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 烏野高校バレー部が全国出場を決めた翌日の学校内の雰囲気は少し、浮き足立っているようにも思えた。教員が朝のホームルームで嬉々として話すのを聞きながら名字はぼんやりと昨日の試合を思い出していた。広い体育館で観客に囲まれながらフルセットを戦い抜いた彼ら。ただ一つだけある勝者の椅子を得て、次は全国大会へと進む。名字にはそれがとても眩しくてそしてとても遠い遠いお話のようにも思えた。昨日叫んだ声は届いただろうか。呼んだ名前は聞こえただろうか。私は少しでも、ほんのちょっとだけでも、何かの、君の力になれたのだろうか。
 

△  ▼  △


「潔子ちゃん。私自販機行ってくるけど、潔子ちゃん何かいる?」
「ううん。大丈夫」
「じゃあちょっといってくるね」
「いってらっしゃい」

 お昼ご飯を食べ終った後、名字は1階にある自販機へ行くために教室を出た。騒がしい廊下を抜けた後、階段の踊り場で人とぶつかる。

「あっごめんない」
「こっちこそ……って、名字さん」
「菅原くん」

 久しぶりにこんなに近くにいる気がする。一瞬にして沸き上がる熱に名字は戸惑いながらも「全国出場、おめでとう」と菅原が今日何度も言われたであろう言葉を彼女もまた、繰り返した。縫い付けられた足元は動けない。少し大人びた気がする。精悍な顔付き。知らない間にそうやってかっこよくなっていくのが少し寂しいと名字は思う。

「ありがと。応援も来てくれて」
「人がたくさんいて私どこにいるか分からなかったでしょ?」
「や、わかった」
「えっ」
「けど、ごめん。時間なくて話しかけられんかった!」

 悔しそうに目の前で手を合わせてる菅原を、数回瞬きを繰り返しながら見つめた。なんだ、やっぱり菅原くんは菅原くんだ。

「嬉しかった!」
「え?」
「応援! 来てくれて本当にありがとう。東京はさ、来てもらうのさすがに無理だってわかるから。……少しはかっこいいところ見せられてたら良いんだけど」

 菅原はにかんで頬をかく。そういうことを言われると期待する。いや、期待しても良いのかもしれない。自惚れかもしれないけれど、私は菅原くんの中で仲良い女子の上位にいるのじゃないだろうか。だって、ほら、その証拠に菅原くんはいつだってこうやって私に笑いかけてくれる。こういう恋愛のアレコレは正直得意ではないけれど、けど、これはきっと――。
 そこまで名字が思ったところで、階段の下から菅原の名前を呼ぶ女子生徒の声が届いた。ふと我に返った名字がやりとりを見る。同学年の女子生徒が階段をかけあがり、菅原の側に立った。

「ちょっと聞いたよー! バレー部東京行くんだって? すごいじゃんおめでと。お土産よろ」
「なんでだよ! けどまあ、ありがとな」
「ちゃんとテレビ観るから気合い入れて行きなよ!」
「おー。そのつもりそのつもり」

 楽しそうな声も、当たり前のやりとりも、名字から見ると近すぎる距離感も、彼女は簡単に出来てしまう。

(あー……まあ、そりゃあ、私だけが特別なんて話、あるわけないよね)

 湧き出ていた自信は簡単に萎んだ。笑って返事をする菅原の姿は、自分にするそれとなんら変わらない。舞い上がっていた自分が恥ずかしい。恋は妄信的だ。そっとその場から消えるように去った名字は自販機で飲み物を買うこともせず教室へ戻ることしかできなかった。

「おかえり。遅かったね。あれ、飲み物は?」
「うん、ちょっと。やっぱり喉乾いてなくて」

 もう全部が全部言い訳みたいで苦しい。

「……潔子ちゃん、私ね」
「うん?」
「自分はもっと物分かりがよくて、欲張りでもなくて、諦めも早くて、こういうことにはたいした関心もない人間だって思ってたの」
「え?」
「でも違った。嫌だと思う。私だけがいいと思う。他の女の子じゃ嫌だ。潔子ちゃんでも嫌だって思っちゃうかも。自分がこんな図々しい人間だとは思ってなかった。凄い自己嫌悪」
「菅原のこと?」
「うん。……ちょっとね、ほんのちょっと、もしかしたらチャンスあるかなって思ってた。自惚れてた。滅多にない恋愛イベントに突入して舞い上がってた」

 清水は言いあぐねていた。どう答えを返すことが彼女にとって正解なのか分からなかったのだ。名字もそうだが、清水もまたこの手のことは得意ではない。名前、と清水が名前を呼ぶ前に「困っちゃったなぁ」と弱々しい笑顔を作った名字が言った。その笑顔を見て清水は自分が今、彼女に言える言葉はきっとこれしかないと口を開く。

「……嫉妬とか欲求とか、そういうのは人として当たり前の感情だと思うから、自分のことを嫌になることはしなくて良いと思う。それに今の名前はすごく人間味があって、気持ちに素直で、私は好きかな。菅原のことも名前の気持ちに素直になって行動したら良いんじゃないかな。名前はよく私のこと綺麗だし可愛いって言ってくれるけど、私からすると名前も凄く魅力的だよ。本当に可愛い。だから、自信もって」
「……き、潔子ちゃん」
「うん?」
「……かっこいい……好き。なんか潔子ちゃんにときめいているんだけど」
「も、もう! 相手が違うってば!」

 名字の心はだいぶ救われる。そうだ、好きになってしまったのだからもうどうしようもない。片思いだとしても、想うことは自由だ。この恋がもし、私の中の何かを変えてくれたのだとしたら、ちゃんと前を向こう。暗いことばかり考えないで、ダメなことばかり想像しないで。菅原くんがくれた勇気はなくしたくない。
 そうしてまた、名字には勇気が生まれる。言おう。好きだと。

(17.04.09)

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