もう遅い


暗い中なんとか自室に戻り、出しっぱなしになっていた布団の中へ素早く潜り込んだ。落ち着かない心臓をなんとか落ち着かせようと深呼吸を繰り返すが、それはまるで意味をなしていなかった。
厨での私の頭を抑えていたのが三日月だとして彼は一体何をしたかったのか。そして昼間の鶴丸とのやりとり。何か関係がある?答えが出る訳もない事をぐるぐると頭の中でひたすら考えていた。
身体が冷え切っているせいか布団が一向に温まらず落ち着かないし、眠れもしない。…誰かの所にでも行こうか。先程光忠の前から逃げてしまったので彼と三日月以外……いつも相談事をしている石切丸の所に行こう。
布団から出て、身なりを整えて静かに襖を開けた。あれから少し時間がたっているが、まだ日は上りそうにない。月明りを頼りに歩みを進めていき、暗い中なんとか石切丸の部屋までたどり着いた。大太刀である彼の部屋は他の刀達の部屋より幾分か大きい。
入口の前で石切丸の名を小さめに呼ぶが、中から返事がないので申し訳ないが中に入らせてもらうことにした。

「おじゃましまーす…」

出来るだけ音を立てない様に襖を開け、中を覗いたがそこには石切丸はいなかった。
布団さえ出されていないので、まだ彼が今日は寝ていないのがわかる。…こんな夜中まで何をやっているのだろう。普段は何もなければ早めに就寝する石切丸なのだが…どこに行ったのだろう。いないものは仕方ないので…そうだな、鶯丸の所でも行くか。だがしかし、鶯丸も小狐丸も鶴丸も…どの刀の部屋も誰一人としていなかった。
流石にこれはおかしい。こうなったら仕方ないので光忠がいるであろう厨にも足を運んだが、明かりはついていたが中に人はいなく、洗い物が途中で投げ出してあった。

「……」

ごくりと唾を飲み込む音だけが響く。誰も、いない…。白くなるほど力を入れていた拳の力を緩めると、そのまま私は廊下を走りだした。廊下を走るなと日々光忠と石切丸に言われてきたが、今日ばかりはそんなことを気にしている余裕はなさそうだ。
どこにいけばいいのか分からないが部屋以外で他に人がいそうな所を手あたり次第探すことにした。夜中にも関わらず乱暴に扉を開けては閉めていく事をくりかえしていく。息も上がってきた頃…。丁度そう、鍛刀部屋の近くを通った時だった。
誰かの話声が聞こえる。誰かいる、それだけで安堵した私は何も考えずに声のする方へとかけて行った。
まず視界に入ったのは鶴丸の戦装束。暗くとも全身が白の彼は分かりやすかった。私はどういう状況なのか、よく見もせず、やっと見つけた彼の背に抱き着いた。

「……っ!?君…!!?」
「鶴丸!やっとみつけ…た!!?」

酷く驚いた表情を見せた鶴丸に怒ってみせようとしたが、それは叶わず、肩を勢いよく掴まれた。彼にしてはとても乱暴につかまれ、その肩は少し痛い。

「何故ここに来た!?」
「え…?」
「いや、来てしまったものは仕方ない…共に来てくれ!」

腕を掴まれ、そのまま強制的に走らされた。
一体何がどうなっているのか分からないが彼は何か焦って様に見える。掴まれたその手はとても冷たかった。

「つる、まる…!何がどうなって…!!」
「すまない、説明している暇はないんだ!…此方に」

押し込められたのは執務室で、そのまますぐに立ち去ろうとする鶴丸の腕を慌てて引いた。
何が起きているというのだろうか。慌てぶりから遡行軍がこの本丸に侵入してきたのかとも考えたが、私自身が張った結界に特には異常はない。
掴んだ彼の腕は手と同様に冷たく、何かぬるりとしたものが付着している。暗くて色は分からないが風に混ざって仄かに鉄の臭いがする。まさか…これは…!!

「つ、鶴丸…ち、血が…!!」
「…あぁ、大丈夫だ。きみは気にしなくていい。…それより聞いてくれ」

先程とは打って変わり、優しく包み込むように両手で頬を包まれた。ひやりとした手が私の体温によってほんのりと温かくなる。金色の瞳が私を捕えて離さない。

「俺が出た後、ここに結界を張って、朝が来るまでここを開けるな」
「え、何言ってるの!?」
「いいから聞いてくれ。…誰が来たとしても絶対に答えてはいけない。それから朝になったら政府に連絡を取ってくれ」
「…鶴丸?」

何故、何でと問いかけても彼は答えようとしない。今度は私の方から彼にしがみ付いたが、やんわりと剥がされてしまった。
結界…結界なんて私がこの本丸に来てから一度も使ったことはない。やり方は分かるけれど、緊急時に、と教えてもらったものだからだ。
本当に一体何が起きているというんだ。彼を見てもそのまま、逸らされ鶴丸は静かに立ち上がった。このまま、彼は行ってしまう。私に何も言わずに。
もう一度声をかけようとした時だった。鶴丸の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「鶴丸!」
「…鶯丸か」
「まだここにいたのか」

近寄ってきたのは鶯丸だった。彼もまた怪我を負っている様だった。私に気が付いて静かに刀を鞘に納めた。いつもの余裕のある雰囲気とは違い、余裕のなさそうな顔に笑みを浮かべている。
安全なはずの本丸で二振りして血が出るほどの怪我を負うだなんて…他の刀達は大丈夫なのだろうか。他の事を心配している余裕なんて本来は無いはずなのに、何が起こっているのか分からない私にとってはどこか現実味がなかった。
先程まで鶴丸に縋ろうと上げていた腕をおろし、ただぼうっと二振りの顔を見ていた。

