メモリーオブシルバー

―例えば君は、記憶の中の雪景色みたいだ。


「―ふぅ…こんなものかな…」


あらかた片付いた部屋を見渡して、綴は小さく息をつきながら零す。
利き手である右手は使えるが、それでも両手が思うように使えないと、何かと不便だ。


ふと、ハンガーに掛けた制服を見遣る。今まで通っていた学校とは違う、何処か高級感漂う黒い制服は自分には分不相応な気がして、何だかそわそわと落ち着かない。


任務とはいえ、今でもこんな場所に自分の様な存在がいていいのかと思う。


「らしくないなぁ…」


そんな自分自身に対して苦笑を零す。


コンコン、と控えめなノックの音に、ハンガーをかけ直し、ドアを振り返る。
荷物を運びいれる為に開けっ放しにしていたドアから遠慮がちに部屋を覗きこむ少女に、綴は僅かに目を丸くする。
理事長室に飾られていた写真に零と写っていた、確か、黒主の養女だった筈だ。


「あ。君、黒主さんの…」


「黒主優姫です。栄月先輩、ですよね?理事長に、呼んで来るように頼まれて」


肩を過ぎる位の焦げ茶色の髪に、零れ落ちそうな大きな瞳の少女は緊張しているのか、ぴん、と背筋を伸ばして堅い表情で告げる。
身体を堅くしているせいか、華奢な体躯が余計に小さく見える。


「それと、今日の夕食、良かったら、一緒にどうですかって言ってました!」


「お邪魔して良いの?」


「私は全然構いません!それに、栄月先輩がいた方が、零も喜ぶだろうって、理事長が」


あの人は相変わらず要らない気を回して、と内心零して苦笑を浮かべる。
自分も含め、周囲にあれほど感情表現が豊かな人があまりいないせいか、彼の優しさは嬉しい半面、少々照れ臭い。多分兄弟子である零も同じだろう。


「零は多分そんなに喜ばないと思うよ?」


綴はくすり、と小さく笑って訂正する。


仲が悪かった訳ではないが、そんなに仲が良かった覚えもない。
自分も零もそんなに人懐っこい性格でもないし、何より、ハンターという環境は少しでも早く大人になる事が求められていたせいか、一緒に子供らしい事をした思い出はあまりない気がする。


その事に対して不満はないが、時々、少しだけ、寂しいと思う事がある。


「そんな事ありません!零、先輩が来るって聞いてからちょっとそわそわしてるし」


あの無口で無愛想な零にそんな可愛い一面があるのか、とくすくす、と小さく声をあげて笑う。
優姫は少し驚いた様に目を丸くしたが、僅かに表情を緩める。
だがそれはほんの一瞬の事で、大きな瞳に昏い影が過る。


