ったその重みが、ずしりと重さを増したような気がした。
その重みの分だけは、彼女を他の人間より気に掛ける気持ちを持ち合わせていた事に、自分自身が驚く。
「―僕は…どんなに強い繋がりがあっても絶対に繋がれる人間なんて、いないと思う」
確かに繋がりは、あった。
1人だと思っていた世界に、自分以外の誰かはいた。
彼女も含めて。
「友達でも家族でも恋人でも、結局は違う生き物で違う感情を持ってる。
どんなに繋がってると思ってても完全には理解しあえないし理解できない」
でも、それでも孤独が消えた訳じゃない。
世界の何もかもが綺麗に見える訳じゃない。
結局は不完全な世界のまま。
「それって結局、1人って事なんじゃないのか?」
顔を上げれば久しぶりに彼女の瞳と重なる。
夜の海を思わせる深い藍色の瞳が、僕の瞳とは正反対だ。
静かな水面を思わせる瞳に波紋が広がるようにゆらりと揺れる。
だとしたらその波紋を起こしたのは僕の言葉に他ならないだろう。
罪悪感はないけれど、少しだけ、別の答えを言って欲しいと思った。
「…寂しいね」
もしそうだとしたら、君はその柵を断ち切る事ができるのだろうか。
もう、このカメラ越しに小さな世界を覗き込む事を、しなくなるのだろうか。
「シンドウ君の言ってる事は間違ってないと思う。完全に理解する事は無理かもしれない…」
「それでもさ、欲しく、なっちゃうんだ…」
「欲張りだね…」
木々を仰いで、表情はよく見えなかったけれど、多分、泣きそうに笑っていたんだと思う。
「皆そうだろう?」
君も、僕も、他の誰も。
もっともっとって望んで、願って、終わりはなくて、いつも何かに飢えて渇いている。
その全てを満たす事は不可能だし、全てが満たされても、今度はきっと失いたいと思う筈だ。
結局、世界は不完全なままが完成された形で、最上の形だ。
「僕も君も、満たされる事なんてないんだ」
いつも渇いていて、望んでいて、願っている。
「だから、これからも写真を撮るしかないんじゃない?」
「現状維持って事?」
「そうとも言うな」
カメラを向ければ、今度は少し意外そうな表情で僕を見ていた。
夕立が晴れた後の様な、微かに陰りの残る瞳は相変わらず輝いて見えて、星みたいに見える。
少しだけ目を細めて笑った顔に、ほんの少しだけ、瞬きをするのが惜しくなった。
終わってしまった旅は寂しいばかりで、気が付けば僕の心は結局空っぽになっていた。
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