ヴァンパイアハロー

―夢の中で、僕は君に恋をした。


「はー…来てしまった…」


綴は顔を上げ、目の前の建物を見る。


かつてはハンター協会本部として使われていた建物なだけあって、気品の中にも不気味さが僅かに残っているような気がする。


偏見か、と自嘲し、門を潜る。


「―やぁ。久しぶりだね。待ってたよ」


「お久しぶりです。黒主さん」


風に揺れる亜麻色の長い髪の青年―黒主の姿に、綴は足を止め、ふわりと笑みを零す。
最後に会ったのは数年前だったと思うが、その容姿は最初に会った時からほとんど変わっていない。


聞いた話では師匠である夜刈の方が年下らしいが、容姿だけを見れば、彼の方が年下に見える。
眼鏡の奥で優しく細められる瞳に、少しだけ肩の力が抜ける。


「今回は災難だったね…」


理事長室へと歩く道すがら、黒主は数歩後ろを歩く綴の包帯が巻かれた腕を気遣わしげに眺め、労わる様に目を細める。


黒主の視線につられる様に綴も自分の腕に視線を落とす。


「今回の件で、自分の未熟さを思い知りました…早く治して、鍛錬を積まないと…」


軽く手を握り締めればぴりっ、と走る痛みに、僅かに眉根を寄せる。
これは戒めだ。まだまだハンターとして未熟な自分への―。


「君は相変わらず真面目だねぇー」


深刻そうな顔をする綴に、黒主はははっ、と苦笑を零す。


「けれど、そのためにも今は休養が大事だよ」


「今回に編入は協会からの“監視任務”って事だけど、僕としては此処で少しでも君に普通の学園生活を送って貰いたいんだ」


黒主は眼鏡の奥で目を伏せる。薄い膜の様に僅かに瞳を覆う陰りは、日差しのせいだけではないだろう。


「“外”で働いてる分、君はあの子よりもそういうものから切り離されているからね…」


「…」


ぴくり、と綴の指先が僅かに揺れる。


「その零は…今も、元気にしてますか?」


会いたい様な、会いたくない様な、学園に車でもずっと考えて、それでも結局答えは出なかった。
その彼が、この学園に、すぐ近くにいる。


それが余計にそわそわと気分を落ちつかなくさせた。


「うん。元気元気。あ、今は僕の義娘とお遣い中だから、帰ってから紹介するよー」


はい、と短く返事をしてから、綴は苦笑を浮かべる。此処に来る事になってから、考えていたもう1つの事。


この学園で暮らしているもう1人の兄弟子に、どんな顔をして会えばいいのだろうか―と。


そして、そう悩む自分自身に、やはり吸血鬼ハンターなのだと改めて自覚する。


「元気なら、良いんです…」


視界の端で黒主の亜麻色の髪がさらさらと揺れる。


「…」


零は、彼は仲間であり、友であり、今は、敵―獲物―でもある。
吸血鬼として牙を剥けば、きっと自分は、躊躇いはしても、最後には彼を殺すのだろう―吸血鬼ハンターとして。


それが誇らしくて、少しだけ、哀しかった…。


「…零…」


―その恋はいつまでも夢の中の恋だったんだ―。

月に似た君は、月に似て、孤独だった。


―いつまでも。何処までも。


「―そういえば、夜刈君は?一緒じゃなかったの?」


「―…師匠は街で“お仕事”してから来るそうです」


綴の表情が僅かに険しくなる。ハンターとしてあの人の役に立てない自分に嫌気がさす。
いつまでも子供のままのようで、弱いままのようで、焦燥感が胸の奥を焦がす。


「そう…相変わらず、忙しくしてるんだね」


苦笑の様な、何処か寂しげな笑みを零す黒主に、何と返したらいいのか分からず、綴は視線を逸らして口を噤む。


「…娘さん…」


「ん?」


「心配じゃ、ないんですか…?情報だと、例の吸血鬼はもうこの街に入り込んでる可能性もあると思いますけど…」


「そりゃあ心配だよ。でも、結構強いからね、僕のゆっきーは!それに、零もついてるし―」


「2人は大丈夫だと、信じてるよ」


「すみません…余計な事、聞きました」


黒主はにこっ、と目を細めて笑みを浮かべる。


「心配してくれたんだよね?ありがとう」


「…」


コンコン、とノックの音がして、扉が開く。


「あぁ、来たね。丁度良かった」


白を基調とした制服を身に纏い、ダークブラウンの髪を僅かに揺らす青年は、静かにその瞳を綴へと向ける。


来訪者に目を向けていた綴と青年の瞳が重なる。


「彼は…って知ってるよね」


苦笑を浮かべる黒主に綴は無言で答える。全身がぞわりと粟立つような、そんな雰囲気を纏う、吸血鬼。
人間ですら無意識に屈してしまいそうな何かは、彼等しか持ちえないものなのだろう。


「…玖蘭、枢」


枢は肯定を示す様に薄く笑みを浮かべ、小さな足音と共に距離を縮めると、包帯の巻かれた綴の手を取り、その手の甲に口付ける様に唇を寄せる。


普通の人がすれば寒いと思う仕草も、彼がすると絵になる。


髪の間から覗くダークレッドの瞳は、何を考えているのか全く読めなくて、何処か不気味なのに、引き寄せられるように目が逸らせない。


「何を…」


驚きと警戒で、綴の表情が僅かに歪む。


「黒主理事長から事情は聞いてるよ」


枢は綴の態度にも差して気にした様子を見せず、相変わらず静かな微笑みを浮かべる。


「これからよろしくね…吸血鬼ハンターの、栄月綴さん」


「…」


解放された手を隠すようにサッと目の前の青年から遠ざける。
凪いだ瞳の奥から垣間見える獣に、"餌"に見られた様で、酷く不愉快だった。


「くす…そう警戒しないで。何もしたりしないから」


まるで過剰に怯える子供を宥めるような口ぶりが不愉快だった。


「…出来れば、此処を出るまで顔を合わす機会が無い事を願います」


「そうだね…君に迷惑をかけないようナイトクラス一同心がけるよ」


物腰は柔らかなのに、それだけじゃない何かが言動の端々に見え隠れする。
自分を含め、ハンター達が“彼等”を畏怖し、特別不快に思う理由はそこなのだろうと思う。


「神聖な学園で血生臭い争いは嫌だからね」


彼はまるで、掌で獲物を転がして愉しげに笑う、捕食者の様だ。


「早く治ると良いね。その傷…」


「…」


1度綴の腕に視線を落とし、薄く笑みを浮かべ部屋を出る枢を綴は視線だけで追う。


「そんなに難しい顔してると折角の可愛い顔が台無しだよー?」


ふんわりとした黒主の声に小さく息を吐く。こんな彼だからこそ彼等吸血鬼を生徒として受け入れる事が出来たのだろうと今更ながら思う。


「…」


―吸血鬼…。


人の姿をした、血を啜る獣―。


「…」


震える心臓は、認めたくはないが、無意識の内に彼に恐怖していたのかもしれない。


―やはり、相いれない存在でしかないのかもしれない…。


ぎゅっと、拳を握りしめる。
それは臆した自身に対してか、今更そんな事に考えが及んだ甘い自身に対してかは、綴自身にもわからなかった。


世界に果てがない様に、僕の孤独も永遠だった…―。

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