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 何か弾けるような感覚だったかもれしれない。例えば炭酸水。二酸化炭素の気泡が表面に上がってきて弾ける瞬間。小さな小さな気泡も数が集まれば刺激になる。それが最も近い感覚ではないだろうか。教室から見えるグラウンドに、名字がいる。窓際の席に座る菅原は彼女に気付いてから、授業中だというのにふとした時に探してしまっていた。たなびくカーテン。黒板を走るチョーク。風に捲れた教科書。青春の詰まる教室でいつだって恋はそこにいるのだ。

「次、菅原」
「あっ、はい」

 教師に呼ばれ我にかえる。当てられた問題の答えを口にだし、彼は再び彼女を見た。グラウンドを軽快に走っている。青い香りが風に乗ってやってきて、もう夏も近いのだと知る。あと少しでインターハイ予選が始まり、どこまで進めるか、その後はどうなるかはまだ菅原には分からないけれどそれでもその日はやってくるのだろう。優しさも厳しさも全てを持ち合わせて、菅原の前に。

(……あ、転びそうになってる)

 あの子の事が好きかと問われれば、答えは多分「はい」だろう。好きで好きでどうしようもないわけではないれど、一緒にいると落ち着くし笑ってくれると嬉しいと思う。付き合うとこになったのなら大切にするし、甘やかしてあげたい。しかし、どうだろう。今の自分にそれが出来るのだろうか。菅原は思う。天秤にかけるわけではないけれど、今はバレーとひたむきに向き合いたいと。そんな葛藤にも似た感情が、ただ菅原の中で燻るだけだった。


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 6月2日、仙台。雲間から姿を現す太陽が選手たちを出迎えていた。インターハイ予選初日。会場は多くの人で溢れている。各学校のバレー部員がこの日のために練習を重ねてきたのだ。この中から淘汰された強者が全国へと駒を進める。緊張と期待と不安と希望と、複雑な感情が絡まりあい彼らはここにいる。それはきっと、終わりと始まりがせめぎあう場所。

『菅原くん。いよいよインターハイ予選初日だね! 少し遅れて応援に行くね! がんばれー!』

 それは烏野高校バレー部も例外ではない。特に3年生は、春高まで残るかどうかの決定を下していないのだからこれが最後の試合になることだってあり得るのだ。最後を常に考えているわけではないけれど、それはやはり彼らの後ろにひっそりといる。無意識にそんなことを意識しながら、体育館へと足を進める菅原の携帯に名字からの連絡が入った。複雑な心境でその文字を追う。恐らく自分はスターティングメンバーには選ばれない。それでも、勝ち進みたい。勝ち進めるために必要なのが自分ではなく影山なのだとしたら、選ばれなくても良いと思う。

『ありがとう。がんばる』

 きっと彼女はそれを格好悪いとは思わないだろう。情けないと自分では思うけど。もっと自信を持ってスパイカーのためのトスをあげられるのならどれほど良いだろうかと思うけど。


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 結論から言おう。烏野高校排球部。2回戦を突破するも、3回戦――青葉城西との対決、フルセットの激闘の末敗北に終わる。誰もが皆、勝つために戦った。負けまいと。コートに君臨し続けるために。だが、王者に用意される椅子は一つ。現実はだいたい優しくないように出来ている。
 敗者の姿に、名字は声をかけられなかった。言うべき言葉が見つからなかったし、どんな言葉を言っても届く予感がしなかったのだ。自分は部員ではない。ここまでの軌跡を知っているわけでもない。心情を想像することだけしか出来ない。
 第一セットの終盤からセッターとしてコートに立った時、彼は何を思っていたのだろうか。それを知りたいと思う。仲間のために上げるトスにどんな想いを込めていたのだろう。外野は言う。1年生にスタメンを獲られた可哀想なセッターだと。

(絶対、絶対、菅原くんはかっこよかった。周りがなんて言っていようと菅原くんは菅原くんの強さで戦ってた……と思う。私は菅原くんのこと、少ししか知らないんだろうけどさ)

 悔しさとは違う感情。やるせなさに近いと名字は思う。変わらぬ天気のまま、太陽だけがその位置を変えて、名字の半身を照らしていた。伸びた影は芝生の上まで伸びている。
 烏野高校排球部のインターハイが終わった。

(17.02.28)

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