「先輩は吸血鬼ハンターで、零とは、小さい頃からの知り合い、なんですよね?」


「小さい頃って言っても、10歳くらいからだよ?」


「そう、ですか…」


「気になる?零の、小さい頃の事」


ぱっ、と顔を上げた表情は期待と落胆が混じっていて、彼女の中であの少年が大切な存在なのが窺える。


「えっ…っと…気になるっていうか、零の事、何も知らないから…」


「―…零が、元人間の吸血鬼だって事?」


「っ…!」


ごくっ、と小さく息を呑む音に、図星か、と心の中で呟く。


「零が、怖い?」


その問いは優姫を通して、自分自身にも返る。


掌を返した様に昨日まで仲間だった者を“化物”と蔑み、畏怖の眼差しを向ける大人達。その中には、自分も混ざっていた。


違う生き物になってしまった彼に、どう接して良いのかわからず、傷つけてしまった。じく、と疼く胸は、独りよがりの罪悪感だ。


「…零…」


「吸血鬼は怖い、けど…」


「それでも、零の側にいる事を選んだんだね…」


優姫の瞳がはっ、と大きく見開かれる。


「零は、大切な家族です…例え…違う生き物になっても、それは変わりません」


決意を秘めた様な優姫を見ながら、綴は僅かに口許に笑みを浮かべる。


―この少女の側でなら、昏い闇の中にある彼の心も、癒される気がした。


「行こっか。折角だから、御馳走になります」


優姫ははいっ、と頷くと、案内します、と先導する。とことことした仕草が可愛くて、思わず笑みが零れる。


―遠い昔にも、見た気がした。


夜の中に浮かぶ月を。昼の陽差しに霞む月を―。

雪に融けた涙の色は、透明だった。


「―昼間、零と街に出てたって聞いたけど、何かあった?」


黒主の居住区の薄暗い廊下を歩きながら、綴は前を歩く優姫に何気なしに尋ねる。


「え…?」


優姫は歩く足はそのままに、肩越しに、振り返る。


「腕、庇って歩いてるみたいだから」


視線で腕を指すと、優姫はばつが悪そうな表情をして、腕をささっと綴から隠す様に下げる。


「あ、これは…」


「…吸血鬼絡み?」


「…どうしてその事…」


トン、と優姫の足が止まり、つられるように綴も足を止める。


「手配中の吸血鬼がこの町に入り込んでる可能性があるって、来る前に聞いたの」


「…」


「まぁ、私が人の怪我がどうのって言える立場じゃないんだけどね」


苦笑を零しながら自身の右腕に視線を落とせば、服の裾から相変わらず包帯が覗いている。
視線を追う様に優姫も綴の腕を見遣る。


「…栄月先輩は、任務中の怪我の療養でこの学園に来たって聞きました…―」


「うん。油断して、やられちゃって」


「見た目程酷い怪我じゃないし、その内治るから大丈夫だよ」


「怖く、ないんですか…吸血鬼と、対峙する事…」


聞きづらいのか、うつむきがちに問う優姫の質問は、まるで冷水の様にひんやりと頭の中を冴え渡らせるように染み込んで来る。


「―…怖いよ」


窓の外に目を向ければ、すっかり陽は落ち、夜が始まっている。“彼等”の時間だ。


「でも、怯えてるよりも、武器を持つ事を選んだ」


「少しでも、強くなりたかったから…」


『っ、お父さんっ、お母さん…っ!』


胸にあるのは使命感なのか、憎しみなのか、怒りなのか、哀しみなのか、もうよくわからない。
ただ強くなる事に必死で、何か対抗できる術を手にしたくて、今はそれだけが全てだった。


綴の言葉に、優姫が僅かに表情に悲哀めいたものを滲ませる。


「あの、栄月先輩はどうしてハンターに…」


「―優姫」


コツ、と床を鳴らす足音は2人の数m先で留まる。


「―…綴」


浅紫色の鋭い瞳が優姫と、それから滑る様に綴に向けられる。


「あ、零…!」


「零…―久しぶりだね」


「って、再会を喜べる展開でもないか…」


綴は苦笑を浮かべる。間違ってはいないのに、何だかしっくりこないなと思う。
此処に自分がいる理由が理由である事と、零との関係性がただの兄弟弟子という事だけではないからだろうか―。


零は目を逸らす様に僅かに目を伏せ、眉間に皺を寄せる。


「…理事長が五月蠅いから早く来い」


「あ、そうだね…!」


「相変わらず連れない…」


冗談めいて零しつつも、普通に話せて少しほっとしていた。


「…」


2人に増えた先導役の後ろ姿をぼんやりと見ながら、ぱちり、ぱちり、と目を瞬く。


ふと、2人と自分との間の微妙な距離は、そのまま今の自分達の距離なのだろうと思った。
らしくないとは思いつつも、間違ってはいないのだろうと思う。


「…―」


前を歩く零は、もうすっかり真っ暗でほとんど見えない窓の外を見る。
窓ガラスの端に映った反射した綴の横顔に、表情を変える事はなく、ただ、視線を逸らす様に目を伏せた。


―鏡越しになら、僕はきっと笑えたんだ。

真空の世界で呼吸(いき)をしたい。


「―ボク風レバニラ。ボク風チンゲン菜とフィレ肉のとろけるシチュー。ボク風カツオのタタキ紫蘇ダレセロリの千切り添え!どう?美味しい?」


「「…」」


テンション高くはしゃぐ黒主を横に、優姫と零は黙々と箸を口に運ぶ。
このテンションの差は何なのだろう、と綴はぱちりぱちり、と不思議そうに瞬きをしながら同じ様に箸を口へと運ぶ。


「うう…久々の親子3人、しかも今日はお客様だっている食卓なのにさっ!料理だって頑張ったのにさっ!」


「いつも言ってるけど『ボク風』が微妙」


「俺を親子に数えるなって言ってるだろ」


「美味しいですよ、黒主さん」


「ありがとう綴ちゃん…!」


目尻に涙を溜め、ぱあっと表情を輝かせる黒主に、何だか笑みが零れる。


「ほっとけ、綴。いつもの事だから」


「そうですよ。すみません、栄月先輩、気を遣わせてしまって」


「2人とも酷い!」


「ま、いいや。元気に食べてくれてるし…。2人は街で何かあったのかい?優姫は怪我もしてたしね」


「怪我は…」


優姫は自分の腕に視線を落とし、言い淀む。
その仕草だけで多少なりとも何かがあったのだろう事は安易に推測できるのに、それを追求しないあたりが黒主の人柄なのだろうと思う。


「あ。忘れてた忘れてた。零、これ」


思いだしたように、理事長はポケットから取り出した。


「今ある分が無くなるころでしょ?血液錠剤」


ジャラ、と渇いた音を立てるそれに、零も優姫も目を開く。
言葉はなくとも、2人の動揺は簡単に見てとれた。


「…」


「…戸惑うなよ。これからはこれが普通になるんだ」


先に冷静を取り戻したらしい零が優姫に声をかける。


「2人とも何深刻な顔してるの。吸血衝動を抑えるための血液錠剤だけど、ご飯と一緒だよそんなもん」


「…っ」


へらり、と軽く言う黒主に、負のオーラをまといつつ、静かに零は立ち上がる。


「落着きたまえっ!前向きに考えようよ錐生くんっ!」


その光景が何だか面白くて、綴はくすり、と小さく笑みを零す。


「栄月先輩?」


笑い声に気付いたのか、向かいに座っていた優姫が小さく首を傾げながら声をかける。


「ううん…何か、楽しいなぁって思って」


「そう、ですか?」


「うん。楽しいよ」


本当は海の底と宇宙に違いなんてない。


―どちらもただ息ができないだけ。


―どちらもただ、世界の中の綺麗なものだけを集めただけ。

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