「…主」

私の目線に合わせて屈んだ鶯丸が視界一杯に入る。近いよ、なんて茶化すように言えたら良かったのに、そんなことも言えない雰囲気だ。はたから見ると、まるでキスをしている様にでも見えるだろう。

「……鶯丸…」
「…言っただろう?いくらでも手助けする、と」
「……え」
「……叶うなら、もう一度、主と茶を飲みたかった」
「え……?」

最後の言葉は小さすぎて聞き取れなかった。けれど、聞き返してももう一度は答えてはくれないだろう。
彼は鶴丸に一言呟き、そのまま廊下を走っていった。廊下に向けていた視線を改めて鶴丸に向けると、丁度彼もこちらを見ていて、視線がぶつかった。あぁ、彼もきっとこのまま行ってしまうのだろう。
そう思っている内に彼の視線はすでに廊下に向けられていた。

「…先程も言った通り、結界を張って朝まで外に出てくれるな」
「…分かった」
「大丈夫だ。朝何てすぐに来るさ」

綺麗な顔で笑うと鶯丸同様、廊下を走って行ってしまった。しんっとした室内に私の息遣いだけが響き、一人というこの状況に心細さを感じた。
一先ずは先程鶴丸に言われた通りにしよう。開けっ放しの襖を閉め、結界もなんとか張り、祈る様に胸の前で手を握った。
そういえば、そういえば近侍である三日月はどうしたのだろうか。もちろん石切丸や小狐丸、今剣、岩融、光忠も見かけていないので心配なのだが、何より三日月の存在が気になった。こんなこと…いや、何が起きているのかわからないけれど、異常があれば彼が真っ先に私の元に現れそうなものだが…握りしめていた手をほどき、口元に充てて考える。…が、答えの出ない事なので仕事用にPCを付けることにした。他は生憎自室に置いてきてしまっているので、こちらで政府に連絡を取ろう。
鶴丸は朝になったら、とか言っていたけれど今とっても問題ないだろう。

「…あれ?」

電源のボタンを何度か押すが、パソコンはうんともすんとも言わない。勿論、画面は立ち上がらない。まさか、と思い部屋の電気をつけようとするが、こちらも灯りはつかなかった。
…ブレーカーが落ちているなんて、そんな。こんな時になんてことだ。スマホだって自室に置いてきてしまっているので、この部屋から出ないと誰かに連絡はとれないだろう。
溜息をつきたくなった。鶴丸はブレーカーが落ちていることを知っていたのだろうか。こうなっては彼の言っていた通り、朝までここで待機するしかないだろう。寝るつもりはないが、少し疲れたので腕を枕にしてうつ伏せになった。

誰かの声が…誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。
寝るつもりはなかったが、どうやら眠ってしまっていたらしい。しまった。心の中で自身に対して舌打ちをした。
辺りを見回しても、まだ真っ暗な辺り、寝ていたのは数分〜一時間ぐらいだろう。時計がないと本当に不便だ。

「あるじ」

ハッキリと私を呼ぶ声が聞こえた。
この声は…三日月だ。声のした方をゆっくりと振り向く。障子の向こう側に彼の影が見え、ほっと息をついた。

「三日月、無事だったんだね」
「あぁ、何ともないぞ。傷等負っておらぬ」
「そっか、よかった…」

安堵のあまりに、その場にへたり込み、いつの間にかたまっていた目の端の涙を指で拭った。

「あるじこそ、大事ないか?」
「ん?あぁ…私は大丈夫だよ。それより、一体…」

何が起きているの?と聞こうとした所でガタリと障子が少し大きめの音を立てた。あぁ、三日月が開けようとしているのか。
けれど、私が結界を張っているので、そこは開くことはなかった。

「…ふむ。結界か。…あるじ、すまないが結界を解いて、俺を中に入れてはくれぬか?そなたの顔を見るまで安心できんのでな」
「え…?でも…」
「俺が入ってから、また張りなおせば良いであろう?」

確かに、確かにそうなんだけれど…鶴丸には朝になるまでここを開けるなと言われているし、誰が来ても絶対に答えてはいけないと…あぁこれは破ってしまっているなぁ。…でも、自分の刀剣なら大丈夫…だよね?
障子の前まで来たが、これを簡単に開けてしまって良いのだろうか?たった一枚の障子が私と三日月を隔てている。たかが一枚、されど一枚。
緊張からか、汗がこめかみから流れ落ちた。

「どうした、あるじ。開けてくれ」
「…鶴丸が朝まで開けるなって…」

別に何か悪い事をしているわけでもないのに、語尾が小さくなる。
そんな私に、三日月は少し間をおいて、そして口を開いた。

「俺はあるじの初期刀だぞ?俺が信用できないのか?」
「も…ちろん、三日月の事は信じてるよ」
「なら…ここを開けてくれ、あるじ」

そうだ。私の三日月は少々変な所はあるけれど、彼は私の初期刀で一番私と長く一緒にいて、一緒に頑張ってきた…仲間だ。私が…主の私が、彼を信頼していなくてどうする。
私は覚悟を決めて、そして障子を開けた。

視界に入ってきたのは月をバックに立つ三日月。そして赤色だった。

「………ぁ…」

喉から出てきたのは随分間の抜けた、声というよりは音に近いものだった。
気持ちの悪くなるような臭い、赤色、あか…………これは…血…?

「礼を言うぞあるじ……いや…

優衣」

何故、という疑問を問いかけようにも魚のように口をパクパクとさせることしか出来なかった。
見上げた三日月の真っ赤な瞳と目が合うと口の端を見たことがないくらいに釣り上げて笑った。
上手く、呼吸ができない。

「これからは、ずうっと二人っきりだぞ」

最後に私が見たのは、それはそれは嬉しそうに笑った三日月……ただ、それだけだった。



end.


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