元凶
誰かが私の身体に触れている。そう感じたのは私の意識が浮上してきたからだ。けれど不思議な事に意識だけがはっきりとしているだけで身体は起きてはおらず、目を開けることはおろか、指を動かす事すらできない。感覚だけが研ぎ澄まされ敏感になる。
相手の息遣いが耳元で聞こえる…相手は興奮しているようで、荒い息遣いをしている。触られているのは…首だ。首筋を撫でるように指が這う。背筋がぞわっとしたが、身体は動かないのでどうすることもできない。
暫くすると指ではない何かが首筋に触れた。柔らかくて生暖かい……唇だ。首筋に誰だか分からない唇が触れ…つまりはキスされている。そんな経験今まで一度たりとも無い私は、ただただ嫌悪感で一杯になった。
「……」
何の夢を見ていたか全く覚えてはいないが、夢見が悪かったらしく、しっかりと睡眠をとっていたはずなのに今朝は眠くて眠くて仕方がなかった。重い瞼をこすり、大あくびをして廊下を歩いていると、縁側で小狐丸が休んでいるのが視界に入り声をかけることにした。
「小狐丸、サボり?」
「ぬしさま。今、休憩中です」
ちょいちょいと隣に来るように促されたので遠慮なく彼の隣に腰をかける。
新しく注がれた湯飲みを受け取り、一息つく。なんでもお茶は鶯丸が入れたらしい。…いや、茶ぐらい自分でいれろよ、と心の中で突っ込みを入れた。
程よい温度の茶を啜り一息つくと小狐丸は今日やった事や最近あった事などを主観を交えて話してくれた。そう思えば最近は小狐丸とゆっくり話をする機会もなかったのでタイミングが良かったのかもしれない。珍しくよく話す彼に相槌を打ちながら、そう思った。
彼が一頻り話し終えた頃には温かかったお茶もすっかり冷たくなってしまっていたが、これはこれで美味しいので最後まで飲み切った。
「ところで、ぬしさま」
「なぁに」
「首のそれはどうかしたのですか」
指差しされた箇所を反射的に触る。隠していたつもりだったが見えてしまっていた様で小狐丸の視線は私の首元一点に注がれていた。
”それ”を示したのは以前、知らない間に出来ていた首の痣だ。それが治る所か以前より色が濃くなり少し大きくなっている気がする。痒くもないし、痛くもないので身体に支障がある訳ではないので放っておいたのだが…やはり人目に触れるのは嫌なので衣服で出来るだけ隠していた。隠しきれていなかったから意味はなかったのだけれど。
「あー…なんか、怪我?しちゃったみたいで…多分ぶつけたんだと思う」
あはははと笑いとばすが、小狐丸はニコリともせず、じっと痣の位置を見つめている。とても居心地が悪い。
彼の視線から逃れるかの様に衣服で痣を隠した。そんな私を目を細めてただ見つめてくる。
「…私が言うのも差し出がましいようですが、早めに解決した方がよろしいかもしれません」
「え…?」
「その痣の元凶」
元凶…?この痣がどういうものか小狐丸は知っているかのような口ぶりに顔を歪める。一体どういう事なのか、それを聞こうと口を開いたとき、庭の方から小狐丸を呼ぶ声がした。岩融だ。いつまで休憩しているのか、ということがするので随分とここにいた様だった。
「では、ぬしさま」と一言告げ彼はそのまま去ってしまう。結局この痣の事を聞けずに疑問だけが残ってしまった。…まぁ、また後で聞く機会はあるだろう。
そう思っていた私もいました。
あの後ぼうっと庭を眺めていたら仕事をサボっていると光忠に怒られたあげく執務室に引きずられ、戻された。執務室には既に仕事を始めていた三日月がいて、更に二振りから怒られたので一日気持ちが下がったまま仕事をした。
その後小狐丸に会えたのは夕餉の時だった。眠い頭でよくそこまで仕事が出来たものだと自分自身を褒めたたえたが、肝心の小狐丸を呼び止めようとしたのもつかの間、私が三日月に呼び止められた。
「どうかしたの?」
「どうかしておるのは主だろう。目の下に隈が出来ておる。寝ているのか?」
「んー…寝てるはず、なんだけど」
デジャヴの様に三日月は私の顔に触れてくる。温かい三日月の手は催眠作用でもあるのか、瞼が重くなってくる。
違う、寝ている場合ではない…小狐丸に聞かなきゃいけないのに。
「主、眠いの?片付けは僕がやっておくから、今日は休むといいよ」
三日月の手のひら越しに光忠が心配そうにこちらを見ているのが視界に入った。そんな彼に一言、ありがとうと声をかけようと口を開いたが、私の口から声が出ることはなかった。
なんでだろう、よくわからない。三日月が何か言っているが、その声が私の耳に届くことはなく、そのまま私は目を閉じた。
瞼を開けることは出来なかったが、意識までは落ちることは無かったので、そのまま三日月に抱き上げられたのが分かった。一定のリズムで振動が伝わってくるので、恐らく私の部屋に向かっているのだろう。
暫くすると三日月は歩くのを止め、私を下ろした。柔らかな感覚から布団に寝かされたのがわかる。目を閉じているので、勿論三日月が何をしているのか分からないし音も上手く拾えないので、もう出て行ったのか、まだ近くにいつのかも分からない。
…怖い。ただただ、感じたことのない恐怖が私を支配した、その時だった。首に何かが触れている。妙に熱い…多分、指だろう。何かを確かめる様な動きにぞわりと鳥肌が立つ。…何をしているのだろう。気持ち悪いから止めてほしい。
三日月の息遣いが鼓膜を振動させる…あれ?いつの間にか周りの音が聞こえるようになっている。相も変わらず瞼は開かないので、どうなっているのか視覚では確認できないが、耳の方は聞こえなかったのが嘘のようにクリアになっている。
荒い息遣いの間に小さく何か言っているのが聞こえてきた。
「……じ…あるじ……もう少し…もう少しだぞ、あるじ…」