Once upon a time...
"いいか、ナイ。この花はお前の花なんだよ"
"どうして?このおはな、わたしのなまえ、かいてあるの?"
"ははっ。違うよ。ほら、見てごらん"
"この花はお前の目と同じ、青い空の色をしているだろう?"
"ほんとうだ!じゃあ、おとうさんのめもこのおはなといっしょ?"
"そうだね。父さんもナイと同じだ"
"青い空の色だ"
わたしのはな
今よりももっと小さい頃、まだあの地震が起こる前で、父さんも、母さんも、姉さんも弟も生きていた頃に、父さんが言っていた。
"この花はお前の花なんだよ"って。
私の瞳(め)と同じ、青い薔薇。
だからこの花が花の中で1番好き。
だから院長先生が貰ってきた青い薔薇を植えたこの裏庭が、私の1番好きな場所。
建物の裏手で、すぐ側には木々が生い茂る林がある。それでも日あたりはよくて、薔薇以外にも、コスモスや、向日葵や野菜が植えられている。
院長先生は育てるのが難しい花って言ってたから、細心の注意を払って大事に育ててきた薔薇は、今のところ順調に育っている。
小さな芽が出て、日増しに大きくなるそれが楽しみで、最近は遊ぶことよりも裏庭にいる事のほうが増えた。
他の子達は詰まんない、とか言ったりするけど、私にとっては、大事な薔薇だから。
「っ、ぁ…」
小さなか細い声に目を向けると、1人の少年がいた。顔を上げた私もつられるように、あ、と小さく声を漏らす。
院長先生と私以外、あまり人が寄り付かないから、予想外の出来事で上手く言葉が出ない。
少年は気まずそうな顔をして視線を逸らすと、逃げる様に背を向け、来た道を引き返そうと背を向ける。
「ちょっと、待って…!」
とっさに少年の手を取る。
「っ…!?」
少年は驚いたような、怯えたような表情で振り返ると、ばっ、と掴まれた手を振りほどく。
「!あ、ごめ…」
「ごめん、なさい…」
少年は私が掴んでいた手を遠ざける様に背に隠す。もう片方の手はカタカタと小さく震えている。
俯いた顔は、病的なほど、色が白い。
よく見たら、顔だけじゃない、首元も、手足も、見えている部分だけでも異常なほど肌が白い。
「あの、ごめんね…?怖がらせるつもりは、なくて…」
異様な怯えように、思わず謝る。
「僕に、触ったら、ダメ、なんだ…」
か細い声でそう零した少年に、首を傾げる。
「え…?どういう意味…」
言い終わる前に、少年は背を向けて走り去っていく。1人取り残され、一体何だったのだろう、と首を傾げる。
名前は知らないが、あの子を見た事がある。2、3日前に院長先生が連れてきた子だ。
院長先生の後ろに隠れるようにして歩いてたのを遠目にだが見た。
数年前の大地震でたくさんの人が死んで、親を亡くして孤児になった子供達を見つけては、連れ帰り、面倒を見てくれているのがこの孤児院の院長先生だ。
私もその1人だし、他の皆だってそうだ。だから院長先生が新しい子供を連れ帰るのは珍しい事じゃない。
「何か、怖い事、あったのかな…」
今度会ったら、ちゃんと名前を聞いて、名前を教えて、話をしてみよう。
そうしたらきっと、あの子も、笑ってくれる。
産まれる前から、知ってた。君と僕が、出会う事。
お伽話のお姫様と王子様みたいに。
君が"月が綺麗だね"なんて言うから、僕は思わず笑ってしまったんだ。
とても幸せだと思ったから。
「―怖くないの?」
今よりももっと小さかった頃、夜が怖かった。
お化けが出そうで怖くて眠れないって言ったら、院長先生は優しく頭を撫でて、大丈夫、お化けなんていないよって笑ったの。
だから私はお化けなんていないって自分に言い聞かせて、そしたら、不思議と夜が怖くなくなった。
でも、誰かと一緒の布団で眠ったり、手を繋いだりするのはあったかくて好きだから、それはまだ内緒。
「ぁ…」
夜空には細い三日月が出てる。月明かりもなくて、ほとんど真っ暗な窓の外に、あの子はいた。
ぼーっと空を見上げていたその子は私を振り返って、やっぱり少し怯えたような顔をした。
「私、怖い?意地悪、しないよ…?」
あまりにも怯えた、今にも泣きそうな顔をするから、私までなんだか泣きそうな気分だ。
「あ、の…ごめんね…泣かないで…?」
そう言う自分の声も若干震えているが、精一杯堪える。
「あの…えっと…」
何か言葉を探すが、こちらも若干傷ついてる手前、上手い言葉が見つからない。
「…ちがう…」
凄く凄く、小さな声だった。少し震えていて、風に掻き消されてしまいそうな、そんな声。
「…君の、せいじゃない…僕に、触っちゃ、ダメなんだ」
「…僕は、化け物だから…」
「え…?」
元々俯き気味だったのが、更に俯いて、今はもう表情は殆ど見えない。
「どういう、意味…?」
言ってる事は理解はできない。
けれど、それだけで突き放すには不十分すぎて、今はそれよりも喋ってくれた事の方が嬉しい。
「貴方、幽霊?」
「わから、ない…でも、僕は、化け物なんだ…皆そう言ってた…もしかしたら、そうなのかも…」
幽霊にしては、怖くない。それに、足もちゃんとある。皆にも見えてる。
どの要素を取っても、残念ながらこの子が幽霊と思える部分は皆無だ。
「嘘だよ。貴方、幽霊じゃないよ」
「え…?」
「だってちゃんと足あるし、ご飯だって食べてた。全然怖くないし。それに―」
雪みたいに真っ白な腕を掴んだ瞬間、びくり、と身体を大きく揺らしたから、また昼間みたいに逃げられるんじゃないかと思って、今度は逃がさないようにぎゅっと掴んだ。
「ほら。触れる。幽霊だったら触れないでしょう?」
「ぁ、僕…」
強張っていた身体から、腕から力が抜けるのがわかって、掴んでいた手を放す。
「私、ナイっていうの。昼間聞けなかったから、貴方の名前、教えて?」
「わか、らない…」
「へ?」
「名前、わからない…誰にも呼ばれた事、ないから…多分、無いんだと思う」
気が付いた時には"ナイ"と呼ばれていて、誰に教えられるでもなくそれが自分の名前だと知っていた。
他の皆だって、そう。
どうして、この子は自分の名前も知らないんだろう…。
「名前、無いの?」
「うん…」
「じゃあ、名前つけてあげる!」
「え?」
「えーと…え、っとね…」
勢いで付けると宣言したはいいが、なかなかいい名前が思い浮かばない。
やっぱり大人って凄い。だって生まれたばかりの赤ちゃんにちゃんと名前つけてあげられるから。
「いいよ…」
「ダメ!だって、名前ないと誰も貴方の事呼べないでしょ!」
うーん、うーん、と唸りながら言葉を探す。
「クラン!クランって呼んでもいい?」
唐突に思いついた言葉を吐き出せば、男の子はぽかん、としていて、その顔が何だか面白くて、ぷっと思わず吹き出す。
「ね、クラン!君の名前!」
離した手をもう1度取る。
今度は、身体も震えなかったし、逃げようともしなかった。
雪みたいに白い手だけど、繋いだ手はちゃんと暖かくて、やっぱり幽霊じゃない。
「僕の、名前…?」
「うん。クラン!」
例えば自分の手も見えない真っ暗な闇の中にいたとして、それでも君が名前を呼んでくれたら、僕は"僕"がそこにいるって、気づくことができるんだ。
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