ひと眠りしたあと、寝子は案の定焦ってたから、ぼくは余裕を気取ってみる。
「おはよう」
「えっ、ちょっ、どういうことなの?」
「ぼくは何もしてないよ。……何かしたとしたら、寝子かな」
「……ねぇ、私、何した?」
目が覚めるなり、ぼくの部屋にいる自分に驚いて、隣にいるぼくにもう一度驚いて、繋がれた手にまたまた驚いて、彼女は自分の手とぼくの顔を交互に眺めながら途方に暮れてる。
「覚えてないのかぁ。そっかぁ」
「何したか教えて……」
「ゆっくり考えてみるといいんじゃない?」
「……戻ってきて私の記憶!」
ちょっと可哀想かな、って思ったけれど、今回はぼくだから良かったようなもので。
今までのことは言ってもしかたないし、咎めるつもりも理由もない。
でも、これに懲りて無茶な呑み方しなくなるといいな、っていう期待も込めて。
何かあって困るのは寝子だし、そうなった彼女を見たくもないし。
だって友達だからね。
「うぅん……とりあえず、シャワー貸して」
「どうぞどうぞ。借りなくてもここはもう、きみの家だよ」
「そ、そっか」
寝子がシャワーを浴びてる間、ぼくはもう一度布団に潜る。
香水なのか、シャンプーなのか、コスメなのかわからないけれど、いつもと違う匂いがする。
布団から顔を出して、さっきまで繋いでた右手を伸ばして眺めてみる。
いつもと変わらない右手。当たり前だけど。ちょっと人差し指のネイルが剥げてるくらい。
別に、何も変わらないよ。何もなかったんだから。
ぼくは、何かあったほうがよかったのかな。
……まさかね。
「あー、なんだ、その、私ちょっと出かけてくる」
ぼくがベッドでだらだらしてると、寝子が顔を覗かせた。
シャワーを浴びた後の彼女は、もういつもの仕事モードになってて。
一生好きな格好で生きていくんだ、なんて尖ってたのが嘘みたいに、遊び慣れたきれいなおねえさんになっちゃって、改めて見るとなんだか可笑しい。
イトリさんもいつの間にかすっかりおねえさん、だし、女の子ってほんと化けるなぁ。悪い意味じゃなくて、ね。
ぼくは、笑っちゃいそうなのを我慢しながら尋ねる。
「遅くなる?」
「いや、そうでもない予定。なんで?」
「ぼくも外出ちゃうから、今日はちゃんと鍵持って出てね」
「……ハイ」
しばらくすると、遠ざかるスリッパの足音と、玄関の鍵を閉める音が聞こえた。
そろそろ、ぼくも動き出さないとな。でも、なんだか布団が心地よくて。
動きたくないなあ、って思う自分を無理矢理奮い立たせて、ベッドの端に腰掛けて伸びをひとつ。
それから簡単にシャワーを浴びて、寒いから厚手のコートを出して、ストールも巻いて街へ。
サングラス越しの街はもう慣れたけど、たまに煩わしくなるのも事実かもしれない。
外さないけどね。
馴染みの手芸屋さんでいくつか素材を確認して、パーツを見繕って。ここまで足を伸ばしたついでに、例の喫茶店に寄ろうかな。
蓮示くんは酔っぱらった記憶が残るタイプだから、昨日の面白い話が聴けるかもしれないし、このまま帰るにはすこし寒すぎる。
あったかいコーヒーを求めて扉を開くと、トーカさんが出迎えてくれた。
「あ、ウタさんいらっしゃいませ」
よっ、と手を上げて応えて、カウンターに座る。蓮示くんもこちらをちらっと見て、目線で挨拶を飛ばしてくる。
「蓮示くんは昨日、大丈夫だった?」
「俺は大丈夫だが、あいつは無事帰ったか?」
「寝子もなんとか帰ってきたよ。鍵忘れてて、家の前で叫んでて、めちゃくちゃ早く起こされたけど」
蓮示くんは、やっぱり……という顔をしながら、ぼくの前にコーヒーを置く。
「まだ、昔みたいに無茶な呑み方してるんだね。記憶無くなっちゃってて焦ってたよ」
「記憶無くなるまで呑むな、っていつも言ってるんだがな」
いつも、っていう言葉が引っかかった。ぼくはここ何年か、寝子と一緒に呑む機会はなかったけれど。
ちょっと探ってみようって悪戯心が芽生えて、なにげなく尋ねてみる。
「今朝の様子だと結構危なっかしかったけど、ひとり暮らしのときは大丈夫だったのかな」
「……よく迎えに行かされた」
なるほど。
好意的に受け取ると、車持ってるから、かな。
そうじゃないなら、なんだか複雑な心境かもしれない。
引っ越しのときに戸惑ってた蓮示くんの様子が、ちらりと脳裏を掠める。
結局蓮示くんからはそれ以上のことは聞けなくて、しばらくトーカさんも交えて世間話をしたあと、ごちそうさま、って言って店を出た。
街にはいつの間にか雪が降り出してて、ところどころ白く染まってた。道理で寒いわけだ。
寝子はあったかくして出かけたかな。今日はこれからもっと冷えそうだよ。
寒い、って誰かの手を握っちゃうのかな。ぼくには関係のないことだけど。