呼び名と夢


無我夢中で本丸の廊下を走り、適当な部屋に勢いよく転がり込んだ。その際に膝を擦りむいたが、そんな事気にしてる場合でもなく上がってしまった息を整える為その場で膝を抱えてうずくまった。
一先ずは冷静になろうと頭の中で必死になるが先程の三日月とのやりとりを思い出して身体をぶるりと震わせた。怖かった。ただその一言につきる。
今まで怒って無言の圧力をかけられたことはあれど、ああやって手を出されること等なかったので、彼ら刀剣には力では敵わないことが改めて実感した。それで…

「…主、どうしたんだ?」

頭上から声が降りかかり、そこで思考をストップさせた。勝手に無人だと思っていた部屋にまさか誰かいたなんて。
顔を上げれば驚いた表情の鶴丸が私を見下ろしているのが視界に入った。内番の格好をしているので、きっと先程まで今日の内番担当の馬の世話をしていたのだろう。この本丸の鶴丸は案外まじめである。
私の目線に合わせる為にしゃがみ込んだ鶴丸に思いっきり抱き着いた。彼から焦った様な声が聞こえたが、彼の事を気にしている余裕は今の私にはなかった。ここにいたのが他の刀だったら私は抱き着いたりしなかっただろう。なんだかんだで付き合いの長い彼だからこそ、安心してしまって抱き着いたのだ。困惑しているのが顔を見ていなくてもわかる。
彼の温もり身体に伝わり、私はようやく心を落ち着かせることが出来た。戸惑いながらも私を慰めようとぎこちなく背中を撫でてくれる鶴丸に段々と申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。

「今日は君に驚かされっぱなしだな」

困った様な、それでいてどこか笑っている様な口調だ。彼の胸に抱き着いている為どの様な表情か分からないけれど、彼が私に対して気を使っているのだけはわかった。
背を撫でていた手が移動し頭に軽く触れられた所で私は身体を硬くした。頭は先程三日月に触られていた所なので痛みを思い出してしまい、無意識にそうなってしまった。勿論、鶴丸に伝わり一瞬手を止めたが、それでもゆっくりと私の頭に触れた。
「人の子は温かいな」なんて言われたが刀はともかく、今は顕現して人の形をとっている彼だって人間同様温かい。
答える代わりに彼の背に回している腕に力をいれた。

「…何かあったのか?」
「……」
「おーい黙ってたら分からんぞ」
「…三日月が」

そこで言葉を詰まらせる。鶴丸にこのことを言ってしまってもいいものなのか、否か。
黙ってしまった私に鶴丸は何も言わず黙っている。

「…みかづきが」
「言いたくないのなら無理に言わなくてもいい」
「…ごめん」

彼にしがみ付いていた腕をゆっくりと解き、鶴丸から身体を離した。
ようやく確認した彼の顔はまるで珍しいものでも見るかのような表情で、こちらを覗き込んでいる。…近い近い。

「泣いてはいないんだな」
「な、泣く訳ないじゃん」

目元に触れられたが泣いていたわけではないので濡れていない。
むっとしていたら鶴丸に笑われ、そして両手で頬を抓まれた。…痛い。

「ま、主が暗いと此方も調子が出ないからな。…話す気になったら、いくらでも聞くぞ」
「…ありがとう」

頭を撫でられ「さて、そろそろ内番に戻るか」と言って一度こちらを見た後、部屋を出て行った。
一人部屋に残され、これからどうしようかと思ったが、そういえば光忠と料理をしている途中だった事を思い出し厨に戻るため、重い腰を持ち上げた。



あれから厨に戻り心配していた光忠に詫びを入れ、無事にカレーとサラダを作り上げ三日月と鶴丸に気まずさを感じていたが、二振りともこちらが拍子抜けする程いつも通りだった。そのおかげで他の刀には変に思われなかったが、やはり三日月に近付く気にはなれず終始鶴丸の傍から離れなかった。三日月もいつもなら何が何でも私の近くに居座るのに今日は無理に近づいてくることはなかった。
三日月が何を考えてあんなことをしてきたのか分からない以上、私の方から何かアクションを起こす必要はないと思うけど…近侍にしている以上、二人きりになることは避けれない…はず…。

夕餉の後は風呂に入り、火照った身体を冷ます為に自室の前の縁側に腰かけていた。すっかり暗くなった空を見上げれば、綺麗な月と星が夜空を彩っている。
私はその場に倒れこみ、視界を両手で塞いで溜息をついた。
うぅむ、どうするか。このまま放置するわけにはいかないけれど、三日月を前にして冷静になれる気がしなかった。本当、どうすれば……それにしても、何だか眠い。まだいつも寝ている時間ではないのに。
慣れない事をしただからだろうか…あぁ、寝るなら布団に行かない、と…。



