One winter's night,
きっと、最初から決まってた。
僕は君と出会って、君は僕と出会って、そうして始まる物語があるって事。
でも、それは哀しい結末で終わるって事も、きっと最初から決まってたに違いないんだ。
そうじゃなきゃ、僕と君は"運命の人"にはきっとなれなかった。
キスをしても、君はもう目を覚まさないけれど―。
星に願いを
クランの様子が最近、おかしい。
元々静かで大人びた子ではあったけど、最近は心此処に在らずって感じでずっと何かを考え込んでる。
ダークブラウンの瞳は陰る事が多くなった気がする。
何も話してくれない…。
それとなく聞いてみても、いつも何でもない、大丈夫、とはぐらかされる。
そんな訳、ないのに…。
たまに、ふと目が合うと、クランはさっと目を逸らす。
話をしてても、関係のない場所に視線を向けて私の方を全然見ようとしない。
私、クランに何か、しちゃったかな…。
ずきり、と心臓の辺りが痛くなった。
もう何度目かの、痛み。
でも、全然慣れない。
喧嘩、らしい喧嘩は今までした事がないと思う。
クランはそもそも気性が荒い訳でもないから滅多に言い合いになる事なんてないし…。
考えれば考える程理由がわからなくなって、混乱するばかりだ。
「はぁ…」
音になって零れ落ちたため息は思っていたよりも重たくて、きっと目に見えていたなら、そのまま地面に落ちているだろう。
何だろう…。この感じ。
寂しいに似ていて、でも、それだけじゃない。
明確な名前はわからない。
けど、そんな気がする。
ベッドの上で膝を抱えて、顔を埋める。
気が紛れるとまではいかないけれど、少しだけ、落ち着いた気がする。
さっきよりも小さく息を吐き出す。
それは皆の寝息の中に融けて、あっという間に姿を消す。
それが何だか無性に寂しく思えて、哀しくなる。
夜はダメだ。
何を考えても悪い方向にばかり考えてしまう。
「よし」
顔を上げ、小さく呟く。
そろりと部屋を抜け出し、出来るだけ足音を立てないように廊下を進む。
目指す先は医務室だ。
昨日、この前倒れてからまだひと月も経たないのにまた倒れたクランはまだそこにいる。
夜は大抵起きてるだろうから、多分まだ寝てはないだろう。
原因がわからないのだからうじうじ考えても仕方がない。
此処は原因―クランに直接聞くしかない。
何か嫌われるような事をしてしまったのなら謝るし、直す努力はする。
とりあえず今のこの状況をどうにか打破したい。
思い立ったが吉日とはよく言ったものだ。
キイ、と軋む床板がやけに大きく聞こえる。
一歩一歩慎重に進む。
今まで何度も夜部屋を抜け出してクランに会いに行ったことはあるけど、こんな気まず気持ちで向かうのは初めてだ。
怒らないかな…。
やっぱり、怒るかな…。
医務室のドアに手をかけて、きゅっ、と口唇を引き結び、指先に力を込める。
がら、と小さな音がして開いたドアの向こうに目に入ったのはさっきまで人がいただろう面影を残した空のベッドだけだった。
捲れたままの毛布は触れていた人肌の温もりを失いつつあった。
「何処に行ったの…?」
―クラン…。
少しだけ震えた声は夜の闇に冷たく融けて消える。
呼びかけに応える声はない。
あの静かな声は、帰ってこない。
トイレに行っただけかも。
それとも、具合がよくなって部屋に帰ったのかも…。
うん。きっと、そう。
いなくなった訳じゃない。
いなくなる筈が、ないんだ―。
今までずっと一緒で、これからだって、ずっと一緒。
「…クラン…」
ぽすん、と空のベッドの端に座る。
ベッドが小さく軋んで音を立てたけど、そんなの今はあまり気にならない。
勢いだけで此処まで来たのに、出鼻を挫かれたような気分だ。
月明かりだけが照らす医務室は青白くて、少し不気味だ。
「…」
真っ白な壁を睨み付けるみたいに見つめる。
何かで気を紛らわせていないと、私の中の何かがぽきり、と枝が折れるみたいに、音を立てて折れてしまいそうな気がした。
何で、こんなに不安になるんだろう…。
喧嘩なんて、他の子とだって何回もした事がある。
つかみ合いの喧嘩も、お互いぐしゃぐしゃに泣きながら喧嘩したことだってある。
その時だってこんなに不安にはならなかったのに。
そもそも、これは喧嘩かどうかすらもよくわからないんだ。
だからクランと話をするために此処に来たのに―。
なのに。なのに…。
肝心のクランは20分過ぎても戻ってこない。
幾らなんでも遅い。
遅すぎる。
ひょい、とベッドから降りて医務室を出て、クランの部屋へ向かう。
他の子達を起こさないようにそっとドアを開けて覗き込むけど、やっぱりクランのベッドは空だ。
綺麗に整えられている所を見ると、戻ってきた訳ではないみたい。
「部屋にもいない…」
この不安は、ただの不安で終わりの筈。
これはきっと、私の気のせい。
それなのに、心の中で言い聞かせるように呟けば呟くほど不安になる。
「っ…何処行っちゃったの…」
ドアノブを握る手に力が籠る。
指先は氷水に浸したみたいに冷たいのに、掌には嫌な汗をかいてる。
クラン…何処にいるの…?
