スノーワールド


"ゆきがきれいだね"と、君は笑った。


「―そろそろ寮の門限だね。零、綴ちゃんを寮まで送ってあげて」


9時を指す時計を見て黒主が言う。零はあぁ、と短く頷き、がたっと椅子を引き、立ち上がる。


「…行くぞ、綴」


「うん。黒主さん、優姫ちゃん、今日は御馳走様でした。お休みなさい」


「お休み」


「お休みなさい、栄月先輩」


「綴でいいよ。優姫ちゃん。またね」


ひらひらと軽く手を振り、再び零に先導される様に学生寮へと向かう。


「―…その腕」


「ん?」


「治るのか…?」


「ん。傷が塞がってリハビリすれば大丈夫だって」


「そうか…」


風に乗せる様に零された言葉に続くものはなくて、コツコツ、と2人の足音だけが夜の静かな空間にはやけに大きく聞こえた。


「…零」


コツ、と足を留めた綴に、数歩先で零も同じ様に足を留める。


「…何だ?」


「な…殴って良いよっ!」


「…はぁっ!?」


思いもよらない言葉に、零は思わず目を見開いて綴を見る。


「ぐー…は痛そうだから嫌だけど、零がぐーの方がいいってんなら、それも受け止める覚悟だから…!」


きゅっ、と口唇を堅く引き結んで見上げてくる綴に、零は訳がわからず困惑の表情を浮かべながら、ぱちぱち、と数回目を瞬く。


「ま、待て、綴…落ち着け…」


「つーか、何でいきなり俺がお前を殴る事になるんだ…?」


彼女とはこの数年それなりに疎遠であったとは言えるが、最後に会った時もそう険悪な仲ではなかった筈だが…。


脈絡がさっぱり理解できず、とりあえず説明を求める。


「ぜ…零の、事…助けなかった…から」


「は…?」


「4年前…私も、零の事、ば、化物扱いした、から…」


ぎゅっ、と堅く両手の拳を握り締め、俯く姿は親に怒られる子供を彷彿とさせられる。


「庇うべきだった、のに…」


あぁ、と彼女の言おうとしている事がすっと頭に入ってくる様に理解できて、安堵と同時に呆れが湧きあがる。


零はふ、と口許に微笑を浮かべ、綴の頭にぽん、と軽く手を乗せる。


「ぜ…」


不安げな青い瞳が、零の浅紫の瞳を真っ直ぐに見詰める。


妙な気分だと思った。


決してそういう場面ではないのに、何だか嬉しい様な、安心した様な、そんな気分だった。そのせいなのか、自然と表情も、視線も、いつもよりも幾分か柔らかくなる。


「お前は間違って無い…俺を化物扱いした大人達も、誰も間違っちゃいない」


当然の事だ。何故なら、“吸血鬼ハンター”と“吸血鬼”は、何処までも相いれない存在だから。
むしろ、それこそがハンターとしての矜持にも思える。


だから、決して、間違ってはいない。


―穢れてしまったのは、彼等ではなく、この身なのだから…。


「―俺は、俺達はハンターだ」


「―…!」


ぱっと顔を上げ、目を見開く綴に、零は口許に微かに笑みを浮かべる。


「お前、4年ぶりにあってもあんま変わって無いな」


「昔もそうやって、しょっちゅう海斗に怒られてただろ」


呆れた様な笑みを零せば、むっ、と綴の表情が動く。


「俺は、お前に庇って欲しいんじゃない…」


前髪を梳くように乗せた零の手が綴の視界を遮り、零の姿を隠す。
静かな声と、手の温もりだけになる。


「俺が1番なりたくない俺に、させないで欲しいだけだ…―」


―死ぬ瞬間も、最期まで、“ハンター”で、“人間(ヒト)”で在りたい。


「…!」


遮られた視界の中で、綴は目を瞠る。


零の言葉は、そのまま覚悟の様に聞こえて、心臓が震える。


泣いてしまいそうだと思った。


彼のその願いを叶えてやる覚悟のない自分が、動揺して簡単に揺さぶられる自分が情けなくて、腹立たしかった。


「―そんな辛気臭ぇ顔すんなよ」


夜の冷たい風と一緒に、零の声が、肌を掠める。
雨粒が肌を打つ様に、零の言葉の1つ1つが温かく肌を打つ。


未だに遮られた視界の向こうにいる零は、きっと呆れたように、でも、優しげにほんの少し笑っているのだろうと思った。


昔から変わらない、零は今でも、とても、とても、優しい人だ。


「っ…零ぉ…」


失いたくないのだと、それを口にするのに、こんなに勇気と覚悟がいるなんて、知らなかった。


そんな言葉を彼に向ける日が来るなんて、知らなかった。知りたくなかった。


『は、初めまして、栄月綴です…!』


『俺は錐生零…それと、弟の―…』


"ゆきはいつかはとけてなくなるものだよ"と、僕は言った。

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