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 自らこの合宿への手伝いを申し出たとは言え、やはり知らない男性が多いこの場所で、名字の気持ちは緊張でガチガチに固まっていた。清水は流れ玉に気を付けて、と言うけれど今の名字に周りを気遣う余裕などない。しかし、立ち止まった目の前でボールが流れ星の如く過ぎ去ったのを視界に入れたときはバレー部怖いと密かに思ってしまった。

「名前、大丈夫?」
「う、うん。流れ玉ってこう言うことだったんだね」

 コートにいた日向が顔を青くして「すみません!」と大声で叫んだのが聞こえたけれど、彼の名前も知らない名字は大丈夫の意味を込めて手を振るしかできない。

「体育館じゃなくて宿舎のほうの仕事もあるんだけどそっちする? そろそろお昼も作らなくちゃいけないし」
「ははは……。そうさせてもらおうかな」
「うん、じゃあお願い。案内するね」

 胸を撫で下ろした。知らない人がたくさんいる体育館より、一人でご飯を作っている方が気楽だ。それに、料理はどちらかと言うと得意な方だし。
 清水に案内され調理場に移動した名字は早速調理へと取りかかる。事前に購入されたものを確認し始めたのは良かったのだが、切っても切っても終わらない野菜の量に名字は早くも合宿の大変さを感じていた。

「なめてた……なめてたよ合宿を。大量の料理を作ると言うことを……!」

 誰もいないからと独り言を呟く様子は滑稽である。それでも手を動かすことを名字は止めず、たんたんと料理を進めていくのであった。


△  ▼  △


 努力の甲斐があって、所定の時間までに昼ごはんを作ることが出来た名字はもうそれだけで大満足で、お腹いっぱいとすら思えていた。

「おー! めちゃくちゃ良い匂い!」
「日向飯の前に手ぇ洗えよー」
「うーっす!」

 廊下が騒がしいなと思った途端、食堂のドアは開かれた。ぞくぞくと入ってくる部員にまた緊張が振り返す。どうか、どうか普通以上の味にはなってますように……と念仏のように頭の中で繰り返す。味見はしてはいるが、他人の口に入ると思うと穏やかな気持ちでここにいられない。

「ごめん、名前。私も手伝おうと思ったけど忙しくて」
「き、潔子ちゃん〜。ううん、間に合ったから大丈夫だったよ。口に合うかどうか心配だけど」
「見た目すごく美味しそうだよ。私も手洗ってくるから一緒に食べよ。先に座ってて」
「あ、うん」

 手洗い場が混雑している。残された名字はまだ数人しか席についてないテーブルを見渡して、奥の方に空いている一番端の席に座った。ここなら、目立たない。

「これ、名字さん作ったんだって?」
「す! がわらくん……」
「ごめん、驚かせた?」
「はは……ちょっとだけ」
「旨そう」
「え?」
「これ。旨そうだね、って」

 菅原が歯を見せて笑った。バレーをして汗をかいているはずなのにその笑顔から溢れる爽やかさに思わず名字の目はくらむ。爽やかな笑顔が素敵だ……と思いながら恥ずかしさを隠すように名字も笑った。

「どうかな。口に合うといいけど」

 隣に菅原が座り、名字の緊張は増す。自分の作った料理を、こんな大勢の人が目の前で実食する光景はまるでこれから審査会でも始まるような気分だった。いただきます、という声の後名字だけが箸に手を伸ばさず周りの動向を伺う。

「名前、大丈夫?」

 目の前に座った清水が声をかける。

「大丈夫、大丈夫。……むしろ潔子ちゃんは大丈夫?」
「えっなにが?」
「味、的な?」
「美味しいよ。な、清水?」
「うん。美味しい」

 清水と菅原の言葉は、名字を落ち着かせるのに十分な効果を持っていた。しょっぱくない? 薄くない? 変な味しない? と念入りに確認する様子に菅原が笑う。

「大丈夫だって。本当に美味しい」
「よ、良かった……。普段、お母さんからご飯作るの手伝ってって言われてるのこんなにも感謝したの人生で初めてかも」

 安堵。そして、頑張って良かったお疲れ自分! という労いの気持ちが名字を満たす。家でゴロゴロするよりもずっと良い1日だ。誰かに必要とされて、感謝されて、手助けが出来た今日という日は、駆け抜けるような速さで過ぎていったけれど、名字にとっては花丸をあげたくなるような日だった。
 菅原の横顔を盗み見る。そしてまた、似て非なる満足感が名字の中に溜まっていくのだ。

(16.12.30)

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