昔に読んだ人魚姫の本を思い出した。
あの時思ったの。
どうして人魚姫はこんなに苦しい恋を選んだんだろう。
王子様じゃない、他の男の人を好きになれば幸せになれたのにって。
でも、今ならわかる気がする。
人魚姫は王子様じゃなきゃ、ダメだったんだ。
その人の代わりなんていなかったんだ。
だから、泡になったんだ―。
水面に映る君の瞳は、何色だったかな。
「はぁ…はぁ…っ」
息を吐き出す度に白く色付く。
喉の奥に冷たい空気が入り込んで、少し痛い。
心臓が五月蠅いのはきっと走ったせいだけじゃない。
クランが、見つからないせいだ…―。
孤児院を抜け出して、裏庭を抜けて、その先の森も抜ける。
夜ってだけで森は不気味さを増して、昼間の様な暖かさを感じない。
梟の声も、木々の揺れる音も、全てが今にも飲み込まれそうな、化け物じみたものに感じる。
園長先生はこの森には狼とか野犬みたいな危険な生き物はいないって言ってたけど、それでも周囲に目を配らせながら足早に森を抜ける。
「っ、は…」
森を抜けた先にあるのは、小さな湖だ。
聞いた話では例の大地震でできたものだそうだ。
水面に夜空が反射して、2つの三日月が白く輝く。
湖に映る逆さの月が大きく歪む。
それが波紋だと気付くと同時に、波紋の中心に人がいる事に気付いた。
あの後ろ姿…。
「クラン…?」
あの後ろ姿は、クランだ。
間違いない…。
そう思ってる間にもクランはどんどん湖の中を進んでいく。
こんな寒いのに、それに、何処まで、進むの…?
どくり、と心臓が嫌な音を立てた。
「っ…」
それからの事は、あまり覚えてない。
「クランっ…!!」
ばしゃばしゃと音を立てて、水飛沫をあげて、クランを追いかけて、その背中に飛びつく。
クランは少しだけよろめいて、でも倒れはしなかった。
ナイ、って、私を呼ぶ声がしたけど、何も言わないで後ろから両腕を回して、離さないように力を込める。
ダメっ。行っちゃ、ダメだっ。
行かないで…っ。
私は声を何処かに置き忘れてしまったみたいに声が出せなくて、心の中で叫ぶ。
「ナイ…?」
さっきよりも少し落ち着いた声でクランがもう1度私を呼ぶ。
クランの声を聞けて、安心して、目の奥が熱くなった。
「っ、何してんのっ…!?」
震える声でそう怒鳴って、顔を上げる。
私が抱き付いてるせいで身体は前を向いたままで、顔だけ少し振り返ったクランと目が合う。
いつもより、目が丸くなってる。
驚いた時の、クランの表情(カオ)だ。
何でそんな顔しるんだろうとか、何で孤児院にいないのとか、色々言いたい事はあるのに、上手く言葉にならない。
ひく、と喉がなって、頬を暖かいものが伝って、泣いてるんだってわかった。
「、ナイ…泣いてる、の…?」
クランの焦ったような声が降って来る。
いつの間にか私の腕の拘束から抜け出して向き合う様に身体を反転させたクランは、覗き込む様に私を見た。
クランの顔が涙でぐしゃりと歪む。
戸惑ったように眉を八の字に下げたクランの冷たい手が私の頬の涙をそっと拭う。
それにすらも何だか腹が立って、ぱしっとクランの手を払う。
小さく渇いた音がした。
「んで、っ…何してっ…こんな、寒いのにっ…っ!」
私は相変わらずぼろぼろと泣いていて、私に手を払われたクランは傷ついたような顔をして、でも、止まらない涙と同じように私の心だって止まらない。
心配した。不安だった。
寂しかった。怖かった。
心と同期するみたいに止まらない口にクランは面食らった様な顔をしたけど、今はそんなの知らない。
「何で院にいないのっ!?何で、湖入ってんの…!?」
何処に、行こうとしてたの…?