日の眩しさで目を開けた。
朝?先程まで夜だったはずなのに…起き上がってみて今日見た夢の続きだと気が付いた。続き…というか夢で見た本丸と同じ場所だ。夢から覚めた時、このことはすっかり忘れていたが…。今回も目が覚めたら忘れてしまうのだろうか。
辺りを見回せば、前と違う所を発見した。廊下に桜の花びらが落ちている。視線を辿れば、それは廊下のずっと奥の方まで続いていた。前はこんなのなかったはずだ。
夢の中なので特にやることもないから、そのまま桜を辿ってみることにした。その桜は一室にまで続いていた。
ここは…私の本丸だと三日月の部屋だ。…三日月の部屋、かぁ。なんとなく開けにくいが、ここには私しかいないと自分に言い聞かせ、襖を開けた。

「…なんで、」

開けた先の部屋の中には三日月が目を瞑り、座っていた。
私が小さな声で彼の名を呼ぶと、ゆっくりと目を開いて視線が交わった。

「主か」
「どうして、三日月が」

呟くように言えば、三日月は不思議そうに首を傾げた。
前は歩き回っても刀剣は一振りもいなかったのに、なんで今回は三日月が。現実の世界の事が夢にまで影響しているのか。
目を合わすのが嫌で私の方からそらした。

「ここは俺の部屋なのだから、俺がいても不思議ではあるまい」
「ま、まぁ、そうなんだけど…」

これは私の夢だし、という言葉を飲み込み言い淀んだ。
というか何で私は夢の中で普通に三日月と会話しているのだろうか。三日月にされた事なんてなかったかのように。
そんな事を考えている内に三日月は立ち上がり、私との距離を詰めていた。思わず一歩引いてしまう。

「おぉ、そうか桜か」
「…?あっ…そう。桜を辿ってきたの」
「ふむ…不可思議なものだ。俺の歩いたところに桜が落ちている、主」

指さされた方向、つまりは先程まで三日月が座っていた所を見ると桜の花びらが点々と落ちていた。

「いっぱい落ちてるね」
「はっはっはっ美しいものよ」
「そう、だね…」

桜の花びらを手のひらに乗せ、三日月は微笑んでいる。それを私は覗き込み、花びらを一つとった。
確かに、綺麗だ。

「…ねぇ三日月」
「なんだ、主」
「三日月は私の事、嫌い?」
「…何故そのようなことを」

驚いた顔をして、彼が私を覗き込んでくる。
そういえば前にこんな会話をしたような…前は三日月が言っていた事だけど。…嫌われているとは思っていない。けれど、何か思うことがあって、あんな事したのだとは思う。
三日月の考えている事が知りたい…この夢の中の彼に聞いても意味がないのかもしれないが。

「何を思うてそのようなことを言うてるのか分からぬが…俺が主を嫌うことはない」
「…本当?」
「あぁ、本当だとも」

優しく頭に触れられる。すると不思議と瞼が重くなってきた。もしかしなくとも、あぁ、夢が覚めるのだろう。聞きたい事、他にもあったのに…いや、でも夢から覚めたら全て忘れているのだろう。
どうか、ほんの少しでもいい、この夢の事を覚えていますように。暗くなる視界の中、私はそう願った。



「…三日月、何してんの」

デジャヴというやつだ。目を開けて一番最初に視界に入ったのはこちらを覗き込んでいる三日月だった。
月の光が三日月と私を照らしている。やはり寝てしまっていたのか、あれから少し時間がたっているようだ。
後頭部のこの堅い感覚は三日月の膝だろう。またしても膝枕をされている。…また魘されていたのだろうか。三日月の顔を見ていてもよくわからない。

「…主が魘されていたからな」
「だから膝枕?」
「うむ」

寝る前までは三日月に怯えていたくせに、今は恐怖なんてこれっぽっちもなく、むしろこうして私の頭を撫でる彼に安心している自分がいた。
じっと眺めていると嬉しそうな顔をして、背後には桜が舞っていた。…桜、かぁ…。なんだろう少し引っかかる。

「…主、先程は怖がらせてしまった様ですまなかった」
「…うん」
「俺は…主の事となると少々抑えが利かなくなるようだ」
「知ってる」

そんなの今更だ。
うちの初期刀はいつもそうだ。それはずっと前からなんとなく知っていた事だ。

「三日月、仲直りしよ」
「…うむ、そうだな」

もう夜も遅かったので今日はそのまま別れ、私は床についた。
結局の所、私は三日月の呼び名を変えることはなかった。三日月もあの日以降呼び名を変えろ、なんてのも言ってこず、光忠の名前を呼んでも機嫌が悪くなったり等しなかった。
ただ、時たま夢を見たかどうか聞かれるようになったのは何故だかわからない。


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