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 だけど、緊張しないわけではない。思いを伝えようと決意してから数週間、そのタイミングを掴めないまま時間は過ぎていってしまった。
 
(今日こそは言う。絶対に言う。言う言う言う! じゃないと冬休みが始まっちゃう……!)

 扉の前で己の頬を叩いて気合いを入れた。白い息が舞い上がる。春にここを訪れたときとは違う寒さがここにある。あのときとは違う関係がここにある。

「……すみません。菅原くん、いますか?」

 男子バレー部の部室の扉を、控え目に2度叩いた音が訪問者を告げる。着替えを終えた田中がドアノブを回し、目にしたのは制服を着た一人の女子生徒だった。合宿を手伝ってくれた潔子さんの友人! 名前さん! と田中が閃く。とは言え、突然の訪問に動揺しないわけにはいかなかった。

「えっと、す、菅原……スガさん、ですか?」
「うん。いるかな?」

 予想外の事に驚いて問い返す田中の耳にもう一度、彼女の声が届く。

「あーえっと、まだ部室に来てないみたいです。伝言聞きましょうか?」
「そっか……。ん、いや、大丈夫です。ありがとう! あの、迷惑じゃないなら少しだけ扉の前で待たせて貰っても……?」
「それは全然構わないっす!」
「ありがとう。着替えの途中にごめんね」

 じゃあ、と許可を得たので扉から少し離れた位置で菅原を待つ。こういうの出待ちしてるみたいで変な気分だ、とどこかそわそわする。だけど、田中くんと話すときだってしゃんと出来た。背筋を伸ばせた。大丈夫。ちゃんと言える。そうして大きな息を吸い込んだ瞬間「名字さん!?」と驚いた菅原の声が耳に届いて来たのである。

「えっなんでここに? 清水?」
「あー、えっと、や、違うの。今日は、その……菅原くんに少しだけ話があって」
「俺?」

 駆け寄る菅原の後ろにいた澤村と東峰も予想外だという顔をしたが、名字の様子になんとなくそういう雰囲気を悟り、先に部室に入ることにした。うおお、まじか。告白でもすんのか? と、男子高校生らしい反応はちゃんと心の中に隠して。

「あー、俺に用事って……?」
「あ、うん。と言うか、着替え前にごめんね」
「や、全然、それは」
「菅原くんに言いたいことがあって。出来れば菅原くんの部活終った後に、ゆっくり」
「え? けど終わるの遅いから、今でも全然良いけど」
「時間は平気! 今もうずっと学校で勉強してるんだ。だから時間は合わせられる。ホントに菅原くんさえ大丈夫ならなんだけど。ここじゃちょっとで、でも今日伝えたくて、だからごめん。少し強引だけど、時間つくってほしい、です」

 えもいわれぬ感覚だ。期待と好奇心が入り交じった気分に菅原は頷くことしか出来ない。今まで彼女がこんな風に言ってきたことがあっただろうか。その言葉通り、少し強引に何かを頼むようなこと、思い出す限りではなかったと思う。だからそこ余計に期待と好奇心が増すのだ。わかった、と菅原。安堵した名字の様子に少し調子が狂わされる。女の子は自分の知らないところで急に変わっていくから困る。急に可愛くなって、急に大人になる。菅原は気が付かないのだ。きっと気が付くこともないだろう。そういう変化のきっかけに自分がいることを。


△  ▼  △


 今部活終った、という文字が携帯の画面に表示されて名字は固唾をのんだ。いよいよである。生まれてから今日に至るまで。男の子が苦手だったせいもあって、告白をしたことなんて1度もなかった。自分から好きと言いたくなるほどに想いが募る日が来るとは思いもしなかった。
 広げていた参考書を自習室を出る。この時期はもう、寒さが増していて吐く息すら白い。コートの裾はひらひらと風になびきながら泳ぐ。緊張のボルテージは1秒ごとに上がっているというのに足取りは軽い。きっと私に出来ることは少ない、と名字は思う。だけど決めた。その代わり出来ることは全力でやろう。だから駆けるのだ。菅原が待ってくれる場所に。少しでも早く行けるように。

「す! がわらくん……!」
「おー、って、えっ走ってきた?」
「う、ん。待たせたら、悪い、し」
「いいって、いいって。それより、息大丈夫?」
「……ちょっと、気合い入れて全力疾走しすぎた」

 呼吸を整える名字を見ながら菅原は笑う。告白前になんてヘンテコなやり取りをしてしまっているんだろう。

「歩ける?」
「う、ん。も、大丈夫。……帰りながら、話したい」
「ん。じゃあ帰るか」
 
 隣に並ぶことはたまにあったけれど、こうやって帰路を共にすることは初めてだった。星空が広がる空の下、上手く歩けますようにと願う。上手く、伝えられますようにと。

「……あのね菅原くん」
「ん?」

 立ち止まり振り向いた顔はとても柔らかい。その顔を見るたびに好きは増えていく。今となってはきっかけもよくわからない。でもきっと彼じゃなくちゃダメだった。他の人ではダメだった。菅原くんだから好きになった。菅原くんだから楽しいと思えた。それを伝えるのだ。今、目の前にいる好きな人に。

(17.04.18)

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