「はぁ…はぁ…はぁ…っ」
言いたい事言い尽くして、肩で息をする。
クランはとりあえず話を聞くことが私を落ち着かせる最善の方法だと悟ったらしく、少し目を丸くしたまま黙って私のめちゃくちゃな話を聞いてた。
「、…」
「っ、…行っちゃ、やだよぉ…っ」
止まりかけていた涙は思い出したみたいにまたぼろぼろと零れ落ちる。
ぎゅっ、とクランの服に皺が寄るくらい掴んで、でもぐしゃぐしゃな顔を見られてたくなくて、その胸に顔を埋める。
クランは恐る恐るといった感じで私の背中と、頭に腕を回すと本当にそっと抱きしめた。
触るか触れないか、それくらい、そっと。
いつもはそんなこと思わないのに、今日に限ってはそれすらもなんだか無性に悲しくて、寂しくて、でも、抱きしめてくれたことがうれしくて、心の中もぐしゃぐしゃだ。
「行かないでっ…」
遠くに、行かないでっ…。
絞り出すような声は、はたしてクランに届いただろうか。
背中と頭に回されていた腕が解かれて、肩を掴んで、私とクランの間に距離ができる。
私はそこでようやくクランの顔を見た。
困ったように寄せられた眉は相変わらずで、ダークブラウンの瞳も静かさの中に陰りを孕んで私を見ていた。
「何処にも、行ったりしないよ?僕は…」
静かな声は、静かな湖によく響いた。
月明かりがクランの横顔を照らして、ただでさえ白い肌が余計に際立って白く見える。
浮世離れしたそれが、私を余計に不安にさせた。
だから、もう泣かないで。
クランはそう言って小さく微笑んで、また私の頬の涙を拭う。
本当に?
本当だよ。
ずっと、私達と一緒にいる?
ナイ、ずっとって、どれくらいかな…?
え、えーと…そう!空の果てまで旅しても、地の果てまで旅してもまだまだ足りないくらい長い時間!
くすくす…そんなに長い時間じゃ、僕もナイもおじいさんとおばあさんになっちゃうね…。
おじいさんとおばあさんになっても、一緒にいるの!クランは、嫌なの?
ううん…嫌じゃないよ。
本当?
本当だよ…?
じゃあ約束して。
約束?
勝手にどこかに行ったりしないって。ずっと、一緒にいるって。
良いよ。
涙、やっと止まったね…―。ごめんね。
それから、ありがとう。ナイ…。
そう言ってクランはふわり、と微笑んだ。
最後の一筋が頬を伝い落ちて、でも、クランの指がそれを拭う。
今度は手を振り払わなかったし、むかつきもしなかった。
悲しくもなかった。
夏の大雨みたいに止まらなかった涙はいつの間にか止まっていた。
「、…」
「冷たくなってる…帰ろうか…?」
私の手を引いて歩き出そうとしたクランの手を引いて、その足を止める。
クランは少し不思議そうな顔で私を振り返る。
ちゃぷん、と揺れた水が小さな音を立てた。
「?…」
「、…」
自分でも、なんでそうしたのか、よくわからなかった。
こんな、駄々をこねるみたいな事、するつもりなんてなかったのに。
ずっと、一緒にいてくれるって言った。
約束した。
それだけで、充分なのに。
充分な、筈なのに…―。
言葉にできない不安をどうにか伝えたくて、ほんの欠片でもいいから伝わってほしくて、クランの手を握る手に少しだけ力を込める。
どうか、わかって…。
こんなにも君を失いたくないって、願ってるって事…―。
涙1滴分でいい。
伝わったのかどうかは、よくわからない。
多分、伝わってはないと思う。
私の心の中は、私にしかわからないから。
クランの心の中が見えないみたいに、彼にも、私の心の中は見えはしない。
それでも、クランが答えるみたいに私の手を握る手に力を込めてくれたことが嬉しかった。
例えばあの時にこの物語の結末を知っていたとして、それでも僕はきっとその結末を受け入れていたと思うんだ。
苦しいくらいに君を愛して、君を憎んで。
それでも、最後、泡になって消えてしまう瞬間には、初めて君に恋をした瞬間のように、それだけが僕の世界の全てを満たして、そんな世界が弾けて消える瞬間に、僕の存在も消えてしまうんだ。
どんなに憎んでも、涙の1滴だけは君の為の愛の欠片に残しておこう。
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